やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

『D&D』は悪魔崇拝? アメリカ社会の「サタニスト恐怖」について

 

 

 

 高校生の頃、『D&D』(ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ)はアメリカでは悪魔崇拝的なゲームではないかと疑いの目で見られていると聞いて、何故そんなことになるのかまったくわからなかった。当時の僕にはアメリカ社会のことなど知るよしもなかった。
 「RPGの父」とも称されるゲイリー・ガイギャックスは、TRPG指南の書である『Role-Playing Mastery』(邦題『ロールプレイングゲームの達人』)のなかで、『D&D』に対する宗教的批判に答えるための文章を記しているが、これは邦訳では割愛されている。その割愛の理由について、訳者の多摩豊があとがきで述べているのが、僕がそのことを知るきっかけとなった。

 

 さて、原書には本書で訳した以外にもう一つ付録記事がついていました。これは、ロールプレイング・ゲームに対する宗教的批判にどうやって対応するかに関して書かれたものだったのですが、日本の状況とあまりにもちがいすぎていて、読者のみなさんを混乱させるだけなので省略しました。内容としては、キリスト教信者などから受ける"ロールプレイング・ゲームは悪魔のゲームである"という批判にどう答えるかといったことです。おそらく、日本でこういった批判が出ることだけは絶対にないでしょうから、ロールプレイング・ゲームのプレイヤーのみなさんはこれだけは安心していいかもしれません。
 (『ロールプレイングゲームの達人』、太字は安田による)

 

 そして時は流れ、最近になって知ったのだがアメリカでは80年代から90年代にかけて、「サタニスト恐怖」という一種の社会的ヒステリーが起きていたのである。
 それはざっくり言えば、社会のそこかしこに悪魔崇拝者たちが潜んでいて、児童虐待などのさまざまな悪事に手を染めているといったものであった。
 『D&D』をはじめとするTRPGは、まるで悪魔崇拝者の集会のようにいかがわしいものと親には映ったのだろう。なにしろ友達を連れ込んで、部屋には決して入ってくるなと言いながら何かに熱中している。耳をそばだてれば呪文だの怪物だの、殺しただの殺されただのといった会話が聞こえてくるのだ。どうしよう、息子が悪魔崇拝者になってしまった!

 

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 本場アメリカのTRPGプレイ風景。映画『MAZES AND MONSTERS』より

 

 じっさい、 Joan Robieの『The Truth About Dungeons and Dragons』のように、『D&D』は悪魔崇拝を助長する反社会的ゲームであると批難する本――といっても70頁程度のパンフレットのようなものだが――もあり、ガイギャックスはそうした社会からの白眼視に対して、TRPGはけっして悪魔崇拝でもなければ子供の教育や人格形成に有害なものでもありません、と弁明しなければならなかったのである。

 

 *

 

 では「サタニスト恐怖」とはどのようなものであったのか。
 アメリカではベトナム戦争後の70年代に、多くの悪魔教会やオカルトサークルが創立された。その熱気は日本にも伝わっており、たとえば手元にある当時の雑誌によれば、

 

 最近の調査では、アメリカ全土で300をこえる悪魔教会や魔女集団の存在が明らかになっており、ニューヨークの黒魔術クラブ『ウィッチ』や黒ミサ集団『コペンズ』の会員は、6万人にも達しているのだ。その他、ボストンには13の魔女集団があり、デトロイトやニューオリンズにも30以上の魔女集団が発足。フィラデルフィアでは大小150以上のオカルト集団が次々と生まれている。
 (『トワイラトゾーン別冊 魔女の秘宝』所収、佐藤有文他「呪われた悪魔と恐怖の魔女事件」)

 

 という。多少盛っているかも知れないが、とにかくまことに活況を呈していた。
 だがこうした、言ってみればヒッピー的、カウンターカルチャー的な文化運動?だったものが、80年代に入ると徐々に雲行きが変わってくる。
 というのは――正直なところ、どの程度地続きでどの程度断絶しているのかわからないが――80年代から90年代にかけての「サタニスト恐怖」における悪魔崇拝者は、実在する運動というよりも、一般市民の恐怖のイマジネーションのなかに基盤を置いていたからである。

 

 悪魔崇拝者たちが町中に潜み、幼児を誘拐し、儀礼と称して集団で性的虐待している――こうした噂が流行した背景は複雑だ。
 一つには「バイブル・ベルト」と呼ばれるアメリカ中西部から南東部の諸州の強力な宗教保守勢力が噂の発生源になっている、とカプフェレは指摘している(ただしカプフェレの『うわさ』は刊行が87年とやや時期が早く、たとえば「プロクター&ギャンブル社は悪魔崇拝の企業である」といったデマの事例を挙げているものの、児童の性的虐待という話はまだ出てこない)。

 

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 確かに宗教保守勢力は有力な発生源だったに違いない。けれど、そのような噂がなぜこの時期に発生し、バイブル・ベルトを越えてアメリカ全土に蔓延したかについては、別のファクターも考えなければならない。
 カプフェレはそうした社会的背景について、次のように述べている。

 

 きわめて宗教的な諸州におけるこうしたうわさの出現は、けっして偶然ではない。ヴェトナム戦争の敗北の後、アメリカ合衆国は、世界の中での、深刻な政治地理学的激変を経験している。彼らの観点からすれば、数十年にわたる秩序の後の無秩序がいたるところに見られる、ということになる。内面の次元ではテクノロジーのもっとも進んだ国が、精神主義のよみがえりを見たのである。ヒンドゥー教的哲学の流行の後で、若者達は、さまざまな新しい宗教宗派に帰依する。
 (J.-N.カプフェレ『うわさ もっとも古いメディア』)

 

 それはそうなのだろうが、いまひとつ具体性に欠ける話のように感じる。というのも、「激動の時代」というのはどの時代を切り取っても言おうと思えば言えてしまうからだ。「最近の若者がわからない」的な話にしても、いつだって言われることである。

 

 そこで第三の背景なのだが、サタニスト恐怖には回復記憶運動という当時勢いのあった精神医学の潮流が影響を与えていた、という指摘がある。
 この運動の代表例はジュディス・ハーマン『Trauma and Recovery』(邦題『心的回復と外傷』)だが、ハーマンや運動自体はトンデモではない(と思う)にしても、この潮流に参加した者のなかにはサタニスト恐怖を助長する書き手もいたらしい。吉永進一によれば、

 

 発火点となったのは、一九八〇年に精神分析医Lawrence Pazderが執筆したMichaell Rememebersというノンフィクションである。憂鬱に悩んだ女性患者Michelle Smithが彼の治療を受け、幼児期に人格転換し、サタニストたちによって被ったさまざまな虐待を思い出すという内容である。
 (『現代思想 特集:「陰謀論」の時代』所収、吉永進一「陰謀論と円盤をめぐる、二、三の事柄」)

 

 というのだ。またダミアン・トンプソンによればヴァレリー・シネイソンという書き手も記憶回復運動とサタニスト恐怖を結びつけた人であり、その『Attachment,Trauma and Multiplicity』の主張するところによれば、

 

 悪魔崇拝儀式における児童虐待という「平時のアウシュヴィッツ」(シネイソンの表現)を信じない人びとの存在も認めない。悪魔崇拝者が幼児殺しや人肉嗜食を行なっているという「臨床証拠」があるというのである。だが、よく調べてみると、その証拠とは彼女の患者の「記憶」にすぎないと判明した。
 (ダミアン・トンプソン『すすんでダマされる人たち』)

 

 とのことである。
 つまり強引にまとめると、サタニスト恐怖は宗教保守勢力を主な発生源とし、ベトナム戦争後のアメリカの政治地理的な激変や若者の精神主義への傾倒にともなう不安や社会的緊張、さらには記憶回復運動の影響が相俟って爆発的に蔓延した、ということになる。
 なおダミアン・トンプソンによれば、フェミニストやソーシャルワーカー、ポストモダン思想、ポリティカル・コレクトネスもこの蔓延に一役買ったという。トンプソンによれば、サタニスト恐怖については右も左も庶民もインテリもみな共犯なのである。吉永進一も同様の例を挙げ、「陰謀論クラスターを、政治的立場や、支持者の学歴や年収などで囲い込むことは難しい」と述べている。

 

 *

 

 かくして、郊外住宅地などでサタニストが生け贄を求めてさまよっている、あの幼稚園の経営者はサタニストである、といったさまざまな噂が広まり、各地でモラル・パニックが起きた。
 そうした(架空の)犯罪は悪魔的儀式虐待(Satanic Ritual Abuse)と呼ばれ、多くの告発があり裁判が行なわれた。とくに「マクマーティン保育園裁判」(1984~90)は、米国最悪の幼児虐待事件が一転して米国最悪の冤罪事件となったことで知られている。

 

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 この訴訟の原告側の中心人物であった母親は、妄想型の統合失調症とアルコール依存症を煩っており、その証言能力には重大な疑いがあったが、弁護士には当初そのことが知らされていなかった。そして彼女は裁判結果を待たずして、1986年に急性アルコール中毒で他界する。
 また、マクマーティン保育園裁判で性的虐待されたとする子供たちの証言には、「魔女が飛ぶのを見た」「熱気球で旅行した」「秘密の地下トンネルを通った」「ペニスの中にペニスを入れられた」といった現実離れしたものが散見され、そうした証言はすべて事実無根として退けられた。
 こうして、マクマーティン保育園裁判その他の悪魔的儀式虐待に関する訴訟は、90年代にはことごとく却下され、また一連の騒動を扱った研究やルポルタージュが出版されたことによって、人々のあいだに事実認識と反省がひろがり、サタニスト恐怖は一応は終息した。
 ただし、まったくこの世から消えてなくなったというわけではなく、例えばQアノンの言説のなかにその名残が見られるという指摘もある。ヒラリーや民主党勢力が国際的な児童売買組織に繋がっているという例のアレである。おそらく、こうした噂は何度でも蘇ってくるのだろう。気の滅入る話だが。

 

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 *

 

 さてサタニスト恐怖についてざっと眺めたことによって、かつて『D&D』がなぜキリスト教や親から白眼視されていたのか、おおかた呑み込めたのではないかと思う。
 それにしても、多摩豊は「日本の状況とあまりにちがいすぎていて」「日本でこういった批判が出ることだけは絶対にない」と書いていたが、サタニスト恐怖についてはそうだとしても、2021年の現状を見渡すに、日本人もおちおち安心してはいられない話ではある。
 先の米大統領選時の、ネットを介して日本人をも巻き込んだ混乱に加えて、コロナおよびワクチン関連のさまざまな噂も大流行中である。あらためて指摘するまでもないが、噂、デマ、陰謀論はいままさに、何度目かのこの世の春を謳歌していると言えるのではないだろうか。

 

 

 

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