🐮ノリちゃんのピカレスク大冒険、または昭和五十六年立川会社員殺人事件について🐴
※注意 本記事における事実関係の記述は朝倉喬司『犯罪風土記』に依拠しています。本記事は犯罪を擁護する意図はありません。また、本記事は関係者を非難する意図もありません。以上につきよろしくご了解ください。
1.イントロ。飛ばしてかまいません
🐮朝倉喬司はいいぞ。
🐴なんだよいきなり。
🐮やはり朝倉喬司『犯罪風土記』から漂う濃厚な昭和のニオイは絶品。「昭和感」だけでいえば、寺山修司や野坂昭如みたいな一流どころと比肩しても何ら遜色はない。
🐴朝倉喬司はいいぞだなんて単行本二冊で言ってしまっていいの。
🐮いいんだよ。俺は勘どころは間違えない。単発の記事なら他にいくつか読んでるけどね。とにかく朝倉喬司の「昭和感」は絶品。『犯罪風土記』正・続は著者が70~80年代に発表した犯罪ルポを集めた本なんだけど、どの事件もまだ貧しく治安も悪かった昭和ニッポン、そのなかでどうにか日々を生きる人たちのよるべなさが、まるで万年床に染みついた脂肪の酸っぱい匂いみたいに漂ってきて、じつに素晴らしい。
🐴昭和のイメージきたねえな。
🐮風呂桶の底のぬるぬるみたいにぬるぬるしててじつにぬるぬるである。
🐴ぬるぬるしすぎだろ。
🐮積み上げた雑誌にいつのまにか生えてるカビみたいに
🐴話進めてもらっていい?
🐮ちなみに文庫版は『犯罪者も夢を見る』と改題されたけど、まさにそこらへんの、夜には夢も見るであろうあんちゃん姉ちゃんが、なんの因果か気付けば殺人者になり、あるいは被害者になるという理不尽さ、またそこからくる切なさを感じさせて秀逸なタイトルだ。
🐴まあ朝倉喬司の文体の引力は認めるよ。ただし嫌いな人にとっては、主観が入りすぎとか自己陶酔というようにも見えるんだろうけど…
🐮まあ野坂や寺山にしても主観が強い、ナルシスティックな特徴はあるわけで、秀でた書き手はえてしてそうなりがちなんだろう。確かに、事実を正確に伝えているかどうかという点では若干怪しい。
🐴ネットにも他の本にも載ってないようなマイナーな話が多いしなあ。
🐮で、今日はそんな『犯罪風土記』のなかから印象的だった事件をひとつ紹介したい。ちなみにその事件は昭和56年に起きてるんだが、やはりググっても出てこなかった。戦後の殺人事件は昭和29年の2738件をピークに一貫して減り続けてるんだけど、それでも昭和50年代は年間2000件近くは起きてて、よほど有名な事件でもなければ今日忘れ去られているものが多い。
🐴最近は年間1000件を下回ってるって話だな。スマホがあるから助かりやすいんだろう、きっと。
🐮あと救急救命のレベルも上がって、どうにか一命を取り留める場合が増えたってのは、自殺者数とか、交通事故死亡者数の減少にも共通して言える話だね。
2.事件のあらまし
🐴で、その紹介したい事件ってのはどんな事件なんだい?
🐮まあまあ。まずは東急多摩川線用賀駅付近に「みなと」という喫茶店があった。そこに新聞の求人広告を見たという女の子がやって来る。その子はノリちゃんといった。
🐴ふんふん。
🐮ノリちゃんは千葉の山の中に生まれたということ以外は、自分についてほとんど話さなかった。けど印象はすごく良かったらしくて、「みなと」で住み込みで働くことになった。そしたらよく働くし、店主夫婦の次女の順子ちゃん(当時7歳)にマリつきなんかも教えて、すっかり一家に溶け込んでいった。
🐴なるほど。
🐮しかしノリちゃんは、ある日変なことを言う。「新宿の焼き肉やさんにいたころ、その店、二回もね、火事を出したんですよ」
🐴あー、なんとなくこの後の展開が…
🐮そう。しばらくして「みなと」にボヤが出たんだ。
🐴それはもう…
🐮さらに一週間後、こんどはノリちゃんが寝泊まりしていた二階の押し入れから出火した。
🐴完全にやってんじゃん。
🐮それで店主夫婦は考えた。ノリちゃんが放火しているという確たる証拠はない。しかし、一連の火事はノリちゃんが運んできたことはおそらく間違いないだろう。そんなわけで、ノリちゃんはヒマを出されてしまった。今でいうクビだね。
🐴しょうがないわなあ。
🐮順子ちゃんだけが、「お姉ちゃん行っちゃいやだ」と追いかけたそうだ。
🐴さみしいねえ。
🐮さて10年後の昭和56年、立川市内で会社員の男が下腹部をメッタ刺しにされて殺され、通帳が盗まれる。
🐴…んん?
🐮犯人は山田範子、当時33歳。
🐴えー、それって
🐮そう、あのノリちゃんだった。
🐴ノ、ノリちゃーん!!!
🐮朝倉喬司の伝えるところによると、ノリちゃんは「みなと」をクビになったあと、次々と男を騙してはカネを奪い、そのカネで博打三昧という生活を繰り返していたらしい。
🐴そんな…ノリちゃん…どうして…
🐮とくにマジメで女馴れしてなさそうな男ばかり狙っていたらしい。事件発生時は川崎でトルコ嬢をしていたんで、そういうターゲットを見つけるのも簡単だったし、殺された会社員もトルコの客だったようだ。
🐴悪魔やん
🐮金品を奪うやり方が、だんだん大胆になっていった揚句の殺しなんだろうね。それにしても下半身メッタ刺しというのは並の神経で出来ることじゃない。
🐴鬼畜やん。っていうか「みなと」の店主夫婦、なんでそんな子雇ったんや。
🐮第一印象が良かったから…
🐴第一印象ってあてにならないもんだなあ。
3.思ったことその1 放火癖とは
🐮ちなみに朝倉によれば、トルコでは「順子」という名前で勤めていたそうや。
🐴「お姉ちゃん行かないで」の順子ちゃんやん。なんでよりによってその名前でトルコ嬢やるんや。サイコパスか。
🐮いや、案外そうじゃないかも知れない。
🐴というと?
🐮これは僕の想像だけど、もしかしたら自分のなかにきれいな部分を残しておきたかったんじゃないかな…トルコ嬢とか、ましてや犯罪とか、いろいろ手を染めはしたけれど、でも自分のなかには無垢な少女の心がどこかに残っている、そう信じたかったのかも知れない。
🐴いやーそれはどうだろ。ただの偶然なんじゃないの? 店の人が決めて、そういや順子っつったらあの子とかぶってるけどまあいいか、みたいな。
🐮他にも不可解なところがある。男から金品を奪ってバクチ三昧、これはまあ欲望という意味ではわからんでもない。でも、じゃあ放火はなんのために?
🐴たしかに、放火は一文の得にもならない。
🐮手持ちの精神医学系の辞書を幾つか調べてみたんだけど、盗みとか復讐といった理由でするのじゃなく、純粋に火をつけたがる放火癖 pyromaniaというのが、衝動制御障害のひとつとして、いちおうDSMやICDにも記載されている。
🐴そうなんだ。
🐮衝動制御障害っていうと、盗癖とか過度な賭博癖のお仲間やな。
🐴でも、なんで火をつけたがるの?
🐮なんか燃え上がる火を見ているとリラックスしたりカタルシスを得るらしい。それで、本人も衝動に抗えなくて、やってはいけないと思いつつやってしまうようだ。
🐴じゃあ第一形態のノリちゃんは、放火癖を患っていたと、精神医学的には言えるかも知れないわけだな。
🐮しょせんラベルをつけて分類してるだけ感はあるけど、まあそう言える。
4.思ったことその2 ピカレスク?
🐮で、もう一つ思ったことは、ほら、放火癖がある以外は愛想がよくて働き者のノリちゃんと、その後の男を騙しまくって世渡りするノリちゃんは、まるで別人みたいじゃないかということ。
🐴たしかに、どっちもヤバい子ではあるけど、ヤバさのベクトルが変わっている感はある。
🐮そう。だから、そこには何らかの〈移行〉があるんじゃないか、と思うわけだ。いや想像だけどね。
🐴ふーむ。
🐮不謹慎を承知でいうと、やっぱり喫茶店から姿を消したあとのノリちゃんはどこか溌剌としている。放火癖だった頃のノリちゃんは、一カ所に停滞して、たまに鬱屈が溜まってきたら火をつけるっていう不活性な状態だったけれど、それに比べると、男たちを騙してあてどもない遍歴を重ねるってのは、女カサノヴァとか、グリンメルスハウゼンの『放浪の女ぺてん師クラーシェ』を彷彿とさせる。
🐴犯罪じゃない方向で輝けなかったかなあ。
🐮そうだね、それはかえすがえすも残念。被害に遭われた方のご冥福を心からお祈りします。けれど、こういうことも思うんだ。
🐴なに。
🐮ノリちゃんは、もう火をつける必要はなくなったんだろうなって。ハートに火がついたから、現実につける必要はなくなった。
🐴なるほどね。まあそれはお前さんの想像だ、好きにするがいいよ。さてそろそろ結論といこうじゃねえか。この話からどんな教訓が引き出せるだろうか?
🐮松竹梅といこう。梅、綺麗な女が近寄ってきたら用心しろ。
🐴ふんふん。
🐮竹、居場所が見つからない人は自分のなかの危険な部分を育ててしまう。
🐴なるほど。松は?
🐮松、人はかなしい。かなしいものですね。
🐴それでも過去たちは
🐮やさしく睫毛に憩う
🐴人生って
🐮不思議なものですね
🐴オチって
🐮難しいものですね
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以下は文庫判。おそらく内容的にはだいたい被ってます。