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いま人!ブログ

いまどき真面目に人生とか人文学を考えるブログ

Twitterを始めてから読書がはかどらないことについて

 タイトルにピンときた人だけお読みください。大したオチはありません。「ここまで考えた」というメモみたいなものです。

 

 Twitterを始めてから読書がはかどらない。

 Twitter、面白くてうっかりするとずっとTLを眺めたり、親しいフォロワーさんとリプを飛ばしたりして過ごしてしまう。それではいかんと学生以来の趣味である人文書を読もうとするのだが、それにしてももう社会人だ。そして職業知識人でもないのにどうしてそんなに楽しいTwitterを我慢して人文書を読む必要があるのか、ふと立ち止まって考えてしまう。
 どちらも義務ではない。「だったら面白いほう、おのずと夢中になるほうにかまけていればいいのではないか」という意見には強い説得力がある。正直、これを書いている間じゅう、ずっと頭の片側を占領していた。だが疑問がないわけではない。

 

 ①目先の意識を惹きつけることと面白いことは同じなのか。

 

 ②面白いだけではなくて充実感だとか自律感、または手応えといったものを人は求めているのではないか。

 

 ①について。たとえばダンプカーが突っ込んできたことに気付いても哲学書を読み続けるバカ(たとえそれがヴィトゲンシュタインの原書であっても)はいないと思うが、それは必ずしもダンプカーの運転手の居眠り運転が哲学書より面白いことを意味するわけではない。
 ②についても基本は同じで、「面白い」といった短期的な満足と、充実感や自己コントロール感・手応えといった中長期的な満足は別に考えるべきではないか。してみれば、気付いたらTwitterをやっているからといって、本よりTwitterのほうが総合的に有意義であるとは一概に云えない(テスト勉強とマンガだって、後者のほうがはかどるからと云って必ずしも後者のほうが有意義とは限らない)。
 してみると、一時的にであれTLを離れて本なり勉強に向かうというのは、短期的には我慢を強いられる事ではあるが、よりじわじわくる、持続性のある満足が得られる可能性があり、そちらのほうが人間的な意味での「充実」に近いのではないかという意見もまた、先程の「面白ければずっとそれをやってればいいじゃん」と同じくらいに説得力を持つように思う。

 第一、インプットメディアとしての部分を比較すれば、やはりテーマの広さや掘り下げ、そして信頼性においてはまだまだ書物のほうが上でしょう(言い替えるならばTwitterの良さはそこじゃないともいえる)。そんなわけで、Twitterに貼り付くのを控えて孤独に本を読むことは、フロイトのいう現実原則(後ほどより大きな報酬を見込めることを期待し、目先の報酬を我慢すること。「朝三暮四」の反対)的であるとは云える。


 だが、逆方向にも疑問がなくはない。というのも、テスト勉強や何らかの資格試験ならまだしも、ことは読書である。妹に「休日は何やってるの?」と聞かれて「読書してる」と答えたら、首をかしげて「そんな暇があるなら何か資格取れば?」と云われたことがある。ムカつくが、わからないでもない。であれば、

 

 ③人文書を読んで得られる充実感とか有意義というのは幻想ではないのか?

 

 というのは問われてしかるべきだろう。そしてそれは確かに幻想なのだと云ってしまおう。もちろん幻想だからといって無価値だと云いたいわけではない。なんだか岸田秀的なアレになってしまうが、文明の多くの部分は幻想を支柱に成り立っているからだ。

 ゆえに、ことは「目先の面白さ」対「幻想の充実感」であると云える。そのゼロサムゲームというかバーター取引というか、まあそんな感じ。

 かくして、どちらが良いといった簡単な結論は出せない。僕はまだ迷い続けている。だが無理矢理にでも暫定的な結論を云うならば、まあバランスでしょうかね、というこれ以上ないくらい月並みな話になってしまうのだった。

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