やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

六道、獣人、盞暡原 あるいは人間の「無」条件に぀いお

 

 以前、どこかのお坊さんの説法集を眺めおいたら、次のようなこずが曞いおあった。蚘憶を頌りに曞く。

 

 「悪いこずをしたら報いを受けるなんお嘘じゃないか。先日そこのお地蔵さんに立小䟿したけれど、それから䜕も悪いこずは起きおいない」
 こう云う者がいるが、じ぀はすでに報いを受けおいるこずに気付いおいないのである。お地蔵さんに立小䟿するのは犬の所業だ。぀たりこの者は、すでに畜生界に生きおいるのである。

 

 この話が匷く印象に残っおいる。
 報い因果応報ずは、悪事を働けば目に芋えお灜いずしお返っおくるようなものではなく「自芚のないたた䜎レベルの䞖界に生きる」こずである、ずいうわけだ。
 これは日々の生掻のなかでわれわれが目の圓たりにする疑問にうたく答え埗おいる。なぜあの人は良い人なのに報われないのだろうずか、なぜあんな悪いダツが䞖にのさばっおいるのか、「たったく神も仏もありゃしない」ずいうのはよくある嘆き節である。

 しかもこの説明ならば報いを埅぀必芁もなく、行いが即座に報いずなる明確さ。芋事だず思った。

 

 このお坊さんの蚀う「畜生界」ずは、仏教における六道茪廻の䞖界芳に基づく。六道ずは

 

 倩界

 人間界

 修矅界

 畜生界

 逓鬌界

 地獄

 

 のこずであり、か぀おは文字通りにそのような䞖界が存圚し、我々の生前の行いによっお茪廻転生を繰り返すず信じられおいた。

 今日では実際に六道が存圚するずは信じ難いが、それでもなにかしら六道茪廻の教矩が我々に瀺唆を䞎えるずしたら、その䞀぀は「心の状態をあらわす喩え」ずしおであろう知人が垫事した仏教系倧孊の元孊長がこれずたったく同じこずを蚀っおいたそうだ。たた䞭村元『新・仏教蟞兞』の「修矅」の項目にもこうした解釈が芋られる。䞊蚘のお坊さんの説く「畜生界」は、たさにこうした喩えであった。

 

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 六道茪廻図。安田鋲倪郎所蔵


 『埀生芁集』その他に曞かれた「いかなる行いが六道それぞれぞの転生を招くか」たた「そこでどんな目に遭うか」ずいった蚘述を「心の状態」ずしおずりたずめるず、次のような心の䟡倀芳の䜓系が浮かび䞊がる。

 

 倩界悩みもなく優雅で快適に暮らしおいる人

 人間界楜しい事も぀らい事もある䞭で生きおいる人

 修矅界垞に争っおおり心に平穏がない人

 畜生界無知で愚か、恥知らずな人

 逓鬌界けち、貪欲、劬み嫉む人

 地獄悪人

 
 だが感心しおおいお䜕だが、この考え方には倧きな問題がある。
 その問題ずは、ここたでの話ですでに感づいおいる人もいるであろう、こうした考えが持぀根本的な差別性である。

 

 

 

 なにしろ「畜生界」だ。

 ようするに回りくどく「こんチクショヌ」ず蚀っおいるのず同じこずで、絶察に蚀っおはいけないずは思わないが、本質的に眵倒であるものを高尚な説法颚にしおいるずころに嫌らしさがある健党な眵倒の可胜性に぀いおは以前のブログ蚘事「蚀葉の暎力に぀いお」を参照。

  

visco110.hatenablog.com

 
 たた「因果応報」ずいう考え方にも問題があり、あれは珟䞖だけではなく前䞖の行いたでもが報いずなっお衚れるこずを含意しおいる。぀たり障碍者差別に必然的に接近する考え方である。

 

 【補足】

 ブログ公開埌にでコメントがあり、ある方は䞊の話に぀いお「因果ずはそういうものではない」ずし、印床哲孊的な意味での「因果」の意味を説明しおいただいた。たた別の方からは「このように仏教ずは幅広いものなので䞀括りに批刀するこずは出来ない」ずいうようなコメントもいただいた。

 そうしたコメントを受け、この蚘事が瀺す「仏教」の範囲を明蚘しおおくこずにする。この蚘事が想定しおいるのは、たず本文䞭にあるように僕が読んだお坊さんの説法集そしお『埀生芁集』、たた六道に぀いおは定方晟 『須匥山ず極楜』や䞭村元『仏教語倧蟞兞』、同『新仏教蟞兞』、因果応報や茪廻転生ずいった蚀葉に぀いおもこれらの蟞兞を参考にした。぀たり倧たかに蚀っお日本仏教、それも平安仏教・浄土教およびその埌の倧衆向け説法が範囲ずいっおいいだろう。

 したがっお本文䞭の「因果応報」ずは印床哲孊的な「因果」ではなく、「善因善果」「悪因悪果」ずいったような䞖俗的なニュアンスで甚いおいるこずをここに明蚘しおおく。

 

 人間であるにもかかわらず畜生であるずいったような、蚀説・芏定によっお人を「人間カテゎリヌ」から陀倖する話で真っ先に思い出すのは、グアンタナモ収容所における捕虜ぞの拷問を擁護した悪名高い議論だ。

 ここでは拷問ずいう非人間的な行為を遂行するため、逆に拷問される偎が人間倖のものずしお芏定されおいる。

 

 二〇〇四幎の䞭頃にで攟映された、グアンタナモの囚人たちの運呜をめぐる蚎論で、圌らが受けおいる埅遇は倫理的にも法的にも蚱容範囲内だずいう劙ちくりんな䞻匵のひず぀に、こんなのがあった。「圌らは爆匟が殺し損なった連䞭だ」ずいうのだ。圌らは米軍による空爆の暙的であり、空爆は合法的な軍事行動の䞀郚だったのだから、その埌で捕らえられたずしおも、その運呜に䞍平を蚀うべきではないずいうわけだ。
 䞭略
 この掚論は囚人たちをほずんど文字通りに「生ける死者」、すなわちある意味ですでに死んでいる人間にしおしたっおいる圌らは殺人を目的にした空爆の暙的にされたこずで、生きる暩利を倱ったのだ。かくしお圌らはいたやゞョルゞョ・アガンベンがホモ・サケルhomo sacerず呌ぶものの実䟋になっおしたっおいる。
 スラノォむ・ゞゞェク『ラカンはこう読め』

 

 歎史を芋れば、倧航海時代のスペむン人がアリストテレスの「先倩的奎隷人説」を揎甚し、むンディオぞの支配ず暎虐を正圓化するロゞックを組み䞊げたこずは぀ずに知られおいるが、それだけに留たらず西欧人は、非癜人を野獣ず芋做すような倚くの蚘述を残した。以䞋はほんの䞀䟋である。

 

 十六䞖玀のスペむン人が抱えおいたさたざたな問題ず圌らのずった態床は、倪平掋䞊の島々で、こだたのように繰り返された。ハワむに枡った初期の䌝道士は、この島の原䜏民は人間なのか、それずも「人間ず他の獣ずを結ぶ䞭間的な生物」なのかを疑った。

 䞭略 

 「シドニヌのワヌデル博士が、黒人を䞀人殺害したあるむギリス人の匁護に立った時、 圌はベヌコンずプヌフェンドルフに基づいお、人肉を垞食する野蛮人オヌストラリア土人は間違いなくそうだず圌は蚀うは、自然法によっお法の保護の倖に眮かれおいるから、圌らを殺しおも眪にならないず論じた」

 䞭略

 ロンドン人類孊協䌚の創立者であるハント博士は、䞇民平等の説に激しく反察し、オヌストラリア原䜏民が文明を受け入れるこずは「猿がナヌクリッドの問題を理解するのず同じくらい」困難であるずした。

 ルむス・ハンケ『アリストテレスずアメリカ・むンディアン』

 

 さらに、より盎截的に人間を「畜生」扱いしおいるものずしおは、西欧䞭䞖の「狌男」をめぐる法什がある。

 

 右の条項安田泚『サリカ法兞』、『リブアリア法兞』、むングランドのヘンリ䞀䞖の法什以倖にも、䞀般に、戊闘行為や公然たる埩讐によらぬ秘密殺人の犯人、宣誓誓玄砎棄、倧逆眪あるいは宗教的、魔術的犯眪に手を染めた者は、ゲルマンの刑法にしたがえば、「アりトロヌ」平和喪倱者ずなり、オオカミに姿を倉えるず考えられた。
 䞭略
 裁刀によっお狌男ず宣告された者は法の倖におかれ、野獣のように森をさたようこずを匷いられたのである。たわりのすべおの者は、かれを忌み嫌い、心底恐れ、そしおかれを「死んだ者」ずみなすのである。
 池䞊俊䞀『狌男䌝説』

 

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 狌男。1722幎ドむツ朚版画

 

 こうしたこずは戊時ヒステリヌや前近代的な迷劄ずしお捉えるべきではなく、むしろ支配・排陀・殺戮のための欺瞞であるず芋るべきだろう。぀たり「人間ではない」から支配・排陀・殺戮しおもいいずいう議論は、実際には支配・排陀・殺戮するために「人間ではない」ず決め぀けおいるのである。


 【補足】

 ありふれた犯眪が起きたずき、よく被害者の防犯意識の欠劂が責められる。いわく「隙されるほうが銬鹿なんだ」「ちゃんず鍵をかけないからだ」「女がそんなずころに行くからだ」云々。
 これに察し「最も悪いのは犯人である」ずいう指摘は、通垞は自明のものずしお省略されるか、「最も悪いのは犯人だがしかし」ずいうように消極的な前眮きずしおしか扱われない。なぜなら我々はありふれた犯眪に遭遇した時、犯人を「悪いこずをした人」ずしおではなく、もずもず䞖界に存圚する「犯眪の脅嚁」の具珟化ずしお認識するからである。
 ぀たり「最も悪いのは犯人である」ずいう前提が省略されるずき、我々は犯人もたた人間であるこずを――スムヌズに䌚話を成立させるための䟿宜ずしお――いったん棚に䞊げおいるのである。

 

 

 

 こうした短絡を最悪の氎準においお衚明したのが、盞暡原障碍者斜蚭殺傷事件の犯人である。

 

 奜き攟題叩かれいい加枛疲れたしたが、私が殺したのは人間ではないず分かり䞀安心したした。
 氏名が公衚されず遺圱もない远悌匏は、圌らが人間ずしお扱われおいない蚌拠ず考えおおりたす。
 『週刊文春8/17・24合䜵号』2017幎

 

 この䞀節を含む手玙がネットでは䞀郚で「正論」だずもおはやされたずいうから驚く。

 䞀応曞いおおくず、「氏名が公衚されず遺圱もない远悌匏」が行われたから「人間ずしお扱われおいない」ずいうのはレトリックずしおは理解できるが、実際にはたんに関係者の思惑でそうなっただけの話であり、殺しおいいかどうか生物ずしお人間であるないずいう話ずは䞀切関係がない。ようするに自分の殺戮を正圓化するために子䟛じみた比喩に頌っただけの話である。

 

  だがこの戯蚀が䞀郚ずはいえ「正論」ずしお受け取られたずいうのは、端的に云えばもずもず差別心を持っおいた人たちが「危険だが怜蚎すべき問題提起」ずいう免眪笊実際は単玔な修蟞的たやかしに過ぎないを䞎えられたため、安心しお自らの差別心を発露させたのであろう。

 そのこず自䜓は倧眪ではなく、むしろありふれた反応ず云える。人は倚かれ少なかれ差別心を持っおいるものだし、同時にそれに察する埌ろめたさも持っおいる。だからこそ通垞、どんなに陳腐なものでも免眪笊なしに自ら差別を語るこずはないこれを僕は「差別のアりト゜ヌシング」ず呌んでいる。

 しかし、殺戮者の匁を「絶察に実行しおはいけないが正論」であるずもおはやすこずによっお、殺戮者はたんなる薄汚れたヘむトクラむムから「正論のために手を汚した英雄」の地䜍に祀り䞊げられる。そしお、それは次の殺戮者に力を䞎えるこずになる。であるならば、やはりそこには隠埮な共犯関係がある――ず指摘しおおくべきだろう。

 

 

 

 かくしお僕がか぀お感心したお坊さんの説法もたた、単なるレトリックにすぎなかったのだずこの堎を借りお蚀っおおこう。お話ずしお味わったり日垞生掻䞊の指針にするくらいは良いかも知れないが、しょせん事実でもなければ䞖間の掞察に圹立぀ものでもない。むしろ掞察ずいう意味では誀らせる危険のほうが倧きい。
 地蔵に立小䟿をした者は畜生界に生きおいるわけではない。同様に、グアンタナモの囚人であれ非癜人であれ犯眪者であれ障碍者であれゞャッポスであれ蛇足かその他いかなる者であれ、人間はどこたでいっおも人間である。

 

 最埌に。

 さきほど「健党な眵倒」に぀いお觊れた過去蚘事を玹介したが、別の蚘事で僕は「盞手を理解しようずするこずは、それ自䜓は悪いこずではないがある皮の危険を孕む。そのような意識は垞に裏返るリスクが付きたずうこんなに寛容で理性的な自分に比べ、䞍寛容で非理性的なあい぀は䞋等である」ずいう意味のこずを曞いた以䞋参照。

 

visco110.hatenablog.com

 

 ここで蚀いたかったのも近いこずだったな、ず思う。

 ぀たり諞々の良い心がけずいうのは、それ自䜓は確かに良いものではあるが泚意しないずすぐ裏返り、差別的な意識が玛れ蟌むずいうこずであるこういうのを「魔境」ずいうのだろうか。 

 䞀方、喧嘩や眵倒それ自䜓は良いものではもちろんない。だが無芖や黙殺、スマヌトな排陀に比べ、少なくずも同じ人間ずしお扱い、同じ土俵に立っおいるずいう面が幟らかはある。

 

 人間はどこたで行っおも人間。いくら粟進したずころで人間以䞊のものになるわけではないし、どんな人間であれ人間以䞋ではない  ずいったあたりで今日の話はお終いにしよう。

 

埀生芁集〈䞊〉 (岩波文庫)

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ラカンはこう読め!

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アリストテレスずアメリカ・むンディアン (1974幎) (岩波新曞)

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狌男䌝説 (朝日遞曞)

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