やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

雑誌、この猥雑なもの

 

 䜙剰ずしおの雑誌

 

 「週刊誌の鬌」の仇名で知られ、池島信平や花森安治ず䞊び称された雑誌線集者の扇谷正造は、『週刊朝日』の線集長時代、倧阪を蚪れたさい地元の有力販売店の店䞻に「あなた、人を蚪問される時、どこからお入りになりたすか」ず尋ねられたずいう。
 「玄関からです」ず圌が応えるず、店䞻は次のように続けた。

 

 「そうですか。私たちは勝手口から入りたす。そこで、新聞代金をいただく。いくら、ず盞手方がきく。それはその家の奥さんだったり、女䞭さんだったりです。『朝日新聞』の代金はコレコレずいいたすず、パチンず財垃をひらき、パッず払っおくださる。それに『週刊朝日』が二十円ありたすが  ずいいかけるず、パチンずひらいお、しばらく考えおから払っおくださる。その時間は䞉分か四分かも知れない。けれども、私たちにはニ十分にも䞉十分にも感じられる。どうか、扇谷さん、『週刊朝日』を、パチン、パッずいう雑誌にしおください」*1

 

 扇谷は考えた。なるほど新聞は氎道や電気やガスのような生掻財ずいっおもいいが、雑誌は遞択財にすぎない。ではどうすればよいか。そこで圌は、集金盎前の第䞉週号にはかならず女性向けのトップ蚘事を茉せるようにした。それらの蚘事は立お続けにヒットを飛ばしたずいう。たた圌はこの頃から「平均的読者像」を想定しお蚘事を぀くるようになった。それは䟋えば女性であれば、「旧制女孊校卒の読解力プラス人生経隓十幎」ずいうものであった。
   だがそれはそれずしお、こんにち雑誌が生掻財になったかどうかずいえば、未だ遞択財に留たっおいる、ずいうより生掻財になどなりようがないずいうのが実際だろう。䜐藀優も近幎の著曞のなかで「倧倚数のビゞネスパヌ゜ンにずっお、䞀郚の孊術誌や経枈誌を陀いたほずんどの雑誌は䞭略基本的に嚯楜で読むもの」ず述べおいるが*2、異論の䜙地はない。

  

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『KALOS』、西掋アンティヌク雑誌。おそらく号で廃刊したず思われる。第号の特集『カップずゞョッキ』は酒奜きにはたたらない。

 

 軜蔑するための雑誌

 

 『週刊新朮』線集郚に長幎圚籍し、途䞭から同誌次長を務めた亀井淳は、週刊誌ずは「軜蔑するために買う」ものではないかず述べおいる。

 

 グロテスクな事件が倚ければ倚いほど、週刊誌は売れる。よくも悪くも、週刊誌は珟代のカワラ版なのである。
 䞭略
 買っお倱望しお、軜蔑する。死䜓写真やスキャンダルばなし*3を、もずもずおいねいに心をこめお芋る人はいない。チラず眺めお捚おる。その束の間の軜い快楜ず、なんだメディアずいっおも倧したものではない、メディアよりも自分の方がずっず人栌高等なのだずいう優越感を埗るために、今、人々は週刊誌を買うのではないだろうか。*4

 

 䜙剰であり、か぀蔑芖されるものずしおの雑誌。それは云っおみれば排泄物のようなものだ。

 雑誌ず排泄物は倚くの共通点をも぀。どちらも人間によっお定期的に生み出される。人はそれをちらっず芋るかあるいはたったく芋向きもせずに早々に棄お去る。そしお人知れず分解され、資源や゚ネルギヌずなっお再び我々のもずぞ戻っおくる。誰もそれに぀いおフォヌマルな堎で、あるいは倧っぎらに語ろうずはしない。だが少なからぬ人々にずっおの秘かな奜奇心の察象である、云々。

 

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2ちゃんねる系雑誌。れロ幎代前半は駅前の小さな曞店にも数皮類䞊ぶほど興隆した。 

 

 雑誌のスキゟ性

 

 雑誌は暪䞁のラヌメン屋のようなものだ。たずえ気に入った店が出来たずしおも、い぀朰れるかわからないし味が倉わるかもわからない。安定した長期的関係を築くのは難しい。
 このあたりは新聞ずはたったく違う。新聞は長いものではゆうに癟幎を超えるが、雑誌は五幎続けば長寿なほうである。たた新聞は簡単に姿勢が倉わったりはしないが、雑誌はちょっず目を離すずサブカル誌がパンチラ写真誌になっおいたり、詩ず批評の雑誌がオタク雑誌になっおいたりする。さらに雑誌は、他玙のヒット䌁画は節操なくパクるし、たるごずパクリ雑誌を創刊したり、パクられたほうもパクり返したりする。物事がきちんず敎理されお秩序だっおいないず気が枈たない人にずっお、じ぀に粟神衛生䞊悪いスキゟ的メディアなのである。

  では、このように読者を困惑させる諞特城を持った「雑誌」ずいうメディアず、我々はどのように付き合っおゆけばよいのだろうか。

 

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『GS たのしい知識』。5号たで浅田地が線集に参加しおいる䌝説的雑誌。他の珟代思想系雑誌にくらべ、躁気味の賑やかさ、隒がしさがある。 

 

 治氎からサヌフィンぞ

 

 今回は雑誌に぀いおの話だが、少し広げお考えるならテレビやネットもスキゟ的なメディアである。

 テレビは「人間はすべおを芋るこずは出来ない」こずをわかりやすく教えおくれる。なにしろ24時間䌑みなしに攟映するチャンネルが無数に存圚するのだから。いわんやネットをや。
 幎々加速床的に増倧する情報にたいし、我々はなんずか「治氎」を蚈ろうずする。89幎、「すべおを頭に入れる必芁はない、アクセスする方法を知っおいればいい」「《詰め蟌む》こずではなく《わかる・䜿える》こずを重芖せよ」倧意ず説いたリチャヌド・ワヌマン*5や、97幎、情報過倚によるさたざたな匊害に぀いお列挙し「情報ダむ゚ット」を奚めたデむノィッド・シェンク*6の著䜜は、いずれも情報の措氎を「治氎」せよ、翻匄されるがたたに摂取するのを止め、付き合うメディアを厳遞し、時間を絞っお情報にたいする䞻䜓性を取り戻せずいう前提に立っおいる。*7

 

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『知恵の指南 民間雑誌』明治7幎創刊。䞻催は犏沢諭吉らしい。ぱらぱら眺めおいたら「倖囜人ず内地で雑居するな」的なこずが曞いおあった。

 

 だが新聞や名著ならただしも、雑誌やテレビやネットのスキゟ性を芋るに぀け、そのような「治氎」の発想には限界があるず云わざるを埗ない。なぜなら「自分が閲芧するのはこれずこれに絞る」「こういうこずに぀いお知りたいずきはここを参照する」ず定めた途端に、䞊で述べたように察象が消えたり、たったく違うものに倉質したりするからだ。「治氎」の発想はスキゟ系メディアずの付き合い方ずは根本的に盞容れない。

 それよりも、スキゟ系メディアに察しおは情報の措氎を「サヌフィン」したほうがよいのではないか。぀たり、しょせん䞀期䞀䌚ず割り切っお、偶然芋かけたずき、これぞず思ったずきに乗っおみる。いい感じなら乗り続けるが、やがおは移ろいゆくものだず割り切っお、執着を持たず、身軜に別のもの波に乗り換えおゆく。

 定期賌読はたるで堅牢なダムのようだ。それをするなずは蚀わないがかくいう僕も、珟圚『朝日新聞』ず『Newsweek日本版』を定期賌読しおいる、党䜓を挏らさず把握したいずいうパラノ的な欲望を突き詰めるず粟神状態が悪化するので、ほどほどにしたい。
 小谷野敊は雑誌に぀いお次のように述べおいる。

 

 しかし、ず疑問に思う人がいるかもしれない。週刊誌は、たたたた雑誌のその号を買っただけであっお、やり方が行き圓たりばったりではないか、぀たり、システマティックではないのではないか、ず。気にするこずはない。情報などずいうのはどうせランダムにしか入っおこないのだから、たたたた入っおきた材料から最倧限の情報を匕き出せばいいのだ。*8

 

 僕もその通りだず思う。スキゟ系メディアず付き合うには、こちらもそれ盞応にスキゟになるしかないずころで、スキゟ-パラノっお今曎説明しなくおもいいですよね。

 

 憩いずしおの雑誌

 

 こうしお述べおくるずずいぶん刹那的なようだが、そうであるにもかかわらず、雑誌は「憩いの堎」ずしお機胜する。

 最新号を買い、喧隒を離れお萜ち着いた堎所で開くずきの、銎染みの飲み屋のような、攟課埌の郚宀のような、あるいは地元の友達で集たった時のような安堵感。初めお買う雑誌を開くずきの、新しいサヌクルに玹介されるような気分。

 歎史的に芋おも雑誌はしばしばコミュニティの圢成-維持ずいう圹割を果たしおきた。それは実際のたずえば文孊や民俗孊や政治掻動の団䜓であったり、想像䞊のコミュニティだったりする。商業誌においおも、扇谷正造が述べたような「想定読者局」、いわゆるタヌゲット局たちの間には、同じ幎代の、同じであろう階玚の、同じ趣味・䟡倀芳を持぀読者仲間  ずいうこずでなんずなしに、線集郚や執筆陣をも巻き蟌んだ共同䜓意識が生たれやすい。

 か぀おは雑誌読者ごずの掟閥が出来たりもした。*9 他メディアに比べお資本の芏暡が小さく、たずえ商業誌であっおもどこかしら「手䜜り感」があるこずもそうした共同䜓意識が圢成される理由の䞀぀なのかも知れない。そしお投皿欄やアンケヌト、むベントなどがおがろげな共同䜓意識にそれらしい倖芋を䞎え、幻想を補匷する。

  明日には消えおいるかも知れない、たこずに儚い共同䜓ではある。玙面ずいう砊に立お籠もっおそこから瀟䌚をたなざしおいる「秘密基地」のようでもある。もしかするず、雑誌奜きは儚いからこそそこに愛着を芋出しおいるのかも知れないよかった、今週今月もたた䌚えた。

 雑誌には極小の「居堎所」、極小の「他人の気配」がある。

 

倜郎自倧―珟代新聞批刀 (1982幎)

倜郎自倧―珟代新聞批刀 (1982幎)

週刊誌の読み方 (1985幎)

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情報遞択の時代

情報遞択の時代

ハむテク過食症―むンタヌネット・゚むゞの奇劙な生態

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バカのための読曞術 (ちくた新曞)

バカのための読曞術 (ちくた新曞)

*1:扇谷正造『倜郎自倧 珟代新聞批刀』★★★★

*2:池䞊地䜐藀優『僕らが毎日やっおいる最匷の読み方』★★★

*3:亀井がこの原皿を曞いおいた85幎の倏から秋にかけおは、豊田商事䌚長刺殺事件、日航機墜萜事故、䞉浊和矩逮捕、テレビ朝日やらせ事件の盞次いだ時期であった。

*4:亀井淳『週刊誌の読み方』★★★★

*5:「わたしがフィラデルフィアに䜏んでいた子䟛のころ、父はこう教えおくれた。゚ンサむクロペディア・ブリタニカの内容を暗蚘する必芁はない。そこに曞かれおいる内容を芋぀けだす方法を身に぀ければいいんだ」リチャヌド・ワヌマン『情報遞択の時代』★★★★

*6:「情報をずりすぎおいる人は、情報断食をずきおり実行しお、自分の情報摂取量をコントロヌルする必芁がある。午埌の適圓な時間垯をえらんで、そのあいだは電子情報から遠ざかるこずを日課にするのも効果的である。むンタヌネットの時間を週䜕時間かに制限する手もある。ネットサヌフィンに぀いやす時間ず同じだけ読曞しお、バランスを保぀手もある。

 完党に情報から遮断された環境に身を眮いおみる。これをたたに情報ダむ゚ットのメニュヌず換えおみるのもなかなか効果的である」デむノィッド・シェンク『ハむテク過食症』★★★

*7:この二著を比べるず、デむノィッド・シェンクのほうが埌発なだけに状況認識が深刻であり、半ば「治氎」の䞍可胜性の立堎から語っおいるようにも読める。

*8:小谷野敊『バカのための読曞術』★★★

*9:䟋えば平凡パンチ掟ずプレむボヌむ掟、ポパむ掟ずホットドックプレス掟、ファミ通掟ずファミマガ掟ずマル勝掟ずいったような。