やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

クリスマス前、昔の話を少しだけ

 

 小学生の頃、うちは貧乏だった。
 服は親戚からのお貰い、晩御飯はしばしばただイモを練って焼いたものだとか具のないうどん、家は「蹴ったら倒れそうな家」とからかわれるような家。
 当時、ビックリマンシールが流行っていて、友達はみんなシールのコレクションを見せ合ったり、なかには専用バインダーを持ってる金持ちの息子もいたが、その頃の僕には定まった小遣いがなく、近所の子らと遊んでいても誰かが「よし駄菓子屋へ行こう」と言いだすと、家に帰って一人でチラシの裏に絵を描いたり(わが家は赤旗しかとっておらず、隣りに住んでる祖母がチラシを溜めてくれていた)、妹たちと遊んだ。

 

 ある日、友達の家でビックリマンシールの交換会をするというので、僕も見るだけ見せてもらおうと友達の家に向かったところ、ふと側溝の乾いたところに何かが落ちていることに気付いた。

 驚いたことにそれは数十枚のビックリマンシールだった。

 

f:id:visco110:20211220150505j:plain

※画像はイメージです。


 「なんでこんなところに?」という疑問は十歳に満たない子供の頭には浮かばなかった。まるで天から降ってきたようなそのシールを僕は拾った。少し使用感があるが、間違いなくロッテのビックリマンシールだった。
 やがて友達の家につき、みんながシールを取り出した。専用バインダーの子もいた。そこで、
 「今日は僕もシール持ってきたよ」
 と言った。
 え? 安田が?
 と、周囲の目がこちらに注がれたので僕はポケットからさきほど拾ったシールを取り出してみせた。
 数秒後、その中の一人が言った。
 「それは俺が捨てたシールだよ!」
 プックスクス……みたいな乾いた笑いが周囲から漏れた。
 あとは何事もなかったように、友達たちはシールを見せ合い、互いに持っていないシールとダブったシールを交換したりしていた。僕も少し後ろからそれを眺めていたが、もはやシールのことは目に入らず、ただただ恥ずかしくて情けなかった。
 まあ子供時代は基本そんな話ばかりなので、ゆうて慣れ切っていた面もあるのだが、大半のことを忘れてしまった今でも、その日のことはたまに鮮明に思い出すんですね、これが。

 

 *

 

 僕は全然ものわかりのいい子供ではなかったので、欲しいものがある時はひたすら母親にねだり倒した。買って買って買ってねえ買って買って買って買ってってば! 買って買ってじゃあどうしたら買ってくれるの! 買って買って買って買って買って(書きながら思い出して恥ずかしい…)
 だからといってそれでおもちゃなり何なりを買ってもらえるわけではなかったが、とにかくねだり倒す以外に出来ることがなかった。スマホどころかネットもなく電話も固定電話しかない時代、小学生起業家になるわけにもいかない。
 ファミコンをねだるときは「ファミコン…買ってください…」と、安西先生バスケがしたいですみたいな感じで懇願した。悲しくて泣くということはあるが買って欲しすぎて泣いたというのは前にも後にもこの時しかない。この時ばかりは何故か買ってもらえたのだが、親がまとまったものを買ってくれたのは、クリスマスでのちょっとしたおもちゃを別とすると、子供時代では唯一その時だけだった。

 

f:id:visco110:20211220150722j:plain

 

 しかしある程度大人になってわかったのだが、親の切り詰め方にはそれなりの理由があった。
 父は民商の職員で、給料は低めだがいちおうきちんと出ていた。母も家事のかたわら時々パートしていた。
 ようするに祖父が連帯保証人に夜逃げされて出来た7000万の借金の返済と、子供が進学した場合の学費、それから「蹴ったら倒れそうな家」を娘が友達を連れてくる年齢になるまでに立て替えるといった目的があって、その返済&貯金に充てるために極限まで出費を切り詰めていたのだ。 

 

 母親だって子供におもちゃだの菓子だのを買ってやりたいのはやまやまだっただろう。しかし借金を子供の代に残さない、学費をきっちり出してやる、家を建て替える、これ考えてみると全部子供のためなんですね。
 そしてその目的はすべて適った。借金は完済し、実家は娘が中学生になる前に新築したし、僕らは全員大学を出た(なお大学は出たほうがいいという話ではありませんのであしからず)。そんでもっていまは自分で働いて、まあ僕はあんま出世してはいないのだがとりま健康に、それなりに楽しく暮らしている。
 それにしても僕の「買って買って攻勢」はさぞかしつらかっただろうなと思うと、十歳かそこらの時分とはいえ面目ない気持ちでいっぱいになる。ビックリマンチョコを買えなくても別によかった。なんならファミコンも我慢してもよかった(今にして思えばね)。それに食事は質素なりに栄養バランスをちゃんと考えていた。なのに野菜だけ残すというマジクソガキでしたww
 ほんと色々すまんかった。

 

 *

 

 松本人志作詞/槇原敬之作曲の「チキンライス」という歌がある。

 

www.youtube.com

 

 子供の頃たまに家族で外食

 

 いつも頼んでいたのはチキンライス

 

 豪華なものを頼めば二度とつれてきては

 

 もらえないような気がして

 

 親に気を遣っていたあんな気持ち

 

 今の子供に理解できるかな?

 

 すいません、小学生の僕には理解できませんでした!!!\(^o^)/
 ダウンタウンがとりたてて好きなわけではないのだが、そんなふうに気を回せる子供だったのはうらやましい。そしてあれだけ有名になってお金を稼いで「今ならなんだって注文できる」のに、「でかいケーキ持ってこい、でもまあ全部食べきれるサイズのな」「これが七面鳥か、思ってたよりでかいな、やっぱり俺はチキンライスがいいや」と、いい感じに身の丈を忘れない歌詞は素晴らしいと思う。

 

 *

 

 母が亡くなってから父は「クリスマスや正月は好きじゃない」と言っている。そりゃ街が浮かれてると寂しさが際立つもんな。

 それはそれ、これはこれ。僕はクリスマスも正月もハロウィンも嫌いじゃない。積極的に参加するほどではないが、街頭やテレビやネットを通じて、みんなが浮かれてる雰囲気を感じるだけでも楽しい。

 今年のクリスマスは、両親に感謝を捧げながら一杯やりたい。