ヒトは虚構と現実の区別が苦手である/アントン症候群、その他の事例
アントン症候群、というのは2017年の報告によれば世界で28例しか報告されていない、まあ奇病中の奇病と言っていいだろう。
この症候群はひとことで言えば、失明したにもかかわらず失明したことを認識出来ない疾病である(まれに聴覚についても同じことが起こるが、症例はさらに少ない)。今までに、脳卒中や頭部の外傷によって起きることが確認されている。
アントン症候群の患者は「自分は失明などしていない」と言い張る。しかし実際には見えていないのだから当然、物にぶつかったり他人を認識出来なかったりと生活に支障をきたすわけだが、そのたびに「部屋が暗すぎて見えなかった」「眼鏡をかけていなかった」等々、理由をつけて視覚自体には問題ないという態度をとる。
患者は場合によっては作り話をすることさえある。神経科医のエリエザー・J・スタンバーグが紹介している症例では、目の前の医者が
「私の外見の特徴を説明してくれませんか?」
と訊ねたところ、
「かまいませんよ。背が低くて太っている」
と答えたという。だが実際には医者は長身で痩せていたのであった。
別に医者に喧嘩を売っているわけでも嘘をついているわけでもない。この患者は重い脳卒中を起こしていて、頭部CTスキャンの結果、両側の後頭葉が損傷していることがわかった。ここは視覚を司る部位で、目が見えない理由はそれだ。
もう一つ、この患者は左頭頂葉にも損傷が見られた。どうやらここが損傷した結果、視覚情報と脳との連携に支障をきたしているようであった。
アントン症候群の原因には未だ定説がないが、有力な説の一つは、この患者のような「脳の物理的ダメージによる視覚情報と脳の連携部分の損傷」ではないかと言われている。別の言い方をするなら、脳内の「ものを見る部位」と「見えたものを解釈する部位」の両方が同時に損傷したので、見えなくなったことを「解釈」(=自分は失明した!)出来ず、部屋が暗いとかメガネをかけていないとか、失明していない前提で合理化してしまう、というわけだ。
だがアントン症候群の患者が、医者の外見を痩せているのに「太っている」などと言うのはどのように理解すればいいのか。
自分が失明したことを認めたくないゆえに嘘をついている、という理解は成り立たない。なぜなら失明したと思っていない者が失明したことを「隠す」必要などないからである。
暫定的な説によれば、
実際には見えなくても、アントン症候群の患者は頭の中で事物を思い浮かべられる。生まれたときから目が見えなかったわけではないから、視覚情報を「想像」できる。これがアントン症候群の患者が「目が見える」と感じる第二の理由だと、多くの研究者が考えている。想像上の視覚映像を、現実のものだと勘違いしているのだ。だから、神経科医に「背が低くて太っている」と言ったとき、ウォルターは単に推測をしたのではなく、想像上の医師を”見て”いたのかもしれない。
(エリエザー・J・スタンバーグ『人はなぜ宇宙人に誘拐されるのか?』、以下太字は安田による)
ということであるらしい。
確かに、「見えていないことが認識できない」といったように視覚情報を脳が解釈できないのであれば、逆に、想像しただけの映像を「実際に見えている」と間違って解釈してもおかしくはない。
この話をツイートしたら「なんか怖い」という反応があった。それがまともな反応なのかも知れないが、その……僕は、wktkしてしまったんですね。
つまり、人間はある条件下では想像しただけのものを「実際に見た」と思い込むことが出来る。それって天然のVRみたいなものじゃないかと。わざわざOculus Quest2をかぶらずとも、脳にはそれに似たことをやってのける可能性を秘めているのではないか。
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あけましておめでとうございます。
コロナに政治の迷走、休みの終わり、寒さ、高血圧、二日酔いなど相俟ってますます現実が嫌になってきている安田鋲太郎です(・ω・)ノ<ウェッ
そんなわけで、以前もこういった「幻想が現実を乗り越える可能性ってどうよ」みたいな話を書いたわけですが、あの時は精神分析からのアプローチだったけれど、今回は神経科学や人体の方向から少々書いてみたいと思った次第です。
以前似たテーマを精神分析からのアプローチで書いたやつ。
アントン症候群についての話を読んだとき思い浮かんだのは、れいの「水槽の脳」というやつですね。
どうも人間は、もともと虚構や空想と現実の区別をつけるのがそんなに得意ではないのではないか。少なくとも身体的には虚構に対して現実とまったく同じ反応をしてしまう例がちらほらある。
「脳サン、これ虚構なのか現実なのかわかんないんスけど」
と身体が上げてきた書類を、脳が
「いやこれ虚構だろjk」
と裁断することによって何とかしている、という感じだ。
上のアントン症候群もそうだが、他にもこんな例がある。
イギリスで行われた実験では、被験者を二つのグループに分け、片方には『悪魔のいけにえ』を観てもらう(ナイスな選択だ!)。対照群としてもう一方には、映画と同じ時間だけ、とくに恐ろしいわけでもない当たり障りのない読み物を読んでもらう。その前後に両グループの人々に検査を行って比較する。果たして、『いけにえ』グループでは心拍数と血圧が観る前に比べて平均二〇%上昇していた。対照群では、前後の変化はなかった。血液サンプルを調べたところ、面白いことがわかった。『いけにえ』グループでは、有意に白血球数が増えていたのである。攻撃を受けることに備えて免疫反応が誘発されたというわけだ。
(戸田山和久『恐怖の哲学』)
なんぼ怖いといっても「これは映画ですか、現実ですか?」と尋ねたらほぼ全員が「映画」と答えるはずである。したがって、仮に「この状況は心拍数や血圧を上げたり白血球の数を増やす必要がありますか?」と尋ねたら「必要ない」とこれまたほぼ全員が答えるはずだ。
だがこの実験結果が示すのは身体はそうは思っていないということである。身体は、脳に反してすっかり現実のことと思いこんでいるのだ。
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循環器系だけではない。神経細胞も虚構と現実を混同する。
セントルイス・ワシントン大学の有名な研究では、物語を読んでいる人たちを脳スキャンした結果、読者は物語内の状況に即した部位の神経細胞を活性化させていることがわかったという。そしてそれは現実で同様の活動を行ったり、想像・観察するさいの活性化と酷似していた。
ニコラス・G・カーの紹介によれば、
たとえば、物語の登場人物が鉛筆を机に置くと、脳内の動きをコントロールするニューロンが読者の脳内で発火する。ドアから部屋に入る場面では、空間認識をつかさどる脳の部分に電気信号が送られはじめる。
(ニコラス・G・カー『ウェブに夢見るバカ』)
というのだ(ちなみにこの本は書名はふざけているが、カーは先見性と鋭い批判に定評があり、良著である)。
こうしてみると、身体は虚構と現実をそもそもあまり区別していないようである。そのような判断は脳が最終的に下すものであって、脳はそのさい周囲の状況や近過去の記憶を判断材料にしているのではないだろうか。「自分は本を読んでいる」「ここは映画館だ」「そういえばさっきVRゴーグルを被った」「ってことはこれは虚構だな」と。
アントン症候群のような物理的損傷のケースでなくとも、夢を現実だと思い込んだり、記憶が変化したり、調子が悪くなると妄想を抱いたり、幻視や幻聴がはじまったりと、ヒトの現実-虚構の区別はわりとセキュリティホールだらけなのだが、それはこうした脆弱な認識システムのためではないかと思える。
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しかし、先にも書いたように、僕はどちらかというとこれらの話をwktkとして捉えている。
確かに不気味といえば不気味でもあるのだが、虚構とか想像といったものの力はやはり底知れないというのは、現実逃避したい主義者の僕にとって、大いに可能性を感じさせてくれるからである。観たい夢を観ることが出来るという明晰夢などについても稿を改めて書きたいところだが、今日はこのくらいにしておこう。
そんなわけで、人間にはもともと天然のVRのような機能が備わっている(?)。もっと想像をたくましくしよう!
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- 作者:戸田山 和久
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ウェブに夢見るバカ ―ネットで頭がいっぱいの人のための96章―
- 作者:ニコラス・G・カー
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