やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

人生

死に抗う、無意味でかつ自由な生命

浅田彰『構造と力』といえば、ポスト構造主義の前史から当時の最前線までを扱った優れた思想史の書と見做されており、実際に紙幅の多くはラカンやドゥルーズ=ガタリといったポスト構造主義者の理論に対する議論に充てられている。だが本全体の底流にはマック…

祭りなき夜に、僕たちは……

0.はじめに 「電車の一駅で読めるのが理想」とされるブログとしては場違いに長くなってしまった本稿は(それにしてもめておブログのこのへんの記事 生者に取り憑く死者 めておろぎーの他者論のーと - めておぶろぐ (hatenablog.com) に比べればずいぶんささ…

最後の取引き(バーゲニング)について

キューブラーロスの『死ぬ瞬間』(もっとも、On Death and Dyingという原題は死ぬ「瞬間」というより「死とその過程」というほうが正しく、改訳版の訳者も指摘するように、ロスの基本的主張は「死とは長い過程であって特定の瞬間ではない」というものである…

離婚、脳死、遡及的決定

いっとき「告ハラ」(告白ハラスメント)という言葉が流行った。いやそれほど流行ってもいないのだが、ようは告白というのは相互の好意の最終確認であって、あくまで儀礼的なものであり、ダメもと、あるいは自己満足で想いのたけをぶちまけるのはハラスメン…

ヒトは自然体にはなれない

哲学というのは決して「みんながそう言っているから正しい」というものではなく、むしろその正反対のものであるはずなのだが、それでも流派のまったく違う哲学的著述のなかに奇妙な一致や類似を見出すことは、たいへん刺激的なことである。ましてやそれが、…

あの子は統合失調症?(続・あの子はいまごろどうしてる)

さて先日のブログ(「あの子はいまごろどうしてる 〈出離〉と〈懲罰〉考」)では、どうしても日常の生活秩序から逸脱してしまう女の子のことを書いた。誰にでも心当たりがあるような、職も居場所も男も定まらないあの子。言動に突飛なところがあり、何をする…

人生を諦めたくなるとき

1684年フランス。政治改革を夢みる若者ジャン・バプティスト・ムーロンは、17歳の時、扇動罪により百年と一日のガレー船送りの刑を受けた。 彼は鎖につながれ、くる日もくる日も船底で櫂をこぎつづけた。 やがて年をとり、ルイ十五世によって恩赦をうけたが…

終身学習刑、認識論的引退、心の安らぎ

以前一度ブログに書いたのだが、NHKのひきこもりを扱った番組に、ひきこもりの中年男性と、六十八歳になるという母親との印象的な会話があった。 中年男性は母親に、ひきこもりについての本を読むよう促すのだが、母親は「そんな時間はない」と拒否するのだ…

満たされない心の渇き

「さみしいな、彼女ほしいな」みたいな感情は、彼女ができたり、一緒に暮らしたり結婚したり子どもが生まれても、変らず心の中にあるんだよな。どーもこの満たされない心の渇きみたいなものを、ずっとあり続けると認めずに外に求め始めると危ない気がする。…

死のカメ、不死のウサギ

死については、専用の図書館が出来るほどすでに多くのことが語られているが、結局のところ、わたしたちは死について、とりわけ自らの死についてすっきり腑に落ちることはないであろう。むしろどれだけ思索し、研究し、あるいは表現しても依然として死は不可…

ヒポコンデリー/人体の脆さと死の運命

※注意! 本稿は心身の疾病について医学的な責任を負うものではありません。あくまでエッセイとしてお読みください。 アルガン「ピュルゴン先生が申されるには、用心しなくなったらたった三日でお陀仏だと」 (モリエール『病は気から』) 心気症、ヒポコンデ…

「友達」なんていない。

二十代のころ、僕はひじょうに友達が少なく、またそのことをずっと気にしていた。友達の数を指折り数える。親指は高校時代からの親友だ。よかった、まったく友達がいないわけじゃない。 しかし、人差し指、中指と折ってゆくうちに怪しくなってくる。中指か薬…

ポジティブ・シンキングってどうなの?

「今回はポジティブ・シンキングについて肯定側と否定側に分かれて仮想討論するってことで、あたしは否定側ってことになってるんだけど、ハッキリ言って妥協してお茶を濁す気はないからね。っていうかバーバラ・エーレンライクのポジシン批判で尽きてるんじ…

本質的な生活って?

本質的で、充実した生活を送りたいというのは万人の願うところであろう。だが、実際にそれが出来ている人は決して多くはない。「神から見れば誰もが病窓の少女」というように、人は環境、経済、健康その他さまざまな制約でがんじがらめにされた存在である。…

職業・教養・いかに生きるか

自分って物事を知らないよなあ、とこの頃ひしひしと感じる。というのも、ふつう人は仕事を通じて世間を知り、読書を通じて直接体験できないことを知り、それらが両眼のようになって物事を立体的に把握できる……とするならば、僕は仕事でも本、家でも本なので…

「出会いそこない」だけが人生だ

繰り返し観る夢は、その人の人生における過去の「出会いそこない」であるというラカン派の考えを読んで、「ああ、やはりな」と思った。 だがそれだけではない。そうやって繰り返し観る夢こそが、起きているときの「現実」以上に真の現実の感触を与える、いわ…

夢の意味について

夢分析には学生の頃から興味を抱いてきたが、じつに数多くの流派が存在する世界であり、また本質的に非アカデミックなところがあるように思う。手元のいくつかの本から著者の経歴を抜き出しても、学位を持ち、何らかの大学との繋がりを持っているものの、基…

ある錯誤のパターン 必要条件と十分条件

たとえば「ロシア人は背が高い」ことを証明するためにはどうすればいいだろうか。背の高いロシア人を連れてきても無駄である。背の高いロシア人を100人連れてきても同じことだ。 「ロシア人は背が高い」という命題にたいし「背の高いロシア人」は必要条件…

「人生は40から」って本当ですか?

たまには筆の赴くままに、どこに辿り着くのかわからない文章を書いてみたい。はっきり言って、話の流れ上よく知らない領域に踏み込んでしまったりもしているが、間違いなく言えることは、これはいまアラフォーの人に、またかつてアラフォーだった人、将来ア…