展示される怪奇
ナイジェル・ブランデルとロジャー・ボアの共著『世界怪奇実話集』は、なつかしの教養文庫「ワールド・グレーティスト・シリーズ」に収められ、ネットがない頃の子供たちを震えあがらせた怪奇読み物のうちの一冊である。今となってはどことなく牧歌的な幽霊や呪い話が収められているが、そのうちの一つ「ブラッドストーンの指輪」という話を読んで「おやっ」と思った。この話には怪奇そのものの他にも一箇所、たぶん実際は違うんだろうなと思わせる記述がある。
以下要約しつつ引用する。
話は一八七三年、イングランドのイースト・アングリアの小村ウィリシャムで起こった。そこでメアリー・グレイという花嫁が、ハネムーンに出発する日に忽然と消えてしまう。花婿が迎えに来ても二階の部屋から出てこないので、家族が鍵を壊して入ると、そこにはすでにメアリーの姿はなく、バルコニーから中庭へ続く窓が一枚空いていたのだった。
彼女の消息はわからなかった。捨てられた花婿はショックのあまり一ヶ月ほどで亡くなった。
そして十八年経ち、村人たちもメアリーのことを忘れた頃、村に嵐が吹き荒れ、巨大なカシの老木が倒れた。すると四方に張っていた根が周囲に大穴をあけ、そこからメアリーの死体が出てきたのである。
骨となったその死体にはブラッドストーンの指輪がはめられており、それはメアリーの妹エレンが結婚祝いに贈ったものであった。またメアリーは首の骨が折れており、ようやく村人は、十八年前にメアリーに何が起こったのかを知ったのだった。
妹のエレンは、メアリーの手だけは絶対に手離せないと言った。そしてエレンは亡くなるさいに遺書をのこした。それによれば「遺産は家政婦のマギー・ウィリアムズに贈るが、マギーは姉の手を人目につくところに置かなければならない。手はいつの日か、そこで殺人者と対決するだろう」というのだった。
そこでマギーは遺言を実行するため、パブを開き、壁にブラッドストーンの指輪を嵌めたメアリーの手を飾った。
一八九五年のある嵐の夜、パブの新客が壁に飾られた手のいわくを聞いたとたん、悲鳴をあげてよろよろと壁にもたれこんだ。彼の指先からは血が滴っていた(イギリスの古い言い伝えでは、殺人を犯した者は証拠を突きつけられると指から血を流すことがあるとされている)。
じつはこの客はメアリーのかつての恋人ジョン・ボドニーであった。彼はあの日、メアリーにさるぐつわをはめて拉致したのだが、カシの木の下まで来たとき、彼女がひどく暴れたので首の骨が折れてしまい、途方に暮れてそのまま埋めたのだという。
ボドニーは拘置所に収容されたが、公判の日を待たずに「未知の病」によって死を遂げたのだった。
非常によくできた話だとは思う。
だがさておき、引っかかった箇所というのは他でもない、「マギーが遺言を実行するためパブを開き、壁にメアリーの手を飾った」というくだりである。
おそらくこれは因果が逆なのではないか。つまりいわくつきの手を飾るためにパブを開いたのではなく、パブを開いたからいわくつきの手を飾ったのではないか?
あくまでパブの客寄せが欲しい(「よし、みんなでその手を見に行ってみよう!」)という事情が先にあったのであり、この怪奇じたいがそのために作られたか、どこかで語られていた話を結びつけたものなのではないだろうか。
憶測だが根拠はある。というのも、どうやらいわくつきのアイテムを飾るのは「イギリスのパブあるある」らしいのだ。
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イギリスのヨークシャー州サークスという小さな街にバスビー・ストゥーブというパブがあり、そこにはかつて「座った者は悲惨な死に方をする」という呪われた椅子があった(呪いの信憑性はともかくとして、椅子そのものは今でもバスビーの博物館に展示されている)。
この椅子にもいかにもな因縁話があり、それは一七〇二年にこの椅子を送られたトーマス・バスビーという贋金作りの悪党が、椅子を贈ってくれたダニエル・オーティーという仲間に酒びたりを咎められたさいに発作的に殺してしまい、やがて絞首刑になったのだが、それから二五〇年後に偶然椅子を手に入れたパブのオーナーが冗談半分で店に飾ったところ、度胸試しに座った者が次々と非業の死を遂げた、というものだ。
The Busby's Stoop Chair
ところがトーマス・バスビーという悪党自体は実在するものの、椅子は彼の処刑から少なくとも百年以上後のヴィクトリア朝様式のものであったり、椅子に座った人が次々死んだという事実そのものがなかったり、話の出所がでたらめを書くことで有名なタブロイド誌であったりと、まあ相当にいい加減なものであることが判明しているのだが、このあたりの種明かしをわかりやすく書いているASIOS『謎解き超常現象Ⅱ』のナカイサヤカ氏による注によると、
イギリス人は怪談好きな側面があり、幽霊の出るホテルやアパート、パブはむしろ人気がある。バスビーの怪談はイングラム氏の後のオーナーが客寄せのために考案した可能性が高い。
のだそうである。
……それだったら、ウィリシャムのパブに飾られていた「ブラッドストーンの指輪を嵌めた手」というのもそういうオーナーの趣向だったのではないか、ということである(付言すると、こうした指摘によっていわくつきの手が飾られていたパブそのものが実在した可能性は高まるわけだ)。
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そんなわけで、イギリスの怪談で「パブに飾られている」といったシチュエーションを目にしたら、まずはオーナーの話題作りなのではないか? と疑ったほうがよい。まあ疑った方がよいといっても、別に信じても差し支えはなさそうだが。
それにしても、教養文庫の「ワールド・グレーティスト・シリーズ」のような比較的古い本を読んでいると、今日の知見からすれば「これはこういうことなんじゃないか?」というツッコミ、もとい発見があったりして、なかなか面白いことだなと思いました。
- 作者:ASIOS
- 発売日: 2010/04/16
- メディア: 単行本(ソフトカバー)