生活
昼下がり。いつも文机に頬をつき、路地裏のさして変わり映えのしない風景を眺めながら物憂げな顔の貧書生、牛君(名前考案中)の閑居に盟友の馬君(名前考案中)が訪れる。近頃はウーバーイーツで働いている馬君、今日は早々に仕事を切り上げ、どうやら一風…
ジョルジュ・デュアメルは『未来生活の情景』において、友人に無理矢理映画を観させられたときの不愉快な体験について記している。だが、彼にとって映画が愉快だったか不愉快だったかはさしあたって問題ではない。興味深いのは、彼が次のように述べているこ…
本質的で、充実した生活を送りたいというのは万人の願うところであろう。だが、実際にそれが出来ている人は決して多くはない。「神から見れば誰もが病窓の少女」というように、人は環境、経済、健康その他さまざまな制約でがんじがらめにされた存在である。…
むかしむかし、あるところに和泉元彌というたいそう人気の狂言師がおったそうじゃ。ある冬のことじゃった。元彌は大和国の公演に一刻(2時間)以上も遅れてやってきた。聞けば同じ日にテレビに出演しておったからだそうで、村人たちはそうなることがわかって…
物書きが行きつけの大衆食堂の話を書いていると残念な気分になる。 なんというか、誰でも行く場所だし、ネタ元としてその人の専門性や個性がなにも発揮されていないというか、またそこで拾える話というのも「庶民の一風景」みたいな、ちょっと笑えたりほっこ…
『現代思想 特集=<消費社会>の解読』 (1982)に掲載されている上野千鶴子の論考「商品 差別化の悪夢」を読んだ時は、「衝撃」というのは云い過ぎだがかなり興味深いことを書いているなと思った。上野はそこで、言語学における「サンタグム」と「パラディグム…
いま、ひとつの休日の終わりにこれを書いている。新しい休日を迎える自分に充てて。今度こそしっくりくる一日を過ごして欲しいからだ。 けれど、具体的にどうしろということは云えない。もしうまい方法がわかっていれば、今日だって素敵な休日になったはずだ…
妹が伊勢エビを送ってきた。 昨年結婚した妹は、年末年始を先方の実家で過ごす。そこから家ぐるみの年賀で伊勢エビを送ってきたわけだが、前日にメールで「父と三人で食べてね」という連絡があった。我が家は母がすでに亡くなっており、僕は実家を出ている。…
こんにちは、安田鋲太郎です。 ブログについては、もっと敷居を下げて、気軽に更新してゆきたいなと思っています。論文じゃないですもんね。そんなわけで、こういう「他人から見たら読む価値があるかどうかちょっと微妙なテーマ」でも書いてしまいます。 タ…
夢を観ている時の、あの現実感の希薄さ。一見昼間と変わらずに生活しているように見えて、どこかその着実さ、束縛でもある確かさから浮遊しているあの感じ。その中で私たちは、しばしば無鉄砲になり、モラルを見失い、そしてひどい悪夢に転落する。*1 もし現…
時には誰もが寝静まった夜に、ひとり起きていたい。 そういう時間を、ツイッターを始める前は多く持っていた。独身の頃はさらに多く。 それは確かに、孤独と隣り合わせではあった。人の集まりに顔を出す、しばらく会ってない友人には連絡を取るといった社交…
僕は古書を売ったり買ったりする仕事をしているのだが、本を売りに来るお客さんが、しばしばこんなことを口にする。 「値段はつかなくてもいいので、できれば誰かに使って欲しい」 これを聞くたびに僕は「あー、またか……」と内心思ってしまう。捨てるのは可…
「わたしはブロガーです」はどうだ? 申し訳ない。とてもじゃないけど無理だ。懺悔しているようにしか聞こえない。 (ニコラス・G・カー『ウェブに夢みるバカ』) ブログを書くとなると「そもそもブログって何だっけ」とか「平成も終わりの年になってブログ…
先日、NHK教育の福祉情報番組『ハートネットTV』で「ひきこもり新時代」と称し、長期化にともない高齢化するひきこもりについて特集していたが、そこで一番印象深かったのは、ひきこもり当事者ではなくその母親の言葉であった。六十八歳になるという母…
春ごろブログを開設しようと思い立ち、二ヵ月で記事を十個ほど書き溜めた。最初にテーマを決め、必要な本を読んでノートにまとめそして書く。その間は昼夜没頭していた。その後満を持してブログを開設。開設後も常に十個程度のストックを保つつもりだった。…
うたて此世はをぐらきを 何しにわれはさめつらむ いざ今いち度かへらばや うつくしかりし夢の夜に (松岡國男「夕ぐれに眠のさめし時」) 初夏の頃、妻の田舎の小さな神社でひとり座っていた。 辺りには人影もなく車の音もなかった。風で林が揺れていて、そ…