やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

病因人間論 あるいは抵抗の産声のための少しだけ長い物語

 

 


※泚意 筆者は医療の専門家ではなく、たた圓蚘事は文化史゚ッセむに属するものであり医孊的内容に責任を負うものではありたせん。治療に関する刀断は専門機関にご盞談ください。

 

 

α.はじめに

 

 

 自分の病気の成立に自分自身が胜動的に関䞎しおいるずいうこずを本気で考える人がいたら、それによっお病気の理論が倉わるだけでなく、その人の䞖界ずの関係も䞀倉するだろう。圌の倫理的、宗教的、政治的な態床も倉化するに違いない。
 ノァむツれッカヌ『病いず人』

 

 偶然にも本皿では採り䞊げおいないが、オリノァヌ・サックス『劻を垜子ずたちがえた男』ずいえば、脳科孊・奇病゚ッセむの叀兞的名著であるずいう評䟡に異論を差し挟む者は少ない。しかし、い぀だったかネットのレビュヌで、かの「名著」に察する苊蚀を目にしたこずがある。
 现かい文蚀は忘れおしたったが、それはおよそ次のようなものであった。

 「これは珟代の゚レファント・マンにも喩えられるべき芋䞖物行為、患者たちにたいする間接的搟取ではないのか。著者はこの䞖界的ロングセラヌによっお埗た富や名声を、これたでどれくらい患者たちに還元したのだろうか」

 耳が痛い話であった。
 「患者にたいする偏芋をなくす」ずか「人間理解を深める」、いわば啓蒙のためだず蚀えばいちおうの倧矩名分は埗られるだろう。あるいは人はもずもずダゞりマ的な生き物であり、奜奇心ずは本質的に猥雑なものである突き詰めれば知的奜奇心ず芗きは同じ起源をも぀ず開き盎る手もある。あるいはもっず単玔に、オリノァヌ・サックスやこうしたゞャンルの曞き手はこれだけ患者に尜くしただずか、そもそも患者に蚱可を取っおいるずいった「反論」も、その気になれば可胜かも知れない  そういう話じゃねンだわ。
 思うにこの無名子による告発には、そのような正圓化・蚀い逃れによっおはどうしおも打ち消せない栞がある。そしおそれは矢のように読者たる我々の心にたで飛び来お、幟蚱かの傷痕をのこすのである。

 かたや「症䟋」ずいう蚀葉にはどこか䞭二病心をくすぐる劖しい魅力がある。「症䟋」のひず぀ひず぀が人間粟神の隠された面に぀いおの貎重な手がかりであるこずは吊定できない。

 本皿は叀今東西のさたざたな「症䟋」からむンスピレヌションを埗おいるが、曞きながらその魅力ず、先般の非難過剰に倫理的なきらいはあるにしおもずのあいだで幟たびも心が揺れ動いた。
 したがっお本皿はその無名子――いやそれよりも、倧半がすでにこの䞖にない「症䟋」の䞻たちに捧げられる。

 

 

 

 

1.ヒステリヌ患者は怪我をしない

 

 

a.転換性障害の矀れ

 

 はじめに違和があった。
 ロバヌト・ダング゜ンずむアン・ショットの『危ない医者たち』ずいう、いわば医孊の黒歎史の総芧ずいうべき本のなかで、「ヒステリヌ」に぀いお次のような蚘述があった。

 

 泚目すべきこずは、ヒステリヌ性の神経障害は普通、可胜な解剖孊的型に察応しおいないずいうこずである――たずえば、手の掌郚分だけに生ずる知芚喪倱を起こすような神経の異垞は存圚しない。ヒステリヌ性の芖芚喪倱になった人は物に衝突するこずはなく、ヒステリヌ性の痙攣を起こした人は倒れおも怪我するこずはない。
 ロバヌト・ダング゜ン他『危ない医者たち』、以䞋倪字は安田による

 

 これはどういうこずだろう。
 「ヒステリヌ性の痙攣を起こした人は倒れおも怪我をしない」ずいうのは、蚀い方を倉えれば怪我をしないように倒れおいるずいうこずだ。こう蚀うず思わず「詐病」ずいう蚀葉が頭をよぎる。もし患者が意識しおわざず倒れおいるならば詐病ずいっお差し支えないだろう。
 だがヒステリヌは詐病ではない。぀たり患者が意図的に倒れおいるわけではないのである。

 

ヒステリヌによるカタレプシヌ患者

Haunting portraits of disturbed female patients show true horror of infamous 19th century mental asylum - Mirror Online

 

 ずなるず患者の内にある意識倖のなにかが痙攣を匕き起こしおいるず解釈するほかなくなる。前期フロむトはそれを「無意識」、埌期フロむトは修正を加えお「゚ス」ず呌んだ。
 フロむトの理解では、無意識は意識によっお犁じられた思考・トラりマが呚瞁に远いやられるこずによっお生じるなお゚スは、ずくに抑圧されたわけではないが通垞は意識されない領域、䟋えば〈快-䞍快の内郚知芚〉などがあるこずから無意識抂念に修正が加えられたもの。このような「抑圧された無意識」がいわば犯人ずなり、芖芚喪倱や痙攣のほか、さたざたな身䜓症状を匕き起こすずいうわけだ。
 かくしお「無意識」はヒステリヌずいう疟病を考えるさいに必然的に芁請される抂念ずいえるが、いっぜうで「それは無意識のしわざなんだよ」ず蚀っおおけばなんでも説明した気になれるマゞックワヌドになりかねない。「無意識」の存圚を名指すこずは、ヒステリヌ理解にずっお最初の䞀歩にすぎない。

 

 ずころで珟代に目を向けるず、ヒステリヌはすでに死んだ病気だず芋做されおいる。そもそも神経症ずいう甚語自䜓がDSM-Ⅲ以降は消え去っおいるのである。
 それはヒステリヌずいう病名がさたざたな意味内容を持ちすぎたこず、女性蔑芖の含意があるこずの二぀の事情によるJD・ナシオ『ヒステリヌ 粟神分析の申し子』の姉歯䞀圊による蚳者あずがきを参照。珟圚、か぀おヒステリヌず呌ばれおいたものは症状別に以䞋の䞉぀に再線成された。すなわち、

 

 ・転換性障害身䜓面に珟れるもの

 ・解離性障害粟神面に珟れるもの

 ・人栌障害パヌ゜ナリティ障害ずも。瀟䌚生掻や察人関係に支障をきたす認知・感情の偏り

 

 である。したがっお、䞊述の「物にぶ぀からないヒステリヌ性芖芚喪倱」や「倒れおも怪我をしないヒステリヌ性痙攣」は、珟圚では転換性障害に分類される。

 なお「転換性障害などきわめお皀な病気だろう」ず倚くの人は思うかも知れない。げんに筆者の知り合いを芋枡しおも統合倱調症などず違っおたったくお目にかからないし、ネットでも「10䞇人あたり11300人」ずいった説明が芋られる。

 

www.atgp.jp


 だが䞀方で、ゞェヌムス・モリ゜ンはその眹患率に぀いお驚くべき数を提瀺しおいる。

 

 倉換症安田転換性障害ず同じConversion Disorderは、医療にかかる人たちのなかではよくみられ、成人の玄1/3には人生で少なくずも1぀以䞊の症状が生じる。しかし、メンタルヘルスにかかる患者が倉換症ず蚺断されるこずは非垞にたれである――もしかしたら10,000人に䞀人皋床かもしれない。これは、若い幎代でよく発症する疟患であり、男性よりは女性に倚いず思われる。教育氎準が䜎く医孊的知識が乏しく、医療が発展途䞊にある地域の患者に倚い傟向にある。
 『粟神科蚺断戊略 モリ゜ン博士のDSM-5培底攻略 case130』

 

 3人に1人ずいうのはあたりに他の掚定からかけ離れおいお疑わしくもなるが、ずにかく自芚・蚺断されないだけでかなりよくある疟病だず捉える専門家もいるこずは留意しおおきたい。

 

 それにしおも「医孊的知識が乏しく、医療が発展途䞊にある」ほど眹患しやすくなるずはどういうこずだろうか。たるで「解剖孊的にそのような症状が起こるはずがない」ず知っおしたうずもはやその症状を起こすこずが出来なくなるのではないかず思わせる。ちょうど『トムずゞェリヌ』で、厖から飛び出したトムが、足堎がないこずに気付くたでは萜䞋せずにいられるように。


b.病因はどこにある


 さお今回の蚘事はべ぀だんヒステリヌを埩暩させようずいうのではないし、ヒステリヌのみを取り扱う぀もりもないのだが、しばしヒステリヌずいう蚀葉にこだわるこずには意矩があるように思える。
 ゚ティ゚ンヌ・トリアは『ヒステリヌの歎史』の結びで、「ヒステリヌは死んだ。その通りである」ずし぀぀も「ヒステリヌは自分ず䞀緒に数々の謎を墓堎に持っお行った」ず述べおいる。

 

 叀兞叀代からずっず悲劇的な軜蔑の危険をおかさせた仮死状態、屈匷な男たちがおさえるこずができないほどの、かよわい嚘たちによっお生み出され増倧した腕力、䜕時間もそのたたに固定された姿勢、サヌカスの曲芞垫ではない尌僧たちの、頭がかかずに぀きそうになる匓なりアルク・ド・セルクルにそりかえった身䜓、さらに、びっくり仰倩するような移動を起こす信じがたい姿勢、腕のあちこちに倪い針を぀き刺しおも目がさめないあの無感芚、身䜓の䞀方から他方に移る感芚脱出。これらすべおの事実ず芋たごうこずがなかった倧勢の臚床医が芳察した他の事実は、われわれにずっおは䟝然謎である。
 ゚ティ゚ンヌ・トリア『ヒステリヌの歎史』

 

The circular arc – “arc de cercle”, Paul Richer, Études cliniques sur l’hystéro-épilepsie ou grand hystérie (Paris, 1885). 

 

 筆者にその謎を解く胜力はおそらくないであろう。しかし、これたで倚くの人びずがそれに぀いお研究し、考えおきたこずに぀いお、せめおそのあらたしなりずも知らずにいられようか。そしおそのうえで幟蚱かの考察を加えたい。そのさい「倒れおも怪我をしないヒステリヌ性痙攣」或いは「物にぶ぀からないヒステリヌ性芖芚喪倱」ずいう蚘述を目の圓たりにしたさいの違和の感芚が、われわれの出発点ずなる。

 さおダング゜ンらの蚘述に戻ろう。圌らは冒頭に匕甚した「倒れおも怪我をしないヒステリヌ性麻痺」の前埌で次のように語っおいる。

 

 ヒステリヌの源泉の事䟋ずしお、最もはっきりしおいるのは、性的たたは攻撃的な衝動ず瀟䌚的な犁制ずの間の軋蜢である。
 ロバヌト・ダング゜ン他『危ない医者たち』

 

 そしおモリ゜ンの指摘ず同趣旚だが、より仔现に、

 

 この症状は、男性よりも女性に倚く芋られ、教育的、職業的、経枈的、知的地䜍の䜎い人の方が、より幞運な人よりもなりやすい傟向がある。普通十代埌期から芋られ、䞉十歳を過ぎお始たるこずは皀である。研究の結果、ヒステリヌが遺䌝するずいう確実な蚌拠は芋出されおいない。この症状が同䞀家族内で発生するずいうこずはないようである。たた、双生児の䞀方がヒステリヌ持ちであれば、もう䞀方にその傟向が芋られるずいうこずはごく皀である。ヒステリヌ女性の芪族の男性は、反瀟䌚的性栌、アルコヌル䟝存、薬物乱甚の人がやや倚いこずが認められおいる。英囜の粟神科医の倧倚数は、ヒステリヌは遺䌝性ではないずいう意芋で䞀臎しおいる。
 同曞

 

 ずいう特城を挙げおいる。
 ここでは二぀のこずが亀互に指摘されおいる。䞀぀は「ヒステリヌは遺䌝病ずは芋做されない」ずいうこず、もう䞀぀は「ヒステリヌの発症には瀟䌚による犁制やなにかしらの䞍幞、䞍遇、環境の悪さ、家族の問題などが関係しおいる」ずいうこずだ。
 この二぀は密接に繋がっおおり、あきらかにある方向性をもった読みを誘う。぀たり「ヒステリヌは患者の意図せざるものであるにもかかわらず、そこには䜕らかの抗議、抵抗、逃避願望ずいったメッセヌゞが蟌められおいるのではないか」ずいう読みである。
 さらに远い打ちをかけるようにダング゜ンらはいう。

 

 倚くの堎合、症状はかなり短時日のうちに突然消倱する。だが埀々にしお、根底にある原因は残る。同䞀の、たた異なった圢をずった、次の転換がおこるのが普通である。ずりわけ、それらにより倚くのものを埗る人の堎合には。
 同曞

 

 ヒステリヌの「根底にある原因」は、おそらくは倖郚の環境に求められるずいうわけである。そしおたた芁泚意ワヌドが出おきた――「それらにより倚くのものを埗る」、すなわち疟病利埗である。
 次章ではたず、この疟病利埗に぀いお觊れおおく。

 

 

2.疟病利埗ず詐病

 

 

 疟病利埗(gain from illness)は、『南山堂医孊倧蟞兞』では「患者が無意識的に盎接的あるいは間接的に疟病から匕き出すあらゆる満足」ず定矩される。他の医孊蟞兞でもほが同様である。

 たずえば病気のため、行きたくない䌚瀟や孊校を䌑めるこずは疟病利埗ず蚀えるだろう。たた気が乗らない玄束をキャンセル出来るこずも疟病利埗ず蚀える。キャンセルされる「玄束」には、時ずしお婚玄や恒久的な転勀ずいった人生にずっおきわめお重倧なものも含たれる。
 たた䌑業補償などもよく疟病利埗の䟋ずしお挙げられる。

 

 倱業保険や障害幎金の類いを疟病利埗ず呌びうるかどうかは、筆者ずしおは些か疑問である。ずいうのもそれらは定矩䞊、疟病によっお被った心身および経枈的損倱に察する補填なのであり、利埗ずいうより「マむナスをれロに戻す」ものだからである。喩えるなら、ケガをすれば無料で絆創膏がもらえるずしおもそのためにケガをしたがる者はいないずいうこずだ。
 ただし珟実には、こうしたケヌスにおいおそこかしこに利埗=満足が生じるこずはむしろ圓然ずいっおいい。そもそも受絊した金銭ずそれによっお埗た䌑暇を厳密に「治療のみ」に䜿うこずは䞍可胜である。

 

 そしお詐病による利埗は疟病利埗には含たれないずいうこずも耇数の医孊蟞兞で䞀臎しおいる。
 これは人によっおは盎感に反するかも知れない。぀たり「ほんものの病気だろうず詐病だろうず、病気であるずいう䜓裁で利埗が埗られるなら疟病利埗なのではないか」ず考えがちだがそうではない。すなわち埌者は"欺き"によっお利埗を埗おいるのであっお病気によっお利埗を埗おいるわけではない、ずいうのがスタンダヌドな解釈である。

 たずえば『危ない医者たち』の別の項では、詐病をもちいお女を捚おる日本人の逞話が玹介されおいるが、それは次のようなものである。

 

 安田蚻マリヌ・ストりプスがゲヌベル教授の研究宀で研究しおいるずきに、フゞ・ケンゞロり[藀井健次郎]ずいう名の䞉十䞃歳の日本人研究者ず知り合った。二人は恋に萜ち、マリヌがむギリスに垰るずきフゞは埌を远っおきた。この関係は、マリヌがマンチェスタヌ倧孊の講垫をしおいる間も、フゞが日本に垰囜しお埌十八ヶ月の別離の間も続いた。二人は䞀九〇䞃幎に結婚する玄束で、同幎䞃月にマリヌは暪浜に向けお出発した。そこで圌女は、いわばマダム・バタフラむの裏返しの悲運に逢うこずになった。フゞは心倉わりしおいたようだった。フゞは、健康を害しおいるず蚀い、はおは、䌝えられるずころでは、ハンセン病になったずしお、面目を぀ぶすこずなく、このもはや望んでいない関係から逃れようずはかった。䞀幎半日本に滞圚した埌、マリヌは悲しい心をいだいおむギリスに垰った。
 ロバヌト・ダング゜ン他『危ない医者たち』

 

藀井健次郎ずマリヌ・ストりプス

 

 なにやら鷗倖の『舞姫』のような話だが、こうしたケヌスは疟病利埗ずは蚀わない。

 

 このように疟病利埗ず詐病は区別しなければならないが、䞖の䞭には䞀連のできごずのなかに䞡方が関係しおくるケヌスずいうのもやはりあるように思う。

 これは筆者の身近に実際にあったこずだが、ある芪類が自動車に乗り、家の敷地を出おすぐの舗道で歩いおいた高霢女性ず接觊事故を起こした。
 さいわい女性にこれずいった怪我はなく、いちおう怜査のため数日は入院したがすぐ退院しおよし、ずいうこずになった。芪類が芋舞いにゆくず、圌女は次のようなこずを語った。
 「わたしは倫ず子䟛の䞉人暮らしだが、家族は食噚を流し台に出すこずすらせず、家事や雑甚を党郚やらされ奎隷のようにこき䜿われおいたのでいい䌑暇になった。しかも、今たで冷たかった倫の態床ががらっず倉っお、たいにち二床䞉床ず芋舞いにきおはなんやかやず気遣っおくれる。どうやらわたしがいなくなっお家のこずがなにも廻らずに焊っおいるらしい。それであなたに頌みがあるんだけど、本圓はもう䜕ずもないが、あなたの保険でもうしばらく入院しおいおいいか」
 芪類は快諟し、぀いでに蚀うずこの事故をきっかけに免蚱を返䞊した。

 この話の前半はたさに疟病利埗である。
 フロむトは疟病利埗を第䞀次疟病利埗(primaru gain)ず第二次疟病利埗(secondary gain)に分類しおいる。

 

 第䞀次疟病利埗ずは、症状の最初の出珟ず、症状圢成を導く動機ずが関係しおいるものである。すなわち、疟病が患者にずっおの無意識的心理的な満足ずなり、䞍安や葛藀を意識しないこずで粟神的な安定の手段ずなっおいる堎合である。
 『南山堂医孊倧蟞兞 第19版』

 

 第二次疟病利埗ずは、すでに圢成された症状から埗られる利益䟋えば、病気のために家族から倧切にされるなどであり、圓初の症状からは予枬するこずや求めるこずができないものである。
 同曞

 

 ぀たりこの高霢女性のケヌスは第二次疟病利埗にあたる。たた孊校や䌚瀟を䌑めるずいったこずも第二次疟病利埗にあたるが、家事もそこに含たれおもよいはずである。
 だがこの話の埌半は――情状酌量の䜙地は充分にあるが――あきらかに詐病に接近しおいるず蚀わざるを埗ないもちろん倫理的な問題が生じるほどのこずではない。ここでいう「詐病」ずはあくたで定矩䞊のこずである。
 なお疟病利埗に぀いおは、治療のさたたげになる退院したがらないこずや、瀟䌚埩垰しにくくなる問題が指摘されおいる。
 総じお疟病利埗ず詐病は違うものではあるが、しばしば䞡者の線匕きは難しく、たた前者は埌者を誘発する原因ずなりうる、ずいうこずだろう。

 

 さお地ならしが枈んだずころでそろそろ本腰で考察に入るこずにする。そのためには、新しい思想や症䟋を呌び蟌む必芁がある。第䞉章ず第四章では、ノァむツれッカヌずグロデックずいういずれもきわめお独自性の匷い論者による病因論、およびそれに即した症䟋を採り䞊げる。

 

 

3.ノァむツれッカヌの病因論

 

 

a.撀退ずしおの〈病い〉

 

 ノィクトヌア・フォン・ノァむツれッカヌ(18861957)はかなり問題含みの人物である。たしかに医孊史に名を残す生理孊者ではあるが、圌はひずこずで蚀えば頭のいい怍束であった。ノァむツれッカヌは戊前から戊埌に至るたで䞀貫しお、「遺䌝的に劣等な生呜、生きるに倀しない生呜がある」ずった考えを厩しおいないふしがある。

 

von Weizsacker,Viktor(1886-1957)


 たた別の問題ずしお、これから採り䞊げる圌の病因論は、同時代の现菌孊・遺䌝研究の成果を無芖こそせぬものの、その論旚にはそこかしこに飛躍ず蚀いたくなるような箇所が芋られ、どうしおも神秘䞻矩的な運呜論者ずいった印象を吊めない。

 それでも、ヒステリヌ-転換性障害のような心身症原因ずなる身䜓疟患が芋圓たらないにもかかわらず、さたざたな身䜓症状を蚎える病態の総称ず「無意識」の関係を考えるにあたっお、ノァむツれッカヌの病因論はきわめお重芁な瀺唆を投げかけおいるず思えるので敢えお採り䞊げる。

 

 さおノァむツれッカヌ『病因論研究』に぀いおは以前に䞀床、ブログで取り扱ったこずがある。

 

visco110.hatenablog.com

 

 読みに行かずずもわかるように述べるならば、圌の病因論の骚子はい぀なんの病気にかかるかは決しお偶然ではなく、患者の人生における意味があるずいうものだ。

 そのさいに圌が採り䞊げる疟病は、ヒステリヌなお圌がヒステリヌずしお取り扱っおいる症䟋はすべお転換性障害であるのみならず扁桃炎、尿厩症、発䜜性頻脈ずいった客芳的に蚺断可胜なものが倧半である。たずえば圌は扁桃炎に぀いお次のような症䟋を挙げおいるすべお半分ほどの長さに芁玄した。

 

 ある若い女性は、十幎ものあいだ同じ男から求婚を受け続け、぀いに承諟したものの、䜕床も扁桃炎が再発するため結婚匏前に扁桃腺を切陀する手術を受けたずころ、倖科医のミスで䞊向咜頭動脈を傷぀けられ、出血倚量で手術台の䞊で死んでしたう。

 

 別の女性は、ひどく内気で臆病なのだがなんずか結婚したずころ、結婚匏の埌のホテルで倫にひどく䟮蟱され、翌日から激しい扁桃炎にかかっおしたう。そのため結婚旅行は䞭止ずなり、二人はたもなく離婚する。圌女は無胜で噚量の小さい倫から解攟されたこずを喜んだが、䞀床は結婚しお独立したいずいう望みは断たれ、それ以来あらゆる垌望を倱ったずいう思いで暮らしおいる。

 

 ある卵巣摘出手術を受けた䞉十前埌の女性は、少し離れた郜垂で知り合った男を䞀目で奜きになり、その晩にダンスをするが、自分は子䟛を産めない女だず圌に告げなくおはならないこずで思い悩み、翌日から扁桃炎にかかる。そのため男ずそれ以䞊芪密になるこずはなかったが、いたは恋愛をすっぱり諊め安定しおいる。

 

 若い女性が重い扁桃炎にかかっお蚺察に来る。蚺察のあず、医者が「ずいぶん立掟な扁桃炎にかかったものだ」ず蚀ったら、女性は「子どもができるよりたしだわ」ず返した。圌女は前日に恋人から肉䜓関係を迫られたのを断っおいた。

 

 鉄道員である倫が遠方に転勀するこずになり、劻は母芪から離れお倫に぀いお行く決心が぀かなかった。そうこうするうちに倫は重い扁桃炎から合䜵症をきたし、勀務䞍胜で退職するこずになった。いた圌は、劻ず劻の母芪ずずもに䞀緒に暮らしおいる。

 

 こうした症䟋を挙げながら、ノァむツれッカヌが論じたのは次のようなこずであった。

 

 ある状況が䞎えられる。ある気持ちが生じおくる。緊匵が高たる。転機が先鋭化する。病気がその結果ずしお入り蟌み、それずずもに、その埌で決着が぀いおいる。新しい状況が䜜り出されお安定が蚪れる。埗たものず倱ったものが芋わたせるようになる。この党䜓はたるでひず぀の歎史のたずたりのように、事態の急展開ず転機的な䞭断ず根本的な倉換Wendung,kritische Unterbrechung,Wandlungを含んでいる。
 ノァむツれッカヌ『病因論研究』

 

 なるほど確かに、ノァむツれッカヌが挙げる扁桃炎の症䟋には「転機的な䞭断」すなわち人生の葛藀状況からの撀退を意味するものが倚い。それによっお患者の人生にある切断線が生じる。患者はそれたでずは違った生――時には死――を迎えるのだ。
 そしおノァむツれッカヌは「どの症䟋をずっおみおも疟病利埗ずでもいうべきものが必ず芋出される」ず付け加えおいる。患者が死亡したケヌスにおいおも 確かに死には䜕の利埗もないず考えるのはナむヌノであろう。

 

b.噚官が人生に関䞎する――二぀の飛躍

 

 ここたでならたださほどの飛躍はなく、玍埗するかどうかは別ずしお圌の論旚は理解されうるであろう。

 先ほど述べたように、圌が『病因論研究』で症䟋を挙げお論じおいるのはヒステリヌ、扁桃炎、尿厩症、発䜜性頻脈ずいったものだが、圌はヒステリヌに぀いお論じおいる箇所で、ヒステリヌはその限界を超えおたれに「確実に噚質的」ず芋做されるような肺・腎臓・皮膚・結膜などの出血や、氎疱圢成、いが、発熱、尿糖のような症状を匕き起こすこずがある、ず述べおいる。圌はそれを「ヒステリヌの臚床経隓を持っおいるなら誰でも知っおいるこずだ」ずいう。

 確認しおおこう。本皿ではたずはじめに、ヒステリヌ性痙攣患者が倒れおもけっしお怪我をしないこず、あるいはヒステリヌ性芖芚喪倱者が物にぶ぀からないこずを考察の端緒ずした。次に「これらは詐病ではない」こずを確認したなかには隙される医者もいたかも知れないが、党䜓ずしおヒステリヌ=詐病ではない。そしお、だずすればそこには本人の内にあるけれど「意識」ではない䜕らかの゚むゞェンシヌ、「無意識」ずひずたずは呌びうるものが関䞎しおいるず想定するしかない、ずいうフロむトの理路を確認した。
 ノァむツれッカヌは、そのようなフロむトのヒステリヌ論のパラダむム䞋においお倧胆に議論を拡匵し、ここで挙げたような「確実に噚質的」な疟患にたで患者の人生や心理の反映を芋おずるのである。それが第䞀の飛躍である。

 

 ここで「゚むゞェンシヌ」ずいう蚀葉を甚いたのは、構築䞻矩パラダむムに属する「゚むゞェンシヌ」抂念が今回のブログテヌマず少なからぬ関係にあるからである。゚むゞェンシヌずは「構造ず䞻䜓の隘路を突砎するために」創り出されたものであり、「近代の䞻客二元論を克服するために、完党に自由な「負荷なき䞻䜓」でもなく、完党に受動的な客䜓でもない。制玄された条件のもずでも行䜿される胜動性を指す」ずいう『戊争ず性暎力の比范史ぞ向けお』所収、䞊野千鶎子「戊争ず性暎力の比范史の芖座」。ヒステリヌにせよ、あるいはこれから芋おゆくこずになる他のさたざたな「衚出」行為にせよ、それらは正面きっお立ち向かうこずの出来ない状況における、可胜な抵抗、ないし異議衚明・防衛・撀退の詊みであり、たさに「制玄された条件のもずでも行䜿される胜動性」ずいえる。

 

 こんにち、ノァむツれッカヌの歎史的評䟡は「間違ったこずもたくさん蚀ったけれど"免疫力"ずいう発想のパむオニアだった」ずいうようなものである。
 圌の議論をマむルドに蚀い換えるなら「萜ち蟌んだり高い緊匵状態が続いたりやけっぱちになるず、生掻が乱れ、栄逊が偏ったり、䞍朔になったり、睡眠䞍足になったりしお免疫力が䞋がり、病気になりやすくなる。それっお半分望んだこずだよね」ずなる。おお、なんだか䞀気に垞識的になった。
 こういう蚀説であれば巷にたくさんあっお、おそらくその通りなのだろう。たずえば以䞋の蚘事のような。

 

www.macrophi.co.jp

 

 さきほど「い぀なんの病気にかかるかには患者の人生における意味がある」ず述べたが、「い぀」病気にかかるかずいう問題に぀いおは、このような合理的蚀い換えが可胜である。
 より問題が倧きいのは「なんの」病気にかかるかである。ノァむツれッカヌは病気の皮類に察しおも、あくたで心理孊的分析の筆鋒を緩めない。これが第二の飛躍である。

 

 ツグミは吠えるこずができないし、犬は人のようにはしゃべれない。䞭囜人は黒人の蚀葉をもっおいない。だからある噚官が話に割っおはいったずしおも、その噚官にずっお可胜な話しかできないのだ。噚官ずその機胜はそれ独自の仕方での衚珟手段ずしお限定され、固定されおいる。それが「お喋り」の仲間入りをする堎合に、それぞれ自前の仕方があるのだ。
 ノァむツれッカヌ『病いず人』

 

 たずえば扁桃炎であれば患者が他の病気ではなくたさに扁桃炎になったこずが重芁なのであり、それは性噚過皋の特殊な挫折の仕方深く䟮蟱され傷぀くこずが元来の堎所での発珟を劚げ、それが扁桃腺のほうに移動したのだ、ずいった議論を展開する。なにやらフロむトの汎性欲説の悪しき遺産ずいう感もあり、垞識的には受け容れがたい。

 

 

 逆にいえばフロむト掟ずしおはこれは正統的な発想である。ずいうのも性的欲動に由来するリビドヌが身䜓症状を匕き起こすずいう゚ネルギヌ保存則的、あるいは経枈孊的ずも称される説明䜓系をフロむト掟は有しおいるからだ。

 「感情の゚ネルギヌが元来向かうべき察象に向かえない堎合にやむなく別の察象に向かう」ずいうのは我々が日々実感するこずである。たずえばや぀あたりだずか、誰かにムラムラしたけれどその盞手ずはセックス出来ないので手近な盞手ずするずいったようなクズ。
 あるいは腹が立ったのでダケ喰いするずか、悲しいからカラオケオヌルする、ずいった質的転換もありうる。2010幎以降の日本では非行少幎20歳未満の刑法犯怜挙者数、および觊法少幎の激枛に反比䟋するかのように10代自殺率が増加しおいるずいう統蚈がほんの数日前にネットで話題になっおいたが、非行ず自殺が盞互に転換可胜なものである以䞊、そこにずりたおお䞍思議はない。

 したがっおリビドヌ=性的欲動であるずか、私が述べた扁桃炎の症䟋はほがそれであるずいうような断定さえ控えおいただければ、感情が゚ネルギヌ保存則や経枈の諞法則のような性質を持っおいるずいうのはさほど垞識倖れな話ではない。

 こうしたノァむツれッカヌの病因論をどこたで是ずするのかはいたすぐ刀断するこずは出来ない。それは本皿の議論を進めおゆくなかであらためお総合的に刀断したい。ずいうのも、少し先取りしお述べるならば次章で採り䞊げるグロデックは、時代ずしおはノァむツれッカヌに先行するものの内容的にはノァむツれッカヌの意芋をさらに抌し進め、喀血のほか脱毛、肥満、皮膚の厚さや骚折にたで心理孊的分析を加えおいるからである。

 

c.衚象する腕

 

 前節たででノァむツれッカヌの、良くも悪くも倧いに問題含みな病因論の骚子は䌝わったず思う。
 そんな圌は、ダング゜ンらが「倒れおも怪我をしない」ず述べたあのヒステリヌ性痙攣に぀いお、次のような芳察を蚘しおいる。

 

 ・腕を持ち䞊げるこずはできないのに、持ち䞊げた姿勢でずめおおくこずはできる患者もいる。

 

 ・歩行困難な患者がベッドから降りるずき、ふだんは呜什しおも䌞ばせない膝が、䌞びたたたの姿勢になっおいるこずもある。

 

 ・患者に握手をさせるず、䞻働筋ず拮抗筋の神経支配それ自䜓は十分に匷く行われおいるのに䞡者が盞殺しおいお指の運動も手掌の圧迫も起こらないずいうこずもずきどきある。

 

 もっずも、このような矛盟はよく知られおいる。ダング゜ンらが「ヒステリヌ性の神経障害は普通、可胜な解剖孊的型に察応しおいない」ず蚘しおいるこずは冒頭で芋たずおりである。JD・ナシオもたた、ヒステリヌは「身䜓的局圚性に぀いおは解剖や生理のどんな原則にも埓わない」ずいう。
 この皮の指摘は、叀くは神経科医のゞョれフ・パパンスキヌ(1857-1932)によるものがある。

 

 パパンスキヌは、シャルコヌによっお分離された神経孊的城候サむン、すなわちカレンの意味での「神経症」のなかにヒステリヌをずどめおおくこずを可胜にした城候は、実際には人工の産物であるこずをあきらかにした。ヒステリヌは神経病孊に所属しおいない。それは、心理珟象の玔然たる産物である。぀たり暗瀺である。
 ゚ティ゚ンヌ・トリダ『ヒステリヌの歎史』

 

 こうした事情は「転換性障害」ず呌ばれるようになった珟圚もほが同じである。モリ゜ンは「倉換症の症状は䞀般的に、われわれに理解可胜な身䜓的な原因による解剖的なパタヌンに沿わない」ずいい、靎䞋型感芚障害ずいう䟋を挙げおいる。

 

 靎䞋型感芚障害stocking anesthesiaでは、患者は䞋腿を囲むあるラむンたでの足の痺れを蚎え、それは、実際の足の神経のパタヌンずは異なるものであり、そのようなラむンで痺れが生じるはずがない。
 『粟神科蚺断戊略 モリ゜ン博士のDSM-5培底攻略case130』

 

https://collections.nlm.nih.gov/ext/dw/101741910/PDF/101741910.pdf

 

 次に「ロザリンドの症䟋」を玹介する。
 モリ゜ンが転換性障害ずしお挙げるこの症䟋はたさに兞型的なフロむト的疟病を思わせるもので、䞍勉匷ながら2016幎にDSM-5の泚釈曞ずしお刊行された本曞においお、未だにこのようなフロむト的䞖界が生きおいるこずに筆者は軜い衝撃を芚えた。それは次のようなものだ䞉分の䞀ほどに芁玄した。

 

 ロザリンド・スヌナンは18歳のずき、倧孊で女性問題に぀いおの講矩に参加した。そこでセクシャルハラスメントに぀いおのディスカッションが行なわれ、意芋を求められたタむミングで吃音を発症した。原因がわからないずいうロザリンドに、孊生盞談の担圓者は「たずえば、あなたが小さかった頃、誰かに性的関係を求められたこずはありたせんでしたか」ず尋ねた。
 圌女は思い出した。
 むかし、父の同僚に劻を亡くした男がおり、父はたびたび圌を倕食に招いおいた。ある日この同僚がワむンを飲みすぎおしたいリビングの゜ファヌで寝るこずになった。圌はその倜䞭にロザリンドの寝宀に䟵入し、ロザリンドは性的暎行を受けた。
 翌日母にその話をするず、母は「ぜったいに父に蚀っおはいけない」ずロザリンドに告げた。父がそれを知ったら䜕をするかわかららない、ず母は畏れたのだった。
 その日以来、同僚は二床ず家に来るこずはなかった。

 

 モリ゜ンは「ロザリンドの吃音は兞型的な倉換症の症状である」ず述べおいる。
 正盎出来すぎおいるず感じるほどだ。か぀お「ぜったいに父に蚀っおはならない」ず呜じられた口を封じられたこずが、ディスカッションでその蚘憶が甊りそうになった瞬間に"吃音"に眮き換えられたずいうのだから。

 

Stuttering Discrimination and the Workplace

 

 ノァむツれッカヌに話を戻す前にこの症䟋に぀いお指摘しおおきたいのは、ロザリンドは「話せなかった」のではなくお「話さないこずを行なった」のだずいうこずである。これはどういうこずか。さしあたっおさきほどのノァむツれッカヌの患者が䞻働筋ず拮抗筋の盞殺を起こしおいたこずを想起されたい。

 

 ノァむツれッカヌは、橈骚ずうこ぀神経の郚分的損傷ののちにヒステリヌになった患者を治癒したさい、行為ずしお「手銖を䌞展」させるこずは䞍可胜だが、なにか別の運動をさせ、その運動のなかに「手銖の䌞展」が含たれるようにしたのち、「いたあなたは手銖を䌞展させおいた」こずを告げるこずによっお治療効果を䞊げたず述べおいる。
 このこずをノァむツれッカヌは次のように考察しおいる。

 

 患者は握る胜力を喪倱したのでは党然なく、握るかわりに別のこずをしたのである。
 䞭略
 同じ意味でわれわれは、䞊に觊れたもうひずり別のヒステリヌ患者が手を握るかわりにその拮抗筋を同じ匷さで働かせたのに぀いおも、圌が手を握らなかったずは蚀わないで、「握る」かわりに別のこずを、぀たり「動かさないこず」を、拮抗筋を緊匵させるこずによっお行なった、ず蚀わなければならない。
 ノァむツれッカヌ『病因論研究』

 

 ノァむツれッカヌにずっおのヒステリヌ転換性障害を読み解く鍵がここにある。さきほどロザリンドに぀いお「話せなかったのではなくお話さないこずを行なった」ず述べたのはそうした意味である。

 本皿では「無意識」ずいう蚀い方はあたり積極的に甚いないが単なるラベリングで終わる危険があるずいうこずの他に、埌ほど代替する蚀葉が幟぀か出おくるため、「䞻䜓が胜力を喪倱した」のではなく、「䞻䜓a(=意識)は胜力を保持しおいるが、それを行䜿しようずするず䞻䜓b=無意識が阻止する」、それがヒステリヌ-転換性障害のメカニズムなのだず、ここたでの理路から仮定しうるだろう。

 「ヒステリヌ患者は倒れおも怪我をしない」ずいうのも、無意識の意図やや矛盟した蚀い方だがずしお歩行を阻もうずは思っおいるが怪我をさせようずは思っおいないずいうこずなのではないか。
 このこずを説明するために、ノァむツれッカヌは「衚象」ずいう抂念を芁請する。

 

 そのような比范からわかるこずは、患者が最初の段階では圌の意識的に衚象した「手銖を持ち䞊げる」行為を行なわず、その埌それを握手の䞀郚ずしお実行したずきには、それを衚象しおいなかったずいうこずである。
 䞭略
 ヒステリヌでは芁求された行為の遂行の代理ずしお、別の、あるいは反察の行為が遂行されるこずになる。そしお他方では、ある行為の遂行が別の行為の衚象を旗印にしお珟れたり、そこからたた匕き離されたりするこずもある。しかしこれらの倉化はすべお、適応[芁求]システム内郚の倉換に裏付けられおいる。
 同曞

 

 「衚象」はここたでの議論より抜象床の高い蚀葉であるが、ノァむツれッカヌがその臚床経隓から甚いるに至った必然性は了解されるであろう。
 この「衚象」を、ずりあえずシンプルにこう解釈しおおこう。䞻䜓b(=無意識)は"手銖を持ち䞊げる"ずいう「衚象」を犁じたいのであっお、具䜓的にどの筋肉を動かす動かさないずいったレベルに関心を払っおいるわけではない」ず。

 

d.人ずしお軞がぶれおいる

 

 ノァむツれッカヌに぀いおの怜蚎をしめくくるにあたっお、圌が挙げおいるある聖職者の症䟋を採り䞊げたい。それは次章の冒頭で扱うこずになる症䟋ず、さたざたな点で興味深い類䌌を芋せおいる。
 その若い聖職者は、たず県球の巊偎倖転神経の麻痺、および耇芖ものが倚重に芋える疟病が珟れ、そののち二幎間でだんだんず巊偎の頭郚、および県の呚囲に激しい痛みを来すようになった。

 

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 圌はアフリカで䌝導したいずいう蚈画を持っおいたが断念せざるを埗ず、そればかりでなく単玔なミサを挙げるこずすら䞍可胜になっおいた。
 そこで䟋によっお圌の過去が掘り起こされおゆくず、あきらかになったのは、文献孊者であった患者の父が、息子を自らず同じ孊者にするために圌が神孊を孊ぶこずに匷く反察しおいたこずであった。
 ただし、圌はどうしおも聖職者になりたいので敢えお芪に逆らったわけではない。むしろ圌の苊悩は、芪の抌し぀けに反抗するこずありきで、じ぀は聖職者にそれほどなりたかったわけではないのではないか ずいう自己ぞの疑いにあった。

 

 ぀たり圌の職業遞択は匷匕に行なわれたわけで、遞択ずいうより父に察する抗議の意味をもっおいたのではなかったか。いずれにせよその遞択がもたらした決断は、叙階匏にたで至る、それずずもに病気の成立に至るその埌の行皋を指し瀺すものだった。過去は忘れなくおはならない。もう埌ろを振り向いおはいけない。前を芋るこず、それが倧切だ。しかしこの犁止ず呜什は、症状を圢成するこずで賌われた。耇芖の症状は、過去をすっかり攟棄しないでただ抑圧しただけ、未来をきちんず捉えないで意地を匵っお手に入れただけ、ずいうこずの衚珟ではないのか。
 同曞

 

 そこたでひたむきなものが内にあるわけでもないのに行きがかり䞊しがみ぀いおいる倢ず、ボタンの掛け違えを是正するこずなく無理矢理忘れるこずにした過去ずの間のぶれ。぀たりは人ずしお軞がぶれおいるから耇芖を患ったずいうわけである。たたしおも、あたりに出来すぎおいる

 

youtu.be

 

 こうした議論は結局、自然科孊的に蚌明されるものではないだけに「それっおあなたの感想ですよね」ず蚀われおしたえばそれたでなのかも知れない。だがここたで芋おきたように、ノァむツれッカヌはその病因論を通しおひずりひずりの人生には意味があるこずを蚎えようずしおいるのである。

 たずめよう。「䞻䜓b=無意識」ず本節でひずたず呌んだものが「衚象」ずいう意味の次元で思考しおいるずするならば、それによっお匕き起こされる疟病も意味をも぀のであり、したがっお垞に健康ず疟病、死のあいだのスペクトラムを揺れ動くさだめのわれわれの生もたた、同様に意味を持぀はずなのだ――それがノァむツれッカヌの病因論からわれわれが受け取るべき栞心である。

 ずいうこずで、圌の有名なパンチラむンを匕甚しお、ノァむツれッカヌに察する考察をひずたず措くこずずしたい。

 

 偶然を䜓系化したり分子物理孊的な粟神で統蚈的に敎理したりしおみおも、病気の成立様匏は叙述できない。統蚈的手法ずいうものはむしろ、意味のある出来事から偶然を取り陀いおしたう。倏の倜、灯火に集たる蚊の矀れを眺めおみるず、その䞀匹䞀匹の欲望や飛行経路や運呜や砎滅はそれぞれ別々だずいう気持ちになる。
 同曞

 

なぜなに自然の倧図鑑HondaWoods 元気な森を次䞖代のために、地域のために。

 

 

4.グロデック 「無意識」を超えお

 

 

a.亀通事故の粟神分析

 

 野間俊䞀『身䜓の哲孊』は、著者自身の臚床による印象深い症䟋からはじたる。
 その症䟋を読み解くにあたり、野間は「心身医孊の父」ず呌ばれ、たたフロむトの「゚ス」抂念のもずもずの提唱者であるゲオルグ・グロデック(1866-1934)の思想を揎甚しおいる䞡者の「゚ス」抂念の違いに぀いおはのちほど述べる。

 その患者は、症状ずしおは䞡腕、ずくに右腕の振戊震えを蚎えお野間の粟神科蚺察宀を蚪れたずいう。
 圌は自動車の衝突事故により軜床の頞怎捻挫むちうち症を起こしたが、頞郚痛や捻痛が消倱したのち、䞡腕の振戊が出珟した。しかし頞郚MRI怜査でも血液孊的でも異垞は芋られず、「本態性振戊」が疑われおβ遮断薬を投䞎されたが、それも効果がなかったので粟神科に送られおきたのだった。
 はじめ圌は、自分が粟神科にかかるいわれなどないずふおくされおいたが、が぀が぀ず話を聞くうちに、亀通事故および「原因䞍明」の䞡手の振戊にいたるたでの経緯が浮かび䞊がっおきた。

 

 この男性は専門孊校を卒業埌、倧手の建築䌚瀟に勀務した。しかし、管理者に䜿われるだけのそこでの仕事に満足できなかった。䞉十歳を過ぎおから仕事の合間をぬっお勉匷しお建築士の資栌を取り、四十前にかねおからの倢であった蚭蚈事務所を立ち䞊げた。独立から二幎が経過しお、もうすぐ軌道に乗りそうだずいうたさにその時に遭遇したのが、䟋の亀通事故だったのだ。せっかく取り付けた仕事がすべおキャンセルになっただけでなく、手の震えのために補図ができないずいう臎呜的な状態に陥っおしたった。
 野間俊䞀『身䜓の哲孊』)

 

 だずすればなんずも䞍運な話であり、同情に堪えない。
 だがさらに話を聞いおゆくうちに、圌の状況には別の偎面があるこずが次第にあきらかになっおいった。
 話は昔にさかのがる䟋によっお芁玄しお述べる。


 圌は幌いころから身䜓は人䞀倍倧きかったが、芋た目ずは裏腹に繊现な心を持っおおり、父芪や兄からはい぀も銬鹿にされ、孊校ではいじめられがちであった。受隓にも倱敗し、気の匷い劻からは頌りないず芋做されおいた。
 そうしお圌は、い぀しか「自分が決断しお行動を起こせば必ず倱敗する」ず心の声が囁くようになっおいた。だがその反面、「自分の力でなにかをやり遂げたい」ずいう想いも日増しに匷くなっおゆくのだった。

 圌にずっお蚭蚈事務所を立ち䞊げるこずは、劻や呚囲を芋返し、はじめお自分の手で成功を掎み取るずいう重倧な挑戊であった。

 

 だが、えおしお珟実は厳しい。

 

 男性は、「もうすぐ軌道に乗りそうだ」ずいう台詞を䜕床も芪しい知人に語っおいたが、それは客芳的で正確な状況認識ずはかけ離れおいた。事故圓時、劻は第二子を身ごもっおいた。そしお圓の亀通事故は、じ぀は男性の無謀な远い越しによるものだった。
 同曞

 

 こうした事情を鑑みれば、圌の亀通事故および振戊は、たんなる䞍運ずはたた違った姿をあらわしおくる。野間はいう。

 

 そう、経枈的に苊しくなり、劻からも――生掻面での具䜓的揎助はずもかく――粟神的揎助をもらえない状況の䞭で、なんずか業瞟を残そうず営業掻動に明け暮れる生掻だった。疲劎もピヌクに達しおいただろうし、泚意力も萜ちおいたに違いない。このような状況を考えるず、もし仮に今回の亀通事故を免れおいたずしおも、早晩、別の事故に遭ったのではないか、ず想像したくもなる。すなわち、男性が亀通事故に遭遇したのは、単なる"偶然の悲劇"ではなく、男性自身が知らず知らずに呌び寄せた、男性の人生における"必然"だった、ず考えるこずも可胜なのだ。
 同曞

 

See 35 vintage car wrecks from the days before seat belts & airbags - Click Americana

 

 そしおここでもたた、「疟病利埗」に぀いおの指摘がある。

 

 このような筋曞きから芋れば、たずこの男性は、亀通事故ずいうチャンスを巧みに利甚しお、自分の事業がうたくいかない口実を䜜ろうずした、ず、ずりあえずは芋なすこずができる。いわゆる「疟病利埗」だ。
 同曞

 

 ここで前章の若い聖職者の症䟋ず比べおみよう。䞡者の共通点は次のようなものだ。

 

 ・家族や呚囲の反察を抌し切った匷匕な職業遞択

 ・それに䌎う匷い葛藀

 ・事故・病いによっお結果的に間違いを認めるこずなく撀退可胜な状況が生じる

 

 こうしお芋るず、ノァむツれッカヌず野間が各々の症䟋に察しおほが同じ、「無意識」的な䜕者かの働きかけによっおこのような自己・病いが匕き起こされおいるず解釈するのは、ごく自然であるずいう印象をも぀。
 たた「亀通事故が結果ずしお状況からの避難になる」ずいう意味では、第二章で挙げた高霢女性の䟋もあおはたる。「圌女は亀通事故ずいうチャンスを巧みに利甚しお、䞍平等な家庭内劎働をサボタヌゞュする口実を぀くろうずした」ず評しうるであろうか

 

 なお芪類を庇おうずしお蚀っおいるわけでは党くなく、たたたた圓事者から芋聞きした事䟋ずしお扱っおいるにすぎないこずを匷く申し添えおおく。その芪類ずの関係は良奜で、別の文脈では尊敬できる面も倚々あるのだが、本件に関しおのみ蚀えば「そうなる前に免蚱返䞊しろよ、バヌカ」ず蚀わざるを埗ない。

 

 たた野間はノァむツれッカヌず同様、「症状遞択」ずいう指摘もしおいる。すなわち、

 

 この男性が事業に行き詰たった結果、事故に遭遇せざるを埗ないようなずころたで自分を远い蟌み、そしお仕事を蚀ったん打ち切りにするために、仕事䞊最も重芁な手の震えが症状ずしお遞択された、ずいう理解だ。
 同曞

 

 もう䞀぀留意しおおくべきポむントずしお、野間は圌の症状のなかにゞェンダヌ的な葛藀があるずいう。すなわち、圌の右手の震えは「男性的力匷さず女性的繊现さのあいだを揺れ動く、この男性の迷える生き様をそのたた䜓珟しおいる」のだずいう。


 これら䞀連の"読み"は医孊的な専門知ずいうよりは日垞の思考に近く、村萜的・因習的ですらある。「あの事故はたあ、朮時っおこずなんだろうねえ」「病気になったおかげで無理をやめられた」云々。
 したがっお感芚的には了解されやすい反面、孊者や識者が倧真面目に「自動車事故の心理的分析」を語るこずに぀いおは、抵抗感を抱く人も倚いであろう。そこにどうしおも合理的思考の範疇を逞脱したものを感じるこずは吊めない。その領域――圓時は自動車自䜓が少なかったので自動車事故ではないにせよ、「事故」の心理的分析――にたで螏み蟌んでいるのがグロデックである。

 

b.〈゚ス〉は遍圚する

 

 グロデックは、時代的にはノァむツれッカヌに数十幎先行するにもかかわらず、圌よりもさらに倧胆に議論を掚し進めおいる。

 

GroddeckGeorg Walter(1866-1934)


 ずいうのも、グロデックが『身䜓の粟神分析に぀いお』で心理的分析を加えおいる症䟋は、神を瀆神したこずによりか぀お村で「瀆神者」ずあだ名されおいた盲人ず自己を同䞀化したこずによる網膜出血だずか、効の死を望む気持ちを抑圧した結果の喀血ずいったもの――ノァむツれッカヌも「たれに」であれば「確実に噚質的」ず芋做される出血等を起こすず蚀っおいたが――さらにそれには収たらず、

 

 たずえば倪った者に぀いお、劊嚠幻想があったり、満たされるこずを埅ち望んでいる空虚感があったり、分厚い皮膚を必芁ずするような繊现さがあったりするのではないか、ずいったように、身䜓的特城にもなんらかの目的がある可胜性を瀺しおいる。『病いの意味』では、骚折ずいう倖傷にたで心理的解釈を䞎えおいる。
 同曞

 

 ずいうのである。たたグロデックは、近芖などの生埗的な特城でさえも心理的解釈の範疇ずする。これをどのように理解すればいいのだろうか
 グロデックによるず、われわれの心身は元来ひず぀のものであり、それは〈゚ス〉ずいう力によっお支配されおいる。そしおさたざたな症状は、その〈゚ス〉の意図によっお生じるずいう。
 グロデックの〈゚ス〉は心身をずもに叞る抂念である。あくたで心的機構のみに属する、「無意識」の埌継抂念である埌期フロむトの「゚ス」ずは倧きな違いがあり、その特城によっおグロデックの〈゚ス〉は、広範か぀盎接的に身䜓-噚官に働きかけるこずを可胜ずする。

 

 〈゚ス〉抂念の䜿甚をめぐっお、フロむトずグロデックの間にはキャスの茶番では枈たされないレベルの確執が生じた。フロむトが『自我ず゚ス』(1923)を刊行したずき、グロデックはこれを自らの〈゚ス〉抂念の剜窃、しかも肝心の郚分を取りこがした劣化移怍だず感じた。だがフロむトには圧倒的な知名床があり、たた䞡者は垫匟に近い関係でもあったので、䞋手に隒いでも䞖間に売名行為だず取られかねず、グロデックはかなり婉曲な蚀い回しでフロむトを非難しおいる。たずえば圌は二人の関係を蟲倫フロむトず鋀グロデックに喩え、「私を䜿い捚おにする぀もりですか」ずいう意味の曞簡を送った。いっぜうフロむトは、自らの「゚ス」抂念がグロデックに由来するこずを枋々認め぀぀も「それいったら元々はニヌチェの発想でしょ」ずか「アップデヌトしおあげたのにパクったずか蚀われるず悲しいなあ」ずいった意味の受け答えをしおいる。この確執は぀いに二人の生前に解決されるこずはなかったこのあたりの事情は互盛倫『゚スの系譜 沈黙の西掋思想史』に詳しい。

 

 そのためグロデックは埌䞖「心身医孊の父」ず称されおいるにもかかわらず、圌自身は「心身症」ずか「心因」ずいった蚀葉を䜿わなかった。心が原因で身䜓に症状をきたすずいう捉え方は心身二元論的だからだ。そうではなく、圌にずっおは健康も病気も生埗的な特城や事故でさえ「〈゚ス〉の珟象圢態」、すなわち心でもあり䜓でもある〈゚ス〉が䜕らかの目的のために衚に珟れお圢をなしたものなのである。

 したがっお、グロデックは健康ず病気の区別をも拒吊した。身䜓に起こるこずのすべおが「〈゚ス〉の珟象圢態」である以䞊、人間にずっお病気のみがむレギュラヌなわけではないからだ。

 

 今回読んだ範囲では、病原䜓等の倖圚的病因の存圚感はグロデックの蚀説のなかではきわめお垌薄であり、正盎かなりスピ床が高くダバめであるずいう印象を受けたこずは吊めない。なおこのテヌマに぀いおは䞋蚘ブログで怜蚎したこずがある。

 

visco110.hatenablog.com

 

 たた粟神疟患に限っお蚀えば、ラカン掟が「すべおの人は神経症者か粟神病者、倒錯者+自閉症者のいずれかに分類される」ずし、「健垞者は病盞期ではない粟神疟患者にすぎない」、突き詰めれば「健垞者は存圚しない」ずいう芋解を持぀こずに通ずる。そもそもラカン掟は自殺すら悪いこずず思っおいないふしがあるC・カリガリス『劄想はなぜ必芁か』における質疑応答を芋よ。咲くも花、散るも花ずいったずころか。ただし、こうした態床が「粟神分析孊は倫理的ニヒリズムである」ずいった批刀的たなざしを向けられるゆえんでもあるこずには留意する必芁がある。

 

 あらためお心身䞀劂を説いた孊者は、もちろんグロデック以倖にも数倚くいただろう。しかし、グロデックの慧県は、心身の根底にひず぀の原理を仮定したこずだ。それこそたさに、「それ」ずしか名指すこずのできないような"䜕ものか"であり、グロデックはそれを〈゚ス〉ず呌んだのだった。
 同曞

 

 この〈゚ス〉こそがわれわれが探究しおいる、ヒステリヌ性痙攣患者を「怪我をさせないように転倒させた」もの、その他芋おきたような扁桃炎や吃音や耇芖や振戊や時には亀通事故すら呌び寄せる、われわれが「無意識」ず確定的に語るのを慎重に避けおいた、われわれの内なる他者の正䜓なのかも知れない。
 だが〈゚ス〉もたた、「無意識」ず同様にたんなるラベリングになっおしたう危惧がなきにしもあらずだが  

 

c.事故・疟病は語りかける、ただし明け方の倢のように

 

 では盎接、グロデックのテクストを芋おみるこずにする。
 圌は『病いの意味』においお骚折に぀いお語るず同時に、骚折を匕き起こした転倒ずいう「事故」に぀いおも仔现に心理的解釈を加えおいる。
 『病の意味』のほか倚くのテクストにおいおグロデックの語り口は軜く、なにやら分析や議論ずいうよりは、あれやこれやのむマゞネヌション=物語的解釈の提瀺、いや単に楜しいお喋りをしおいるだけずいった印象すらある。たずえば転ぶ瞬間の驚きに぀いおは、

 

 転倒のずきの驚きが語っおいるのは、この足堎は重芁である。よっお倖的内的な犁止にもかかわらずそれを攟棄したり攟棄しようずしたりするのは軜率である、そしおいた自分は足堎の攟棄のためにある危険、ある眪に脅かされおいる、ずいうこずなのです。
 グロデック『゚スずの察話』所収「病いの意味」

 

 だずか、

 

 転倒はひず぀の告癜でもありたす――「わたしはたっすぐな姿勢を保぀暩利、すなわち党き人間であるずいう暩利を喪倱した。わたしはそんなに匷くはない」。あるいは、転倒はひず぀の懇願です――「運呜よ、神よ、あなたが人々を導いたようには、わたしを導き絊うな、わたしをただ立぀こずもできぬ、あなたの怒りにも倀しない子どもずみなしたたえ」「わたしを眰し絊うな、わたしは力なく平䌏しおいるではないか。わたしを芋捚お絊うな、わたしはひずりで立぀こずはできないのだから」。
 同曞

 

 ずいった調子であり、たた転んだ痛みに぀いおは、

 

 すなわち、汝がさらに歩もうず望むならば、すなわち、汝がこれたでよりもさらに厭わしいこずを為そうず望むならば、䜙、汝の゚スは、絶察的な力でもっお数週間だけ汝を䞍具たらしめよう。いたたでの生掻から身をひき、床に䌏し、子どもに戻るがよい。そうすれば、汝は汝を気づかう母芪を芋いだすこずであろう。
 同曞

 

 ずか、

 

 これを芋ろ。わたしは暪たわっおいる。わたしは子どもなのだ。立ち䞊がり前に出でよ、あなたたちは子どもを救う矩務があるのだ。
 同曞

 

 ずいうようなこずを蚀う。
   ちょっず埅お、なんだかやたらずオギャっおるな぀たりそれがお前らの本音っおこずか

 

むンタヌネットにおける「オギャり」の䟋。
https://kouhey.blog.jp/archives/17409627.html

 

https://kouhey.blog.jp/archives/17409627.html

 

https://kouhey.blog.jp/archives/17409627.html


 たた「症状遞択」に関するず思われる郚分も、なにやら饒舌か぀ナヌモラスである。

 

 人間は歩くために足をもっおいたす。したがっお、足の骚折やその他、䞋肢に生じるあらゆる疟患の意味は、゚スが䞀時のあいだ歩かないほうがいいず考えおいる、ずいうこずになるのです。手の病気の堎合は、この手を䜿うこずに察する゚スの犁止を仮定するこずができたす。それはもしかするず盗みを行なう危険があるためかもしれないし、あるいは自慰行為や暎力や、独裁的な゚スが埗策ではないずみなすような、なにかほかの行為、なにかほかの幻想の危険があるためかもしれたせん。身䜓の開口郚やその呚囲に生じる病気の堎合は、゚スがなにかをみずからの内郚に入れたり逆に倖に出したりしたくない、ずいうこずが病気の意味ずしお存圚する可胜性がありたす。発疹は、人を嚁嚇する――そしおたた誘惑する――意味をもっおいたす。
 同曞

 

吟峠呌䞖晎『鬌滅の刃』。詐病ずいうより「〈゚ス〉の珟象圢態」の可胜性

 

 このようにしお事故および症状遞択の逐䞀に意味が付䞎されおゆくのだが、あくたで医者ではなく患者だけが自らの〈゚ス〉のふるたいに぀いお解釈し、語るこずができるずいうのが圌のスタンスである。
 こう蚀うず、倢や易やタロットなど刀じ物系占い党般に共通する、「あらかじめ意味が確定した察象を読み解くのではなく、読み解く過皋においお察象の意味が確定する」ずいう法則を、グロデックは事故や疟病に応甚しおいるのだずも芋做せる。事故や疟病は「〈゚ス〉の珟象圢態」ずしお意味はあるが、その意味ずは患者が読み解く過皋においお確定する、ずいったように。

 

visco110.hatenablog.com

 

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 だが「事故・疟病解釈ずは患者が自らの人生の物語を玡ぎ出すプロセスなのだ」ず結論づけるのは、〈゚ス〉の働きをタロットカヌドの䞊びや、倢のさいの脳幹の䞍芏則なニュヌロン掻動の類いず同䞀芖するこずになる。近いものではあるがやはりそれは幟分か矮小化しおおり、ヒステリヌ性痙攣患者を「怪我をさせないように倒す」ような、なにかしら珟実に働きかける思惑ず力を持った存圚ずはかけ離れおいる。

 したがっお本皿はただ終わるわけにはいかない。次章では、〈゚ス〉の力が逆に最倧限に発揮された堎合にどうなるのかを再び症䟋ずずもに芋おゆくが、その前に、グロデックの怜蚎にひずたずの区切りを぀けなければならない。

 

d.生気論vs機械論ずいう疑䌌察立

 

 グロデックの思想、ずりわけその〈゚ス〉抂念は生気論の圱響が色濃いずいわれる。
 䞀般的に生気論ずは、「有機䜓には生呜掻動を掚進するなんらかの非物質的な力が存圚する」ずいう立堎を指す。だがこの立堎は吊定神孊的である。すなわち生呜に぀いおの「物質的な」研究が成果を䞊げるごずに、生気論者は「それでも"生呜"そのものの䜕たるかは解明されおいない」ず、無限にゎヌルポストを埌退させ続けるこずが出来るからだ。
 そうしおおきながら、生気論者は生呜に぀いお盎接語るすべを持たない。この隘路を指しおマトゥラヌナずノァレラは「探究すべき固有の珟象領域に気づき、なおこの珟象に぀いお比喩的にしか語るこずのできない宙吊り状態」マトゥラヌナノァレラ『オヌトポむ゚ヌシス』ず指摘しおいる。
 たしかにノァむツれッカヌやグロデックは生気論的であり、「無意識」や〈゚ス〉は比喩に他ならない。それを受け容れ぀぀展開しおいる本皿も、そこかしこで「比喩的にしか語るこずのできない宙づり状態」にぶち圓たっおいる。

 だが生気論vs機械論は疑䌌察立にすぎないずする意芋もある。我が囜におけるオヌトポむ゚ヌシス研究の第䞀人者である河本英倫は、二぀の芳点から「生気論ず機械論はそもそも察立しない」ず論じおいる。第䞀に、

 

 「力」を動力孊的構想にしたがっお、それじたいは非空間的であり、しかも物質を空間内にもたらす原理だずみなすこずができる。斥力や匕力ず同様、力は空間内の存圚ではなくむしろ物質を空間化する原理であるため、どんなに解剖孊的に探しおも芋えるはずがないのである。
 䞭略
 有機䜓の空間的なありかたそのものを問題にしおおり、空間内に物質を前提ずする力孊論機械論ずは、構想からしおすれちがっおしたう。したがっお生気論は消滅しないだけではなく、本来機械論ず察立しおもいないのである。
 河本英倫『オヌトポむ゚ヌシス 第䞉䞖代システム』

 

 たさに我々が芋おきたヒステリヌ患者の病因も、「どんなに解剖孊的に探しおも芋えるはずがない」ものであった。グロデックにずっおの「生気」である〈゚ス〉にしおも、たずえ孊䌚に珟物を持っおゆくこずは出来ないにしおも、「だから存圚しない」ず䞀足飛びに結論づけられるものではなく、斥力や匕力を珟物ずしお提瀺できないこずず同じだず蚀えるのではないだろうか

 そしお第二の理由。

 

 力孊に匟性力があり、化孊には芪和力があるが、たずえ元玠を分解しおも、これらの力を実隓するこずはできない。解剖孊的に実隓できないこずは、こずさら䞍利な蚌拠ではない。
 䞭略
 経隓科孊的探究が無前提に進行できない以䞊、経隓科孊的探究によっおは説明できないなんらかの前提が残る、ずいう事態に察応しおいる。しかしこうした事態は、あらゆる経隓科孊においお生じる以䞊、本来ここでも機械論ず生気論の察立図匏は成立しおはいない。
 同曞

 

 ぀たるずころ、逆に生呜を語るのに機械論の立堎を貫培しようずしおも早晩説明䞍可胜なポむントに至るのであり、そこで黙るか、そこから先は生気論的な比喩語りを受け容れるしかなくなるのである。グロデックの蛮勇はいわば必然であった。

 これに錓舞され぀぀、さらに考察を進めよう。ようやくヒステリヌを離れ、次の章で扱うのは「ポルタヌガむスト」および「憑䟝珟象」である。

 

 

5.尟厎豊ずポルタヌガむスト

 

 

a.䞋女戊蚘――「池袋の女」ず井䞊円了

 

 江戞末期に「池袋の女」ず呌ばれる俗信があった。これは池袋出身の䞋女を雇った家ではさたざたな怪異が起こるずいうものである䞋女家事雑事をさせるために雇った女性。女䞭ず同矩。

 出兞ずしおは根岞鎮衛『耳袋』が最も叀く、それによれば、根岞が評定所珟圚の最高裁刀所に該圓に勀めおいた頃、同僚であった倧竹栄蔵なる曞圹の父芪の代に、屋敷の屋根に倧きな石が萜ちおきたり、茶碗が勝手に長抌なげしを越えお隣の郚屋に飛んでいったり、台所の庭で米を぀いたずころ目を離したすきに座敷の庭たで動いおいたり、倩䞊から隒がしい音するが調べおも䜕者もおらず、調べた者の顔が煀だらけになったりず、さたざたな怪異が起こったずいう。

 

宮厎駿監督『ずなりのトトロ』

 

 そこで神䞻や山䌏に助けを求め色々ず祈祷などしたが、いっこうに鎮たる気配がなく、ある老人が「もしかしお池袋池尻あたりの女を召䜿っおはいないか」ず尋ねるので䞋女に出身を尋ねたずころ、案の定池尻村の者であった。そこでさっそく暇を出すず、怪異はぎたりず止んだずいう。

 圓時はこうした事件があちこちで起きるずされ、囜文孊者の鈎朚棠䞉は「男より女に祟る池袋」ずいうその頃の川柳を玹介しおいる平凡瀟東掋文庫版『耳袋』脚泚。たた宮田登も『劖怪の民俗孊』のなかで、「䞋女が郚屋振動こい぀池袋」ずいう、なにやら譊察ポスタヌみたいなノリの川柳を匕甚しおいる。

 

 これは実際にあった話だろうか。少し気になるのは『耳袋』の挿話のなかで、根岞からみお倧竹栄蔵の父がいわゆる「友達の友達」――ゞャン・ハロルド・ブルンノァンが「兞型的な郜垂䌝説の語り手」ず指摘したフォアフ(friend of a friend)に盞圓するこずだ。したがっお、もしタむムマシンで倧竹栄蔵に話を聞くず「いやあれは父ではなく父の友人某に起こったこずだ」ずいう可胜性がある。次に栄蔵の父に䌚いにゆくず、「その話は友人某ではなく、その兄に起こったこずだ」ずいうような  

 だが『耳袋』の話そのものはずもかくずしおも、これに類する事件の少なからずは実際に起こったこずである。ずいうのも明治期になり、「お化け博士」ずしお知られおいた哲孊通珟・東掋倧孊創立者の井䞊円了をはじめ、譊察や新聞蚘者などによる実地調査の蚘録が幟぀も残されおいるからだ。

 

井䞊円了(1858-1919)


 調査や資料怜蚎の結果、円了の出した結論はきわめお垞識的なものであった。

 

 井䞊は䞋女が故意に石を投げたり、茶碗などを空䞭に攟り䞊げたりするず結論づけおいる。こうした䞋女は田舎から出おきお町で生掻しおいる。ずくにいろいろず欲求䞍満がたたる雇人の生掻を送っおいるのである。そのリアクションずしお悪戯をしたのではないか、ず想像されおいる。
 宮田登『劖怪の民俗孊』

 

 じっさい、圓時のポルタヌガむスト隒動では青森・京郜・鹿児島などの各地で䞋女が犯人ずしお捕たるずいう顛末が倚かったずころで、党囜にご圓地版の「池袋」があったのではないかず想像したくなる。

 たずえば円了が明治二十五幎に自ら調査した、駿河台圓時は歊家屋敷が建ち䞊んでいた西玅梅町五番地の久保枅右衛門の家では、

 

 その幎の十䞀月八日の倜から、久保家の入り口に案内を乞う声がするようになった。誰が来たのかず思い玄関に出おみるず誰もいない。こんなこずが数日぀づく。誰かのいたずらず思い、そのたたにしおいたが、やがお石や砂利が家のなかに投げ蟌たれるようになった。
 束山巌『うわさの遠近法』

 

 ずいう事件が起きる。やがお「神田連雀町の皲荷」ず名乗る狐が連日蚪れるようになり、障子ごしに䌚話をしたり、小さなお菓子をくれたり、䞉味線にあわせお姿は芋せずに螊ったり、未来や吉凶を占ったりするようになった。
 円了はこの家を䞉床蚪れ、

 

 ・狐がその家にしか珟れないこず

 ・狐ず䞋女が同時に話さないこず

 ・狐の蚀葉に東京䞋町の蚛りがあるこず

 ・神にしおは䞉味線にあわせお螊るなど䞋品なこず

 ・占いにしおも䞋女が知りうる皋床の簡単なこずばかりであるこず

 ・鮚などを䟛えるずすべお食べおしたうこず

 

 等々から「正䜓は䞋女のしわざである」ず掚理した。
 そしお「読売新聞」に発衚されたその掚理にもずづき、別の者が久保家の台所の抌入れに人を忍ばせ、䞋女のお金の仕業であるこずを突き止めた。

 

 お金は、お増ずいう幎䞊の女性に、狐の話が䌝わるず信者も増え、いずれ賜銭も䞊がり、儲かるからず口説かれたのだず自䟛した。 
 同曞

 

 そんなわけで「池袋の女」系の話はほが䞋女しわざであったず刀断せざるを埗ないのだが、それを故意にやったず取るかどうかには疑問がある。

 ずいうのも、たずえば同じ珟行犯逮捕にしおも次のような事䟋は䜕を意味するのか。これは倧正時代の鹿児島で起きた事䟋だ。

 

 垂内氞田町山䞋虎之助氏の家で䞍思議な出来事が盞次いで起こった。ちょうど春の日の吹く颚もなたぬるく、人の気も倉になろうずする真っ昌間のこず、机の䞊の絵具がスヌッず消えお井戞のなかに血のごずく溶けおしたった。そしお化粧瓶がひずりでに走りだし、ハッず思うず倧きな石がコロコロず座敷にころがり蟌んできたずいう。
 家族はずうずういたたたれず冷氎町ぞ移転しお、やれやれず安心しお胞撫で䞋ろし、その日ばかりは事もなく過ぎた。近隣の人もその家屋敷に䜕かの因瞁があったのだろうず噂しおいた。ずころが翌日になるず金魚鉢から金魚が䞀匹姿を消した。さらに次の日、䞋駄が䞀足どこかぞ消えおしたった。そのたた翌日、朝から茶盆倧の倧きな石が瞁偎にコロコロず萜ち、砂がバラバラず障子に圓たり、雚戞がガタリず開き石が飛び蟌むずいう物隒さ。
 宮田登『劖怪の民俗孊』

 

 だがこの事件も、ツル女ずいう䞋女のしわざであるこずが発芚する。問題はその時の様子だ。

 

 芋匵りの巡査が目を皿のごずくにしお芋぀めおいるず、突劂ツル女の圢盞が倉った。赀黒いちぢれ毛を逆立お、目は異様に茝き、あたかも䞀寞ばかりも飛び出したようで、口をきりりず結んで庭の片隅に行き、飛鳥のように砂を摑むや屋内目がけおバラバラず投げ蟌んだずいう。そしお、あずはケロリずしお砎顔䞀笑。薬眐をさげお台所に入っおくる。そしお、そこに揃えおあった巡査の衚付きの䞋駄をヒョッず摑んだずきの顔぀きのものすごさに、さすがの巡査もゟッず身の毛が立ったずいう。
 井䞊円了『おばけの正䜓』

 

https://matcha-jp.com/jp/7181

 

 「さすがの巡査」ずいうが少々その巡査は小心者だったのではなかろうか。あるいは円了による誇匵があるのかも知れないが、ずにかく女が平垞の態床ではなかったこずが䌺える。
 だが故意でないずしたら䜕なのか その瞬間にほんずうに䜕かが取り憑いたのだろうか

 

b.霊的也電池

 

 井䞊円了は「この鹿児島の出来事は䞀皮の発狂的に属するものである」ずし、「投石狂」ず名付けた。


 このこずで想起されるのは、DSMに批刀的な意芋ずしおしばしば「DSMはなんでもかんでも粟神疟患にしおしたう」ずいう指摘があるこずだ。「子䟛が逆䞊がりが出来ないならば、必芁なのは"発達性協調運動障害"ずいった蚺断ずリタリンやプロザックの投薬ではなく、適切な䜓育指導なのではないか」云々。
 たた20䞖玀末になっお粟神病理の閟倀がぐっず䞋がり、それたで病理ず芋做されなかったものが次々ず病理の仲間入りを果たしたのは、心理孊的サヌビスが䞭産階玚の気晎らし化したこず、それにずもなう心理士・゜ヌシャルワヌカヌずの顧客獲埗競争における粟神科医の思惑がある、ず゚ドワヌド・ショヌタヌは『粟神医孊の歎史』のなかで指摘しおいる。぀たりストレスや生掻問題、か぀おは病理ずたでは芋做されなかった人間行動等をできるかぎり病理ず再定矩するこずによっお、粟神科医はカりンセリング垂堎に参入できるのである。たずえばトム・゜ヌダヌ的な熱䞭はか぀おは若者の自然な気持ちず芋做されおいたが、珟圚では倚動だずか泚意欠陥障害ず芋做されかねない。

 

 井䞊円了の「投石狂」は幟分「ずりあえず病名぀けずけ」ずいった印象を吊めないが、本皿の論旚をここたで远っおきた読者なら別の"読み"も可胜であろう。

 ぀たりものを投げる、隠す、怪音を立おる等々ずいったポルタヌガむスト的「衚出」もたた、ヒステリヌの症䟋で芋おきたのず同様の、行き詰たった状況からの撀退戊術なのではないか、そしおそれをさせおいるのは、グロデックの〈゚ス〉のような内なる別の䞻䜓なのではないか、ずいうこずだ。

 たたツル女の「あずはケロリずしお砎顔䞀笑」ずいう箇所も芋過ごしおはならない。ずいうのも、ありがちなこずだが圓時の䞋女たちに「今の奉公に満足しおいるか」ず尋ねおたわれば、「よくしおもらっおいるので満足だ」ず答える割合が高いであろうこずは容易に想像できるからだ。
 これに぀いおはフォむダヌの結婚生掻に察する指摘がわかりやすい。

 

 たずえば、婊人に察しお、結婚生掻が幞犏であるかないかをたずねる調査があるが、婊人たちが質問者に察しお、幞犏だず答える頻床が高いのである。䞻題統芚テスト安田蚻耇数の絵を甚い被隓者に物語りを䜜らせる投圱法の䞀぀。1935幎にヘンリヌ・マレヌらによっお発衚されたのように、より埮劙な方法が甚いられる堎合には、抑圧された䞍満や、攻撃的衝動が倚くあるこずが瀺される。にもかかわらず、婊人は、぀ねに幞犏に結婚しおいるのだずみせかけるべきだずいう芏範にしたがっおいるのである。そしお、実際に、かれらは幞犏に結婚しおいるず思い蟌んでいるのだ。しかし、口頭の報告の真停は、パヌスナリティのよりかくされた局を照射する心理孊的調査の手段によっお、たしかめられなければならない。
 L.S.フォむダヌ『粟神分析ず倫理』

 

 「意識は芏範を内面化する」ずいう意味においお、意識こそ自らであるずいう単玔な態床を近代人はもはや取るこずは出来ない。これはフロむトの超自我抂念にかぎらず、デュルケムやG.H.ミヌド、パヌ゜ンズ、バヌガヌルックマン等によっお繰り返し指摘されおきたこずである。

 そもそも芏範ずは䞀定期間持続し抜象化された瀟䌚暩力に他ならない。それに逆らっおは生きおゆけないが隷埓させられおいるず認めるのは屈蟱なので、あたかもそれを自ら望んでいるかのように振る舞ううえに進んで信じさえもする。それが「内面化」である。

 

8 men stand in front of this Ceiba or kapok tree, Slavery in Belize

 

 したがっお「反抗しおも勝おっこない」ずか「より立堎が苊しくなるだけだ」ずいった力関係や、「職を倱ったら食べお行けない」ずいった生存の問題、たた結婚であれば「この結婚が過ちだったず認めたくない」ずいった名誉の問題が根底にあるのであり、そのどうにもならなさから自尊心を守っおいるのが「内面化」である以䞊、他人の「内面化」を指摘するずたいおいブチギレられるこずになり絶察にやめたほうがいい。

 ずもあれ、意識は䞻䜓を欺く。それゆえにここでは投石する〈゚ス〉のほうがむしろ抑圧された本音を代行しおいる。だからこそ事がすめば「ケロリ」ず、ふたたび意識が統制を取り戻すのである。

 さおそうこうするうちに䞋女は、事が露呈するにしろしないにしろ結果ずしお暇を出されるこずになりがちだ。おそらく倚くのケヌスでは呚囲もなんずなく察しが぀いおいるのではないだろうか。「たあなんか霊か狐かむタズラかよくわからんけど、あい぀に暇を出せばたぶん収たるんじゃないかな」ずいうように。

 

 目を西に転じおみよう。
 コリン・りィル゜ンの『ポルタヌガむスト』は、些か著者にビゞネスビリヌバヌの疑いがあるずはいえ、豊富な事䟋や先人の思玢を詳现に蚘した倧著で䞀読の䟡倀がある。
 たずえば同曞の冒頭で、少幎少女が起こすさたざたな「超胜力」ずも取れるような珟象が列挙されおいるが、それらはたるで、本皿の冒頭に匕いた゚ティ゚ンヌ・トリダの「ヒステリヌが墓堎に連れおいった数々の謎」のリフレむンであるかのようである。

 

 思春期にヒステリヌ性の症状をあらわした䞀人の少女は、手で色を正しく識別するこずができた。背䞭に傷を負った十䞀歳の少幎は、ひじで聞くこずができた。別の思春期の少女は、目を包垯で芆うずおなかで本を読むこずができた。別のヒステリヌ症の女性は目がX線胜力をも぀ようになり、自分の腞に虫が芋えるず蚀った――実際に虫の数を数えお䞉十䞉匹いるず蚀った。やがおぎったりこれだけの数の虫を排泄した。ヒステリヌ発䜜を患う若い男性は人の心を読むこずができ、目をかたく包垯で芆っお玙にかかれた絵や蚀葉を再珟できた。
 コリン・りィル゜ン『ポルタヌガむスト』

 

 ヒステリヌ ヒステリヌ ヒステリヌ ポルタヌガむストに話を移行させた぀もりだったが、どうやらこのテヌマにはどこたでもヒステリヌが付き纏うようである。

 ポルタヌガむストあるずころに少幎少女あり、ずいうこずはポルタヌガむストぱネルギヌの䟛絊源を必芁ずし、圌ら圌女らがその䟛絊源ずなっおいるのではないかずいうのがコリン・りィル゜ンの䞭心ずなる論点の䞀぀である。

 

The Bizarre Case of the Electric Poltergeist Girl

 

 たたコリン・りィル゜ンは他にも面癜い指摘をしおいる。圌によれば、そもそも西欧における幜霊珟象(haunting)は通垞、かなりの長期間、ずきには数䞖玀にわたっお倚くの人の前に姿を芋せる。しかるにポルタヌガむスト(poltergeist)は、噚物を壊したりなどたいぞん隒がしいくせにその掻動期間は六ヶ月を越すこずはたれであるずいうのだ。なるほど、確かに盞圓に目立ちたがりなわりには根気に欠けるのである。ポルさんは。

 

青山剛昌『名探偵コナン』

 

 さらにコリン・りィル゜ンは「䟛絊源ずなる人は神経的に䞍安定な堎合が倚い」ずか「原因ず思われる者に暇を出すずその間はポルタヌガむスト珟象が収たる」ずいったこずも承知しおおり、正盎「そこたで気付いおるのになんでむタズラだず思わないんだ」ず少々その姿勢が疑わしくなっおくる。

 なおポルタヌガむスト珟象の呚囲にはかならず鍵ずなる人物がいお、たあたあの確率で「若い」「女性」であり、たた神経症やヒステリヌを患っおいるずいう芳察は、叀くはハリヌ・プラむスずいう心霊研究の倧埡所が提唱しおいる。ピヌタヌ・ヘむニングによれば、

 

 畢竟ポルタヌガむストは、「浮かれ隒ぐ粟」ずしお知られるようになっおおり、その十䞭八九に思春期の子少幎か少女がからんでいる。そしおむべなるかな、こういう぀ながりがあるせいで、かなりのポルタヌガむストの話が、若者の秘密の掻動ずいうこずで片づけられおしたっおいる。ただ別説もあっお、ポルタヌガむストは若者特有の゚ネルギヌがないず掻動できないのだずか。それは、プラむスがさらにこう曞いおいるずおりである。
 「ポルタヌガむストは、生理孊者にはいただに知られおいない法則によっお、生者から゚ネルギヌを抜きずるこずができる。そうした生者は、若者のばあいが倚い。もっず蚀うならば、ふ぀うは思春期の少女で、ずくに粟神障害に悩んでいるこずが倚い埌略」
 ピヌタヌ・ヘむニング『䞖界霊界䌝承事兞』、「」内はハリヌ・プラむス『むングランド党土のポルタヌガむスト』

 

 ずいう。ただプラむスの、受動的に゚ネルギヌを抜き取られおいる――いわば霊的也電池――ずいうニュアンスには銖肯しかねる。なぜならポルタヌガむストの霊はそもそも自己内にあるもの、本皿で「無意識」や〈゚ス〉ず呌んできたものかもしれないからだ。
 この問題意識をキヌプし぀぀、次に憑䟝に぀いお芋おみよう。

 

c.憑䟝ずいう亀裂

 

 医者にかかっおもなおらない病気を、䞀般の人びずは《障り》の病、぀たり䜕かが障っおいるこずによっお生じた病気ず考える。この「䜕か」ずは、超自然的存圚や力の䜜甚によっお生じた、ずいうこずを挠然ず意味しおいるにすぎない。
 䞭略
 この「障り」ずか「もの」ずかいった抂念は、〈意味されたもの〉を欠いた〈意味するもの〉だけの抂念ずしおの、レノィストロヌスのいう「マナ」に近い抂念ずみるこずができる。民俗瀟䌚に、䞀時的にではあるが意味䜓系の亀裂が生じたのである。「もの」ずいう抂念は、その亀裂を応急凊理するために甚いる、みせかけの説明であり、砎壊された意味䜓系、説明䜓系のかりそめの立お盎しである。
 小束和圊『憑霊信仰論』

 

 憑霊珟象には「粟神疟患の昔なりの理解のしかた」ずいう面があるこずは呚知である。ずくに日本においおはそうした傟向が匷い。
 たずえば宮本忠雄による「憑䟝状態の臚床スペクトラム」䞋図。この巊偎は二十䞖玀半ばのJ・レヌルミットによる調査で、ペヌロッパでは心因反応ヒステリヌ及びおんかんのみが憑䟝ずずれる症状をきたすが、日本においおは右偎のように、さたざたな粟神疟患由来の憑䟝症状が起こる。「憑き物の囜日本」ず蚀えるかもしれない。

 

憑䟝状態の臚床スペクトラム。『き぀ね぀きの科孊』より

 

 高橋玳吟『き぀ね぀きの科孊』においお玹介されおいる次の症䟋は、どのような状況䞋で人栌倉異ずしおの憑䟝珟象が起こるかを劂実に瀺しおいる。䟋によっお芁玄しお述べる。

 

 䞻婊Fさんは結婚しお二十五幎、倫ず姑の䞉人で暮らしおいるが、性栌はおずなしく、倫や姑に口答えしたこずもない。だが倫は連絡もなしに垰宅しないこずがざらにあり、家庭のこずはいっさい顧みない人物だった。
 ある日、珍しく早く垰宅した倫が「掃陀が行き届いおいない」ず文句をいった。するずFさんは急に荒々しい口調になっお「おたえのようにできの悪いや぀はこの家に垰っおくるな」ず怒鳎り、すごい圢盞でにらみ぀ける。そしお驚く倫に「わたしは××亡矩父である」ず名乗ったのである。
 そのうち「嫁に隠れおコ゜コ゜悪いこずをしお」などずいい、手あたりしだいに物を投げだした。
 Fさんは、翌朝になるずい぀ものように朝食の準備などをごくふ぀うにやっおおり、昚倜のこずを芚えおいないが、倢に亡矩父があらわれたような蚘憶がうっすらずある。

 

 しおみれば件の「投石狂」の女にしおも、いたずらをしおいるずきには心神喪倱-トランス状態にあったのであり、䞻芳的には䜕者かに取り憑かれおそれを行なっおいたのではないだろうか
 じっさい「池袋の女」に類する事䟋は、圓初は狐や土着の神のしわざ解釈されおいた。「神田連雀町の皲荷」や「池袋村の氏神」は、「無意識」や〈゚ス〉を民間信仰的語圙で衚したものずいえる。 

 ずころでさきほど曞きそびれたが、『耳袋』における池袋の女はじ぀は䞻人によっお肉䜓関係を匷芁されおいたずいうオチが぀く。仔现に芋るほど転換性障害ずの共通点が芋出されるのである過去の性的被害が発症の原因ずなったロザリンドの症䟋を想起されたい。そういえば以前『クヌリ゚・ゞャポン』の蚘事で、「悪魔に取り憑かれる人の8割は過去に䜕らかの性的虐埅を受けおいる」ずいうものがあった。

 

courrier.jp

 

 こうした被害経隓から粟神的な傷を負うこずはもちろん、埀々にしお被害者は事件圓時ず倉わらぬ抑圧的な、あるいは危険な状況に眮かれおいるずいう意味でも、恐怖なり屈蟱なり怒りなり逃避願望ずいった匷い心的゚ネルギヌを抱え蟌んでおり、それが発散する堎を求めおヒステリヌや憑䟝ずいった衚出に繋がりやすいず考えられる。

 ずもあれ、このような非垞手段によっお圌女は、正圓な方法では口に出しお芁求するこずさえ難しい暇を埗るこずが出来た――それが同じ堎所には二床ず戻れないものであったずしおも。憑䟝もたた「〈゚ス〉の珟象圢態」なのである。

 ただし「憑きもの」の治療の詊みが、"被憑䟝者の死"ずいう悲劇的な結末を迎える䟋も数倚くあるこずは蚘憶に留めるべきである。この呜がけの詊みは垞に成功するわけではない。

 

 䞀九䞃〇幎十二月八日朝、青森県接軜郡蟹田町で、母芪四十䞃歳がむタコ祈祷垫のお告げを信じお、頭痛を蚎える長男十八歳に乗り移ったずいう悪霊を远い払おうず、長男をなぐり殺しおしたった。母芪は「䞃日倜、かわいそうなので添寝しおいたずころ、八日午前零時ごろになっお、息子に乗移った神様が、息子をずるずいうので息子ずにらめっこした。二時ごろになっお神様を远出すために息子ず取っ組合いになり、䞻人も嚘も手䌝っお神様を远出そうずしたが、神様にたけたため死んでしたった」ず錯乱状態で述べたずいう。
 吉田犎吟『日本の憑きもの』

 

 䞀九六九幎九月䞃日の午埌、秋田県由利郡に䜏むある老婆䞃十䞉歳に憑いた狐を远い出そうず、長男五十二歳ら家族や芪戚の者たちがなぐったり、かみ぀いたりしお、死なしおしたった「朝日新聞」䞀九六九幎九月八日朝刊による。
 同曞

 

web.archive.org

 

www.j-cast.com


d.心的゚ネルギヌ保存則・再考

 

 フロむトのリビドヌが゚ネルギヌ保存則的、ないし経枈孊的ずいえるモデルを持っおいるこずに぀いおはすでに第3ç« b節で觊れた。
 フロむト-ノァむツれッカヌのヒステリヌ芳は、そのようなリビドヌが身䜓の、元来向かうべき箇所性噚過皋だずかずは別の箇所に向かうこずによっおヒステリヌが発症するずいうものだった。この節ではそのようなリビドヌやグロデックの〈゚ス〉、あるいはレノィストロヌスの「マナ」等々をひずたず「心的゚ネルギヌ」ず総称するこずにする。

 すでに芋おきたずおり、この心的゚ネルギヌは疟病ずしおだけではなく䜓倖に「衚出」される堎合があり、それが心神喪倱状態におけるポルタヌガむストや憑䟝ずいった珟象圢態をずる、ずいうのがここたでの話の流れである。

 

Magic The Gathering

 

 哲孊者・粟神分析孊者であるりンベルト・ガリンベルティは、ノァレンティヌナ・ドゥル゜に䟝拠し、むタリア語においお怒り・憀怒が人栌化され、あたかも自己内における他者のように「憀怒に駆られぬように」したり、「怒りの゚ネルギヌを建蚭的な行為ぞず導いたり」、「爆発するたで怒りを貯める」ずいった力孊的蚀い方が適甚されるこずを指摘しおいる。
 たた怒りはしばしば気象孊的荒れ暡様の気分、雷のような倧声、気䜓力孊的圧瞮された怒りが爆発する、掻き立おられた怒りが消える、段階的成長力孊的怒りが沞き立ち、溢れ出るに蚀い衚されるずも述べおいるが、それらは容易に翻蚳されおいるこずでもわかるように、日本語でもたったく事情は同じである。
 そのうえでガリンベルティは、感情党般に぀いお次のように述べおいる。

 

 実際、情念ずいうものはどれも身䜓の原動力であり、過床に抑制されたり止めどもなく発揮されるず身䜓に害を及がすものである。埓っお突き砎らない皋床に我々の「自我」の内壁を圧迫する圧瞮された怒りの感情は癌のもずになるず思われおいるし、たたそれを䞀気に発散するず血圧が䞊がり心臓や卒䞭の発䜜を匕き起こすこずになる。
 そういうわけでアリストテレスからニヌチェに至るたでの哲孊者たちはみな、身䜓の健康ず粟神のバランスは、情念を抌し殺したりたしおそれを陀去しようずなぞしないで、むしろそれらを適床に衚出するこずで保たれるずいうこずを繰り返し考察し述べお来た。
 りンベルト・ガリンベルティ『䞃぀の倧眪ず新しい悪埳』

 

 些か黒板ずチョヌクの匂いのする助蚀ではあるが、ガリンベルティのいう「原動力ずしおの情念」ずはたさに本節で「心的゚ネルギヌ」ず呌んでいるものである。
  さらにガリンベルティは次のようなこずも述べおいるが、これはわれわれの議論にずっお奜郜合すぎお恐瞮なほどである。

 

 性的な隠喩も数々ある。「金玉が぀ぶれたいよいよ頭に来た、の意」、「俺の陰茎を起たせおくれたな蚳泚むタリア語の「陰茎:”cazzo”」は感嘆詞ずしお䜿われるず怒りや憀慚を衚し、動詞"incazzare"を䜿うこの文は、怒らせおくれたな、の意」。たしかに叀代ギリシア語のorgiaorgheé:バッカス祭、らんちき、乱亀は「怒り」、「憀怒」をも衚すくらいだから、憀怒の情ずセクシュアリティの間には隠された芪近関係があるのだ。

 同曞

 

 ランボヌ怒りの乱亀ずいうわけだ。
 このような「心的゚ネルギヌの衚出」ずいう次元で捉えるならば、実家の壁に穎をあけるこずも、倜の校舎で窓ガラスを壊しおたわるこずも、ポルタヌガむスト珟象にきわめお近しい行為であるず蚀える。぀たり尟厎豊ずポルタヌガむストはほが同じこずなのであり、䞡者の違いはどのおいど心神喪倱-トランス状態にあったかずいうスペクトラムに過ぎないのではないか。そういえば『卒業』の歌詞のなかには、「俺たちの怒りどこに向かうべきなのか」ずいうたさにガリンベルティ的・゚ネルギヌ保存則的フレヌズもある。

 

www.youtube.com

 

 それにしおも、いったい孊校や教垫の䜕にそんなに抑圧を感じおいるのだずいう気もするが、思春期ずはえおしおそういうものなのだろう。吉本隆明は次のように述べおいる。

 

 芪はくだらない、の぀ぎには、孊校はくだらない、教垫はくだらない、ずいうこずになるが、この時期青幎前期の人間にずっお、くだるような芪や教垫でありうるものは、どこにもいるわけがないずいうこずになる。なぜならば、〈かれ〉が芳念的に吊認し、察立しおいるのは、ほんずうはこの䞖界の党䜓であっお、たたたた、身近にいた芪や教垫は、その郜合のいい䟛犠にほかならないからである。
 吉本隆明『曞物の解䜓孊』

 

 そうしお青幎は吉本のいう〈遠隔察象性〉――遠くにある理想の察象に焊がれ、盗んだバむクで走り出すのである。行く先もわからずに。

 歌謡曲぀いでに蚀えば、globeの「Can't Stop Fallin' in Love」に出おくる「みんな泣いおいる やり堎のない想い」ずいうくだりもひじょうに゚ネルギヌ保存則的である。溜たった想いは察象や圢を倉えお衚出される――もしそうならなければ、内に籠もっお疟病ずなる。

 したがっお、暎力や犯眪やリプバや政治掻動や自殺・自傷や性的攟瞊や䟝存症や昇華有意矩な掻動ぞの転換等々もたた――これらのなかにはリプバのようにどうにも瀟䌚的に受け容れ難いものもあるが――心的゚ネルギヌ保存則、ないし経枈孊的モデルで理解しうる。


 たずえばリストカットず映画『゚ク゜シスト』のようになにかが憑䟝しお身䜓に傷を぀けるこずは玙䞀重であるし、昔『ゲヌメストアむランド』ずいう、雑誌『ゲヌメスト』の読者投皿欄のみを総集した倧刀のムック本を手に取ったこずがあり、そのなかに「わたしはむラむラするず自分の髪の毛を抜きたす。䞀床に10本くらい抜くこずもありたす」ずいう趣旚の投皿があり少女マンガ颚の絵柄で女の子が「(*®∀`*)+゜*」みたいなノリで髪の毛を抜いおいるむラストが添えおあったが、今にしお思えば「それっお  」ずいう話である。

 

りィリアム・フリヌドキン監督『゚ク゜シスト』

 

 

6.分裂病は人工病

 

 

a.瀟䌚共謀因説

 

 

 「人は䞀人で生きられない」などずいうおためごかしはもう結構。
 この蚀葉は、もうずいぶん昔になるが、パむセンがギャンブルにはたっお䞀時間に䞀回電話がかかっおくる状態になったさい、今埌は真面目に生きるからず頌み蟌たれおチワワや䞭叀車が買えるおいどの金を貞したのだが、その過皋で嘘があったり実際にはサラ金以倖に別の友人にも金を借りおおりそっちの返枈に充おおいた。なんでそれを私が立お替なきゃならんのだ💢、筆者からの借出し䞭にもあれが欲しいこれが欲しいず物欲発蚀を連発したりしお、けっきょく貞した金は返っおきたもののその埌、圌の金銭感芚をはじめさたざたな垞識感芚の欠劂に぀いお、どうしおも䌚話がこちらからの説教っぜくなる堎面が増え、たた先茩-埌茩関係にふさわしい敬意を持ち続けるのが難しくなったこずがおそらく少なからず筆者の態床に滲み出おそこは反省しおいる、぀いにパむセンがキレお筆者に絶亀を宣蚀するずずもに蚀い攟った蚀葉だ。
 「人は䞀人で生きられない、だからお前は自分の考えを俺に抌し぀けるな、でも金は貞しおね」ずいうわけ。そのパむセンずはそれっきりになったが、数幎埌に共通の友人の結婚匏に圌だけ呌ばれおいなかったのは䜕故なんだろう(・ω・)

 

犏本䌞行『賭博黙瀺録カむゞ』


 したがっお筆者は、思考の同調圧力を求めおくる「人は䞀人で生きられない」ずいう物蚀いの代わりにこう蚀いたい。「人は他人を殺しおはならない」ず。
 なにを圓たり前のこずを――ず思われるかも知れないが、ここでいう「殺す」ずは広範な意味を含む。぀たり他人の生の抑圧・圧殺に消極的にであれ加担しおはいけないずいうこずだ。
 これは友達的に付き合ったりケアする矩務を意味しない。そうではなく、自らが参䞎するシステムが誰かを抑圧・圧殺しおいるず気付いた時に、それを回し続けおはならない、そのシステムの䞀郚分である自芚を持おずいうこずである。
 䞀䜓どういうケヌスを想定しおいるのか 最終章ではそれを幟぀か述べお、少しばかり今埌のヒントをさぐっおみる。

 

 田島昭氏は、文藝春秋䌁画出版だずか近代文芞瀟ずいった自費出版系の出版瀟から䜕冊か本を出しおいる粟神科医だが、たたたた圌の『粟神分裂病のなおし方』を叀曞店で賌い、興味本䜍で䞀読したずころたいぞん瀺唆に富む内容だったのでここに玹介したい。
 田島氏の粟神分裂病珟・統合倱調症芳は、端的に蚀うず分裂病ずは人工産物だずいうものである。
 これは瀟䌚共謀因説六十幎代における脳病理の同定に察する挫折から、その反動によっお生たれた朮流。粟神疟患を正垞心理孊の延長の範囲に倖挿できるのではないかずいう発想をも぀の類いである、ずひずたずは客芳的に䜍眮づけるこずはできるだろう。この考えを突き詰めるず、レむンの次のような姿勢に行き着く。

 

 分裂病ずいう状態など存圚しはしないのです。分裂病ずいうレッテルを貌られるこずは䞀぀の瀟䌚的事実であり、この瀟䌚的事実ずは䞀぀の政治的出来事です。
 䞭略
 分裂病ずいうレッテルを貌られた人間は、他者の監督䞋に、それも法埋的に是認され、医孊的に暩胜を䞎えられ、道矩的に矩務付けられた他者の監督䞋におかれたす。こうした䞀連の瀟䌚的行為を正圓化しおいるのは瀟䌚の指什なのです。
 R.D.レむン『匕き裂かれた自己』

 

 筆者はこうした分裂病にたいする構築䞻矩的立堎に党面的に賛同するわけではないが、実際に田島氏の蚘述に觊れるず、たあ血肉が通っおいるずでも蚀うんでしょうかね、なにやら読たせる力があり、それが匷い説埗性ずしお我々の胞に迫っおくるのである。
 田島氏はいう。

 

 垞識ずは䜕であるか。生掻共同䜓のルヌルであり、平均的な"きたり"である。平均からはみ出した人間は、平均ずいう枠の䞭ぞ再び戻さないず"きたり"のメンツが朰れる。
 入院治療粟神病院に限るは、個々の患者を䟋えば、九時に寝かせお六時に起こす。これは入院治療の垞識ずなっおいる。぀たり、没個性化であり、"平均"を芁求する。倜䞭の十二時に起きおいるず、看護婊から睡眠薬の投䞎を受ける。その指瀺は医垫が出す。医垫も看護婊も、その患者の個人的事情よりも、病院ずいう生掻共同䜓のルヌルを優先させる。぀たり"åžžè­˜"で個を凊理する。
 党おの人間が九時に寝お、六時に起きる筈はない。病院は、しかしそれを蚱さない。個を消し、枠を尊重する。しかも"入院・䌑逊・加療"ずいう倧矩名分をかざしお、個を抌し朰す。
 粟神病を治療する専門の粟神病院が、正にこの様なのである。
 たしおそれ以前の、いわゆる普通の正垞者達がたむろしおいる瀟䌚に斌いおおや、である。
 䞖間様ずいう垞識の金瞛りにあっおいる芪は、自分の子を垞識の枠内で育おる。これはごく圓然の事であるが、結果は倧問題を提䟛しおしたった。無為・自閉・意欲枛退などず、カルテに蚘茉される、粟神分裂病ずいう人工産物を䜜っおしたった。
 正に分裂病は、䜜られた病気なのである。玔粋で劥協を知らない、感受性の鋭い情感豊かな人達を、九十九人の垞識が抌し朰した結果である。
 田島昭『粟神分裂病のなおし方』

 

 匕甚郚分の最埌のくだりはたるで新玄聖曞のようである。わたしは九十九匹の矊のためではなく、䞀匹の矀れからはぐれた矊のための牧童である、云々。たしかに、そもそも瀟䌚が「ここからここたでは正垞である」ずいう枠を芏定するからこそ枠から逞脱したものが"ç•°åžž"ずされるのであっお、治療ずは正垞の枠内に患者を抌し戻すこずに他ならない、ずいうのは䟋えば第4ç« b節で觊れたようにラカン掟の基本的パラダむムでもある。

 

b.教科曞に茉せたいレベルのモラハラ


 では実際に、田島氏が玹介する症䟋を芋おみよう。

 

 ある二十二歳の女性が、倧孊病院で粟神分裂病ず蚺断された。結果は入院であった。私が初蚺した。そしお䞀週間埌に退院させた。なぜなら、その患者は分裂病ではなかったからである。䞀九八二幎十䞀月珟圚、週䞀回の通院で良くなり぀぀ある。病名は分裂病である。
 その家族は? 姉は逃走した。母は沈黙した。父は アルコヌル䞭毒患者である。母は、本人ず姉を抱きかかえお二十二幎間、毎晩倫の酒乱を避けお逃げ廻っおきたのである。圌女は、「お父さんが怖い」ず蚀った。私は圌女に分裂病の蚺断を䞋した。そしお、投薬し泚射もした。しかし本圓に治療しなければならないのは、父のアルコヌル䞭毒であり、そしおなぜ父をアルコヌル䞭毒に远い蟌んだか、ずいう原因を探し出さなければ、圌女は"分裂病"であり続ける事ずなる。
 同曞

 

 本皿の冒頭で匕いたむアン・ダング゜ンらの指摘、「ヒステリヌ患者の芪族の男性は、反瀟䌚的性栌、アルコヌル䟝存、薬物乱甚の人がやや倚い」ずいうのを思い出されたい。おのれアルコヌルめ  
 たたダング゜ンらはこうも蚀っおいた。「倚くの堎合、症状はかなり短時日のうちに突然消倱する。だが埀々にしお、根底にある原因は残る。同䞀の、たた異なった圢をずった、次の転換がおこるのが普通である。ずりわけ、それらにより倚くのものを埗る人の堎合には」。驚くべきこずに、ヒステリヌず分裂病ずいう倧きな隔たりがあるにもかかわらず、これはたるで、そのたた田島氏の患者に察する蚺断であるかのように響くではないか。

 

 田島氏が挙げる別の症䟋では、A子ずいう既婚女性の粟神分裂病患者に぀いお、同居する矩父から届いた手玙が玹介されおいるが、これがたたなんずも胞糞な内容で、自費出版らしい生々しさに満ちおおり読み応えがある。

 

 田島先生ぞ
 前略、AちゃんA子さんのこずが長い間お䞖話になっおいるこずを感謝しおいたす。ここ半幎近く比范的安定した同居生掻が぀づいおいたしたが、いたのずころ䞍安定の状況ずなっおいたす。
 その状況は、先生が問蚺のなかでご存じのこずず思いたすが、私の理解しおいる限界ず、尚䞍明確な点などを申し䞊げお、先生のご指導が頂ければ幞いず存じたす。
 本人が同居家族ずの矛盟を、お互いが理解しあう方向での努力が極めおよわく、思考方法、発想が極端な自己䞭心のものずなっおおり、自分以倖の意芋を党面的に拒吊する傟向が぀よいため察話が䞭々成立しないずいう状況です。そのため埓来も、今回も実父母に来おもらい出来るだけ本人の意芋をきいおもらい、その䞭にどんな小さな正圓性をふくむ意芋も生かすよう努力もこころみたした。
 䞭略
 ここで私が考えられるこずは、本人の自己䞭心の偏狭な思想・人生芳は、本人の粟神発達過皋に倧きな圱響を䞎えおきた幌児期から成人たでの家庭関係、ずくに実父の思想ず人栌の限界が、かなり倧きく、今も本人の粟神ず思想の根底に暪たわっおいるためではないかず考えられたす。それは必死になっお晩幎ようやく局長ずはなったが、同僚だった圹人からあたり信頌関係を持぀こずの出来なかった匱点ず、瀟䌚人ずしおのプラむドを家族や、地域の生掻の䞭で協調力の砎綻しお、孀独感を人䞀倍味わうずいう半生以䞊を経過しおきたこずです。本人の生き方が、父の意志ず党くちがう経営者の長男ずの結婚、長男安田蚻A子の兄が圹人の道を垌望せず、今も垂内の魚屋さんの埓業員ずいう収入も人䞊以䞋ずいう状況を、子䟛にも裏切られたずいう倱望 の心理から脱华出来ないこずもプラむド感を事実䞊うちくだかれた重倧な芁因だずも芳じられたす。
 本人は、成人以埌も、その生いたちの䞭から身に぀けた人生芳を曎に䞀段ず発展させるこずが出来ず、実父たちの生き方を分析的に怜蚎し、より高いものを身に぀けるこずが出来ず、又私達家族の、それず党く察照的な生き方からも殆ど吞収するこずも出来ず、ずいう混迷にあるのではないかず私は分析しおいたす。これは極めお垞識的な刀断だず思っおいたす。
 同曞

 

 いかがだろうか。
 あたりに䞀目瞭然なためか、田島氏はこの矩父氏に぀いおこずさら論評はしおいない。むしろ「犯人は、䞖間様であり垞識でありその先頭を䜕人かの倧人達が歩いおいる」ずいうように、悪者さがしの発想を戒めおさえいる。

 

https://www.newyorker.com/cartoons/random/share/2928977


 矩父の䞻芳的善意に疑いはなく、たたA子はおそらく実際に統合倱調症ず蚺断される症状をきたしおいるのだろうが、それにしおも、そりゃ病みたくもなるずいうようなきわめお暩嚁䞻矩的か぀独善的な人物であり、おそらくは呚囲の人物も倚かれ少なかれの環境である。このような真綿で銖を絞められるような苊しみもアル䞭の害にひけを取らない。

 

c.昔には戻れないけれど  

 

 本章の冒頭で、「"人は䞀人で生きられない"ず蚀う代わりに"人は他人を殺しおはならない"ず蚀いたい」ず述べた。最埌に、そのヒントずなりうるような゚ピ゜ヌドを玹介する。
 それは民俗孊者ベンゞャミン・ポヌルの報告による、グアテマラの小村に䜏むマリアずいう女性の粟神病症状およびその治療の䟋である。

 

 マリアは突飛な振る舞いによっお村人から疎んじられおいたが、぀いに幻芚を䌎う明らかな粟神病状態を発症しおしたった。圌女は、自分が粟霊によっお黄泉の囜に぀れお行かれるず思い蟌み、倖を歩き回りながらも、い぀も独り蚀を蚀っおいたが、それは粟霊ずやり合っおいたのだった。
 岡田尊叞『統合倱調症』

 

 岡田尊叞は、これは西掋粟神医孊的には「解䜓型の統合倱調症が急性憎悪を起こしたもの」ず蚺断されるずころであるず述べおいる。
 それに察し、土着のシャヌマンは次のような芋立おず察応を行なった。

 

 圌女はロカloca 気ふれであり、圌女の身内の者たちが正しくない行動をしたため超自然的な力が封印を解かれおしたい、圌女を苛むようになったず蚺断した。シャヌマンは祈祷を行ない、圌女の身内の者すべおが積極的に関䞎するこずを求めた。圌女の状態は父芪の家に垰るこずが必芁であったが、家に戻っお䞀週間で回埩した。
 リチャヌド・ワヌナヌ『統合倱調症からの回埩』

 

Plants, Shamans, and the Spirit World

 

 こうした察応は、病人を回埩させるうえで重芁な鍵ずなる知恵が駆䜿されおいるず岡田はいう。圌によればそのポむントは、

 

 ・患者本人よりも呚囲に原因があっお圌女はその犠牲者であるこずが瀺されるこず

 ・それによっお、患者の問題から家族・共同䜓の問題に芖点を移行させるこず

 ・すべおの関係者に積極的な関䞎を求めおいるこず

 

 である。
 ここでいう「積極的な関䞎」ず、先皋の矩父氏のようなパタヌナリスティックな態床ずは厳密に区別しなければならない。ここにあるのは芏範の抌し぀けではなく、自らもその䞀郚である共同䜓の問題に察する内省的芖点である。

 

 この䟋にかぎらず、さたざたな地域の土着的治療を調査した研究者が異口同音に認めおいるこずの䞀぀は、患者だけに問題があるずは決しおみなさず、患者に起きおいる超自然的な珟象は、家族や共同䜓の問題だず受け止める点である。これによっお、患者は「狂人」だずか「粟神病患者」ずいった烙印を抌されるこずなく、むしろ犠牲者ずしお受け止められる。集団党䜓が、その人の回埩にかかわるこずによっお、それたであったわだかたりや䞍信も解消され、むしろ本人をみんなが積極的に受け入れるようになる。぀たり、こうした治療ずは、本人だけを共同䜓から切り離す方向ではなく、むしろ「再統合」をはかる営みなのである。
 日本もその䞀぀である近代的な瀟䌚が行なっおいる察応ずの違いは歎然ずしおいる。
 同曞

 

 岡田はこの項を「なぜ発展途䞊囜のほうが回埩率が高いのか」ず名付けおいる。むろん、いたの日本でそっくり同じこずが出来るわけではない。

 思うに人的流動性の䜎さや貚幣経枈の浞透床の䜎さが、この土着的凊方箋に効果を䞎えおいる面は吊めない。぀たり患者にしろ呚囲にしろ、「嫌なら出おいけ」ずいうこずが難しいのである。远攟されおもなかなか他所に溶け蟌めないし、たた远攟した偎も貎重な人手がすぐ補充されるわけでもない。さらに商業が発達しおおらずお互いに関わらずに生きおいくずいうこずも難しい等々の条件があっお、包摂-再統合にある皮のねばり匷さ、「䞀緒にやっお行かざるを埗ないのだから歩み寄ろう」ずいう゚ンパワヌメントが生じるのである。蚀うたでもなく日本の珟代瀟䌚はこの真逆であり、これは䞀長䞀短ずいうべきである人的流動性ず人間関係の倉化に぀いおは䞋蚘ブログで述べたこずがある。

 

visco110.hatenablog.com

 

 ぀たり、べ぀だん途䞊囜の人たちの心が玠晎らしくわれわれの心は荒廃しおいる、ず䞀抂に蚀えるものではない。「みんな昔に戻ればいい」ずいうような䞉䞁目の倕日幻想、『日本の息吹』の衚玙みたいな䞖界を矎化しおも、どだい無理な話ではある。もっずシステム論的に考えなければならない。

 

日本䌚議の機関誌『日本の息吹』竹䞭俊裕氏衚玙画。政治的䞻匵はずもかくずしお画颚じたいは谷内六郎や『LO』の衚玙を圷圿させ、嫌いではない。

 

 しかし、少なくずも本皿でさたざた芋おきた、ヒステリヌ転換性障害、心身症、事故、憑䟝珟象、粟神分裂病統合倱調症、その他あれこれの「衚出」の受け止め方ずしお、たた共同䜓ず個人ずの぀ねに緊匵を孕む関係にずっお、このような包摂の可胜性が、郚分的にでも、あるいはアレンゞしおでも、䜕かしら珟実の凊方箋に繋がるのではないかず筆者は信じる。さもなくば粉砕あるのみである。

 それは、もしあなたが患者でないのなら、共同䜓の問題・抑圧構造に、自らもその䞀郚分であるずいう自芚を持っお内省的芖線を向けよずいうこずであり、もしあなたが患者自身、ないし今にも爆発しそうな心的゚ネルギヌを溜め蟌んでいる圓事者であるならば、それがい぀どのように衚出され、それによっおどこに向かい、なにを倱いなにを手にするのか、内なる声に耳を傟けるこずは䜕かしらの指針ずなるであろう。

 さお「わたしはを信じる」ずいう蚀葉が出おくるのは、いた語りうるこずはすべお語り終えたこずを意味する。ここから先は信仰の領域であり、それはここで述べるべきこずではない。

 

Ω.おわりに

 

 

 本皿で巡り䌚ったのはさたざたな抵抗のかたちであった。ただし䞀぀ずしお敵に真正面から挑むものはなく、いずれも通垞ならばずおも抵抗ずは芋做されないような極小のあがきである。たずえ力及ばずずも敵に正面から挑むこずの出来る者は、すでに匷者であるのだろう。
 ここにスパルタクスはいない。あるものは痎愚のように、あるものは盗人のように、あるものは子䟛のように、たたあるものは虚しく隒ぎ、あるものはやぶれかぶれで、あるものは溜め息を぀きながら、前も埌ろもわからずに、い぀尜きるずも知れずに戊っおいる。総芧にはほど遠いにしおも、それらをひずずおり芋おきたいた、かれらの声なき声がすべおいずおしく思える。

 そのような極小の抵抗は、どうしおも絵空事のように響くかもしれない。そこで「きょうの絵空事で明日を倉えろ」ずうたったRYMESTERの「ゆめのした」を最埌に匕甚しお、おあずがよろしくなるよう祈りたい。ご枅芧ありがずうございたした。

 

 キミは倢想家 オレは劄想家

 蚀っおみりゃメデタむ同業者

 枯れ朚に花咲かす狌少幎

 札付きの倧法螺吹き

 どきなリアリスト

 倱せろニヒリスト

 リリシストのお通りだ

 この䞖界はコトバを欲しおる

 誰かの蚀う通りだ Listen...

 

 

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参考文献

 参考文献は本文䞭に匕甚・蚀及したものに留めた。たた蚀及したものでも本皿のテヌマに関係ないものは省いた。䞊びは本文登堎順だが同じ著者のものは䞀箇所にたずめた。賌入の䟿のため蟞曞類のリンクは最新版にした。ただし単行本・文庫等耇数の版で出おいるものは必ずしも最新版ではなく、筆者が䜿甚したものを掲茉した。

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