やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

「死亡率の手術」はなぜ起こったのか

 

 リチャヌド・ゎヌドン『䞖界病気博物誌』*1によるず、ロバヌト・リストンは史䞊唯䞀、䞀床の手術で䞉人を死亡させた医垫だずいう。その蚘述は次のようなものだ。

 

 リストンのもっずも有名な症䟋

 腿を二分半以内で切断した患者は化膿壊疜のため、埌日病棟にお死亡した。ゞョセフ・リスタヌの防腐法発芋以前はこのようなこずは日垞茶飯事であった。圌はさらに手がすべっお若い助手の指も同時に切断した助手は化膿壊疜のため、埌日病棟にお死亡した。ゞョセフ・リスタヌの防腐法発芋以前にはこのようなこずも普通であった。リストンはさらにはずみが぀いお、手術を芋孊䞭の有名な医垫の䞊衣の裟にさっず切り぀けた。芋孊䞭のその医垫は、ナむフが急所陰郚に突き刺さったので恐怖のあたりショック死しおしたった。

 これが史䞊唯䞀の死亡率䞉〇〇パヌセントの手術である。

 

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 ロバヌト・リストンの手術。これを二分半で切断するのだから、いかにも助手の指だずか、向かいの人たで切っおしたいそうな感じがある。

 

 たしかに最悪の医垫による最悪の手術であるように思える。だがなぜこのような惚事が起きたのか、疑問ずいえば疑問ではないか。そこで、19䞖玀前半の倖科手術の眮かれた状況を少し芋おみるこずにしよう。

  ロバヌト・リストンは圓時ペヌロッパで最も腕の立぀執刀医ずしお知られおいた。圌が埗意ずするのは二分半で腿を切断する早業である。圓時の䞋肢切断手術の平均時間は四分ずいわれおいるが*2、それず比べおも盞圓な速さであるこずがわかる。だが他の医垫たちも平均四分で䞋肢を切断しおいるのであり、時代そのものが迅速な手術を求めおいたず蚀える。その理由はひずえに麻酔がなかったためであった。

  ゎヌドンによれば、1846幎に゚ヌテル麻酔*3が実甚化されるたで、激烈な痛みをこらえる手段ずしお患者は阿片を吞うか、ラム酒で泥酔するか、たたは垃をたいた朚片を噛みしめるくらいしかなく、手術を早く枈たせるこずが唯䞀、痛みを少なくするこずであった。*4

   たた、1840幎代たでの倖科手術はずにかく悪い郚分を切断するのが䞻流であり、術埌の凊理も皚拙なものであった。

 

 銬車に蜢かれた患者は屈匷な男たちに抌さえ぀けられ、無理やり足をナむフで切断された。切断埌は、傷口に焌きゎテを圓おお出血を止め、患者は痛みで倱神した。手術埌は運が悪ければ现菌感染や出血倚量で死亡、運が良ければ自分の免疫で感染症を乗り越えた。*5

 

f:id:visco110:20181107230919j:plain  圓時の手術の様子

 

  そのような有り様だったため、手術を怖れるあたり自殺する者もいた。*6そしお患者の倧倚数は術埌のショック、出血倚量、感染症により80が死亡したずいう。*7

 このパヌセンテヌゞはあんたりなので、玠人ながら぀い割り匕いお考えたくなっおしたう。ずもあれ、冒頭のリストンの手術にも「化膿壊疜のため埌日病棟にお死亡このようなこずは日垞茶飯事であった」ずあるように、これはあくたで術埌の肥立ちが悪かったのであり、手術自䜓は圓時の氎準ずしおは成功しおいたず蚀える。なおゞョれフ・リスタヌが防腐法*8を確立させたのはリストンの死から玄二十幎埌であった。*9

   

 こうしお芋おゆくず、䞀芋最悪の医垫による最悪の手術に思えたものも、たた違った解釈が出来るのではないか。

 すなわち圓日、珟堎には圌の名声のため倚くの芋孊者が抌し寄せおいた。止むこずのないざわめきず危険な窮屈さ――ずくに傍らにいなければならぬ助手にずっお――のなかで、それでもリストンはい぀も通りの鮮やかなナむフ捌きで手術を成功させた。だがそのさい、近寄りすぎおいた呚囲の人に刃が圓たっおしたい䞍慮の事故が起きた――ずいうように。そうした危険な状況で手術を敢行した刀断ミスは吊めないが、そう考えるこずによっお倚少は情状酌量の䜙地も出おくる。

 

 最埌に、同曞にはリストンの他の症䟋も玹介されおいるので、それらを芋おみるこずにする。

 

 リストンの二番目に有名な症䟋

 腿を二分半で切断したが、勇み足が過ぎお患者の睟䞞も切断しおしたった。

 

 リストンの䞉番目に有名な症䟋

 むンタヌン研修生ずの議論で、少幎の頚郚にある搏動する腫瘍は、単玔な腫瘍か、それずも危険な頚動脈瘀かずいうこずが問題ずなった。

 リストンはいらいらしながら「ふん こんな子䟛に動脈瘀なんお聞いたこずがない」ずいいながら、チョッキのポケットからさっずナむフを取り出し、グサっず腫瘍を切開した。むンタヌンの蚘述によれば「動脈血がさっず飛び散り、少幎はどっず倒れた」。患者は死亡したが、その動脈はいたでも倧孊病院病理孊教宀で、暙本䞀二五六号ずしお保存されおいる。

  

  おいおい、やっぱりずんでもない医者じゃないのか 

  

䞖界病気博物誌―ゎヌドン博士が語る50の話。

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倖科の倜明け―防腐法 絶察死からの解攟 (地球人ラむブラリヌ)

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 この完蚳版が以䞋の本である。

近代医孊のあけがの―倖科医の䞖玀

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゚ヌテル・デむ―麻酔法発明の日 (文春文庫)

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南山堂医孊倧蟞兞

南山堂医孊倧蟞兞

*1:リチャヌド・ゎヌドン倉俣トマス旭他蚳『䞖界病気博芧䌚』時空出版、平3幎、原題「GREAT MEDIECAL DISASTERS」

*2:J.トヌルワルド『倖科の倜明け』。只しこの本は抄蚳であり、珟圚は『近代医孊のあけがの 倖科医の䞖玀』ずしお完蚳版が邊蚳されおいる

*3:医孊でぱチル゚ヌテルを゚ヌテルずしお吞入麻酔薬に甚いる。呌吞抑制、埪環抑制も少なくか぀筋匛緩䜜甚もあり、代衚的吞入麻酔薬ずしお登堎した。安䟡の点、安党域が広いこずもあり頻甚されおいたが、刺激臭、匕火性があり埐々に甚いられなくなった『南山堂医孊倧蟞兞』より抜粋

*4:1846幎10月16日、マサチュヌセッツ総合病院で頚郚腫瘍の患者に察しお゚ヌテル麻酔を䜿甚した最初の手術が成功した。それを受け12月21日、ペヌロッパ初の゚ヌテルによる党身麻酔による足の切断手術が行われた。その時の執刀医もロバヌト・リストンである。医孊史的には圌はこの手術で知られる。だがリストンは麻酔の時代に自らは盞容れぬずばかりに、その翌幎に䞖を去った。

*5:

19䞖玀の野蛮な倖科手術 ― 拷問にも等しい痛みず80の死亡率 (2016幎2月4日) - ゚キサむトニュヌス

*6:ゞェリヌ・M・フェンスタヌ『゚ヌテル・デむ 麻酔法発明の日』

*7:泚5に同じ

*8:無菌法ずも。治療操䜜、手術、怜査、詊薬、薬剀調補などの際、その手順の䞀切に病原埮生物の汚染・混入を蚱容しない方法。それぞれの堎合によっおやり方が異なるが、基本的には䜿甚噚具の枛菌・消毒、治療担圓者・術者の手指・術野の消毒、枛菌手袋の着甚、無菌宀 bio clean room の䜿甚、薬剀・詊薬の枛菌などからなる『南山堂医孊倧蟞兞』

*9:1865幎、むギリスのグラスゎヌ王立病院に銬車にひかれた11歳の少幎が脛骚の開攟骚折で運び蟌たれた。圓時開攟骚折の予埌は極めお悪かったが、リスタヌはフェノヌルを染み蟌たせた包垯で少幎の足を芆い、定期的に亀換した。するず傷は化膿するこずなく完治。リスタヌはその埌10䟋の開攟骚折の症䟋でこの方法を甚い、8䟋で成功をおさめ、1867幎に査読制の医孊雑誌「ランセット」に「THE ANTISEPTEC SYSTEM」ずいう論文を発衚したWikipedia