人生を諦めたくなるとき
1684年フランス。政治改革を夢みる若者ジャン・バプティスト・ムーロンは、17歳の時、扇動罪により百年と一日のガレー船送りの刑を受けた。
彼は鎖につながれ、くる日もくる日も船底で櫂をこぎつづけた。
やがて年をとり、ルイ十五世によって恩赦をうけたが、すべては遅すぎた。彼はすっかり絶望を愛する人物になってしまい、自由の身になったあとも、けっしてガレー船の持ち場を離れようとはしなかった。
彼は生涯のあいだ櫂をこぎ続け、そして死んだ。
これは、R・L・リプレーの有名な『Believe it or Not!』(信じようと信じまいと)に収録されているエピソードだが、僕はあわれなジャンの気持ちが、三割くらいはわかる気がする。
単純に云えば、彼は捨て鉢になってしまったのだろう。
そりゃあね。17歳から年老いるまでずっとガレー船を漕いでいて、いまさら自由になったところで、自分の人生は圧倒的に取り返しがつかないのだ。なんと苦々しい人生だろう! 不意に与えられた余生でさえ苦々しさを増すものでしかないと思えたとしても、まったく無理はない。だったら、完膚なきまでに自分の人生を破壊してしまったほうが、こんな運命を与えた神に中指突き立てるくらいのジェスチャーにはなる。
……というように想像するのだが、実際のところ彼のような目に遭ったことはないので、しょせんは想像でしかない。
しかし似た言葉ならば、我々がよく知っているあの日本人女性も云っていた。
「一番楽しみたい20代を刑務所で過ごさないといけない。なんかもう気がぬけて人生おわったと思っています。本当人生おわりです」
そう、平成19年に放火罪で懲役10年の実刑となった、くまぇりこと平田恵里香容疑者(当時21歳)である。
そのあと、『創』で何度か彼女の手記や絵日記を見かけ、幸いにして彼女の場合は生きる気力を取り戻したようだが、まあこのへんは性格にもよるし、刑の長さにもよるのだろう。くまぇりは立ち直ったが、ジャン青年の場合は精神的なリカバリーがとうとう効かなかった。
昨年あたりにネットでミームとなった「青春未経験おじさん」(青おじ)という言葉があるが、青春を未経験で過ごしたことが、中年以降になっても尾を引くとしたらつらいことだ。
そのまま引きずっていると、下手すると朱夏未経験おじさんになり、白秋未経験おじさんになり、玄冬未経験おじさん(もはやおじさんと呼べるのか?)になり……ようするに人生まるごと未経験おじさん(人おじ)になってしまいかねない。
引きずる気持ちも、結構なんというかわかるんだけど、やっぱりそれは悲しい。
若い頃になんのかんので盛ることが出来なくても、なんとか気を取り直して、中年からでも、いや何歳からでもひと盛りしてほしい。
「明日、死ぬとしても、やり直しちゃいけないって誰が決めたんですか?」
リカバリーしてゆこうよ。「そんな簡単に言うな」って言われるかも知れないけれど(´・ω・`)