やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

過去

クリスマス前、昔の話を少しだけ

小学生の頃、うちは貧乏だった。 服は親戚からのお貰い、晩御飯はしばしばただイモを練って焼いたものだとか具のないうどん、家は「蹴ったら倒れそうな家」とからかわれるような家。 当時、ビックリマンシールが流行っていて、友達はみんなシールのコレクシ…

「中期的コンパ」について

孤独に人生をやっていると、ときどき、トンネルを抜けるように、雲間が晴れたように、突然なんだか素晴らしい(と思える)仲間たちに囲まれる時がある。一度に五人も十人も、男女入り乱れ、愉快かつ個性的かつ善良な仲間達が、なにかしらの場所に集い、自分…

空からお金が降ってきた? 幼少時のファフロツキーズの正体

あれは小学生の頃だ。 今は取り壊されてもうない生家の、軒先の畑で遊んでいた時、ふと見知らぬコインを拾った。それは銀色で穴がなく、大きさは百円玉程度だったが、僕が知っている百円玉とも、他のどの貨幣とも違っていた。 ふとあたりを捜すと、そこかし…

そもそもなんでツイッターを始めたのかという話

まだこの世に安田鋲太郎が存在しなかった頃の話だ。 そう、2014年秋。僕は30代後半で、職場と家を往復するだけの単調な日々を送っていた。働いては読書、あと酒。ひたすらこの繰り返し。友達はといえば、地元の無教養な連れがかろうじて数人いる程度だった。…

あの頃、書くことが「居場所」だった

その昔、書くことが居場所だったことがある。 大学一年生の頃だ。パソコンの講義に使うとやらで半ば強制的に買わされたノートパソコンを持ち歩き、講義と講義の合間に、あと家に持ち帰っても延々と、取り憑かれたように「何か」を書きつづけた。 その「何か…

オナニーもできやしない

※注意! このブログは中年男性のオナニーについて触れています。苦手な方はブラウザの「戻る」ボタンを押してください。 ところで、これまでの諸研究は、一番重要なことを不当に無視してしまっているのではないだろうか。それらが言及する人間の性、そして、…

「出会いそこない」だけが人生だ

繰り返し観る夢は、その人の人生における過去の「出会いそこない」であるというラカン派の考えを読んで、「ああ、やはりな」と思った。 だがそれだけではない。そうやって繰り返し観る夢こそが、起きているときの「現実」以上に真の現実の感触を与える、いわ…

秘かな時間を持つこと

時には誰もが寝静まった夜に、ひとり起きていたい。 そういう時間を、ツイッターを始める前は多く持っていた。独身の頃はさらに多く。 それは確かに、孤独と隣り合わせではあった。人の集まりに顔を出す、しばらく会ってない友人には連絡を取るといった社交…