正月に一人ぼっちで伊勢エビを食べた話
妹が伊勢エビを送ってきた。
昨年結婚した妹は、年末年始を先方の実家で過ごす。そこから家ぐるみの年賀で伊勢エビを送ってきたわけだが、前日にメールで「父と三人で食べてね」という連絡があった。我が家は母がすでに亡くなっており、僕は実家を出ている。そして妹も結婚したので、年末年始の実家は父一人になる。そのことが妹には気がかりで「三人で食べてね」と云ってきたのである。
いっぽう、僕は僕で年末年始の父親の孤独問題は気がかりではあったので、クリスマス前の夜に招待して乾杯したり、大晦日は年越し蕎麦を三人分つくってこれまた父を呼び、一緒に食べたりした。また父のサイフがボロボロだったので新しいサイフを買い与えたりもした。
こうしたことは、ほんとうに父を気遣っているのか、関係上の義理かといえば半々である。僕だって面倒くさい。しかしただ義理でやっているかといえば、たまには親も含めて家族団欒の時間を持ちたいなという気持もなくはない。
クリスマスの前の前の日。
しかし、妹が伊勢エビを送ってきて三人で食べてくれとなると、それは自ら企画したものではない。よってこちらの生活のリズムと微妙に合わなかったりする。届く日には妻はもう仕事が始まっていた。それに生きた伊勢エビをいきなり送ってこられても、なかなか手際よく調理は出来ないものである。
妻は調理を拒否した。まあそれは仕方がないというか、もともとやってもらおうとは思っていない。三人の食事に付き合ってくれるだけで御の字である。
かくして当日、5匹の伊勢エビが届いた。
ところが当日になり、仕事帰りの妻が「少し休む」と云ったまま寝てしまった。父がやって来ても起きてこない。やむなく声をかけてみたが、結局起こすのを断念した。
そんなわけで、父と僕と伊勢エビが5匹、台所に取り残されたのだった。
僕は僕でもともと、予定外の日に父を招くのは面倒くさかったし、それに加え妻のボイコット。妹が前日に「明日到着する」と云ってくるのでなければ、妻にも前日でなく、もっと早くからお付き合いをお願いしていたところだったが、どうにもならない。
さらに元気に動きまわる5匹の伊勢エビ。捌き方がわからないと云っても、三人でああだこうだ云いながら捌けばそれなりに楽しいだろうと思っていたが、老父と二人でキャッキャ云いながら捌く気にはなれない。もはや演技の限界だった。ガラスの仮面は崩壊した。
僕は父に正直に話すことにした。
これはクリスマスや大晦日の時と違って、妹が昨日の今日でいきなり送ってきたものだから、妻は疲れて起きてこないし、僕もどう捌いていいのかわからない。呼んでおいて悪いけど、三人で伊勢エビをつつきながら楽しく団欒は実現できそうにない、と。
父は苦笑いしながら「それじゃあ山分けして今日は解散しよう」と提案した。さいわい、実家との距離は大したことはない。
父は伊勢エビ2匹を連れて帰っていった。そして台所には、僕と伊勢エビ3匹が残った。
僕は途方に暮れていた。
どうしてこんなことになったのだろう。正月三日の夜、台所には僕と、空気を読まずに動きまわる伊勢エビたちがいた。
仕方がない、捌こう、と僕はスマホで伊勢エビの捌き方の動画を見て、見よう見まねで生きた伊勢エビの頭と胴体を切り離し、身をほじくり出すこと三十分。どうにか皿に盛りつけることが出来た。
ちょうどその時、妻がトイレに起きてきた。僕は「捌けたよ! 食べる?」と聞いてみた。妻は「いらない」と答えた。さらに僕は「ちょっと見てみてよ」と云った。「見ない」と妻は云い、寝室に戻っていった。
僕は一人で伊勢エビ3匹分の刺身を食べることになった。僕は思った。
……誰が悪いわけではない。
母が亡くなったのが悪いわけでもないし、取り残された父が悪いわけでもない。仕事疲れで寝てしまった妻が悪いわけでもないし、実家に顔を出せないのでせめてもと伊勢エビを送ってきた妹が悪いわけでもない(たぶん「前日連絡で」「伊勢エビ」にせざるを得ない理由があったのだと信じよう)。僕自身もとくにどこが悪いとは思い当たらないし、伊勢エビたちもたぶん悪くない。
けれど、そういう経緯だったので、けっしてウキウキと食べるという感じではなかった。
しかしこれが、べらぼうに美味いのである。
お前ここまでの話聞いてたんかい、というような美味さだった。プリプリのキュアキュアである。人間サマの経緯など知ったことではなく、伊勢エビは安定の高パフォーマンスを叩き出していた。
僕は一人でビールを飲み、伊勢エビの刺身をほおばりながら、まあいいか、うまく行かない日だったけど別にどうということはないと思った。
明日は僕は正月休みの最終日で、妻も休日である。たぶん二人で楽しく過ごせるだろう。そうしたら、今夜のことはちょうどいい笑い話になるだろう。
妹には、三人で楽しく食べたことにしておこう。何年か経ったら今夜本当にあったことを、これまた笑い話として話そう。父も今度顔を見たらなにか云っておこう。
どうということはないのだ。別に僕たちは憎しみ合っているわけじゃない。今日はうまく行かなかったけれど、お互いに労わる気持ちさえ忘れなければ、大した問題ではないのだ。
でも、最後に、寝ている妻に一言だけ声をかけた。
「今夜のこと、ブログに書いていい?」
「いいよ」と妻は答えた。