やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

ファントムを待つ 空想虚言の一ケース


 小田晋『精神鑑定ケースブック』のなかに、他のインパクトのある事例に混ざって、ほんの数行だけ素っ気なく触れられている事例がある。
 一見他愛ない話なのでさっさと書いてしまうが、小田が精神鑑定をしたその被告人は、詐欺の再犯であった。彼は水道工事請負業だったが、資金繰りが苦しくなると債権者には「何月何日には入金するから」と告げ、

 

 そのうちに金を持ってくるはずの架空の注文主を喫茶店や銀行のロビーで待ちわびて一日を潰すようになった。
 (小田晋『精神鑑定ケースブック』)

 

 というのである。
 精神鑑定のさいにはその妄想? は治まっていたようで、「なぜあんな気になったものかわからない」と述べたという。

 

 小田はこの詐欺犯の話を、四人の犠牲者を出した(起訴されなかった分も含めるともっと殺している可能性がある)、悪名高い「埼玉愛犬家連続殺人事件」(1993)との比較で持ち出している。もちろん、ことの凶悪性は比べ物にならないわけだが、両者のあいだにはどんな共通点があるのか。
 小田は、愛犬家連続殺人事件のようなタイプの犯罪について、「自らこしらえ上げた虚構が破綻しそうになって、現実の方を破壊してしまうものである」とし、「これらの事件の場合、犯人の人間像として、空想者と欺瞞者のあいだには移行がある」と述べている。しかし、なかには「冷静に被害者を欺瞞するつもりで出発したものが、いつの間にかその虚構を信じ込んでしまうこともある」と小田はいう。そうして、その例として詐欺犯の話を持ち出したのである。

 

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 *

 

 こうしたケースは、精神医学では空想虚言[英phantastic pseudology,独Pseudologia phatastica]と呼ばれるものであろう。空想虚言について、その筋の事典では

 

 空想し物語るうちに、自分の虚言を自分で真実と思い込んでしまったり、虚言であるという認識と現実であるという信念の二重意識に陥るのが特徴で、結果として自分も他人をも欺くことになる。空想された架空の立場、役割に心の底からなりきって行動するので、社会的経験の豊かな賢明な人も欺かれることが稀ではなく、犯罪学的には高級詐欺師・欺瞞者などの類型にみることが多い。
 (弘文堂『増補版精神医学事典』)

 

 としており、「主として願望にもとづいて空想を発展させる」ところが、記憶の欠損を埋めるための作話とは区別される点だとしている。また、同項目によれば「菅又淳は空想虚言者に空想人(Fantast)と欺瞞者(Sehwindler)の中間の位置を与えている」とのことで、小田晋の記述はこれを踏まえたものであろうし、「空想虚言は現実との矛盾に直面すると比較的容易に修飾・改変・消失する点で妄想と区別される」ともある。なるほど妄想とは違うらしい。
 たしかに、上のケースでも一時的な状態であったようで、精神鑑定のさいには「なぜあんな気になったものかわからない」と述べていた。

 

 空想と嘘には近いものがある、というのは我々も実感するところであろう。嘘のうまい人間というのは往々にして、頭のなかに自分が考えたイメージを鮮烈かつ具体的に思い浮かべることができる。だからこそ他人にそのイメージを伝染させうるのであるし、語りつつ半ば信じ込みもするのだろう。

 

 しかし「半ば」では留まらずに、殆どあるいは完全に自分の嘘を信じてしまう場合もあって、それが例えば「架空の注文者を待つ男」になるのだろう。ただわれわれが俎上に挙げているケースでは、「高級詐欺者」というよりは、どちらかというといかにもタコ社長的な粗い格好をしてじっと座っている、ちょっと猫背だったり無精髭があったりシャツが汚れていたりする、疲れた顔の、つまりはうだつのあがらない中年男性っぽい感じがするのだが。

 

 *

 

 精神医学的にはそういうふうに定義・分類される、というのはまあわかった。
 しかし、どうしてわざわざこのケースについて一文をしたためようと思ったかというと、やはり「ひたすら架空の注文主を待つ男」というイメージの薄気味悪さが琴線に触れたためである。

 

 しかし、不気味なのは果たしてこの小物の詐欺犯なのだろうか。それとも「架空の注文主」のほうだろうか?
 どうも、後者のようにも思える。
 「架空の注文主」は男の空想上の存在にすぎないのだが、我々はあらかじめタネのわかっている手品を見ているようなものだからともかくとして、男が実際にその状態にある時、また騙され、一緒に信じさせられた者にとって「架空の注文主」はその時、少なくとも想定の上では存在していたのだ。

 

 思いつきだが、この気味の悪さはゴーストとファントムの違いでいうところのファントムに由来するのではなかろうか。
 霊なら霊なりに実在している(?)ゴーストと違って、ファントムは、霊の意味でも使われることがあるくせに、想像妊娠(a phantom pregnancy)だとか幻想振動症候群(phantom vibration syndrome)のような錯覚、幻覚にも使われるという、曖昧でいかがわしいところのある単語だ。
 ゴーストというと「幽霊の正体見たり幽霊だな」とでもいおうか、ある意味において正体がわかっているゆえに、怖いことは怖いがその怖さにはリミッターがあるが、ファントムは怪異のようでもあり、脳のエラーのようでもあり、また何者かの陰謀であったり、未知の自然現象という可能性もあったり、分類不可能で曖昧模糊としており、潜在的には不気味さが青天井であるように思える。

 

 ちょっとこのあたりで語彙の限界が来ているのだが、僕がこの話に引っ掛かっているニュアンスがそこそこ伝われば幸いである。
 それにしても、架空の注文者はやはり来なかったのだろうか。まあ来なかったんだろうなあ。僕もためしに待ってみようか。架空のセフレとか。

 

 【追記】

 後日、ふと春日武彦の『家屋と妄想の精神病理』(旧題『屋根裏に誰かいるんですよ。』)を読み返していて意外なことに気付いた。

 春日武彦が本書の冒頭で挙げている、まさにタイトル通りの「屋根裏から男が侵入してくる」という妄想を持つ老女Rについて、僕はてっきり統合失調症であるに違いないと思い込んで記憶していたのだが、春日武彦は彼女を統合失調症とは診断していなかったのである。なぜなら、「屋根裏から男が侵入してくる」という妄想以外の部分において、会話といい生活能力といい、彼女があまりにも正常だったからだ。

 春日は当初、彼女は診断的には老年期妄想状態ないしは遅発性パラフレニーに該当する、という意見書を書いたが、のちにエドワード・E・ローワンが1984年に発表した論文に出てくる「幻の同居人」(phantom borders)という類型の妄想ではなかったか、と述懐している。

 

 そう、ここでファントムという言葉が出てくるのである。

 本稿で取り上げた「架空の注文者」というのも、じつは当初、「ファントム・クライアント」とか「ファントム・オーダラー」みたいなネーミングを勝手に考えていたのだが、さすがに専門家でもないし英語の細かなニュアンスにも自信がないので控えておいたのだった。

 なんにせよ、実在しない人をいると思い込んでしまう、という妄想に対して「ファントム」という言葉を使って考える、ついでに「ファントムなんちゃら」というネーミングを想定するというのは、案外的を射ていたのではないか、と思った次第である。

 

 

 

『増補版精神医学事典』のリンクは見当たらなかったが、出版社、編者からして実質的に同じもの、あるいはその後継版と思われるのがこちら。