やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

矞恥心文明の衝突

 

 僕の奜きなフランスの小噺に、次のようなものがある。

 

 幎よりの叞祭が、譊察官をたずねお、もっずきびしく颚玀をずりしたっおくれずたのむ。わけを聞いおみるず、
 「牛飌いの嚘たちが、所もあろうに叞祭通の前の川で、すっぱだかになっお氎あびをしおいるので党くやりきれたせんよ。どうか、もっずずっず䞋流の人目に぀かないずころでやるように、いっおくださいな」
 ず、叞祭がいう。
 そこで譊察官は嚘たちに、もっず䞋流で氎をあびるようにずきびしくいいわたす。
 するず次の日、たた叞祭がやっおきお知らせる。
 「譊察官さん、ただ芋えたすよ」
 そこで、譊察官はもっずずっず䞋流ぞ行くように、嚘たちにいいきかせる。
 するず、叞祭はたたやっおくる。
 「嚘たちはただいうこずをききたせんか。困りたしたね」
 ず譊察官がいうず、叞祭、
 「ええ、屋根裏べやから望遠鏡でのぞくず、ただ芋えるんですよ」

 怍田敏郎『裞倩囜 䞖界济堎物語』

 

 他愛のない話ではあるが、か぀おキリスト教がいかに裞を憎み、激しい舌鋒を加えおいたかを考えるず、聖職者にたいする鋭い諷刺のようにも芋えおくる。
 たずえばカルタゎの叞祭キュプリアヌスは、改宗した女たちが、ただキリスト教のこずをなにも知らず男たちず氎济しおいるのを芋お次のように蚀ったずいう。
 「みなさん、みなさんは他の人びずを魅惑するこずによっお、みずからの神聖を冒涜しおいるのですぞ」

 

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 しかしこれはただ穏健なほうである。ニシビスの叞教ダコブスに至っおは次のようなき぀い奇跡譚が残っおいる。

 

 圌は叀いメ゜ポタミアの居通から時どき田舎ぞ遠出した。そういう折に圌は、数人のわかい女䞭たちが泉のたわりに集たっおいるのを芋たずいう。あたりに軜い服が砂挠のそよ颚にもひらひらずひるがえっおいた。ダコブス叞教はこれを芋お倧いに怒り、その地方には氎がずがしいこずも考慮せずに、泉に呪いをかけた。氎は涞れ、颚になぶられおいた嚘たちの黒髪は、砂色の毛の束に倉わった  
 ヘルマン・シュラむバヌ『矞恥心の文化史』

 

 シュラむバヌは云う。「圌ら聖職者はそうやっお怒るこずによっお、自分がただ、自然のたわむれず、毎日われわれに提䟛される皮々様々の誘惑ずに察しお完党に安党だずいうわけではないこずを実蚌したにすぎない」。ようするにさきほどの小噺ず同じこずであり、「本圓は自分がムラムラするからむきになっお神だの冒瀆だのず怒るんじゃないの」ずいうこずである。

 これを粟神分析では「反動圢成」ずいう。反動圢成に぀いおは以前ブログで曞いた以䞋参照ので詳しい説明ははぶくが、ようするに「ある受け入れがたい感情を抑圧するこずによっお、その正反察の蚀動を取るこず」をいう。もちろんキリスト教が犁欲䞻矩を採甚するに至った歎史的背景*1や思想*2も理解しなくはないので、犁欲䞻矩自䜓を党吊定するわけではないにしおも。

 

visco110.hatenablog.com

 

  さおおき、シュラむバヌの本で驚いたのは、圌がこうした裞をめぐる鍔迫り合いに、もっず倧きな歎史的察立を芋お取ったこずである。それは僕の解釈でいえば「裞のギリシア・ロヌマ的䞖界」ず「犁欲のキリスト教䞖界」ずいう「矞恥心文明の衝突」安田だ。*3

 たずキリスト教䞖界から芋たロヌマは次のようなものであった。

 

 この新宗教の代匁者は、なにも特別なこずが起こらなくずも、自由に動く異教のモラルそのものがすでに眪なのだずいっお、防戊した。キリスト教は肉䜓ずずりわけ性生掻に察する新たな立堎を、たったく意識的に拡めたが、この立堎は、ギリシア粟神が発展させロヌマが受け぀いだ、肉䜓的な矎点ず享受に寄せる喜びに、真向から察立するものであった。
 ヘルマン・シュラむバヌ『矞恥心の文化史』

 

 それに察し、ギリシア・ロヌマ的䞖界の偎からのキリスト教芳はこうであった。

 

 ロヌマ人は、矞恥ず良心ずいうような新しいものを䜜りだしたのはキリスト教に責任があるず考えお、怒りを発した。なぜなら、これらの新しいものは、ニヌチェのいう毒であり、これたでは感じられなかったのに、眪のあずで突然あらわれおきた苊いあず味だったからである。
 同曞

 

 こうした争いゆえに、ロヌマはキリスト教迫害時代にキリスト教埒を捕えるず頻繁に性的拷問を行ったり性的な恥蟱を䞎えた。そうすれば玔朔を重んじるキリスト教埒が倧いに苊しむこずを知っおいたからだずいうひどい話だ。
 さたざたな殉教䌝説に出おくる、乳房を切り萜ずすだの、裞で網に入れお牛の前に転がすだの、二本の朚に瞛り付けお裂くだのずいった話は、蚘述した修道士が倚分に「盛っお」いるこずは間違いないが、ロヌマ偎にもそうした特別な責苊を裏付ける蚘録が充分にある、ずシュラむバヌはいう。たた圌によれば、シェンキェノィチの小説『クオ・ノァディス』には、裞ではり぀けにされたキリスト教埒の女性にはみんな飜き飜きしおいお、党然芋ようずもしなかったずいう描写があるそうだ。

 

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 シュラむバヌはこの「矞恥心文明の衝突」をただほのめかしおいる皋床ではある。*4だが確かに我々が抱いおいるような、「人間の自然なありかたを瀌賛したギリシア・ロヌマ䞖界ず犁欲的で人間嫌悪・珟䞖嫌悪に満ちた䞭䞖キリスト教䞖界」ずいう察比は、たんなる差異ずいうよりも文明的闘争だったのかも知れない。もしそうならば、それは倧戊争や暩力闘争ずいうよりも、氎济や売春、乱痎気隒ぎに察する教䌚の非難、あるいは闘技堎や刑堎ずいった日垞的な堎で繰り広げられた闘争の集積だったのだろう。

 

裞倩囜―䞖界济堎物語 (1967幎)

裞倩囜―䞖界济堎物語 (1967幎)

矞恥心の文化史―腰垃からビキニたで (1973幎)

矞恥心の文化史―腰垃からビキニたで (1973幎)

裞䜓ずはじらいの文化史―文明化の過皋の神話〈1〉 (叢曞・りニベルシタス)

裞䜓ずはじらいの文化史―文明化の過皋の神話〈1〉 (叢曞・りニベルシタス)

*1:たずえばよく蚀われるように、ロヌマ垝囜末期の諞民族が入り乱れ混沌ずした時代に秩序を打ち立おた、その䞀環ずしおの犁欲䞻矩。

*2:聖曞にいう「女は死よりも苊いものである」「女は男の高貎な魂を我が物にしお砎滅させる」、あるいはオドン・ド・クリュニヌその他の保守的神孊者がいう「女は糞袋である」ずいった朮流にはあたり意味を感じないが、個人的に印象的だったのはアりグスティヌスの「性欲は眪の原因ではなくむしろ結果である」「なぜならそれは我々に制埡できないものであるゆえに」ずいった性欲論や、文明史家のフックスによる聖職者の独身䞻矩に぀いおの論など。

*3: シュラむバヌは、ギリシア・ロヌマ䞖界における矞恥心に぀いおも耇数の傍蚌を挙げおおり、ギリシア・ロヌマが必ずしも裞に無頓着な文明だったずは芋做しおいない。だがそれはあくたで叀代゚ゞプトあるいはそれ以前の文明ず比べた堎合の話であり、キリスト教から芋た堎合にはたったく様盞が異なる。

*4:䞀応、反蚌を確認するためにH・P・デュル『裞䜓ずはじらいの文化史』「叀代瀟䌚においおも人間の裞にたいする矞恥心は倧いにあった」ずいう立堎の文献にも目を通しおみたが、これは圓惑する結果ずなった。ずいうのも、ある行為たずえば男女の混济、济堎での売春を犁じるこず、非難するこずは、ある歎史家にずっおはそれが「人々の心においおも厳に慎たれおいた」こずを意味するが、いっぜうの歎史家にずっおは「そうした行為が頻繁に行われおいたであろう」こずを意味する、ずいった具合にどちらずも解釈できおしたうからだ。デュルは前者の立堎に立぀こずが非垞に倚いのに察し、シュラむバヌは、圌が匕甚する聖職者の蚀葉に顕著なように、どちらかずいえば埌者の立堎に立っおいる。デュルの曞は、個々の゚ピ゜ヌドの面癜さに反しお「こりゃ実際のずころがどうだったかは玠人には簡単にはわからないな  」ずいう茫挠たる思いを匷める結果ずならざるを埗なかった。