これは、あまり書きたい話題ではないし、喧々囂々と騒がれたくもない。じゃあなんで書くのかといえば、誰かが云っておかなければならないという義務感のようなものだ。したがって、なるべく手短に書いてネットの片隅に放置しておくことにする。たまに辿り着いて読んだ人に益するものがあればそれでよいと思う。
ネットで「ポストや表札の下などに注意! マーキングがあったらすぐ消してください!」というような話題がときどき出回る。知っている方も多いのではないかと思う。住人が何時から何時までは留守になるとか、女性の一人暮らしであるといった意味を示す記号が、ポストや表札、インターホン等に書きこまれ、放置しておくと場合によっては泥棒に狙われるという内容のものだ。
検索すればたくさん出てくるが、幾つか典型的なものを貼っておく。
これを見たとき、僕はあることを思い出した。それは関東大震災の時にも似たような噂が流れたという事実だ。その件については松山巌『うわさの遠近法』が複数の記録を挙げているので参照されたい(△のなかに十字といった記号がうまく出せないので写真転載しました。なお文面は二枚とも同じものなのでお使いの端末で読みやすいほうで読んでください) 。
会田有仲『東京大地震日記』および秋山清『わが大正』、また海軍省法務局の資料によれば、現代の「泥棒のマーキング」とほぼ同じ内容の噂が、あの悪名高い「不逞の朝鮮人が井戸に毒を入れ或は放火するに付」という噂とともに流布されていたことになる。
追記:出目金氏(@TR_727)によると、井戸そのものに白墨で印をつけるという流言が黒澤明の著書に記されているという。してみると、井戸投薬の噂とマーキングの噂はかなり強い類縁関係にあったと云えるのではないだろうか。以下がその該当箇所。
「町内の、ある家の井戸水を、飲んではいけない、と云うのである。何故なら、その井戸の外の堀に、白墨で書いた変な記号があるが、あれは朝鮮人が井戸へ毒を入れたという目印だと云うのである。私は惘れかえった。何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書きだったからである」
(『蝦蟇の油』)
では海外はどうなのだろうか。調べてみると出てくるわ出てくるわ、「泥棒のマーキング」タイプの話はほとんど全世界に見られることがわかった。 以下はその例である。
そして海外にもやはり古い時代からこの話の類型が見られる。
サン=ドニの修道士が残した記録によると、一三八二年のある夜、パリの裕福な人たちの家の門に何者かによってさまざまな印が描かれた。住人たちは盗人の符牒だと思い、たいへんな恐慌に陥ったという。
つまり「これは都市伝説ではないのか?」というのが僕の見解である。
ただ断っておきたいのは、都市伝説というのは事実であるかどうかとはまた別の話である、ということだ。
上のリンクで云うと、スコットランドの地方の警察署は、この話を事実認定して住民に注意喚起までしたようである。
また今回ブログを書くためにあらためて調べたところ、日本語サイトでは「訪問販売員がつけるものだが意味を知った泥棒が利用する可能性がある」という説明が多数見られた。そうやって聞くと「なるほど」と思う反面、都市伝説にありがちな合理化、つまりより信じられやすいようにディティールが変化する現象であるようにも見える。
悩ましいところだが、ただ事実であるかないかが確認されず、憶測のみで広範囲に伝播してゆく語りを都市伝説と呼ぶならば、この話は間違いなく都市伝説である。訪問販売員云々は正直僕も「あるかもな」と思うのだが、少なくとも訪問販売員に聞いただとか、泥棒がそういう供述をしただとか、何らかのソースを示した記事は見た範囲では皆無だった。というか、今回こうした記事を数多くチェックしたわけだが、それらは概して
・しきりに恐怖感・警戒心を煽っている
・何もソースを呈示していないし、何も調査した形跡がない
・「~らしい」「~そうです」といった表現を多用する
・どのサイトもほとんど同じようなことを云っている
といった共通点が見られた。それからほとんどのページがアフィ……いや、それはまあよしとしよう。そこはお互い様なので。
都市伝説研究の第一人者、J・H・ブルンヴァンは次ように描いている。
民俗学の目的とは、口述の伝承(オーラル・トラディションズ)の正体を暴露することではない。(中略)わたしたちの関心は、どうしてこのような話がされるのかということにある。
(『消えるヒッチハイカー』)
繰り返すが、僕は「泥棒のマーキング」の噂が事実であるかどうかを断定しない。しかしこれが都市伝説であることはかなりの確信をもって断言できる。そして、このことはとりたてて矛盾しないのである。
*
周知のように関東大震災のさいの流言は集団妄想へと発展してゆき、自警団の組成、あげく朝鮮人虐殺の惨事へと繋がった。
松山巌は、当時の日本人がなぜそのような凶行に及んだのかを、震災に至る精神史として通覧し検討を加えている。朝鮮「併合」(明治43年)以後の度重なる独立運動とりわけ「万歳事件」とも呼ばれる三・一運動(大正8年)、信濃川逃亡労働者殺害事件(大正11年)、そして震災の三ヵ月前に刊行された北一輝『日本改造法案大綱』(大正12年)と追ってゆき、次のように結論づける。
征服されるか、征服するかどちらかしかない。この二者択一しかできぬ判断が日本人を追いつめていたものであり、この論理に無理があると知っていたからこそ朝鮮人の動きに、社会主義者の動きに恐怖をいだいた。この恐怖心こそ「この際! やっつけろ」という言葉を吐かせ、関東大震災の流言と残酷さへ走らせた震源であろう。
(松山巌『うわさの遠近法』)
この種の都市伝説を最大級に慎重に取り扱わなければならない理由は、ふと歯車が狂えばこうしたものに接続してしまいかねない危うさにある。いわば、我々は歴史上の反省からこのような話を鵜呑みにしない責務を負っていると言えるのではなかろうか。
*
ともあれ、実際に泥棒たちはしばしばマーキングを頼りに空き巣や強盗を計画する、という信頼できるソースが出てくれば、それはそれで新たな知見が得られたことになるわけで歓迎である。
ただ、今のところ僕はそうした情報を知らない、というよりさんざん言及されているにもかかわらず実際のところはどうなっているのか、ちらっとでも気にした形跡のある文章を見たことがないのである。
憂慮する次第である。
追記:このブログ記事の発表に前後して、職場の同僚や知り合いに「表札やインターホンなどへのマーキングを見たことがあるか」と聞いてまわったところ、意外にも数人「見たことがある」という人があらわれたのだった。
彼(彼女)らの話をとりまとめると、「泥棒のマーキング」の噂をかなり以前から、早い人では数十年前から知っていたが、どうやらかつては「訪問販売員が云々」といった説明ではなくストレートに「泥棒が」マーキングをする、という話がほとんどだったらしい。ともあれ、そのような噂を聞いて軒先をチェックしたところ、案の定見つかったので消した、ということだった。
只、それが何者による、いかなる意図のマーキングであるかは定かではない。そしてマーキングの内容についても委細に憶えている人はいなかった。電気やガス、水道関係の人であるとか、新聞勧誘員であるとか、上述のような黒澤明的「子供のイタズラ」なのか、あるいはベタに噂どおりの「訪問販売員」(しかし訪問販売じたいが平成に入って激減しているのではないか?)なのか、あるいは自然についた傷がたまたまそのように見えたのか、今のところそのあたりの情報は、こうした話を提供してくれた誰からも、確たるものは何も出ていない。

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