新聞は必要か?
僕はここ何年も、新聞を取ったりやめたりを繰り返している。
取るときはずっと購読するつもりで取るのだが、しばらくたつとあまり読まなくなり配達所に取りやめの電話をかける。でもまたちょっとすると再開する。毎度のことで気恥ずかしいので、電話の態度は丁寧を通り過ぎて卑屈な感じになっている。ときどき理由を聞かれると「仕事が忙しい時期はどうしても読めないもので……また再開したいと思ってるんですが」みたいなことを言うが大ウソである。新聞が読めないほど忙しかったためしなどない。すべては僕の勝手なモチベーションに左右されており、ある意味僕も被害者だと言えよう。先方は伝達とか購読料の計算とかだいぶ面倒くさいことになってると思います本当にすいません。
※
そもそも新聞は必要なのだろうか。この考えが二転三転して定まらない。これを書いている時点では昼に何度目かわからぬ再開の電話をしたところであり、今度こそ永久に購読するつもりなので「新聞は必要である」という側に立つのだが。
なぜ新聞を必要だと思っているのか。理由はいくつかある。ひとつは世の中の動向を知ってブログやツイッターに役立てたいということだ。思うに新聞には新聞の、ネットにはネットの、テレビにはテレビの「ノリ」があって、扱うニュースも違うし扱い方も、細かくいえば扱う時期も違ってくる。たとえば唐澤弁護士を先に知ったのはネットで、そこではトンデモというか滑稽な人という扱いで、一緒になって面白がりはしないものの「なんだか自分には関係なさそうな話だな」くらいの認識だったが、新聞で彼のインタビューを読んだときはなかなか深刻な問題を含んでいることに気付いた。
ここではどちらの見方が正しいというよりも、ネットとは違った空気、違った手つきでニュースを取扱うメディアを参照し、複眼的に物事を見る必要性を感じたという話である。*1
メディアの棲み分けというのは必然的に起こるもので、たとえば二十世紀前半にラジオが普及したさいに新聞に起きた変化について、ビル・コヴァッチ&トム・ローゼンスティールは次のように述べている。
新聞はニュースをただ伝えるだけではなく、今や、もっと分析をしなければならなくった。(中略)いくつかの新聞はこの事態に、いっそうセンセーショナルになることで対応しようとし、「タブロイド紙」の時代が到来した。別のテクノロジーである写真を紙面に活用し、劇的な効果をもたらすよう変わっていったのである。*2
またテレビが普及したさいにも同じようなことが起こっている。水島久光はミッチェル・スティーヴンスによる次の言葉を引いている。
テレビは、ジャーナリズムに絶大なる影響を及ぼしてきた。とくにいちじるしいのは、それが新聞にもたらした変化である。突発的なニュースについては常に勝ち目のない新聞は、ますますニュース特集に重点を置き、事件の分析への取組みを強化している。新聞は純粋なニュース報道から、ニュース、意見、歴史、通俗的な社会学を混成したものに向かって動いている。*3
そして云うまでもなく現在は、インターネットの登場によってこれらすべての旧メディアが変貌した。ことは速報メディア-解説メディア、ジャーナリズム-スキャンダリズムにかぎらず、貧富やリテラシーの格差、政治的立場などさまざまなレベルにおいて自然に「棲み分け」が生じる。
したがって、我々がひとつの「読者層」にすっぽり収まるような世界観で満足するなら新聞だけ、ネットだけ、あるいは地元のダチ公とだけ付き合ってゆけばよいが、少なくとも僕は自分の能力と相談した結果、なにかしら発信するにあたって、それだけではやはり視野が狭くなり、隙の多いものを書いてしまうだろうと感じる。*4
新聞が必要だと思うもう一つの大きな理由は「エリートはみんな読んでいる」というものだ。佐藤優によれば、
いまでも政治、経済、文化エリートで新聞を読まない人はいないはずです。軽い世間話であっても、ニュースについて何らかの見解を求められて会話が続かなければ「その程度のやつだ」とあっさり見限られますから。*5
とのことである。まあ後半は脅しっぽいけれど。また松林薫も、
大企業の幹部や社員、政治家、官僚、学者といった、いわゆる「エリート」で新聞を読んでいないという人はほとんどいません。*6
と書いている。
このことが何を意味するかというと、新聞の影響力は部数(間違いなく減少している*7)だけでは測れない、なぜなら購読者は社会の中枢側に偏っているからということと、新聞が一定以上の階級におけるコミュニケーション・ツールの役割を果たしているということだ。もちろんこうした立場の人たちは、新聞記事の信頼度やクオリティはネットの情報よりも高い、とする。
これは逆に云えば、下の階級を排除しようとする人間社会のいやらしい面を反映した話ではある。また宮台真司や適菜収のように新聞を読む必要などないという知識人もちらほら見かける。*8 適菜収によればショウペンハウエル、キルケゴール、ニーチェ、ゲーテ、ヘッセといった過去の賢人たちもアンチ新聞だったという。*9 そういう指摘や反証はありうるが、ここはこう考えてみてはどうかと思う。新聞を取る意義は大学に行く意義と同じで、一般的には「選択肢が拡がる」といった言い方をするが、その意義は事後的にしかわからないものであると。つまり「大学に行くとどうなるのか」という質問の答えは、行った人の心のなかには確かにあるが、行ってない人に説明するのは困難なのだ。「新聞を購読するとどうなるのか」もそれと似通ったところがあるのではないか。
三つめの理由は娯楽としてだが、これはまあ詳しく言うほどのことではなく、朝、淹れたてのコーヒーとともに新聞を読む時間がうんぬん、みたいな話はすでに過去のブログに書いた。
ちなみにこの時の新聞にたいする提言(俯瞰への欲望は捨てて一つか二つの記事を熟読したほうがいい)は今回の話とはやや齟齬をきたす。というのも「世の中の動向」だの「複眼的」だの「コミュニケーション・ツール」だのというのはどうしても俯瞰への欲望を孕む、外向きの発想だからだ。
まあ今日はモチベーションが高まって再開の電話をしたところなので「俯瞰するぞ、俯瞰するぞ、俯瞰するぞ」と意気込んでいるのだろう。「体験的読書」はモチベーションが低下し、惰性になってきた時期に最適化している。どちらが正しいというよりギアの違いということでお願いしたいと思う。
※
ただ僕とまったく同じ性格の人間がいるとして、そいつが身体的に読めなくなるまで購読を続けるかその前にやめるか賭けるとしたら、断然やめるほうに賭ける。
僕のなかの新聞不要論者は云う。「いつも熱心に読むのは最初の数日だけじゃないか」「一紙だと偏るが二紙は取れない」*10 「興味のない記事が多すぎてイライラする」*11 「新聞をやめればお金も時間も浮いて解放される」「情報に対して神経症的になるのはよくない」「ネットやテレビをうまく使えば同等の知識は得られる」「宮台先生もいらないと言っている」……いやはや、何かを始める理由は限られているが、やめる理由は無限に出てくるものだ。
結局「取ったりやめたりを繰り返す」というのが最適解なのかも知れない。少なくともこの方法なら、モチベーションの高いときだけ購読することが出来て余分なお金もかからない。今のところ嫌な顔をされたこともない(裏でなにを言われてるかは知らないが)。
なおライフハック的に申し添えておくと、ときどき「契約期間が残ってますので」と購読中止を断ろうとする事務もいるが、「あ、それでしたら中止ではなく休止というかたちでお願いします」「いつまで休止しますか?」「こちらから再開するときに連絡します」というようなやりとりで大体はイケる。残る問題は電話が気恥ずかしいだけだが、こればかりはどうにもならない。
いやいや、今回はずっと購読するつもりですが。
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*1:なお新聞社もネットにニュースを配信しているが、それらはクリックで広告収入を得るという業態なので「ネット向けのニュース」がチョイスされており、見出しもクリックを誘うようなものになっており、新聞(紙)のノリとは言えない。
*2:ビル・コヴァッチ&トム・ローゼンスティール『インテリジェンス・ジャーナリズム』★★★★★
*3:水島久光『閉じつつ開かれる世界』★★★★
*4:そういう意味では『ヘラルド・トリビューン』や『ル・モンド・ディプロマティック』、『ロンドン・エコノミスト』『ヌーヴェル・オプセルヴァトワール』『シュピーゲル』なんかも購読したほうがいいのかも知れない。実際に福田和也は一時期、国内新聞各紙の他にこれらの新聞と膨大な雑誌を購読していたという(『ひと月百冊読み、三百枚書く私の方法』★★★)。まあ素人離れした話ではある。
*5:池上彰/佐藤優『僕らが毎日やっている最強の読み方』★★★
*6:松林薫『新聞の正しい読み方』★★★★★
*7:
*8:マル激もしくはラジオで「僕は新聞を読みませんがまったく不便を感じたことはありません」という意味のことを云っていた。
*9:適菜収『死ぬ前に後悔しないための読書術』★★
*10:故・山田登世子先生は「新聞は朝日新聞。新刊案内の情報量がぜんぜん違うから」と云っていた。また僕はブログに引用するようなニュース、データは基本的に幾つかのソースに当たるようにしているので問題ないという点、読売や中日を試してみたがどうも書き方があっさりしていて物足りないという点から、購読するのはたいてい朝日新聞に落ち着く。
また福田和也も上述の書で「『朝日新聞』をとっている理由は簡単なことで、まずはあらゆる意味で日本の新聞においてもっとも情報量が多いこと、本や雑誌の広告も朝日が一番多く載っています。そしてまた、朝日の論調が――私は大いに気に入りませんが――いわゆる日本の世論的なものの大部分を代表しているということもまた、「情報」としては大事なことです」と書いている。
佐藤優もまた、上述の書で「『朝日新聞の』の論調は、好き嫌いがはっきり分かれますが、国会議員や官僚といったパワーエリートが好んで読み、その影響下にあるのはまぎれもない事実です」と述べている。
このあたりも一つの「保守」と「ネトウヨ」の見識の違いなのかも知れない。
*11:ごく個人的な話だが、政局はまったく関心がないわけではないが僕には情報量が多すぎる。経済もいまいち関心が持てない。あとスポーツ、ラジオ欄、老人向け広告、チラシにも関心がない。逆に関心があるのはオピニオン、国際(増量してほしい)、社会、地域面とテレビ欄、新刊案内。