やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

総体としての繁栄を願うこと

 僕はリヒャルト・シュトラウスという音楽家が好きではない。

  それは例えば、1933年にブルーノ・ワルターベルリン・フィルを率いて開催する予定だった演奏会で、ナチスから脅迫の電話がありワルターが身を引かざるを得なくなるという事件のさいに、あっさりと彼の代役を引き受けたのがR・シュトラウスであり、後に彼は第三帝国音楽院総裁となった……というような政治的態度のこともあるが、そういうことがなかったとしても、そもそもロマン派音楽の暑苦しさや重たさを耳が喜ばないためだ。

  R・シュトラウスは僕にとって、ロマン派の悪いところを煎じ詰めたような存在だ(あくまで僕にとってですが)。

 その荘厳華麗な響きを、ほんの数分聞いただけで僕はくたびれ果ててしまう。それでも二十代の多感な時期に買い求めたディスクが何枚か手許にあり、いま、この文章を書くために聴き返してみるべきかためらっている。

 

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 そういうR・シュトラウスに対する印象が多少なりとも変わったきっかけとなったのが、柴田南雄『現代音楽の歩み』(昭和四十年、角川書店)であった。

 

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 この本は一風変わった現代音楽の入門書で、1900年から1960年までの音楽的収穫を一年ごとに区切って見てゆくという特徴がある。これによって通常の入門書にはない、この年は豊作だとか次の年は不作といった音楽界全体の興隆がかなり明確に伝わってくる。

 例えば1908年の出だしにはこうある。

 

 「この年あたりから第一次大戦前夜の1913年ごろにかけて、ヨーロッパの作曲界はとみに充実してくる。新人旧人とも、後世に残る大作や問題作をぞくぞく生みはじめる。この五年ほどの間は、二〇世紀作曲界の最初の上げ潮である。豊かな実りの時期である」

 

 また1916年ではこう書かれている。

 

 「戦争もたけなわなこの年になると、音楽作品の実りはまことに少ない。その代わり、いかにも戦争中らしい異常な、あるいは悲惨な話題が少なくないのである」

 

 そして1918年。

 

 終戦への予感と、現実の休戦に伴う解放感は若い世代の創作欲を刺戟し、1918年は大戦中の年々とは比較にならぬ充実した年となった。ここに新しい音楽時代が始まったという感を深くする」

 

 音楽界はこの後も何度も浮沈を繰り返す。たとえば翌1919年は前年のような勢いはなく不作。1926~28年あたりは、音楽のみならず、文化芸術そのものの絶頂期である、だがやがて欧州情勢はきな臭くなり、再び文化芸術の冬の時代が訪れ……云々。

 

 こうして読者は、読み進めてゆくうちに次の年はどうか、また次の年は、と音楽界全体の実り多きことを願わずにはいられなくなるのである。いわば個々の音楽家ではなく音楽界そのものに感情移入するのだ。

 そしてそのような視点からは、日頃の「好きな音楽家」「嫌いな音楽家」というこだわりはかなりどうでもよくなり、どの音楽家も、時代や芸術的潮流との交わりのなかで各々の人生と作品を刻むのであり、そこに意味のない存在などないことに思い至らされるのである。


 そしてR・シュトラウスもまた、豊かな年には彩りを添え、不作の年でも孤軍奮闘するがごとく何がしかの作品を発表したりする姿を見るにつけ、敵意は薄れ、少なくとも音楽史上に欠けてはならぬ存在であったか、と認識出来るようになったのだった。

 

 *

 

 谷沢永一『紙つぶて 自作自註最終版』(平成十七年、文藝春秋社)は、著者が昭和44年から58年まで大阪読売新聞で連載していた455篇の書誌学的コラム(という言い方がふさわしい)のすべてに新稿を加えた大著で、全篇にわたって著者の出版文化に対する深い造詣と熱意の溢れる驚嘆すべき書物だが、この書においても、連載という特徴と谷沢の視野および関心のおかげで、読んでゆくうちに出版界全体への感情移入が生じる。

 

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 書物であるということはもちろん、音楽よりもいっそう中立的であることを難しくする。

 音楽批評にも当然、政治性やさまざまな思惑が介在するが、それはやはり書評(上で述べたように谷沢永一の書くものは「書誌学的コラム」ないし「出版批評」とでも呼ぶべきものだが、ここでは手短に「書評」とする)の比ではない。

 しかも谷沢永一は、言論人としてはゴリゴリの保守であった。いくら本業が書誌学者とはいえ、果たしてどの程度中立的な書評が可能なのであろう。僕にとってのR・シュトラウスがそうであったように、谷沢が政治的に好まぬ出版社、書き手はどのような扱いを受けるのだろう、という懸念は、しかし読み始めるや否やほとんど払拭される。

 

 確かに岩波書店であるとか、左翼的な書き手に対して厳しい発言が多いとも取れるのだが、まずは書誌学者としての誠実さが勝っていると云えるだろう。例えば次のような記述。

 

 「『丸山眞男集』全十七巻は、火事場騒ぎのように慌しく編集したのではなく、十分な余裕を得て入念に仕上げたのであろうと推察する。然るに出来上がったのを見れば、別巻のいちばん大切な索引を、人名索引だけでお茶を濁している。書誌学の誰もが心得ているところ、索引のイノチは事項索引である。人名なんかどうでもよいのだ。現に『丸山眞男講義録』全七巻の最終配本第六巻には、人名索引書名索引とは別に、詳しい事項索引が備わっている。やれば出来ること明白ではないか」

 

 これは明解な書き方だ。岩波の『丸山眞男集』には事項索引がない、そして「索引のイノチは事項索引である」ゆえに批判する。これならば読者は、論点も谷沢の意見もはっきりしているので、いずれに分があると見るか、各自で判断することが出来る。

 そして結局のところ、論点やそれに対する自分の意見を明確に書き、反論可能な状態で呈示したほうが、なまじ晦渋な言葉で論点や立ち位置を不明瞭にする類いの批評よりも、強い説得力を持つということも云えるだろう。

 

 この書における谷沢の議論の多くは、こうした編纂や出版社の姿勢を問うものとなっている。

 全集や辞書への言及が多く、また月報、内容見本、PR誌といった、通常の書評ではほとんど扱われないが出版文化としては無視できないものに対しても関心が行き渡っている。だからこそ上で述べたような、出版界全体への感情移入、「総体としての繁栄を願う」心境に至らせてくれるのである。

 

 *

 

 僕は学生時代、左翼仲間から「退嬰的な文化主義者」とからかわれていた。

 彼らの云わんとするところは、好奇心旺盛だがそのぶん目移りしやすい、一つ処に落ち着いて学ぶところのない青年ということであり、彼らにとっての正統な文献、正しい世界観を逸脱するところ甚だしかったためである。

 僕の趣味や関心に対し「観念論」だとか「ブルジョワ芸術」みたいなことも云われたように思う。戦前に非合法活動家を匿い、あれこれ援助していたにもかかわらず、その思想は容赦なく批判されたという、ある新カント派知識人の話をどこかで読んだことがあるが、そんな悲哀を彷彿とさせると云ったら大げさだろうか。いやまあ大げさなんですけど。

  

 しかし今にして思えば、やはり当時の自分はあれでよかったのだし、それはいまの自分に明確に繋がっている。主義主張や価値観を持つことは重要なことかも知れないが、度が過ぎるとセクト主義になり、世間や文化を見る目も、他者を尊重することにも支障が出てきてしまうのではないか。


 山口昌男高山宏との対談「よき隣人関係をめぐって」(『ユリイカ 総特集:20世紀を読む』所収)のなかでこう述べている。

 

 要するにスターリニズム、ナチズム、ファシズム、人民戦線によって埋もれてしまった感性というものがあった。戦後の日本はそれに全然気がつかずに、相変わらず社会主義やなんかで、そういうやわらかい層を覆い隠してしまったと思うんです。

 

 政治的立場を取ったら何も残らない類いの言説は貧しく、かなしい。立場が固定しきっていて次に何を言うか大体わかってしまう人の議論もむなしい。

 あらゆる書き手と読者にとって、時には自身の立場を離れ、総体としての繁栄に思いを致す必要があるのではないかと思うゆえんである。