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なぜ欲望を諦めてはならないのか

 ラカン精神分析の倫理』のなかに、「汝の欲望を諦めてはならない」という有名な一節がある。

 ジジェクの解釈に依拠すれば、これは「欲望のない人間にとって世界に意味はなく、欲望を持つことによって世界は意味を持つ」ということになる。例えば性欲のない男にとって、コンパでいわゆる「お持ち帰り」出来そうな女の子が隣りに座っても面倒なだけだろう。満腹の人がたまたま素敵なビュッフェにいても、退屈そうに周囲を眺めるだけだ。あるいは出世志向の人間と、とにかく楽に生きたいと思っている人間では、左遷された時のショックの度合いには距たりがある。

 欲望を持たない人間にとって世界はすべてフラットであり、欲望を持つことによって始めて、その欲望を頂点とした「意味の山」が形成される。山頂へ行くためにこのルートを通ろう、ここは崖だから気を付けよう、あの人にガイドになってもらおう、何と何をリュックに入れて行こう、云々。

 

 先日、時間的多層性について書いたけれど、照準の当て方という意味では似たところがある。欲望がない=何にも照準が当たっていない状態では、世界はただ薄ぼんやりしている。何かに照準を当てることによって、事物は形づくられる。

 ブローデルの「三つの時間」を太平洋戦争に当て嵌めるならば、ハルノート真珠湾奇襲といった事柄に照準を当てるか(短い時間)、帝国主義国家間の権益争いとして見るか(社会時間)、あるいはもっと長く、人口圧による人類の地球全土への拡張といったスパンで見るか(地理時間)、べつに三段階にこだわらなくてもいいのだが、とにかく照準によって見える「意味」が違ってくる。何にも照準を当てないと「宇宙には窮極的な意味はない」という、間違いではないのだがそこらの居酒屋のおっさんでも云えるガバガバの話になる。

 まあこれはどちらかというと前回のテーマなのだが、欲望も似たようなものだろう。我々は「宇宙の無意味化」(あるいはブラジル・ラカン派であるC・カリガリスの言うところの「世界没落体験」)に抗するためにも、欲望を持つ必要があるのだ。

 

 こういう「リア充になろうぜ」あるいは「ソロ充でもヲタ充でもいいからとにかくいっちょやろうぜ」みたいなきわめて俗な解釈でいいのか、「汝の欲望を諦めてはならない」とはアンティゴネー論の帰結ではないのか、アンティゴネー的欲望とはそういうものなのか、ラカンは欲望(desire)と欲求(need)と要求(demand)を分けているがそのへんはどうなんだ、などと問われると不安になってきて色々調べたりするのだが、結論としてはそんなことはどうでもいい。ラカン解釈として正当であるかどうかに大した意味はない。それを云ったら日本の仏教なんかすべて、仏陀の教えとかけ離れているではないか。そんなことより、ラカンをネタにどう生きるかを考えたいのだ。

 

 「アリストテレスプラトンを誤解し、トマス・アクィナスアリストテレスを誤解し、ヘーゲルはカントとシェリングを誤解し、マルクスヘーゲルを誤解し、ニーチェはキリストを誤解し、ハイデガーヘーゲルを誤解したといったように」ジジェク『身体なき器官』)

 

 哲学の歴史は誤解の歴史である。

 なお、ここでいう欲望には革命やボランティアや利他的行為も含まれる。そのさい欲望という字面にあまり囚われてはいけない。どうせ訳語だ。どうしても引っかかる人は「心の内にあって意味の源泉となるもの」くらいに思っておけばよい。

  だがこういうことは、ラカンに云われるまでもなく、元々日本人は知っていたのである。中島敦の短篇小説『悟浄出世』に、観世音菩薩が夢のなかで悟浄を諭すシーンがある。

 

   「惟(おも)うに、爾(なんじ)は観想によって救わるべくもないがゆえに、これよりのちは、一切の思念を棄て、ただただ身を働かすことによってみずからを救おうと心がけるがよい。時とは人の作用(はたらき)の謂じゃ。世界は、概観によるときは無意味のごとくなれども、その細部に直接働きかけるときはじめて無限の意味を有(も)つのじゃ」(中島敦悟浄出世』)

 

 観音は、ノイローゼ気味の悟浄に行動療法を勧めたとも云える。悟浄の苦しみは欲望の向けどころが見つからないことだった。それに対し「天竺へ行け」と命じることによって、彼の病状を緩解に導いたのである。

 

 最後に、僕は欲望を生み出すものは健康だと思っている。性欲や食欲、好奇心、そしてあらかたの社会的意欲は、基本的には健康によってもたらされる。ヒトは何万年ものあいだ、コンディションが良い時に新しいエサ場を捜しにゆき、怪我や病気の時にはねぐらに籠もって回復を待つことによって生き延びてきたからだ(このへんのことは別の機会に書こうと思う)。

 ある物を手に入れるために、最初にどうするべきか。答えは「まずはその物を欲しなければならない」。冗談のようでこれが真実である。

 あまりに単純な結論で気が引けるのだが、敢えてベタに言い切ってしまおう。健康を気遣い、欲望を喚起させ、そして幸せになろうではないか。

 

精神分析の倫理 上

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精神分析の倫理 下

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