やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

人間関係が上手くいく4つのルール

 

 その筋ではよく知られている話ではあるが、政治学者のロバート・アクセルロッドによる「囚人のジレンマ」を使ったアルゴリズムの大会がかつて開催されていた(「囚人のジレンマ」についてわからない人はググって下さい)。その第一回は1980年に開かれ、14のアルゴリズムが総当たり戦を行った。

 

 優勝したのはアナトール・ラパポートの作ったアルゴリズムで、それは「しっぺ返し戦略」(tit for tat)と呼ばれるものであった。このアルゴリズムは、最初のターンでは「協調」を選び、二ターン目以降は先のターンの相手の選択を反復するというだけのきわめて単純なものである。
 この単純なアルゴリズムが、なぜ他の参加者の、より複雑なアルゴリズムを出し抜き、優勝することが出来たのだろうか?

 

 興味深いのは、一対一の戦いにおいては「しっぺ返し」アルゴリズムに勝つ他のアルゴリズムもそれなりにいたということだ。だが「しっぺ返し」アルゴリズムが総当たり戦において安定して高い成績を収めるのに対し、ライバルはたとえ「しっぺ返し」アルゴリズムには勝利していてもトータルでの成績がふるわず、なんのかんので優勝を逃したという。

 

 また「しっぺ返し」アルゴリズムは、第二回大会(したがって「しっぺ返し」アルゴリズムが参戦することがわかっていた)でも再び優勝を果たした。依然として総当たり戦においてそれを上回るアルゴリズムがなかったのである。
 アクセルロッドは、こうした結果は長期的人間関係における次のような教訓を示唆しているのではないか、と言う。

 

 a.こちらから裏切ってはならない

 

 b.裏切られたら必ず報復する

 

 c.報復が終われば水に流す

 

 d.以上のことをわかりやすくする

 

 これはどういうことかというと、最初のターンで「協調」を選び、以降は先のターンの相手の選択を反復する「しっぺ返し」アルゴリズムは、当然ながら先のターンで相手が「裏切り」を選ばない限り自ら「裏切り」を選ぶことはない。(a)
 しかし相手が「裏切り」を選んだ場合は、次のターンでそれを反復(つまり報復)する。(b)
 報復は原則的に一回で完結する――相手が連続して「裏切り」を選べば連続して「報復」するが、あくまで直近のターンの相手の選択にそのつど反応しているだけである—―相手が「協調」に戻れば、次のターンからは自らも「協調」に戻る(水に流す)。(c)
 そして他の「高度な」アルゴリズムのように、乱数を用いたり、試合の途中から(例えば11ターン目から)行動原則が変わったり、相手が何をどれだけやったかの回数を自らの行動に反映させたりするような凝った仕掛けがないので、とてもわかりやすい。(d)

 

 ゲーム内においては単に相手の行動を反復するだけのアルゴリズムが、人間関係のアナロジーとして見た場合にこのような多様なニュアンスを獲得することにまず感嘆するが、そこで得られた四つの行動原則は、ある統合された人間像を浮かび上がらせる。
 つまり誠実だが、不当な仕打ちには毅然として戦い、だが永遠に許さないわけではない、そしてそれらが常に一貫している人間である。うーん、立派な人だ……

 

 そしてそうなると、他のアルゴリズムも同様に擬人化した場合、あまりにも他人を出し抜こうとしたり、何があっても恭順したり、いきなり別人のように豹変したり、一度対立したものは絶対に許さないマンだったりと確かにお近付きになりたくない感じがするのである。そうした人たちは、一対一の人間関係においてはたまにボロ勝ちすることがあっても、トータルとしての成績はけっして良くない=豊かな長期的人間関係を築くことが出来ない、ということになる。

 

 *

 

 先日気付いたのだが、まったくジャンルが違うのにきわめて酷似したことを云っているテクストがあったので紹介したい。それは戦場における休戦についてのものだが、驚くべきことに上に挙げた四つの原則がすべて含まれているのである。

 

 たとえば、ある区域で戦っていたイギリスの軍隊は、毎日の砲撃をきっかり午後一時に開始することにした。それから数日後、敵対するドイツ軍は十二時四十五分まで壕の外に出て、あたりをぶらぶら歩きながら陽光を楽しむようになった。そして時刻が近づいて、イギリス軍の砲弾がドイツ兵にぶつからないようにぽつぽつ落とされはじめると、彼らはまた要塞の奥に戻っていくわけだ。

 

 休戦を保つために重要なもうひとつの要素は、決まりごとが破られたら限定的であれ、かならず罰を与えることだ。もし片方の側が、非公式のルールを破ってじっさいにだれかを殺そうとしたり、あるいは指定の時間よりも早く爆撃を開始したりしたら、された側は報復措置をとることになる。

 

 ある連隊はこれを、経験則にまとめさえした。「絶対にこちらからは先に撃つな。けれどもし撃たれたら、きっちり二倍にして返せ」この「一に対して二の罰を」に内在するのは、ひとたび罰が終われば、それでぜんぶ水に流すという考えだ。罰を与えたことで両者のスコアは五分五分になり、また以前の休戦状態に戻ることができる。
 (テリー・バーナム&ジェイ・フェラン『いじわるな遺伝子』。太字は安田による)

 

 これはゼッタイ、直前か直後に「囚人のジレンマ」の大会の話をしているな、と思ったがしていなかった。偶然の一致なのだろうか?
 そういえば日露戦争でも、休戦時間には日本兵とロシア兵が一緒に弁当を食べながら「俺たちが組めばどこの国と戦争しても負けないのになあ! ワハハ、それじゃ」とかいってお互いの陣地に引き返し、また凄絶な争いを繰り広げたという話がある。以前はそんなこと有り得るのか? と思っていたが、なるほど休戦中に相手を攻撃するのは結局のところ自分たちも安心して休めなくなってしまうわけだ。

  

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 続けて著者は云う。

 

 戦時下での協力関係は、現代のより平和的な環境での生活に、何か意味をもつのだろうか? もちろんだ。平時において良い人間関係を結ぶための鍵は、戦時下でのそれとまったく同じだ。人はみな「友情は無条件のものだ」と夢想を抱きがちだが、私たちは先の軍隊と同様、自己の利益によって友情へと動機づけられているのだ。
 (同書。太字は安田)

 

 つまり我々は、無条件に誠実だったり無条件に他人を許す習慣を持っているわけではなく、「裏切ると報復されてひどい目に遭うから裏切らない」のであり、「報復しないと際限なくナメられるから報復する」のであり、また「いつまでも争いを続けたくないから水に流す」のである。
 さらにそこに第三者の目も加わる。『三国志演義』に、魏延を斬ろうとする孔明を「余の軍門に降ってきた者を斬れば今後余に降ってくる者がいなくなる」と劉備が止めたという挿話があるが、社会的信頼は財産である、という話だろう。

 

 バーナム&フェランの議論はそこから、動物の利他行動はそうしたほうが生き延びやすいので行われている、という話になる(例えばチスイコウモリは、自分がエサにありつけなかった時の保険として、余裕があるときは他の個体にエサを分け与える)。彼らによれば、人間の「友情」もその延長線上にあり、我々は理由もなく利他心を持っているわけではない。ようするに「困ったときはお互いさま」「情けは人のためならず」ということだ。それはそうだろう。「とんでもない! 自分の利他心はまったく無償のものだ」という人はまず僕に100万円ください。一切なんの見返りもないので、無償の利他心の証明にはうってつけです。

 

 *

 

 そんなわけで、個々の関係では自分本位な奴やズルい奴や攻撃的な奴に出し抜かれるかも知れないが、結局そういう連中はトータルではうまく行かない。トータルで良好な人間関係を築くためには、上の四つの原則をもう一度挙げるが

 

 a.こちらから裏切ってはならない

 

 b.裏切られたら必ず報復する

 

 c.報復が終われば水に流す

 

 d.以上のことをわかりやすくする

 

 というのがどうやら良さそうなのである。

 まあアクセルロッドには色々と批判もあって、本稿に関係するものとしては「少しルールが違っていたらしっぺ返し戦略は優勝していなかった」とか「そのゲームの結果からなぜ長期的人間関係についての教訓が引き出せるのか」といったものがある。はい。確かにただのアナロジー、精巧な例え話に過ぎないという面はあります。そもそも人間関係についての教訓が科学的に証明されているなどと主張する気はまったくないわけで。
 まあ僕はアナロジーでものを考えるのが好きなんですよね。森羅万象に勝手に人生のアドバイスを読み取るというか。

 

 というわけで、ここ数年念頭に置いている、これが良いのではないか、という人間関係のルールを紹介しました。参考になることがあれば幸いです。