やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

王は裁かれうるか


 エドワード・ウィルフレッド・フォードハムの『反対尋問 イギリスの裁判20例』という本をぱらぱら眺めていたところ、清教徒革命の帰結であるところのチャールズ一世の裁判について載っていた。
 この本はタイトル通り、歴史に残る有名な"反対尋問"についてのものだ。ここでは被告であるチャールズ一世が裁判の正当性そのものを頑なに否定する、その一連の主張を"反対尋問"と呼んでいる。
 反逆罪と政治的失効罪(Treason and High Misdemeancurs)で訴えられた王の言い分は次のようなものだ。

 

 「私は、合法的ないかなる権威によって召喚されたのかを知りたいのだ。世の中には、公道における強・窃盗のような不法な権威は多い。しかし、私はいかなる権威によってワイト島からここに連れてこられ、あちこちと連れまわされるのかを知りたい」

 

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 チャールズ一世の裁判風景

 

 裁判長のジョン・ブラットショーはこれに対し、「たとえ貴下が裁判所の権威を認めなくても、訴訟手続を進行するほかはありません」と答えた。
 さらに王はいう。「私は、ここに来ている偽の裁判官の誰よりも、わが国民の自由のためにがんばっているのである。それ故、私がいかなる合法的権威によってここに着席させられたかを教えてほしい」
 驚くべきことに、チャールズ一世の裁判全体が延々とこうしたやりとりを繰り返すのに終始したのだった。裁判長は起訴状に対する答弁をくり返し求めたが、王は拒み続けた。

 

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 悪魔と結託するブラットショー裁判長。悪魔をはさんでクロムウェルも同席している。

 

 一六四九年一月二十三日の第三回公判――けっきょくこれが最終公判になるのだが――において、これ以上の遅延はまかりならない、ということで強引に判決が下されることになった。それに対しても王は、

 

 裁判長、正直に言うが、もし貴下が貴下の権力の合法性を示すために骨を折ろうとしていたならば、それは王国の平和にとってよかったろうと私は考えている。なぜなら、私が希望するこの遅延は、たしかに遅延であることは認めるが、しかしそれは、王国の平和にとっては、非常に重要な遅延なのである。
 
 と述べている。
 裁判長は判決文を読むように命じた。かくしてチャールズ一世ことチャールズ・スチュアートは「暴君、反逆罪、謀殺者、公共の敵」として斬首刑となった。

  執行されたのはその一週間後であった。

 

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 チャールズ一世の処刑

 

 *

 

 ところが、これとはまったく逆の議論も存在する。つまり国王の処刑において裁く側が「裁判など必要ない」と主張した例だ。
 それはフランス革命時、ルイ十六世ことルイ=カペーの処遇をめぐって交わされた一連の議論のなかにある。
 ルイの処遇について、ジロンド派は外交への影響から処刑に反対していたが、山岳派の青年サン=ジュストの有名な「共和国においては国王というその存在自体が罪である」という演説によって、ジロンド派は意気消沈し、ルイの処刑が強力に方向づけられた。

 ちなみに、これは期せずしてチャールズ一世の問いかけへのアンサーにもなっている。つまりサン=ジュストによれば、裁判所に王を裁く権威がないのではなく、もともと人民のものだった権威をさきに王が簒奪したのである。

 

 だがロベスピエールは、サン=ジュストよりさらに過激な主張をしている。彼によれば、ルイに対しては裁判すらすべきではなく、ただちに処刑すべきだというのである。

 ロベスピエールは云う。

 

 ルイはその犯罪によって王座から引きずり降ろされた。ルイはフランス国民を反逆者だと言って非難した。フランス国民を罰するために、ルイは仲間の圧制者たちの武器を求めた。革命の勝利と国民によって、ルイは反逆者であると決定された。それゆえ、ルイが裁かれることはありえない。ルイがすでに有罪を宣告されているか、あるいは共和国が無罪を宣告されていないかのどちらかである。
 ルイを裁判にかけようとすることは、それがどんなやり方でなされようとも、王と憲法による専制政治への退行である。それは反革命的発想である。というのも、それは革命自体の是非を問うことを意味するからだ。
 (スラヴォイ・ジジェク『大義を忘れるな』より、Maximilien Robespierre,Virtue and Terror,London:Verso 2007の一節)

 

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 ルイ十六世の処刑

 

 結局のところルイは国民公会にて証言後、四度にわたる採決によって処刑が確定した。

 さて読者諸兄は、あくまで王を裁こうとした英国の法廷と、裁判などすべきではないとしたロベスピエールの、どちらの論理により納得するであろうか。

 まあそんなことは処刑される王にしてみれば同じことかも知れないが、ここには、王から市民へと権力が移るさいの、行政としての"権威"だとか"権利"とは別の、互いの存亡を賭けた暴力としての権力とでも呼ぶべきもののすがたを垣間見ることが出来る。
 ロベスピエールを政治的に支持するかどうかはまた別の話として、そうした権力の本質という意味では、英国の法廷よりも彼の演説にこそ瞠目すべき鋭さがある、と個人的には思える。