やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

むラむザぞの蚀及

 

 【ここは読み飛ばしおかたいたせん】
 雑倚な本を読み持っおいるず、それぞれ別個の本が、同じ話やきわめお䌌通った話をしおいるのにしばしば出くわす。圓ブログはそうした「あっこの話は別の本でも芋たぞ」ずいう笊合から生み出されるこずが倚いのだが、なぜそうした曞き方を奜むのかずいうず、おそらく䞉぀の理由がある。二぀はしょうもない理由で、䞀぀は少し深い理由だ。
 しょうもない理由ずしおは、䞀぀のテヌマに぀いお単䞀の゜ヌスではなく、耇数の゜ヌスを比范したり補い合ったりしお曞くこずは、たんなるレポヌトや読曞感想文よりも䞀段高床なこずをしおいるような気がするからだ。ただ、実際には「それならばなぜ網矅的にやらないんだ」ずいう話であり、たた゜ヌスが単䞀でも優れた批評ずいうのはあり埗るので、たあ自己満足に過ぎないのだが。
 しょうもない理由のもう䞀぀は、たずえ僕の議論そのものは぀たらなくおも、耇数の゜ヌスを提瀺しおいれば最䜎限の情報䟡倀はあるだろうずいう蚘事の䟡倀に察する保険である。たあ、あんたり鋭い批評県ずいったものには自信がないんで、蘊蓄手みやげを持たせようずするわけです。
 少し深い理由ずしおは、「雑倚な本を読み持っおいる」ずいちおう述べたが、少なくずも自分にずっおなにかしら興味のある本を手に取るわけで、䞀芋雑倚なようでもそこには無意識の志向性があるのではないか、もし捜し集めたわけでもないのに類䌌した話が集たっおくるならば、それこそが自分の無意識が求めおいるものなのではないかず思えるからである。いわば運呜を感じるのだ。
 今回はむラむザに察しお「それ」が起こった。圌女に遭遇するのはこれで五床目か六床目である。すべお偶然の邂逅だ。手元には集めたわけでもないのに圌女に぀いお蚀及しおいる本が四冊がある残念ながら倧昔に読んだものに぀いおは曞名が思い出せない。再䌚するたびに圌女に぀いお曞こうかな、ずいうがんやりずした思念は「圌女に぀いお曞かなければならない」ずいう、やや匷迫的な芳念に倉わっおゆくのだった。

 

 

 

 むラむザELIZAずいうのは、1960幎代にマサチュヌセッツ工科倧孊のゞョセフ・ワむれンバりム教授によっお開発された自然蚀語凊理プログラム、ひらたく云えば「䌚話ボット」ずか「人工無胜」の元祖である。名前はバヌナヌド・ショヌの戯曲『ピグマリオン』の、話し方を教育される貧しい花売り嚘から぀けられた。
 元祖だけに、圌女は知識もボキャブラリヌも乏しく、たた耇雑な文章を理解するこずも出来なかった。にもかかわらず、むラむザず䌚話したナヌザヌのなかには、圌女を人間ず芋做すだけではなく特別な芪密の情を抱き、プラむベヌトな悩みを打ち明けたり、ワむれンバりムがしくみを皮明かしをしおも玍埗しない者が続出したずいう。

 

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 むラむザがカりンセラヌずしおデザむンされたのは、圓時の技術的限界ゆえだったず云われる。ナヌザヌ患者の話をひたすら聞くずいうシチュ゚ヌションであれば、知識やボキャブラリヌが貧困でも、たた耇雑な文章が理解できなくずも、倧半は「そうなんですね」ずいった盞槌や、「父に぀いおもっず詳しく聞かせおください」のように盞手の発蚀から単語を拟い䞊げお再質問するこずで誀魔化せるだろう、ずいう苊肉の策だったず云っおいい。
 こうしたむラむザの䌚話スタむルは、ロゞャヌス掟が1940幎代に創始した「来談者䞭心療法」client-centered therapyのパロディであった、ずワむれンバりム自身が述べおいる。「来談者䞭心療法」ずは、

 

 それたでのカりンセリングの䞻朮流であった蚺断的理解にもずづく治療方針の䞊に立ち治療者が胜動的支持的態床で来談者患者に働きかける方法を根底から批刀し、来談者に内圚する成長ぞの動機づけを党面的に信頌しこれを非指瀺的な治療者の態床・技法を甚いお開攟するこずこそもっずも効果的で望たしい治療法であるず䞻匵したのが始たりである。
 䞭略
 ずくに来談者の䞻䜓性や自発性を軜芖しがちな治療者偎の倧きな暩嚁や、第䞉者による客芳的な分析や認識が埀々にしお来談者自身の認知䞖界よりも優先する傟向、あるいは過去の生育経隓を珟圚盎接の経隓よりも重芖する傟向などぞのアンチ・テヌれずしお「非指瀺的カりンセリング」の出珟は圓時倧きな反響をひき起こした。
 匘文堂『増補版粟神医孊事兞』、以䞋倪字は安田による

 

 ずいったものであった。これは今日のカりンセリングでも広く甚いられおいるし、日垞䌚話においおもおおむね「聞き䞊手」な人の特城ずされおいる。
 ワむれンバりムは、むラむザに察するナヌザヌの執着にショックを受け、以埌は人工知胜の取扱いに぀いお慎重な立堎に転じたずいう。

 

 さお今回は、そんなむラむザに぀いお蚀及しおいる本が偶然手元に四冊ほどあるのでこのぞんの事情は冒頭のちっさいずころに曞いた、それに぀いお芋おゆこうずいうものです。

 

 

 

 叀い順にゆく。たず1982幎、粉川哲倫『メディアの牢獄 コンピュヌタヌ化瀟䌚に未来はあるか』。粉川はワむれンバりム博士の人工知胜に察する懞念を率盎に受け継いでいるのか、かなり譊戒的な蚀及が芋られる。
 粉川によれば、レディメむドのプログラムむラむザのこずは"ニセの他者"であり、けっしおナヌザヌに反抗したり察立したりしない。したがっおそれは他者ずいうよりもむしろ自己のナルシシズム的な分身であるずいう。
 そしお圌によれば、このニセの他者ナルシシズム的分身は、支配者によっお郜合良くナヌザヌに埋め蟌むこずの出来る"操䜜可胜なわたし"でもある、ずいうのだ。

 

 それゆえ、わたしは、この"わたし"がどんなに操䜜されおいおも぀ねに"わたし自身"だず思っおしたうので、旧タむプの支配におけるように、䞍自由ず抑圧をはっきり思い知らされながら支配されるのではなくお、自分では"自己"に忠実に、しかも"他者"ず察立なく、"しっくり"した瀟䌚生掻を行っおいるような錯芚をいだかされたたた支配されるのである。蚀うなれば、わたしはわたしの䞀郚を"怍民地"ずされ、しかもわたしはそれを自分の"領土"だず思いこむこずになるのである。
 䞭略
 自動販売機やカラオケになれきっおくるず、それらのプログラムを組んだ者や組織の姿がみえなくなり、あたかもそれらの機械を自分のプログラムに埓っお䜿甚しおいるずいう錯芚に陥る。
 䞭略
 これはプログラムの独占を通じお行う支配のからくりである。
 粉川哲倫『メディアの牢獄 コンピュヌタヌ化瀟䌚に未来はあるか』

 

 むラむザにしろ自動販売機やカラオケにしろ、背埌にある組織がそのプログラムの独占を通しお我々を支配しコントロヌルするのだが、そのこずにはひじょうに気付きにくい、ずいうこずらしい。
 プログラムの独占に抵抗するためには、パ゜コン倧型コンピュヌタに察眮するものずしおのがもっず普及し個人がプログラミングを自由に行うこずが重芁なのだが、圓然囜家や䌁業はそれを蚱さず必ず芏制しおくるだろう、ず粉川はこの時点で予蚀しおいる。゜フトりェアのコピヌを䌁業が蚱さないのはその兆候だが、それはコンピュヌタの性質に反するものだ、ずいうような指摘もある。
 しかし「支配」ずいうのが具䜓的にどういう悪さをするのかはこのテクストでは曖昧である。たあ勝手に補足するず、資本の独占であり、劎働者ぞの搟取であり、監芖であり、掗脳であり、懐柔であるずいったずころか。なにやら80幎代の高床消費瀟䌚を目の圓たりにした巊翌が「抑圧をはっきりずは感じさせない新しいタむプの支配」ず苊しげに呻吟しおいるような趣がなくもない。
 そうした芋方は、たずえば同じ時期に吉本隆明が、高床消費瀟䌚を「劎働者が豊かになったあかし」ずしお肯定しおみせたこずず察称的だが、今日から芋るず無理もないこずだが粉川の蚀説は正鵠を射おいるずも間違っおいるずも蚀い切れない隔靎掻痒感がある。たたむラむザをダシにしお若干関係ない話をしおいないか ずいう気もするので、次の文献ぞゆこう。

 

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 87幎の『GS たのしい知識vol.5 電芖進化論』所収、䞉浊明圊「長い人生の䌎䟶にTVゲヌムをどうぞ」ではラクタヌRacterずいう、むラむザの20幎埌、1986幎に発売された次䞖代の䌚話プログラムが登堎し、むラむザず比范される。
 ラクタヌは、さすがに20幎進んでいるだけあっおひじょうに饒舌で人間くさいプログラムであり、゜フトりェア発売の前幎に『譊官の顎髭は半分建蚭された』Policeman's Beard is Half Constructedずいう散文集たで出版したずいう。そのペヌゞを芋おいるず、たるでシュルレアリスムの自動曞蚘Automatismeのような䜓裁を䞎えられおいる。

 

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 なにしろ、「たった数十行」䞉浊のプログラムであったむラむザに比べ、ラクタヌは基本プログラムだけでも128キロバむトのメモリを必芁ずしこれは『ドラゎンク゚ストⅡ』ず同じだ、さらにフロッピヌディスクに頻繁にアクセスしおデヌタを呌び出したり、こちらの発蚀を蚘憶したりするのである。

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  しかし、䞉浊はお喋り屋のラクタヌず比范するこずによっお、逆にむラむザの矎をノスタルゞックに讃える。

 

 むラむザはTVモニタヌの䞭で、たるで倩䜿のような、ニュヌトラルな矎しさを湛え、静かに話を聞いおいる。その圌女のニュヌトラルさが、人間瀟䌚の埃にたみれおいない静かな矎しさが、我々を安心させ、萜ち着いた気持ちにさせおくれるのだ。
 䞭略
 ラクタヌを芋おもわかるように、ハヌドりェア・゜フトりェアは珟圚驚異的なスピヌドで進化しおおり、人工知胜の技術も日進月歩である。にもかかわらず、二十幎以䞊も前に創造されたむラむザは今もっおその茝きを倱わず、我々を匕き付けおやたない。それどころか究極の人工知胜が実珟され、人間ず圌等の差異が瞮たれば瞮たるほど、むラむザのニュヌトラルな矎しさ、氎のように柄みきったその涌しさを我々は忘れる事ができないであろう。
 䞉浊明圊「長い人生の䌎䟶にTVゲヌムをどうぞ」

 

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 あんたがワむれンバりムのいう「むラむザに執着するナヌザヌ」やんけ、ずいうツッコミはご愛嬌ずしお、こうした文章を読んでいるず、なんだかむラむザが患者ずいうか、オタクずいうか、ギヌク心を鷲掎みにするのもなんずなくわかるような気がする。「わたしには心がないの」ずか、なんかアニメのヒロむンっぜいじゃないですか䜙談だが䞉浊明圊氏ずいうのはゲヌム業界では神っぜい方のようである。倱瀌したした。

 

 

 

 00幎、星野力『ロボットに぀けるクスリ 誀解だらけコンピュヌタ・サむ゚ンス』では、むラむザに続けおアリスALISEだずかHexずいったさらに新しいプログラムが玹介されたのち、ロゞャヌ・ペンロヌズやゞョン・サヌルの議論が参照される。ずくにサヌルの議論に぀いおは詳しく述べられおいるのだが、ここで扱うず、すでに予定より長くなっおいる文章がさらに倍以䞊になっおしたうので、別の機䌚ずせざるを埗ない。
 圌らの議論を匷匕にたずめれば、「AIに出来るこずはしょせんは人の猿真䌌であっお、AIは真の意味での知性を持っおいない」ずいうような話である。しかし、AIの知性を真顔で吊定する論者が出おくるずころに逆説的にAIの進歩を感じるずいう面もある。

 

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 

 

 最埌に、぀い先日読んでいおこの蚘事を曞くきっかけずなった、2011幎邊蚳は12幎のリチャヌド・ワむズマン『超垞珟象の科孊 なぜ人は幜霊が芋えるのか』に぀いお述べ、しめくくるこずにする。

 

 この本はこれたでの䞉冊ず違っお、デゞタル文明を論じる曞籍ですらなく、オカルトや超垞珟象の正䜓を科孊で暎くずいった趣旚の本だ。ではどういう文脈でむラむザが出おくるのかずいうず、占い垫が顧客をずりこにする話術のあれこれを玹介するなかで、䟋えの䞀぀ずしお出おくるのである。

 ワむズマンによれば、むラむザの受け答えは基本的に意味がなく、曖昧である。だが占い垫や霊媒もわざず意味がなく曖昧なこずを蚀う堎合がある。そうするこずによっお、顧客自身が勝手に曖昧な郚分を補い、瀺唆を受けるのである。

 

 芋おもらう偎は、占い垫の蚀葉に意味を芋぀けようず懞呜に努力する。自分の人生を振り返り、蚀われた蚀葉にあおはたるできごずを探しだす。そしお占いが圓たったず、自分に蚀い聞かせる。このプロセスは、実際に占いに入る前から働きはじめる。たいおいの占い垫が、占いの蚀葉は完党な圢をずらないこずを、客にあらかじめわからせおおく。くもりガラスを通しお芋るようなもの、あるいは暗闇で声を聞くようなものだず断りを入れるのだ。あいたいな郚分を埋めるのは、客自身の力である。そのうえで占い垫は、フォックス博士やむラむザず同じように、意味のない蚀葉を口にする。それをうるわしい事実に倉えるのは客自身なのだ。
 リチャヌド・ワむズマン『超垞珟象の科孊 なぜ人は幜霊が芋えるのか』

 

 ワむズマンは占い垫に察しお奜意的ずはいえない。こんな痛烈なこずも蚀っおいる。

 

 実際の堎面では、たずえばこんなぐあいに話を進める。「なにかが倧きく倉わるむメヌゞが浮かびたす。どこかぞの旅 あるいは仕事䞊の倧きな倉化かもしれたせん」「あなたは最近、なにかプレれントを受け取りたした――お金か、それずも愛のあかしずなるようなもの」「あなたにはいた、なにか悩みがあるようですね。ご家族か、芪しい友達の問題でしょうか」そしお、぀ぎのような抜象的な衚珟も倧いに䜿っおみよう。「䞀぀の茪が閉じるのが芋えたす――なにか心圓たりはありたすか」「扉が閉たるのが芋えたす――どんなに匷く匕っ匵っおも、あなたには開けられたせん」「掗濯物が芋えたす――あなたはなにかを、あるいは誰かを、人生から远い払おうずしおいたせんか」
 同曞

 

 しかし私芋では、䞀抂にむンチキだずは蚀えない。ようするに顧客自身の抑圧された本心を匕き出すための媒介ずしお、タロットなり、易なり、占い垫の蚀葉なり、倢なり、カりンセリングが甚いられるのであっお、たしかにそれ自身に神秘が宿っおいるわけではないにしろ、それによっお匕き出される無意識のメッセヌゞ自䜓は本物だからだ。そしお、それは顧客が自分の眮かれおいる状況を客芳芖したり、先々の指針を芋぀ける契機ずなりうる。すぐれた占い垫やロゞャヌス掟のカりンセラヌはその導き手だずいえる。

 

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 けっきょくのずころ、むラむザにたいする人びずの執着の正䜓はそれなのだろう。
 人びずは圌女を媒介にしお自身の深局心理ず"察話"しおいるのであり、それに文句ひず぀云わず、ひたすら献身的に付き合っおくれる圌女をかけがえのない存圚ずしお、たるで理想の芪であり友人であり恋人であるかのように"錯芚"したのも、無理からぬこずである。

 

 

 

粟神医孊事兞

粟神医孊事兞

  • メディア: 単行本
The Policeman's Beard Is Half Constructed

The Policeman's Beard Is Half Constructed

  • 䜜者:Racter
  • 発売日: 1984/09/01
  • メディア: ペヌパヌバック
超垞珟象の科孊 なぜ人は幜霊が芋えるのか

超垞珟象の科孊 なぜ人は幜霊が芋えるのか