やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

真実の倢、共有される倢、眠りなき倢

 J-B・ポンタリス『魅き぀ける力』は䞀九九〇幎、リペン近郊のトマス・モア文化センタヌで行われた同氏の講挔を元に加筆修正された比范的薄めの本である。そのなかで、曞名にもなっおいる倢の牜匕力 force d attraction すなわち「魅き぀ける力」に぀いお論じた冒頭の章では、『ピヌタヌ・むベット゜ン』ずいう、今日ではあたり話題にされないが特異な筋曞きを持぀小説が取り䞊げられおいる。

 『ピヌタヌ・むベット゜ン』は䞀八九䞀幎に出版されたのち、䞀九䞉五幎にはヘンリヌ・ハサりェむによっお映画化された邊題『氞遠ずわに愛せよ』。映画をみたブルトンは歓喜し、これぞシュヌルレアリスムの勝利だず讃えたずいわれる。

 

 あのもう䞀぀の非凡な映画、シュヌルレアリスムの勝利ずいえる『ピヌタヌ・むベット゜ン』ずいう䜜品を知ったからには。
 アンドレ・ブルトン『狂気の愛』

 

 ブルトンの歓喜ずは違った圢であるが、ポンタリスもたた『ピヌタヌ・むベット゜ン』を前にしお、冷静な分析家の手぀きに培するこずは出来なかったように思われる。
 ポンタリスは揺れおいる。フランス粟神分析界における第䞉䞖代を代衚する分析家であり、か぀おはラカンの片腕的な存圚であったが、ラカンがパリ・フロむト孊掟を立ち䞊げた䞀九六四幎に圌ず袂を分かち、理論的指導者を眮かない合議制的な分析家組織「フランス粟神分析協䌚」APFを立ち䞊げた硬骚挢である圌が、『ピヌタヌ・むベット゜ン』に察し埮かな、しかし確かにそれずわかるような躊躇、戞惑いのようなものを行間から芗かせおいる。
 その揺れは、物語の䞻人公であるピヌタヌが晩幎を粟神病院で過ごしたこずから、もし圌が我々の患者だったずしたらいわば「患者ピヌタヌの症䟋」ずいう仮定で語り始めるずころからしおすでに窺える。
 たたポンタリスは、この玠材に぀いおひずしきり語ったのち「ピヌタヌの物語を離れる前に䞀蚀付け加えおおこう」ず宣蚀するのだが、結局その埌も、この章が終わるたで『ピヌタヌ・むベット゜ン』の話題は繰り返し繰り返しあらわれるのである。「ピヌタヌの物語を離れる」ずは蚀ったが「ピヌタヌの話題を離れる」ずは蚀っおいない、ずいうこずなのかも知れないが、いずれにせよ執拗に『ピヌタヌ・むベット゜ン』の話題がリフレむンされる章構成自䜓にポンタリスの執着ずいう蚀い方は倱瀌かも知れないがを感じずにはいられない。
 さらにポンタリスは、この本以前にも別の箇所で『ピヌタヌ・むベット゜ン』に぀いお蚀及したこずがあるず自己申告しおいる『perdre de vue』1988所収。もちろん同じ玠材に぀いお䜕床曞こうが自由だし、その時ずは切り口も違うのだが、少なくずもポンタリスにずっお『ピヌタヌ・むベット゜ン』がちょっずした話のマクラ皋床のものでないこずは明らかである。

 

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 では『ピヌタヌ・むベット゜ン』ずはどういう物語なのか。そのあらすじは次のようなものだこの箇所は『魅き぀ける力』蚳者である藀谷興䞀氏の「あらすじ」に倧きく䟝拠しおいるが、間違いがあった堎合の責は安田にある。

 

 ピヌタヌずメアリヌは幌銎染みで、フランスのパッシヌ珟圚の十六区で隣同士の邞宅に䜏み、幞犏な幌少期を過ごしおいた。しかしピヌタヌが十二歳のずきに圌の䞡芪が盞次いで亡くなり、ピヌタヌは芪戚のむベット゜ン倧䜐に身請けされロンドンに連れ去られる。こうしお突然孀独に远いやられた圌は鬱々ずした孊生時代を過ごし、芞術や「倢のない眠り」に慰めを求めるようになる。

 

 ピヌタヌは倧人になり、瀟亀界で䟯爵倫人ずなったメアリヌず偶然再䌚する。二人の間の幌少期のおがろげな愛は再開によっおより匷く確かなものになっおゆく。そんななかで、メアリヌは圌に「真実の倢」を芳る方法を手ほどきし、たた二人はたびたび「共有される倢」を芳る。「真実の倢」は珟実のようにありありず五感に蚎えかけおくる倢であり、「共有される倢」は二人が同じ堎所で同じ䜓隓をする倢である。

 

 しかしある日ピヌタヌは、むベット゜ン倧䜐が自分の父芪であるかも知れないこずを耳にし、母の思い出を汚されたこずに逆䞊しお衝動的にむベット゜ン倧䜐を殺しおしたう。
 ピヌタヌは投獄され囚人ずなる。だが「真実の倢」ず「共有される倢」によっお圌は倖にいた時ず同じようにメアリヌず䌚い、䞖界䞭を旅したり、幌少期のパッシヌの邞宅を蚪れる邞宅はすでに廃墟ずなっおいるが、倢のなかでは建物も庭も完党な状態に戻っおいる。

 

 歳月が流れ、やがおメアリヌは病死する。それを知っお自殺しようずしたピヌタヌも粟神病院に移送される。だがピヌタヌの倢のなかに再びメアリヌが珟れ、「真実の倢」には時間も空間も劚げにはならないこずを語り、圌は心の平安を埗る。そしお圌は「眠りのない倢」のなかで幟床も幌少期を繰り返ながら息を匕き取る。 

 

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 映画『Peter Ibbetson』1935より。

 

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 このように、空間的な別離はもずより死時間的な別離でさえも、匷い愛によっお「真実の倢」ず「共有される倢」を手にした二人を匕き離すこずは出来ない。そしおさらに「眠りのない倢」、぀たり「倢を芳る」ずいう最小限の珟実さえ必芁ずせず、昌も倜も垞にその状態に入るこずが出来るならば。
 ブルトンが歓喜した理由もうなずけるだろう。これはあきらかに幻想の珟実にたいする勝利の物語である。もし人が本圓にこのような倢を芳るこずが出来るならば、この䞖のありずあらゆる悩みや苊しみ、たた欲求䞍満など倧した問題ではなくなる。

 

 「幻想が珟実に勝利しうる」ずいう幻想。我々は通垞、倢や空想あるいは芞術を、いっずき心を慰めたり珟実を忘れさせおくれるものずしお受け容れるが、だからずいっお本気で珟実を超克しうるものずは思っおいない。そのような䞻匵は、ほずんどの人にずっお銬鹿げたもの、あるいはゞョヌクの䞀皮だず受け取られる。『ピヌタヌ・むベット゜ン』の物語が人を匷く魅き぀けるずするならば、たさに「物語」ずいう圢匏を採るこずによっお受け手の理性を迂回し、それを朗々ず謳い䞊げるこずに成功したからではないだろうか。

 ポンタリスの「揺れ」の原因も、そのこずの延長線䞊にあるず思われる。぀たり『ピヌタヌ・むベット゜ン』の「幻想による珟実の超克」ずいうモチヌフにひずりの人間ずしお匷く魅かれながらも、分析家ずしお、そのような耜溺からは速やかに自分を匕き離さなければならなかったためではないか。
 ポンタリスも認めおいるように、フロむト的倢分析ずはこのような倢のも぀魔力を倱わせるものである。それに察し、ポンタリスは流掟を越えおドむツ・ロマン掟の人びずによる倢ぞのアプロヌチを察眮する。圌らはフロむトずは異なった関心を倢に向けた。それは蚀語化や分析の察象ずしおの倢ではなく、たさに「䜓隓されるもの」ずしおの倢であった。

 

 倢幻状態、死埌の䞖界でもあるようなもう䞀぀の䞖界による幻惑、われわれの生掻の倜の面によっお、芚醒時の通垞の知芚が芏定しおいるこの珟実を越えた向こう偎の䞖界によっお、いわば磁化されるこず、幻圱や啓瀺、あるいは認識の道具ずしおの、そしお意図せぬたたになされる思玢ずしおの倢、こうしたこずがらに察する匷い愛着はドむツ・ロマン掟の人々の䜜品、あるいはネルノァルがさらに流麗な筆臎で描き出した䜜品のなかで、詩人や物語䜜者、思想家ずいった人たちの称揚するずころである。
 J-B・ポンタリス『魅き぀ける力』

 

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 モヌリッツ・フォン・シュノィント『囚人の倢』(1836)。ドむツ・ロマン掟を代衚する画家の䞀人。「囚人が、窓から逃げ出そうずするのは、うたい思い぀きだ。ずいうのは、その窓から光線の刺激が差し蟌んで、囚人の睡眠を砎ろうずするからである。䞭略栌子を鋞で切っおいるいちばん䞊の䞀寞法垫は、囚人自身がやりたいず思っおいるこずをしおいお、この䞀寞法垫こそ、囚人自身の姿であろう」フロむト『粟神分析孊入門』

 

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 ずころで、珟実には存圚しない空間をたさに珟実のように感じたいずいう「真実の倢」の欲望は、今日でいうを連想させはしないだろうか。たた離れた堎所にいる二人が同時におなじ空間に居るずいう「共有される倢」ずはサむバヌスペヌスのこずを指しおいるのではないか。たた「眠りのない倢」ずは垞時接続のこずではないか  ずいった䞀連の指摘は可胜であろう。
 それずもう䞀぀、幻想の䟡倀や耜溺の床合いは、通垞は珟実が苊しければ苊しいほどそれに比䟋しお高たるこずは倚くの人が知るずころである。
 こうした芋立おによっお、『ピヌタヌ・むベット゜ン』の物語を、今日のわれわれの珟実逃避に近づけお解釈するこずはずりたおお䞍自然ではない。぀たりサむバヌグノヌシス䞻矩ずか電子的倩䜿䞻矩ず呌ばれる、サむバヌスペヌスによる解攟思想の文脈ずしお、より具䜓的には、単調か぀孀独な日々に倊んでいる人間のネットによる救枈ずしお。

 

 だがネット以前の時代であれ、静たりかえった倜に小説を読んだりノヌトに想いを曞き留めたり、あるいはただただ倢想するずいうこずを我々はずっずやっおきたのだし、電話や手玙で盞手を求めるこずもあっただろう。あたり過剰に今日的な状況ず酷䌌しおいる、ず蚀い募る぀もりはない。ずいうより集団で浮かれ隒ぐこずず「共有される倢」は少し異なるように思う。
 ここに幻想のゞレンマがある、ず蚀えるかも知れない。の倢、サむバヌスペヌスの倢、垞時接続の倢  等々は、叶えられた端から倢ではなくなっおゆく。ロマン掟ずは䞍可胜を垌求する思想だず蚀われるが、䞍可胜なこずが䞍可胜ではなくなった時にはロマンもなくなっおしたうのである。
 むしろ珟実には䜕ずも接続しおいないこずによっお䜕かず接続されるこずがあるのではないか、そちらのほうがより幻想の本矩に近いのではないか、ず蚀いたくなっおくる。

 

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 さお結論めいたこずを曞くのがどうも自分は苊手なのだが、ポンタリスの卓抜なテクストから、次のような瀺唆を受けずるこずは出来るのではないかず思う。
 『ピヌタヌ・むベット゜ン』のように幻想によっお珟実を超克するこずは実際には䞍可胜であるたずえ病理孊的劄想であっおも  やはりそれは䞻芳的に珟実を超克した぀もりになっおいるにすぎない、ず蚀わざるを埗ない。そしお恐ろしいこずに、粟神病院のピヌタヌの実際の状況はそれであった可胜性が高い。そのような「諊め」をもたらしたずいう意味で、たずえフロむトは間違っおいたずしおも、粟神分析は人類に䞍可逆な認識的楔を打ち蟌んだ。
 しかし、それでも幻想を手攟すべきではない  ずいうよりそもそも生来の心的機胜の䞀぀である幻想を手攟すこずなど出来ないず蚀うべきだろう。そしお䜕故だか、勝おるわけでもないのに幻想は絶えず珟実を超克しようずする性質を持っおいる。その性質こそが、ポンタリスのいう「フロむトの語る倢が眮き忘れおきたもの」である。
 それにしおも、なぜ人の心ずはそのようなものであるのか そのこずを䞊手く説明する蚀葉を我々は  少なくずも僕は、ただ獲埗しおいない。

 

Peter Ibbetson (English Edition)

Peter Ibbetson (English Edition)

魅き぀ける力―倢・転移・蚀葉

魅き぀ける力―倢・転移・蚀葉

粟神分析孊入門 (䞭公文庫)

粟神分析孊入門 (䞭公文庫)