やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

「出会いそこない」だけが人生だ

 

 繰り返し観る夢は、その人の人生における過去の「出会いそこない」であるというラカン派の考えを読んで、「ああ、やはりな」と思った。


 だがそれだけではない。そうやって繰り返し観る夢こそが、起きているときの「現実」以上に真の現実の感触を与える、いわば人生の物語ともいえる――たいていは苦渋に満ちた物語だが――そして、誰もそこからは逃れられない、なぜならそれは我々が生きているかぎり、必ず、何度でも「眠りと目覚めの間」に回帰してくるからだ、というのである。
 誰にとってもそうだとは思わない。だが、まさにこのように生きている人がいることは間違いない。他でもない僕自身がそうだからだ。

 

 □

 

 同じ夢を観る。だいたいそれは五つくらいのパターンを持つ。その中の一つは、たとえば大学の構内をうろついていて知り合いを捜すが誰も見つからないという夢だ。
 これは大学三~四年の時に実際に経験したことで、それまで顔を会せればあれこれお喋りをしたり、飲みに行っていたような友人が、とつぜん誰もいなくなってしまったのである。


 絶交されたわけではない。おそらく勤勉な者はさっさと単位を取得して、また別の者はドロップアウトして、どちらでもない者も自分に合う小集団を見つけて、一年の時のような「なんとなくみんな繋がっている」ような状態から離れていったのだろう。そのころ僕は長く付き合っていた彼女にフラれたばかりで、ケータイも持っていなかったし、仮にケータイを持っていたとしても、いまさら呼び出すような相手もいなかった。
 僕はあまり勤勉ではなかったので、四年になってもまだ卒業までに幾つか単位を必要としていた。そうして必要な講義を聞き終えると食堂や図書館のロビーを覗いてみるのだが、そこには知人は誰もいなかった。

 

 現在はさいわい、SNSのおかげで孤独はまったく感じないのだが(「ネットの友達などしょせん友達の模造である」などという古い考えはとうに捨てている)、あの頃から三十代半ばまでの十数年はかなり孤独な時期だった。おそらく、それが心の傷になっていて上のような夢を観続けるのだ。

 ラカン派的に言えば、それが僕の人生の物語の一つであるということになるのかも知れない。親しくなった人には必ず一度は話す、もし相手が許すなら何度でも話したい、そうした人生の物語の一つである。

 

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 繰り返し観る夢のなかには、現状では解決していない夢もある。たとえばお城のような広い家に住んでいる夢。必ず夢の最後のほうで、これは自分の家ではないことに気付く。
 これも「五つくらいのパターン」の一つなのだが、いま住んでいる家が狭くて安っぽいことを気にしているのだろう。実際、うっかりすると棚にぶつかってモノが落ちたり、軽い擦り傷が出来たりする。あまり場所がないので、気に入ったインテリアがあっても買うことが出来ない。たまに実家へ行くと、無防備に歩いてもぶつからない広さと、何部屋も自分のものにしているきょうだいがついうらやましくなる。しかしこれはあくまで自分の甲斐性のなさの問題であって、親やきょうだいの問題ではない。

 

 □

 

 夢というものは、過去の「現実」の「出会いそこない」を埋め合わせるべく、現在の「現実」を単なる「象徴」として使ってしまうよう、夢見る人に要求してくることをその役目としているのである。
 (中略)
 しかも繰り返しそのようにされてゆく(だから実人生は、夢によって「夢の夢」にされてゆく)。そして、夢の中に記憶として存在している「出会いそこない」だけが、真の「現実」として残され、いつまでも私たちの心をせき立て続けることになる。
 (新宮一成他編『フロイトラカン』)

 

 「五つくらいのパターン」と云った。このブログで省略する二つは、仕事と服に関する悪夢である(べつに秘密というわけでもないのだが)。
 カートライト&ラムバーグ『夢の心理学』によれば「夢の三分の一は悪夢」なのだそうだが、「出会いそこない」として見る夢はほとんどが悪夢なのではないか?(余談だがカートライト&ラムバーグが使う「普通の悪夢」という言い方は気に入っている。悪夢なんて普通に観るもんですよ、という安心感を与えてくれるからだ)。

 

 ともあれ最後の一つは、一見のところそこまで悪夢でもない。それは二十代前半に女友達をデートに誘う夢だ。


 僕はいわゆる「非モテ」および「ぼっち」で人生の大半を過ごしてきたわけだが、大学一・二年の頃に、ほんの僅かなあいだ友達が多い時期があった。男だけではなく女友達もたくさんいた。

 その時期だけはいろいろな子とドライブしたり、いかにも学生が気張って行くようなバーで飲んだり、あるいは家に(そのころはまだ実家だったが)女の子たちが遊びに来たりしていた。


 しかし上で書いたように、大学三・四年になると元通りの「ぼっち」になった。ちょっとこのへん記憶が曖昧なのだが、おそらく決まった一人(いわゆる「彼女」)と付き合ったり、政治活動に時間を割いているうちに、仲違いしたわけではないのだが、男女にかぎらず自然と会わなくなっていったのだろう。

 彼女とはそれはそれは真剣に付き合っていたのだが、最終的にはフラれ、気付くとほとんど一人という状態になる。よくある話ではある。

 だが、その一人の状態は予想を越えて長く続いた。

 

 僕は携帯電話のアドレスを眺める。そこには数人の女の子の名前が並んでいる。けれどどの子も顔が思い出せない。懸命に思い浮かべても、ツイッターの未設定アイコンのようなものしか思い出せない。夢のなかでは決まって思い出せないのだ。

 確かなことは、この名前たちはみなかつてほんとうに実在する友達だったということだ。少なくとも最後に会った時は、「また電話してね」と屈託のない笑顔を見せてくれていたはずだ。それがいつだったかは忘れたが。
 だとしたら、電話してもいいのではないか? ボタンを押すだけで、すぐにでも声が聞ける。車で迎えに行って食事でもすればいい。

 心配しなくても、きっと思い出せるだろう、その子の顔も、かつてどんなお喋りをしたかも。

 

 そう思ったところで目が醒める。あるいは電話をして、会ってもらえる約束をしたところで目が醒める。あるいは実際に会ったところで目が醒める。

  実際には夢のように、気軽に女の子をデートに誘い出したりは出来なかった。親しくしていた時期からすでに数年が過ぎてしまっていたからだ。その数年の空白に、なにか壁を感じてしまっていた。

 

 もし電話をしていたらどうなっていたのか。案外なんともなく「久しぶり!」などといって友達付き合いが再開したのか、それとも何をいまさら、と訝しがられたのか、わからない。

 付き合いの度合いも空白の長さも相手の性格もどの程度親近感を持たれていたのかも、あるいは相手が忙しいのか暇なのか、寂しがっているのかいないのか、それぞれ違うのだからわかりようがない。

 ただ、わからないけれどとりあえずかけてみる、ということが出来なかった。拒絶され、すでに友達ではないことを思い知らされる恐怖のほうが勝った。だったらこのまま思い出にしてしまおう……

 

 これも「出会いそこない」の一つのかたちだったのではないだろうか。そうして、そのまま長い孤独期間に入ってゆく。

 社会人になってから友達がまったくゼロというわけではなかったのだが、今から見れば圧倒的に書物と思索ばかりの日々だった。それはそれである種の精神の深まりがあって、必ずしも悪くない部分もあったのだが(なお、その時代のことはこちらに書いた)。

 

visco110.hatenablog.com

 

 遠い昔の話ではある。上にも書いたように、いまはSNSのおかげでまったく孤独を感じていない。そもそも結婚もしている。しかし、未だにこうした夢を繰り返し見続けるのである。

 

 真の「現実」は、私たちが望むと望まないとにかかわらず、こんなにも身近に、そしていつも正確に、経験の中のこの場所、つまり「眠りと目覚めの間」という場所に、回帰してくるからである。私たちはこの「間」という「場所」から、生きているかぎり逃れることはできない。醒めたり眠ったりを繰り返すことを、私たちは止めることはできないのだから。
 (新宮一成他編『フロイトラカン』)

 

 私たちの外側に「現実」があるのかどうかというような心配はもはやしなくてよい。私たちの中に、「言うことができない」という不可能と、「出会いそこない」というその痕跡が残されており、それが身体の「傷」と同じ仕方で、私たちが生きているかぎり私たちを苦しめる。少なくともそのことだけは、私たちの人生にとって確実に意味のある「現実」となっている。
 (同書)

 

 ラカン思想は重苦しい。あのトリックスター的なジジェクの著書でさえ、常に読者をいくらか陰鬱な気分にさせるくらいだ(はっきり言って、ジジェクを読んでいると精神衛生上は悪い)。
 とはいえ、重苦しいのはラカンなのか、それとも人生そのものであってラカンはただそれを書いているだけなのかという問題は残る。僕は後者だと思う。

 

 □

 

 そこで――だからこそ最後に言っておきたいのは、ラカン思想はゴシック建築の教会、あるいはカタコンベのようなものではないかということだ。つまり中は薄暗く陰鬱で、そこにはある種の真理が担保されているが、外に出ると、再び爽やかな風が吹く、明るい街並みが広がっている。

 

 僕は大学のそばの本屋をのぞいてほっとした。パリの本屋にずらりと並ぶ、あの精神分析学の本が、そこには数えるほどしか置いてなかったからだ。この街にはラカンは必要ないだろう。僕はかってにそうきめた。
 (中沢新一バルセロナ、秘数3』)

 

 さあ、気分転換しよう。

 たとえこれが、繰り返し回帰されてくる「現実」だとしても――実際、僕はこの先何度もこの地点に引き戻されるのかも知れないが――それは別に陰鬱に生きなければならないということを意味しない。そして大体書きたいことを書いたので、このブログもなし崩し的に終わりにする。では、また次回。

 

知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ)

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夢の心理学―生活に夢を役だてる

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バルセロナ、秘数3 (講談社学術文庫)

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