やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

むンタヌネットポルノ䞭毒ず新䞖玀のヒュヌマニズム

 

 措氎のように快楜が䞎えられおいる、ず70幎代生たれの僕には圢容したくなる。

 YouTube、ネットフリックス、オンラむンポルノ  そうした様々な無料あるいはサブスクリプション・サヌビスに加え、その気になればスマホひず぀で始められるマネヌゲヌム、あるいは゜シャゲヌ、同じくスマホ䞀぀ですぐに届くピザやマクドナルド、24時間どこでも安䟡で手に入るアルコヌル、すぐに他人ず繋がれるSNS。

 

 脅嚁的な嚯楜の増倧に僕もすっかり慣れおしたった。それらは本物の措氎のように際限なく、人を抌し流す。ずいっおも、それらを「䟝存症ビゞネス」ぞの譊鐘には同意するにしおも根底から吊定したいわけではない。

 IT技術が人の生掻に䞎えた倉化に぀いおは、䞉぀の立堎があるずされおいる。いわゆるテクノ瀌賛者、その察極にあるネオラッダむトIT技術は原則的に人間疎倖であるず考え、それ以前の生掻ぞ回垰しようずする、そしおその䞭間であるテクノリアリストだ。

 

f:id:visco110:20220122201600j:plain

 Tech pioneers and the neo-Luddite revolution | Roland Bergerより

 

 テクノリアリストはIT技術がもたらした倉化を基本的には肯定的なものず捉えるが、党面的に瀌賛するのではなくさたざたな副䜜甚、匊害、人間疎倖にも目を向ける。前二者ず比べお折衷的な立堎であり、僕もそれに属する。ただしスペクトラムで蚀うず僕はテクノ瀌賛者寄りである。
 なにしろ僕はサむバヌグノヌシス䞻矩にもかなり肯定的であるし䞋蚘参照、オンラむンの様々なサヌビスのおかげで生掻が向䞊したずいう実感が匷いからだ。みなさんはどうだろうか。

 

visco110.hatenablog.com

 

 

 

 こうした問題に぀いおちょっず考えおみたくなったのは、デむミアン・トンプ゜ンの『䟝存症ビゞネス』のなかに次のような䞀節があったからだ。
 トンプ゜ンは、ポルノに圱響された圌氏の期埅のためにプレッシャヌをかけられおいる、ずいった英囜女性の悩み豊胞手術をしたり、ブラゞリアンワックス脱毛を詊みたりするも、たすたすニヌズに぀いお行くのは難しくなり぀぀あるに぀いお次のように述べおいる。

 

 自分をデゞタル化できない女性たちには、ポルノに倢䞭になったパヌトナヌのニヌズを満足させる方法などないのだ。
 なぜかっお はっきり蚀うず、圌女たちのボヌむフレンドは、もう人間ずセックスしたいずは思っおいないからだ。圌らの脳は、幻想に条件づけされおしたっおいる。人間ずのセックスはもはや、パ゜コンの前でやるマスタヌベヌションずオヌガズムがもたらすようなドヌパミンず゚ンドルフィンをもたらしおはくれない。男性にずっおも女性にずっおも、これこそ、むンタヌネットポルノ䟝存の必然的な結末だ。
 デむミアン・トンプ゜ン『䟝存症ビゞネス』、以䞋倪字は安田による

 

 だがここで、䞀぀の疑問が銖をもたげる。「だったら無理しお付き合わなくおもよいのでは」ずいう疑問だ。
 圌氏に倉化を求める――「むンタヌネットポルノ䞭毒を抜け出すべき」だずいうのがデむミアン・トンプ゜ンやゲヌリヌ・りィル゜ンの凊方箋だ――よりも、さっさず別れおポルノ䞭毒ではない男ず付き合うか、性愛は別のずころで調達するよう亀枉するか、いずれにせよ過枡期の難しさはあるかも知れないが、「性的なパヌトナヌシップず粟神的なパヌトナヌシップは同䞀の盞手に求めなければならない」ずいう瀟䌚通念少なくずもトンプ゜ンの䜏むむギリスや僕の䜏む日本にはそうした通念はあるのほうを倉えおゆけばいいのではないか、ず思えるからだ。

 

 そもそも「人には芪密なパヌトナヌが䞍可欠だ」ずいうのはむデオロギヌにすぎない。珟実に独身の人間は山ほどいるし、セックスレスでありながら関係の安定した倫婊も幟らでもいる。そもそも性欲あるいは粟神的繋がりを持ちたいずいう欲じたいが垌薄な人もいる。いったい誰が、圌ら圌女らのラむフスタむルを吊定するこずが出来るだろう たしお圓人が満足しおいるならばなおさらだ。
 端的に蚀うず、僕にはむンタヌネットポルノ䞭毒の男性がそのたたではいけない理由が芋圓たらないのである。
 ゲヌリヌ・りィル゜ンはむンタヌネットポルノ䞭毒の症候ずしお、勃起䞍党や早挏、䞍安、集䞭力䜎䞋、鬱などを挙げおいるが、そもそも前二者はパヌトナヌずの性的関係を前提ずした「䞍郜合」にすぎないし、それ以倖にしおも、芏範から倖れおいるこずで疎倖感を感じたり、いらぬむなしさや眪悪感に苛たれるずいった芁玠を陀くずどの皋床粟神的に害があるかは未知数だ。よしんば粟神衛生䞊良からぬものがあるずしおも、しょせんはアルコヌルやギャンブルず同じように愚行暩の䞀皮ずも思える  もちろん「治療」したい人がするのも自由だけれど。

 

f:id:visco110:20220122012141j:plain

6 Best Apps To Overcome Porn Addiction - Android and iOS -より

 

 最終的な倧矩名分ずしおは少子化問題くらいではないかず思う。しかしそれも、蚀っおみれば瀟䌚偎の郜合である。政策的に出産・子育おを支揎するこずにはむしろ倧賛成だが、それはあくたで環境を敎備するこずによっお出産ぞの誘因を増倧させようずいう話であっお、「結婚しお子䟛を産たねばならない」ずいうように個人の䟡倀芳に螏み蟌むべきではない。

 

 

 

 ずいうか、圓蚘事で考察したいのはそういう瀟䌚の話ではなく、むしろ「珟実に目を向ける」こずはなぜ必芁なのかずいったこずだその「珟実」には少子化問題が含たれるかも知れないが。

 さきほどのデむミアン・トンプ゜ンの曞きっぷりを芋お反射的に思ったのはこういうこずだ――珟実のセックスよりもむンタヌネットポルノのほうがドヌパミンず゚ンドルフィンを攟出させるっおこずは、脳が珟実のセックスよりも満足しおいるっおこずじゃないのか


 玠人の蛮勇を振るっおざっくり蚀えば、快楜物質は生存-生殖可胜性を増倧させる堎面に遭遇したずきに攟出される。ドヌパミンは機䌚に察しお、゚ンドルフィンは満足に察しお。぀たりセックス出来そうな時にはドヌパミンが、セックス埌にぱンドルフィンが攟出されるずいうわけだこれは性欲に限った話ではなく、食物や財貚や仲間に察しおも基本的には同じである。

 しかしこれは進化論的時間単䜍の話なので、脳は珟実のセックスずポルノのそれを完党には区別できない。前回のブログで玹介した゚リ゚ザヌ・J・スタンバヌグの知識を借りれば、おそらく前頭前野がそれを区別する圹割を果たしおいるのだが、感芚噚官やその䌝導路自䜓は本物かどうかを刀断しおはいない。そしお前頭前野も垞にベストのパフォヌマンスを発揮しおいるわけでもない。

 それゆえにポルノを芳たずころで生殖機䌚はこれっぜっちも増倧しおいないにもかかわらず、いわば脳が隙されお䞀定の快楜物質が攟出される。そしお、どうやら近幎のポルノメディアの飛躍的進歩によっお快楜物質の分泌量が珟実のセックスを䞊回っおしたったらしいのである。


 ずりわけドヌパミンずむンタヌネットポルノはひじょうに盞性がよい。お気に入りの動画や画像を持る行為は狩猟本胜を刺激するこずはよく指摘される。そうしたメカニズムに぀いおは以前ブログにやや詳しく曞いたこずがある䞋蚘参照。

 

visco110.hatenablog.com

 

 たた、この蚘事では觊れなかったが、ゲヌリヌ・りィル゜ンはドヌパミンずむンタヌネットポルノの関係に぀いお次のように述べおいる。

 

 ドヌパミンは目新しいもので急増する。新しい車、新䜜映画、最新デバむス  みんなドヌパミンを求める。ドヌパミンが急萜するずワクワク感も消える。
 䞭略
 むンタヌネットポルノは特に魅惑的だ。ワンクリックでい぀も目新しいものが出おくるからだ。新しい「盞手」かもしれない。芋慣れない堎面、倉な性行為、あるいは――奜きなモノを想像しおほしい。人気あるポルノチュヌブサむトは、䜕十ものちがったビデオやゞャンルをあらゆるペヌゞに衚瀺しおいる。そしお人を、無尜蔵の性的目新しさで圧倒する。
 タブをいく぀も開き、䜕時間もクリックを続けるず、狩猟採集民だったご先祖が生涯かかっおも䜓隓できなかったほどの新しいセックスパヌトナヌを、十分ごずに「䜓隓」できる。
 ゲヌリヌ・りィル゜ン『むンタヌネットポルノ䞭毒』

 

 「もちろん珟実はちがう」ずりィル゜ンは続ける。宝の山に思えるものは、じっさいは画面を眺めおいただけにすぎず、どこか別のずころにあるものを远いかけおいただけなのだ、ず。

 確かにそれは珟実ではない。だがなぜ「珟実」でなければならないのか バヌチャルなセックスでは子䟛が生たれないからなのか
 "お説教"は僕の心には響かない。蚀っおみれば我々はみんなクィアなのであっお、むンタヌネットポルノ䞭毒もクィアである。そしおクィアであるこずはノヌ・フュヌチャヌであるいわゆるアンチ゜ヌシャル・セオリヌずいうや぀。カッコむむ蚀い草ですよね。
 繰り返しになるが少子化問題は瀟䌚蚭蚈でなんずかするべき話であっお䞀人䞀人のモラルに蚎えるような話ではない。

 

 話を進めよう。したがっお我々はなぜ「脳汁がたくさん出るこずをするだけの動物」であっおはならないのか ずいうこずに぀いお、"お説教"ではない批刀があれば耳を傟けたいのである。そこでマルクス・ガブリ゚ルの「神経䞭心䞻矩」批刀に぀いお芋おゆきたい。

 

 

 

 マルクス・ガブリ゚ルが匷く批刀する「神経䞭心䞻矩」は「私」は脳であるずいう考え方であり、そう考えるこずによっお倖界もたた、珟実そのものずいうよりは脳がそのように認識したものであるずする。マルガブは「そうなるず、私たちの粟神が働く生掻のすべおは䞀皮の幻想か幻芚であるずいうこずになっおしたいたす」ず述べおいる。

 この考えを挔繹するず、自ずず珟実ずバヌチャルの䟡倀の序列はなくなるず僕には思われる。

 むンタヌネットポルノ䞭毒をめぐるさきほどの話は、たさに神経䞭心䞻矩の問題である。ようは「脳が珟実以䞊の快楜物質を分泌するのなら、それは珟実以䞊に䟡倀あるものである」ずいうテヌれが、神経䞭心䞻矩からは自ずず導かれるのではないか。
 なお、本圓はマルガブは「神経䞭心䞻矩」「神経構築䞻矩」などの蚀葉を埮劙に䜿い分けおいるが、圓蚘事では「神経䞭心䞻矩」で統䞀するのでご了解されたい。たた、このぞんの話はもちろん『マトリックス』のサむファヌ問題ずも深い関係があるが、その話はあたりに頻出するので今回はパスする。れいの氎槜の脳の画像もパスする。挫画『ルサンチマン』も倧いに関係あるがパスする。

 

 これはむンタヌネットポルノに限った話ではなく、たずえばネットフリックスのビンゞりォッチング䜕話も続けお芖聎するこずや゜ヌシャルゲヌム、冒頭で挙げた䟝存症ビゞネス党般に぀いおも蚀えるこずだが、神経䞭心䞻矩の立堎を採るならば、珟実ずは脳がそのように感じるものなのであっお、倖郚によっお芏定されるものではなくなる。぀たり脳汁が出る以䞊の客芳的䟡倀はこの䞖界には存圚しないこずになるのだ。
 私芋ではこの立堎を取るならば、愛情だずか信頌だずか䜿呜感ずいったより「人間的」な感情も、仕蟌みから脳汁が出るたでの期間が長期的か぀継続的な快楜远求掻動ずしお理解されるのであっお、決しおそれらの感情が吊定されるわけではない。䞀元論ずはこのようにすべおを単䞀の原理で語ろうずする思想であっお、倚かれ少なかれ「ものは蚀いよう」に垰しおしたう話ではあるが、決しお特定の䟡倀芳にそぐわぬものを排陀する思想ではない。

 

 そう考えるこずは、なんず楜なこずだろう 結局のずころ我々は明日以降も瀟䌚生掻を営むであろうし、そのなかで耇雑な関係に巻き蟌たれ、耇雑な感情を抱き、耇雑な行為をするであろう。぀たりいきなり文字通りの「脳汁を垂れ流す動物」になるずは思われないのだが、こうした思想を抱くこずでずおも気分が軜くなるこずは確かだ。

 

f:id:visco110:20220122012217j:plain

 『花のズボラ飯』より

 

 マルクス・ガブリ゚ルは、そのような神経䞭心䞻矩のカタルシスを鋭く蚀い圓おおいる。 

 

 私は、その背埌には解攟幻想が朜んでいるず考えたす。自分が自由であるこず、そしお他者もたた自由であるこずを盎芖するのは、ずおもしんどい。できるこずなら誰かに決定を委ねたい、人生ができるこずなら楜しい映画のように内なる心の目の䞊で䞊映されおくれたらず思う。
 マルクス・ガブリ゚ル『「私」は脳ではない』

 

 ずころが、どうも哲孊的にはあれこれ蚀っおいるけれど――たずえば神経䞭心䞻矩者はなぜいた芋えおいる䞖界が「䞖界そのものずいうよりも脳がそのように認識したもの」であるずわかるのか、぀たり䞖界じたいに぀いお脳が認識する以䞊の䜕かを知っおいなければそのような䞻匵は出来ないはずではないか、ずいったような――結局のずころ、マルガブが神経䞭心䞻矩を批刀するのは「ただただこの䞖界には人間的な生掻を送れない人たちがいお、圌らを芋捚おおはならない」倧意ずいうような、それ自䜓はもっずもだけれど所謂"お説教"なのではないかず思えおくるのである。

 実際に脳汁を垂れ流す動物ずしお生きおいお、䜕か犯眪をおかしたり、瀟䌚生掻に支障をきたすのでなければ「そういう生き方はいかがなものか」ず思想レベルで蚀うこずは出来おも、けっきょく人それぞれの䟡倀芳ですわな、ずいう話になっおしたうのではないか。
 正盎なずころ、マルガブのそういう「いいこず蚀っおるんだろうけれどそそられない」、校長先生的な感じが、いたいち粟読する気にならなくお困っおいる。よっお理解が深たったらたた䜕か曞くかもしれない。

 

 

 

 ノ―レン・ガヌツにしおもそうだ。圌の『ニヒリズムずテクノロゞヌ』はむンタヌネットポルノに぀いお盎接論じおはいないが、第四章「ニヒリズムず「催眠」テクノロゞヌ」はテレビやYouTubeやネットフリックスに぀いお、自分を催眠にかけがおっずさせ珟実から目を背けさせるものずしお描いおいる。そしおやはり「それのどこが悪いの」ず問いたくなるのである。

 

 私たちがスクリヌンを奜きな理由があるずすれば、それはたさしくゟンビ化効果だろう。仕事に察しお、子どもに察しお、政治の指導者に察しお、䜕かの理由で私たちは疲れおいるのだ。だからテレビの前で䜕時間か、自らの手で獲埗した特暩ずしおがんやりずする。蚀い換えるず、テレビを芋るのは珟実逃避だず私たちは知っおいる。そしおたさに、それこそがテレビを奜む理由なのだ。
 䞭略
 ようするに、実際は幞せでなくおも、ずりあえず楜しいし、満足できるずいうこずだ。
 ノヌレン・ガヌツ『ニヒリズムずテクノロゞヌ』

 

 政治・瀟䌚に぀いお䞀定の意識を持぀のは確かに必芁かも知れない。党員が政治・瀟䌚に無関心になったらおそらくはかなり悲惚な䞖の䞭になっおしたうだろう。そうなったら脳汁を垂れ流すむンフラさえ奪われるわけだし、別に「遠い囜の人々の生掻のこずなんかどうでもいい」ず思っおいるわけでもないのだ。圓然。
 その点はわかるにしおも、「脳汁を垂れ流す動物ずしおではない人間らしい生き方」なるものは哲孊者の頭の䞭にしか存圚しない  ずいうのが蚀い過ぎなら、そういうのはヒュヌマニズムの䌝統に則った思考であっお、倧衆にはそんな高尚なものはむンストヌルされおいないし、むンストヌルするキャパもあるかどうか怪しいもんですよ、ずは蚀いたくなる。もちろん倧衆の䞀員ずしお。

 

 

 

 しかし、こういうブログを曞くずいうこず自䜓が、どこかしら「脳汁を垂れ流す動物」になっおしたうのはマズむのではないか、ずいう感芚を持っおいるからではある。
 ふずスマホやPCのモニタヌから目を䞊げお郚屋を芋わたす。窓を開けお倖を芋る。「珟実ねえ  どうなんだろうねえ」ず冬の寒空に呟いおみる。


 わかるよ、ずいうか知っおるんだよ。「脳汁を垂れ流す動物」ではいけないこずは。

 でも、もうちょっずそれを、うたい具合に蚀葉で玍埗させお欲しいんだよ。そうじゃないず、疲れた僕の心には響かないよ、今日もAV芳お酒飲んでスペヌスで喋っお寝ちゃうよ、もう少し頑匵っおよ、ず蚀いたいのである。
 たあ、もうちょっず僕も勉匷したす続く、かもしれない

 

 

Â