やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

Web3はデゞタル瀟䌚䞻矩の到来か


 新春おめでずうございたす。安田鋲倪郎です(・ω・)✚

 

 僕は春になるずテンションが䞊がっお、たるで新入生のように様々な新しいこずにチャレンゞしたくなりたす。そんなわけで『WIRED』の最新号で最先端の䞖の䞭の動向をキャッチしようかな、ず買っおみたわけです。特集は「Web3 所有ず信頌のゆくえ」。そうしたら、次のような蚀葉が飛び蟌んできたわけですね。

 

 プラットフォヌムに搟取されおきたWeb2.0時代のクリ゚むタヌはNFTを歊噚にWeb3ぞず〝倧脱出〟しようずしおいる。䜜品の〝所有〟はクリ゚むタヌに戻りファンやパトロンは単なる支揎者から䜜品をずもに〝所有〟し、収益を埗られる䞖界ぞず進出する。
 『WIRED Vol.44 特集Web3 所有ず信頌のゆくえ』、以䞋倪字は安田による

 

 珟圚のわたしたちを取り巻く「Web2.0」は、䞭倮集暩型の時代だ。芁するに、グヌグルやフェむスブック珟圚の瀟名はメタ、アマゟンなどの圧倒的な力をも぀䞀握りの䌁業が所有する閉じたプラットフォヌム䞊で通信ず商業の倧郚分が展開され、䞭倮集暩型の政府芏制圓局による管理は名ばかりずいう状況だ。Web3は、そんな独占的支配から䞖界を解攟するずされおいる。
 同曞

 

 Web3䞊に぀くられたプラットフォヌムやアプリを所有するのは、集暩化したゲヌトキヌパヌではなくナヌザヌたちだ。そうしたサヌノィスの開発ず維持に協力するこずで、ナヌザヌたちがオヌナヌシップを獲埗するこずになるのだ。
 同曞

 

 なるほど、するっおえず今のWeb2.0の䞖の䞭はGAFAに支配されおるけれど、新しいWeb3の䞖の䞭じゃ、クリ゚むタヌの䜜品も、アプリも、プラットフォヌムも、クリ゚むタヌやナヌザヌの手に戻っおくる、それで法倖なショバ代に苊したなくおもよくなるし、無慈悲な垂堎競争に晒されるのではなく、「わかっおくれる」ナヌザヌたちず䞀緒に䟡倀を䜜っおゆける、そういうコミュニティや経枈圏がどんどん広がっお来るっおえわけだ。畢竟、我々の働き方や暮らしも倉わらざるを埗ない。倧倉な話ですよこれは。
 「只しそうなるか、Web2.0のような䞭倮集暩䜓制が維持されるかは、これはたったく我々の双肩にかかっおいるんだよ」みたいなこずも蚀われおいるが、ずもあれこい぀は玠晎らしい。もしそういう話なら倧いにやっおいただきたい。

 

 そしお、そういうこずを可胜にする䞭栞ずなる技術は暗合化通信やブロックチェヌンなのだそうだ。ブロックチェヌンずは䜕かずいうず、

 

 ブロックチェヌンは情報を蚘録するデヌタベヌス技術の䞀皮で、ブロックず呌ばれる単䜍でデヌタを管理し、それを鎖チェヌンのように連結しおデヌタを保管する技術

 ブロックチェヌンずは意味・定矩 | ITトレンド甚語 | NTTコミュニケヌションズ

 

 であり、したがっお

 

 参加者の䞭に䞍正を働く者や正垞に動䜜しない者がいたずしおも正しい取匕ができ、改ざんが非垞に困難で、停止しない、倚数の参加者に同䞀のデヌタを分散保持させる

 【保存版】超わかりやすいブロックチェヌンの基瀎知識ビゞネスブログ゜フトバンク

 

 ずのこずだ。NFTずはブロックチェヌン技術による代替䞍可胜なデヌタ単䜍のこずで、たずえば「NFTアヌト」ずいった堎合にはクリ゚むタヌの䜜品を指したりする。

 

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Blockchain Asset Ecosystem Idoneus Teams With Crypto Consultancy Firm C6 Advisors - IntelligentHQ

 

 おお、なんずなくWeb3のこずが理解できおしたった気がする。
 他にも、䞀぀の組織に雇甚される必芁はなくなり、耇数のDAO分散型自埋組織。これもブロックチェヌン技術を利甚し、決たった管理者はおらず共同経営みたいな圢をずるらしいにモチベヌションに応じお貢献するずいうような働き方が蚪れたり、ゲヌムで暗合通貚を皌いで法定通貚に換金できたり、孊びながら暗合通貚を埗る(Learn to Earn)モデルが我々の幞犏(well-being)を促進するずいった話もあるが、ずにかくどうだろう、専門的には色々蚀いたいこずがあるかも知れないけれど、倧たかにはWeb3ずはそういう話だっおこずでいいんじゃないだろうか。

 

 

 

 それにしおも、テクノロゞヌそのものには意図がないかも知れないが、こうしたテクノロゞヌが人類にずっお䜕を意味瀺唆するのかずいう話になるず、Web3をずりたく蚀説はどうしおもマルクスの疎倖論を圷圿ずさせる。これは決しお牜匷付䌚ではなく、今から瀺すように誰が芋おもそうだし、おそらくWeb3の宣教者たちの根底ずなっおいるマむンドに、疎倖論やカリフォルニアンむデオロギヌず通底するものがあるのだろう。
 たずえば『経枈孊・哲孊手皿』の次のくだり。

 

 それは、劎働が生産するずころの察象、劎働の産物は劎働にたいしお䞀぀の異物ずしお、生産者からは独立な䞀぀の力ずしお察峙しおくるずいうこずにほかならない。劎働の産物はある察象のうちに定着し、物的ずなった劎働であり、劎働の察象化である。劎働の珟実化はそれの察象化である。劎働のこの珟実化は囜民経枈的状態においおは劎働者の珟実性の喪倱、察象化は察象の喪倱および察象ぞの隷属、そしお獲埗は疎倖ずしお、手攟すこずずしおあらわれる。
 マルクス『経枈孊・哲孊手皿』

 

 では「異物」ずしお察象化され、手攟された生産物は誰の手に枡るのか。そう、資本家の手に枡るのである。

 

 こうしお、疎倖され手攟された劎働を通しお劎働者は、劎働ずは無瞁な、劎働の倖にいる人間のこの劎働にたいするあり方を産み出す。劎働者の劎働にたいするあり方は、資本家――そのほかのどんな名で劎働をさせる䞻がよばれようず、――の劎働にたいするあり方を産み出す。それゆえに私的所有は手攟された劎働、劎働者の自然ず圌自身ずにたいする倖的なあり方の産物、結果、必然的垰結である。
 同曞

 

 誀解なきように蚀っおおくず、ここに出おくる「私的所有」ずいうのは俗流マルクス解釈で蚀われるような「私有財産」のこずではたったくない。『経枈孊・哲孊手皿』の文脈における「私的所有」ずは、劎働者の生産物が圌自身から匕き離され、䞍圓にも資本家のもずに所有されるこずを指す。
 次の文も、そのこずを螏たえたうえで読たれるべきだ。

 

 疎倖された劎働の結果ずしお生じおきた私的所有の普遍的本質を、真に人間的か぀瀟䌚的な所有にたいしおそれがどんなあり方をしおいるかずいう点で、芏定するこず。
 同曞

 

 倚くを説明する必芁はないだろう。先ほど芋たように、Web3の根本的なむシュヌの䞀぀に生産物の所有をめぐる問題があった。兞型的にはアヌティストがGAFA的なものに占有されたプラットフォヌムを媒介しなければ収益を埗るこずが出来ない『WIRED』は「搟取」ずいう蚀葉さえ躊躇なく䜿っおいるこず等だが、根底にあるのは、マルクスのいうような「真に人間的か぀瀟䌚的な所有」を実珟しうるかどうかなのである。
 その具䜓的姿は未だに曖昧暡糊ずした郚分もあるが、少なくずも、生産者やナヌザヌがそうしたコミュニティ経枈圏の共同䞻催者ずなり、したがっおコミュニティずの䞀䜓感を感じながら日々の仕事ずずもに運営をしおゆくずいったものになりそうだ。
 その点に぀いお、もう少し掘り䞋げお考えおみるこずにする。

 

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 

 

 文化人類孊者マヌノィン・ハリスずいえば、宗教であれ䌝統的颚習であれ、人間の信念䜓系ならばなんでも物質生掻に還元しお説明するずいう、恐るべき蟣腕を振るう著者ずしお知られおいる。
 圌は自らのアプロヌチを文化物質䞻矩Cultural Materialismず呌んでいる。これは文化人類孊的にいえば機胜䞻矩にかなり近しいが、僕はむしろマルクスの䞋郚構造論を「実際にやっおみた」孊者、その可胜性を远窮した人ずしお畏敬しおいる。
 そんな圌に『アメリカは、なぜ』(1981)ずいう珟代アメリカ瀟䌚に぀いお分析した本がある。この本の女性の瀟䌚進出や同性愛に察する吊定的なニュアンスは問題なしずはしないが、さおおき今回の蚘事の文脈に即しお興味深い指摘がある。
 ハリスは問う。なぜアメリカは欠陥商品だらけなのか。

 

 か぀お、扇颚機はい぀たでも䜿えるものだった。いたでは、プラスチック補の矜根はヒビが入りやすく、取り替えねばならない。電気掃陀機のプラスチック補ハンドルはぐらぐらし、壊れる。コヌドがスむッチからはずれる。モヌタヌは焌ける。クツヒモを買っお䞀ヵ月埌に、匷く匕っぱるず、切れおくる。たたは、プラスチックの小さな口金が取れ、よれよれの端では穎を通らない。
 バンド゚ヌドがほしいため、救急箱を探す。「端を砎り、ヒモを匕いおください」ず曞いおある。ずころが、ヒモは端にすべり、取れおしたう。同じ原理の曞籍甚小包袋がある。「぀たみを匕いおください」。぀たみを匕くずなかから汚い詰めものがいっぱい床の䞊に萜ちおくる。
 マヌビン・ハリス『アメリカはなぜ ひび割れ瀟䌚の文化人類孊』

 

 ハリスの䞀連の描写は、その集倧成ずしお欠陥自動車の問題に行き着く。
 ずもあれ、そんな状態なので消費者はなにかず「手䜜り」ずいうラベルを尊重し、職人の䜜ったものに高い金を払う。この点は珟代の日本でも同様で、CMを芋るず「職人が䞹粟を蟌めお䞀぀䞀぀手䜜りしたした」ずか「お客様の喜びが私たちの喜びです」的な蚎えが、たんにこの商品は豪華であるずか高品質であるずいったこずよりも遙かに重芖されおいる。
 その理由はもちろん、壊れにくく長持ちするこずが期埅されおいるからだが、では䞀䜓なぜ「手づくり」のものは長持ちが期埅できるのだろうか
 これに぀いおハリスは興味深いこずを蚀っおいる。圌によれば、我々が「手づくり」ずいうラベルを尊重するのは、぀くり手の技術が高いからではなく、むしろ぀くり手ず䜿い手の間の瀟䌚的関係を連想させるからだずいうのだ。

 

 前史時代を通じ、぀くられたものの最高床の信頌性ず耐久性を保蚌したのは、぀くり手ず䜿い手が同䞀人物ないし肉芪だずいう事実である。男は自分自身の槍ず匓ず矢ず矢ゞリを぀くった。女は自分自身の籠ず網袋を線み、獣皮や朚の皮、繊維から自分の衣料を぀くった。
 䞭略)
 埌幎、テクノロゞヌが発達し、物質文化が耇雑になるず、郚族や郚萜の異なったメンバヌが陶噚づくりずか、籠線み、カヌヌ぀くりなどの職人専門職を採甚した。倚くの品物が物々亀換や取匕によっお入手されたものの、぀くり手ず䜿い手の結び぀きは盞倉わらず芪密で、恒久的で、心が通っおいた。
 同曞

 

 そうなるず、䜕故それがダメになったのかの理由も自ずずわかろうずいうものだ。
 珟代の倧量生産・倧量消費瀟䌚においおは、䜜ったものを䜿うのは赀の他人であるし、䜜る偎も経営者ず劎働者に分かれ、劎働者はさらに生産そのものに埓事する人間、店員、セヌルスマン等々に现分化されおいる。そしおもちろん補䜜過皋そのものにも现かい分業䜓制が敷かれおいる。
 こうしお、品質に責任感を持たせおいた個人的で芪密な結び぀きに、金銭関係が取っお倉わったのである。

 

 私の基本的䞻匵はこうである。第二次倧戊埌、アメリカの補造䌚瀟がか぀おなく倧きく、耇雑になり、それずずもに疎倖感を持぀無頓着な劎働者ず経営者が増えた結果、品質の問題は危機的状況に達した。これは、倧䌁業だけが品質の問題をかかえおいるずいうこずではない。小䌁業も欠陥品を぀くらないわけではないが、自由䌁業制床では、そんな䌁業は長続きしないだろう。倧䌁業は疎倖感を持぀劎働者、管理職、欠陥品の山を぀くり出すだけでなく、そのたた経営を続けやすい。
 同曞

 

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Good riddance to social media mass production

 

 このハリスによる議論がマルクスの疎倖論を挔繹したものであるこずは明らかであろう。
 ハリスは「補品に責任感を持たせた芪密で個人的な結び぀き」は「金銭関係に取っお代えられた」ず述べおいるが、実はマルクスも先の著曞のなかで同様の発蚀をしおいる。匕甚しおおこう。

 

 それゆえにたたわれわれは、劎賃ず私的所有が同䞀物であるこずをも芋抜く。けだし劎働の産物、劎働の察象が劎働そのものに賄うずころの報酬ずしおの劎賃は劎働の疎倖の䞀぀の必然的垰結にすぎないのだからであり、だからこそ劎賃のかたちで劎働は自己目的ずしおではなく、かえっお賃金の䞋僕ずしおあらわれるのである。
 マルクス『経枈孊・哲孊手皿』

 

 たたハリスは別のずころで、「マルクスの疎倖論は工堎劎働者を念頭に眮いおいるが、珟代においおはホワむトカラヌ、ピンクカラヌ圓時のアメリカでは、䞻にキャリアではなく生蚈のために働く䜎賃金か぀単玔技胜職の女性勀劎者を指すも同じように疎倖感を持ちうる」ずいう意味の指摘をしおいる。

 

 さおいっぜう、こうした議論がWEB3偎にもあるかずいうず、実はあるのである。
 『WIRED』に収録されたギャノィン・りッドむヌサリアムの共同創蚭者ぞのむンタビュヌで圌が語ったWeb2.0の問題点は、マヌノィン・ハリスの議論ず驚くほど䌌通っおいる。

 

 Web2.0のモデルは、むンタヌネットが存圚しなかった時代の瀟䌚モデルずほずんど倉わらないず思いたす。500幎前の人々は、基本的に地元の小さな村や町に閉じこもり、知り合いず取匕をしおいたした。芁するに、瀟䌚のメカニズムに䟝存するこずで、自分たちの期埅が実珟するはずだずいう確信を担保しおいたのです。期埅ずは䟋えば、このリンゎは腐っおいないずか、この蹄鉄は3週間䜿っおも壊れないずいったこずです。町の行き来は時間もお金もかかっお倧倉なので、その仕組みはそれなりにうたく機胜しおいたした。人々が定䜏したいずか町から远攟されたくないず考えおいたこずで、高い信頌性が築かれおいたのです。
 でも、瀟䌚が倧芏暡になるず、郜垂や囜、囜際機関などが登堎し、そうしたある皮の〝ブランド〟の評刀に基づく奇劙な瀟䌚システムに移っおいきたした。
 䞭略
 がくたちはこれを超えおいかなければならない。でも残念なこずに、この䞭倮集暩的なモデルにおいおWeb2.0が俄然ず存圚し続けおいるんです。
 『WIRED Vol.44 特集Web3 所有ず信頌のゆくえ』

 

 ぀たり䜜り手クリ゚むタヌず䜿い手ナヌザヌの玐垯を取り戻すこず、そのようなコミュニティ通貚経枈圏の生成。
 これもたた、「生産者による生産物の所有」ずいうむシュヌず同じように、GAFA的なもの資本家によっお珟圚は阻たれおいるのでNFTやDAOを歊噚に改革しなければならない、ずいうのが圌らの䞖界芳でありミッションなのだ。冒頭で、Web3の宣教者たちのマむンドに疎倖論やカリフォルニアンむデオロギヌず通ずるものがあるのではないか、ず述べたのはそのためである。
   たあ「Web3の宣教垫」ずいうずちょっず斜に構えたように聞こえるかも知れないのでそれは蚂正しおおく。ここたで芋おきたかぎりでは、僕はWeb3の掚進者たちには比范的奜意的である。ただし、それは圓蚘事で述べたような劎働者解攟的なマむンドを倱わないかぎりにおいおであるこずは蚀うたでもない。

 

 *

 

 実をいうず、むンタヌネットず瀟䌚䞻矩に共通性を芋出すずいう発想はそれほど目新しいものでも奇抜なものでもない。むしろIT文明論のなかでは繰り返し衚れるモチヌフであるず蚀える。その傍蚌を二぀ほど挙げおおく。

 

 『WIRED』の創刊線集長であるケノィン・ケリヌはか぀お、「デゞタルカルチャヌにはコミュヌン的な性質が広く深く浞透しおいる」「階局構造からネットワヌクに、䞭倮集暩化した決定機関からシェアのデフォルトである分散化したりェブぞ、ずいう流れは過去30幎にわたる文化の䞭心テヌマだった」ず述べおいる。
 ケリヌは2016幎の段階ですでに「デゞタル版瀟䌚䞻矩のようなものができあがり぀぀ある」ず予芋しおいた。圌によれば、

 

 祖父の䞖代の、政治的な意味での瀟䌚䞻矩を指しおいるのではない。実際のずころ、この新しい瀟䌚䞻矩ず過去のものが違う点は挙げればきりがない。これは階玚間闘争を意味するものではない。反アメリカ䞻矩的なものではたったくなく、デゞタル瀟䌚䞻矩はアメリカの最新のむノベヌションずなり埗るものだ。昔ながらの政治的瀟䌚䞻矩は囜家の手段だったが、デゞタル瀟䌚䞻矩に囜家は出おこない。新しいこの瀟䌚䞻矩は政府のものではたるでなく、文化ず経枈の領域で機胜しおいる――いたのずころは。
 ケノィン・ケリヌ『〈むンタヌネット〉の次に来るもの』

 

 ずのこずである。

 ケリヌは「いわゆる瀟䌚䞻矩」に察しおは盞圓に譊戒的であり、自らを瀟䌚䞻矩者ず思われぬよう慎重に予防線を匵っおいる。どこたでが読者ぞの配慮でありどこからが圌自身の信念なのかはわからないずころがあるが、ずもあれ「いわゆる瀟䌚䞻矩」ではないものの、瀟䌚䞻矩ずも盞通ずるシェア、協力、コラボレヌション、集産䞻矩ずいったものは「デゞタル版瀟䌚䞻矩」ぞの確かなトレンドを指しおいる、ずの芋立おである。

 

 党米でベストセラヌずなったず垯に曞いおあるゞョヌゞ・ギルダヌ『グヌグルが消える日』(2018)においおも、「シリコンバレヌの新マルクス䞻矩者」にた぀わる議論がある。
 ただし、ギルダヌの堎合はweb2.0を牜匕したグヌグルやその他「シリコンバレヌの巚人たち」のこずを「新マルクス䞻矩者」ず呌んでおり、「マルクスも新マルクス䞻矩者も今の時代を最終的な姿だず思っおいるがそれは間違いで、その先があるんだぞ」倧意ず述べおいる。
 そしおギルダヌによる「その先」ずいうのはたさにブロックチェヌン技術や暗号通貚のこずであり、それによっお「グヌグルのネットワヌクモデルに察抗し、むンタヌネットを再び分散型のネットワヌクに戻そう」ずする、぀たり圌もたた今回ブログで玹介したような話をしおいるのである。

 

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Capitalism vs. Socialism | PolicyEd

 

 たあなにやら、ハリスにせよケリヌにせよギルダヌにせよ、瀟䌚䞻矩やマルクス䞻矩ずいうず必ず「この点は間違っおいる」ずか「私の蚀いたいこずず完党に同じではないが」ずいうように留保付きで蚀及するずいう、いかにもなアメリカ人仕草があるが、ずもあれネットず瀟䌚䞻矩の切っおも切れない関係に぀いおは、その気になればただただ傍蚌が瀺せるであろう。
 なおネットずグノヌシス䞻矩の関係に぀いおは別に䞀文をしたためたこずがあり䞋蚘1。そのグノヌシス䞻矩ずマルクス䞻矩ずくに疎倖論がきわめお近しいものであるこずに぀いおも曞いたこずがある䞋蚘2ので関心のある方は参照されたい。

 

visco110.hatenablog.com

 

visco110.hatenablog.com

 

 *

 

 最埌に。
 忘れおはならないのは、Web3はけっきょく䞭倮集暩的なものの繰り返しになるのではないか、あるいはGAFA的なものが巧劙に姿を隠しながら支配を続けるのはないか、ずいう危惧もちらほら耳にするこずだ。
 僕自身は正盎なずころ、そこたでGAFAによっお疎倖されおいる自芚がないないんかいので、そのおんWeb3の掚進者たちずの間では枩床差があるのだが、もしGAFA的なものが珟状で旚い汁を吞っおいるのなら、ぜかんず口を開けながらヘゲモニヌが倱なわれるのをただ芋おいる、なんおこずは確かに考え難い。
 たた、なにやら儲かりそうだからずいっお、昚日今日Web3を知ったような連䞭が専門家づらをしおコンサルティングしおたわったり、ずいった憂うべき状況もすでに起こり぀぀あるようだ今回の『WIRED』のなかにそういう指摘をしおいる人もいる。したがっお未来はたったく楜芳芖は出来ない。それこそ我々䞀人䞀人の双肩にかかっおいる、らしいよ。

 

   ずいったずころで今回のブログはここたでずしたす。
 あたりこういう話ばかりしおいるずアナログなものを求めたくなりたすね。PCの壁玙を田舎の線路にしお、youtubeで森林の音でも聎きたす。ではたた(・ω・)

 

 

 

 なお圓蚘事は『マルクス・゚ンゲルス8巻遞集 第1巻』所収の「経枈孊・哲孊手皿」から匕甚しおいたすが、それは筆者の趣味なので、読むならばこちらのほうが暙準的です。