ポジティブ・シンキングってどうなの?
「今回はポジティブ・シンキングについて肯定側と否定側に分かれて仮想討論するってことで、あたしは否定側ってことになってるんだけど、ハッキリ言って妥協してお茶を濁す気はないからね。っていうかバーバラ・エーレンライクのポジシン批判で尽きてるんじゃない? あなた、なんだかニューサイエンスとか齧って理論武装しようとしてたみたいだけど、まあ説得力には欠けるわよね」
「あっビールください、ジョッキで。……えーとまあ、バーバラ・エーレンライクが云うようなポジシンの問題は確かにあるんだけど、それでも」
「ちょっと待って。読者のために、一応エーレンライクが指摘しているポジシンの問題を要約しておくわね。まず第一に、ポジシンにはそこまでの効果はないこと。願うだけで上司の機嫌が良くなったり、契約が取れたりしないし、ましてや心が宇宙となんらかの方法で連動していて、運命が変わったり、何かが引き寄せられたりもしない。精神療法には延命の効果があるかどうかっていうのもエーレンライクが紹介する今世紀に入ってからの医学界の風潮でいうと、けっこう微妙。前回のブログではそのへん、少しツッコミが甘かったかも」
前回記事。今回と関係が深いが、まあ読まなくても差支えはない。
「でもさあ、例えばやる気を出したら、身だしなみや喋り方とかに微妙に出るじゃない? そういうのが好印象に繋がって人間関係全般がうまく行くって可能性は」
「それは身だしなみや喋り方が良かったからでしょ」
「あ、うん、それをやるための気力っていうか……」
「あのねえ、気力があるとかないとかじゃなくて、身だしなみや喋り方なんて、大人だったらみんな気を遣ってるものなのよ。とくに女はね」
「あ、ああ」
「まあいいわ。とりあえず他の問題をぱぱっと全部言っちゃうから、納得いかないことがあるならまた後から言って」
「あっはい」
「第二の問題は、安易な楽観は注意を怠る原因になるってことね。近代医学を否定してあやしげな民間療法に頼ったり、うちの子がいじめられてることなんかまさかないだろう、なんて考えて対処が遅れたり、よく見もせずに道路を渡ったり。大きなレベルではカレン・セルロが、楽観主義によってさまざまな備えを怠り、災厄を招いた事例を挙げた研究書『Never Saw It Coming:Cultural Challenges to Envisioning the Worst』がある。それによると、同時多発テロの時も、イラク戦争も、ハリケーン・カトリーナも、リーマンショックの時も、政府の不注意によって被害が拡大した局面がちらほらある……まあ時間がないから端折るわね」
「お、おう」
「第三の問題は自己責任論と容易に結びつくこと。前向きに目標に向かってゆくことで必ず夢が適うとしたら、適ってない人はそれをしなかったってこと? 失業者は努力が足りなかったから? 病気になるのは負のオーラを溜め込んだから? つまり、ポジシンは政治的・社会的問題を個人の心の問題に還元する傾向を持っている」
「それは本当問題だと思うよ」
「第四の問題は金もうけに使われること。自己啓発セミナーやポジティブ商材をすべて否定するわけじゃないわ。でも、信じやすい顧客をカモにして金儲けしてるとしか思えない人たちがいるでしょ?」
「まあ彼らは重要な真実を伝授しているのだと思っているし、実際それで儲かれば、やっぱりポジシンの教えは正しかった、ということが証明されるので、彼らのなかではなんの矛盾もないわけだ」
「でも顧客はみんな夢が適ったかしら? 適った人がいたとして、結局お金を払うだけ払って適わなかった人はその何倍いるのかしら?」
「それにも同意する。政治的・社会的問題を本人の心の問題に還元したり、どう見ても内容の薄いポジシン本がベストセラーになってるのを見ると憤りを禁じ得ないね」
「そういう本をブックオフで買ったりしてるでしょ、あなた」
「まあその、読み捨て程度には興味があって。とにかく、権力者から見れば都合のいい人間を作り上げるとか、ポジティブ屋さんのいいカモになるといった問題を慎重に避けた上で、ポジシンにはどこかしら有益な部分があるんじゃないかっていうね」
「じゃあそれを聞く前に最後の問題を片付けてしまいましょう。第五の問題は同調圧力。全然他人の話を聞かずに、二言目にはクヨクヨしていても仕方がない、問題点を洗い出して対策を考えなければ、みたいなことをやたら強調してくる人っているでしょ」
「まあいるねえ」
「八十年代にアーリー・ホックシールドの有名な研究があって、飛行機の、スッチーとかって……ほら、なんていったっけ」
「客室乗務員」
「そうそう、客室乗務員は常に明るく振る舞わなくちゃいけないでしょ? それでストレスがハンパないっていうね」
「うん」
「それから、エーレンライクのこの本(『ポジティブ病の国、アメリカ』)のなかで最も印象的だったんだけど、あたしなりの言葉で云うと、結局、明るくて溌剌とした人が好かれるっていうのはある種の自己成就予言である可能性が高いのよね。つまり社会のなかでポジティブ・シンキングに染まる人が増えれば増えるほど、実際にポジティブな人が好かれる世の中になってゆくわけ。アメリカほどポジシンが浸透していない国では、無理して明るく振る舞わなくてもさほど浮くこともない。まあ日本なんかはポジシンへの強迫観念が、けっこうアメリカに近い水準まで来ていると思うけれど」
「あっすいませんビールおかわり」
*
「エーレンライクの結論は、けっきょく楽観主義も悲観主義もダメで、現実を曇りなき目で見なさい、世の中にはピンチもチャンスもあるし、夢は適うかも知れないし適わないかも知れない、でも結局そういうニュートラルな認識が最も成功する可能性を高めるという、これは至極まっとうなものだとあたしは思うな」
「そりゃそうかも知れないけれど、なんかロマンがないっていうか」
「は?(半ギレ)ロマンってなに?」
「あーいや、なんていうか、世の中には科学では説明できない不思議な現象だとか、スピリチュアルな領域みたいなものが」
「ないよね」
「いや、ないっていう言い方はちょっと」
「まあ現状の科学で説明のつかないこともある、くらいのお茶を濁した言い方のほうが柔軟な態度だってことになってるんでしょう。ないとか言い切っちゃうと科学を妄信してるとかなんとか。まあそういうことにしておきましょう。そんで?」
「ロマンは言葉のチョイスが悪かった。なんていうかな、意想外のワクワクというか」
「それって《労民は寓話と奇跡を信じる》ってやつじゃないの? こんなつらい日々の繰り返しだけれど、もしかしたら何かの間違いで財宝を手に入れて王女様と結婚できるかも知れないとか、魔法使いの弟子になれるかも知れないっていう」
「なんかさあ、そういう身も蓋もない世界観って心が寂寞としてきませんか」
「あなたみたいに机に座って現代思想がどうの、オカルトがどうみたいなホワワンとしたこと考えてたい人にとっては面白くないかもね。でも、どうなの? 今回ニューサイエンス系の本を読んで納得した?」
「いや、それが全然なんだ。たとえば石川光男『ニューサイエンスの世界観』にいう、西欧社会は気候が厳しかったから、自然と人類は対立するものだと捉えられ、そのへんが東洋の、自然と人間を連続体として捉える思想とは違う、食べるものだって家畜の肉を食べるのが合理的だったから、人と動物との境界線もはっきりさせる必要があって、人間はとにかく自然とも動物とも隔絶した特別の存在だとする宗教が立ち上がった、なんていう指摘は面白かったんだけど」
「まあそこはね」
家畜とは神からの贈り物である!
「けれど、心と物体を切り離すという世界観から生まれた近代合理主義には見えない部分があって、現代はその限界がぽつぽつ見えてきた時代だ、ここはひとつ《連続体の思想》である東洋思想に目を向ける必要がある、なんて話になって、やれ襖だの漢方薬だの墨絵だのって話をされても、ねえ」
「おまけに量子力学まで持ち出してたわよね。なんかオカルトの人たちって量子力学をよく持ち出すわね」
「オカルトじゃない、ニューサイエンス」
「ニューサイエンス(笑)」
「(笑)はつけなくていい」
「まあいいわ。それで例によって、ミクロの次元においては観測することによって観測対象に影響を与えてしまう、とかなんとか言って。そんな感じで西洋的な《非連続の思想》をひっくり返そうとするんだけど、でもすべてアレゴリーにすぎないわけでしょ」
「まあそうなんだよね。フスマが庭と室内の境界線を曖昧にしていようが、漢方薬がひとつの成分を抽出するのではなくトータルとして身体に働きかけようが、X線が電子の動きを乱そうが、すべては例え話にすぎない」
「明けない夜はない、とか云うのと同じよね。そりゃ地球が自転してるかぎりは待ってりゃ太陽の側を向くでしょうけどだから何? みたいな。つまり、けっきょく心が物質に影響を与えるなんてことは実証できない。ポジシンが良い事を起こすということはあり得ない」
「まあ、カプラやケストラーの抽象的思考は興味深い点を多々含むとは思うけれど」
「世の中には抽象をもてあそぶよりも楽しい事ってたくさんあるのよ? あ、ごめん言い過ぎた?」
「いまさら気を遣うな! ……まあ大体パンチラインはわかった。でもさあ、速水健朗も『自分探しが止まらない』のラストで云ってたじゃない。自己啓発セミナーや海外放浪など安易にポジティブ・シンキングに逃げ込む姿勢を批判してきたけれど、ポジティブ・シンキングそのものを否定しているわけじゃない、って」
「そうね。個人で前向きになろうとしてるぶんには、別に好きにすれば? って思うけど」
「そこなんだよ。その私的な段階でのポジティブ・シンキングの肯定を試みたいんだよね……あー、でもとりあえずビールおかわりしようかな。なんか頼む?」
「そうね、じゃあシャンティガフをもらおうかな」
*
「これまで出てきたようなポジティブ・シンキングの問題点を取り除いたときに、それでも根本的なポジティブ・シンキングの《核》みたいなものが残るじゃない? 死ぬまでクヨクヨしてるなんて僕自身はご免こうむりたいね。やっぱり前向きなほうが物事はうまく行くんじゃないか、人生楽しくなるんじゃないかっていう気持ちは理屈では拭えない」
「それって信仰告白?」
「マイケル・フロッカーが『メトロセクシャル』で云ってるけど、ネガティブ思考では人も離れてゆくし仕事も上手く行かない。もちろん恋人なんて出来やしない。スポーツ心理学者いわく……」
「あーはいはい。勝てると思ってる選手が勝つとは限らないが、負けると思ってる選手は負けるみたいなやつね」
「そう。どんなにひどい状況でも選択肢はある、ともフロッカーは言っている」
「あなたがそれを好きなのはいいんだけど、でもそういうのってポジティブになろうとするポジティブさが必要じゃない。それはどこから来るの? 無からは生まれないわよ。エネルギー保存の法則的に云っても」
「だから孤立系外のエネルギーを採り入れてるんじゃないかな。お金でモチベーションを買う、みたいな。自己啓発書なんかまさにそれだし、他にも色々あるでしょう。応援ソングとか。それらはすべてぼったくりというわけじゃない。『メトロセクシャル』がそうであるように、なかにはポジシンの優良商品だってある」
「ああ、お金で元気が買えたり、癒しが買えたりはするわね」
「起きなさいよ!」「でも、何のために?」
「ポジティブ・シンキングの思想を持つってことは、毎回毎回外部から注入するんじゃなくて、その元気を自家発電するようなものじゃないかな。しかも怒りやストレスみたいなゴミみたいなものをポジティブなエネルギーに転換するわけだから、これはもう心のリサイクルというか」
「う、うーん?」
「それで本当に元気になる人もいれば、無理にポジティブにふるまってストレスをためてしまう人もいる。だから万人に良いとは言えない。けれど、少なくとも向いている人には良いはずだ」
「そのへんの話になってくるとあたしの管轄外ね。まあそう考えるのが好きな人はそうすればいいんじゃない? 仏陀の言葉を読んでははーんと思うのも、武士道にかぶれるのもその人の自由。ま、ポジティブ・シンキングに関して云えば、エーレンライクのいうニュートラル主義が一番いいと思うけれど」
「エーレンライクのニュートラル主義は、ポジティブ・シンキングの唯物論的な改良版という気がする。結局、ニュートラル思考が一番うまく行くぞって云うのは、みんながうまく行きたいと考えていることを前提にしているわけだから。それってすでにポジティブでしょ」
「それはちょっと感じる」
「だとすると、ニュートラル主義は、カモられないように、油断しないように、自己責任論や同調圧力に与したりしないように気をつけたポジティブ・シンキングと言えるんじゃないか。つまり戦術が違うだけで、成功志向であることには変わりない」
「まあねえ……」
「それに君だって、やっぱり変に拗ねたりいじけたりしてる人は嫌でしょ」
「経験的にはそうかも知れないわね」
「明るくて――もちろん騒がしくない程度にだけど――陰湿なところがなくて、ほどよく自信があって落ち着いてる人のほうがいいでしょ」
「言葉だけ聞けばそうなるに決まってるじゃない」
「じゃあ、そういう人間を目指して悪いはずがない」
「あーはいはいわかったわ。それがあなたのパンチラインってわけね。じゃあ、あとはリスナーの判定に任せましょ?」
「オーケイ。やれやれやっと終わったな。そうこう云ってるうちにもう夜だよ。明日も仕事なんだけどほんと嫌になるよね。ブログもまあ、ツイッター経由で多少読んでくれる人がいるけれど、そんなに話題になるわけでもないし、ホント何のためにやってるんだか。飲まずにはいられないよ」
「お前けっこうネガティブだな」
- 作者:バーバラ・エーレンライク
- 発売日: 2010/04/10
- メディア: ハードカバー
- 作者:石川 光男
- メディア: 単行本
- 作者:マイケル・フロッカー
- 発売日: 2004/07/22
- メディア: 単行本