新年の8つの指針
こんにちは、安田鋲太郎です。
ブログについては、もっと敷居を下げて、気軽に更新してゆきたいなと思っています。論文じゃないですもんね。そんなわけで、こういう「他人から見たら読む価値があるかどうかちょっと微妙なテーマ」でも書いてしまいます。
タイトルにあるように、2019年の指針です。なにやら12月も下旬に入った頃から自然に頭に浮かんできたり、知人の言葉から「それいいね!」と拝借したものなど全部で8つあります。皆さんの参考になるものが1つか2つでもあれば幸いです。
早速書いてゆきましょう。
6月。姪と。
1.心のままに
「欲望がなければ世界に意味はない。欲望があってはじめて世界に意味が生じる」とジジェクは書いています。元はラカンが言ったらしいのですがそれはさておき、たとえば「生きたい」という欲望がなければ、繁みから巨大な熊が現れても別にどうということはないわけです。
もう少し日常的な例でいうと、食欲がなければ皿の上に御馳走が乗っていようが石が乗っていようが同じことだし、性欲がなければ魅力的な相手と二人きりになっても観葉植物が置いてあるのと大差ない。
「人の役に立ちたい」「世の中を良くしたい」というのも、こうした欲望一元論では広義の「欲望」と見做されます。こう云うと違和感を持つ人もいるでしょうが、「欲望」というのはあくまで生が動き出す根本動機という意味なので、日本語の「欲望」のニュアンスにこだわらないで理解してもらえれば良いかと思います。
人は慌ただしい日常のなかで自己の欲望を見失いがちです。「本当にやりたいこと」を省みる暇がなく、日々惰性で過ごしてしまう。
そこで一呼吸置いて「いま自分は本当は何がしたいのか」と尋ねてみる。腹が減っているか? ムラムラしているか? どこかへ行きたいか? 何か新しい活動を始めたいか? 一息つくたび再び問う。やめたい事があるのか? 考えたい事があるのか? 誰かに伝えたいことがあるのか? 何もせずじっとしていたいか? それが「心のままに」という指針です。
2.心穏やかに
仕事や生活上どうしてもストレスを受ける時はありますが、それを自ら深めている場合があります。たとえば他人に八つ当たりしたり、ネットで喧嘩相手を探したりするのも自らストレスを深める行為ですね。他にも暴飲暴食するとか、色々。
それよりも、散歩したり、湯船にゆっくり浸かったり、瞑想したり、脳内の馬頭観音に相談したり、好きな音楽を聴いたり本を読んだりして、心穏やかに過ごしたい思います。
3.地道に
……なんだか変なスピリチャルな文体になりつつあるので、ちょっと軌道修正。
ノートルダム清心学園理事長だった渡辺和子(2016年に逝去)は「咲けないときは根を張りなさい」と言っている。
これを自分流に解釈すると、人はいつでも輝くことが出来るわけではなく、どうしても環境がそれを許さない時もある。
24時間365日凄いと思われたい、目立ちたい、他人に認められたいと思ってもそれは無理な話で、それよりも地道に日々の努力を重ねることで、いつかスポットを浴びるとしても「それだけの内実」を持っているべきなわけです。むしろ内実がないのに脚光を浴びているとしたら、それはただの偶然であると同時にかなり危険な状態といえます。
また地道に努力することによって、他人の賞賛に依拠しない、内側からじわじわと滲み出るような自信がつくかも知れません。
4.謙虚に
わりと僕は、すぐ調子に乗りがちなので。
隙が多い人と話しているとついからかうような調子になったり、Twitterのリプライをいつもいつも送ってくる人だとつい返信が適当になるのは良くないですね。やはり人と接するときは真心をこめて接するべきで、それが出来ないときはそもそも顔を出さないとか、返信自体をしないほうがいい。
僕はモラリストではないので、「謙虚」にしても「地道」にしてもけっして道徳の話ではなく心の処世の話(システム、法則、因果、経済、帳尻、保全、損得といった言い方でもいい)です。つまりいい気になっていると必ず反動がくる。無意識に「おまえはそんな調子こいて他人をナメくさるほどの人間か?」というガスのようなものが溜まってゆき、何か失敗したときにものすごい自己嫌悪に陥ったりするわけです。そうでなくても、イキがっていると大事な人が去ってゆく可能性は充分に考えられますね。
5.楽しく
「楽しく」というのは大人の嗜みかな、と思います。いい歳こいた大人が陰気な態度では周囲への迷惑は計り知れないわけで、逆に楽しく過ごすことによって、周りの人も気が楽になり、場の空気が軽くなると思います。
別に悩むな、落ち込むなというわけではないし、騒々しい人は鬱陶しいだけなので、そのへんはバランスのいい(?)明るさを目指してゆきたいですね。
とくにいまの日本の中年が、陽気に、押しつけがましくなく、礼儀正しく、悠々自適に過ごしている景観というのは圧倒的に不足しています。それは稀少であり、どこか社会的意義があるのではないかとすら思えてきます。遠い目標ですが、頑張っていきましょう。乾杯(・ω・)ノ🍺
6.俯瞰より体験を
インプットについて。これはほぼ前回のブログで書いたことそのままです。
新聞・雑誌・テレビ・書籍等あらゆるインプットは「体験するように」読む・観ることが好ましい。それは単なる情報のチェックから離れ、またアンテナを張りめぐらし世界の概観を必死に掴もうとする強迫観念からも自由になり、精神生活を豊かにすることに繋がります。詳しくは上記ブログにて。
7.知識獲得より味わうこと
これもインプットについて。
これは上に近いけれど、ここで諦めるというか少なくともあるていど距離を置くのは、暗記科目的な意味での「知識」です。
本や新聞などを読むときに、これまで知らなかった知識を記憶してアウトプットに活かそうとするのは、それ自体は問題ないのですが、あまりそればかりに意識を取られていると主題の吟味が疎かになります。たとえばコース料理を食べるさい、何がどういう順番で出てきたか、どんな食材がどのように味付けされていたかを憶えることに気を取られていたら、味は印象に残りません。
むしろ記憶することはあまり意識せずに、あくまで意味内容に意識を向けることによって、核心的な知識はしっかり頭に残るのではないか。逆に必要でない知識は無理して憶えても忘れてゆくものだという割り切りが必要と思います。
8.他人の持ち味を引き出す
ツイキャスの討議などを意識した話ですが、このようなインプットに対する態度の変化の帰結として、会話スタイルも変わります。
ようはがーっと自説や薀蓄をまくしたてて他を圧倒しようとする「お前すげーな戦術」から、じっくり相手の話を聞いて持ち味を引き出そうとする「聞き上手戦術」への転換です。薀蓄は自然に出てきたときに、添え物程度に。
そのほうが相手も後味が良いだろうし(「お前すげーな戦術」でも刺激を与えるとか発奮させるということはあるけれど、それはごく一握りの才人の話)、対話全体が充実する。
なにより、6の俯瞰図や、7の知識にたいする強迫観念といったものから自分を解放することに繋がります。このごろ記憶力の低下が激しいので、6~8についてはもうこれでいくしかない、という感じですね(笑
10月。大正村にて
以上8つでした。
こうやって書き出してみると、相互に絡み合っていて、ある方向性が浮かび上がってくるようにも思えます。ちょっとそれを一言で云うには、僕も何度か読み返してみる必要がありますが。
年初の気構えを忘れないために、ときどき読み返そうと思って記しました。さっそく今から実践しますけどね。
ここまでお読みいただいた方、誠にありがとうございました(ブログにありがちな謝辞)。参考になる項目が1つでもあれば幸いです。
それではみなさん、よいお年を。
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