2018-01-01から1年間の記事一覧
こんにちは、安田鋲太郎です。 ブログについては、もっと敷居を下げて、気軽に更新してゆきたいなと思っています。論文じゃないですもんね。そんなわけで、こういう「他人から見たら読む価値があるかどうかちょっと微妙なテーマ」でも書いてしまいます。 タ…
このところ、新年が近づいてきたこともあって、にわかに旧習の幾つかを断ち切って新生活を迎えたいという気持が高まり、それで新聞や雑誌や本やテレビ等との付き合い方に、かねてから薄々思っていたことを実践に移してみた。 その実践というのは、ようは「体…
夢を観ている時の、あの現実感の希薄さ。一見昼間と変わらずに生活しているように見えて、どこかその着実さ、束縛でもある確かさから浮遊しているあの感じ。その中で私たちは、しばしば無鉄砲になり、モラルを見失い、そしてひどい悪夢に転落する。*1 もし現…
昼休み、またピンクサロンに走り出していた 作者: 素童 出版社/メーカー: ぶんか社 発売日: 2018/11/22 メディア: Kindle版 この商品を含むブログを見る 素童『昼休み、またピンクサロンに走り出していた』。 一読して思い浮かんだ「料理法」は二つあった。…
1998年、アメリカ・カリフォルニア州の小都市ベルにある地方紙が休刊し、市役所を担当する記者がいなくなりました。記事(安田:2011年朝日新聞デジタル)によると、そのことをきっかけに、市役所所員トップが自分の年収を500万円から12倍の6400万円まで段階…
たまには筆の赴くままに、どこに辿り着くのかわからない文章を書いてみたい。はっきり言って、話の流れ上よく知らない領域に踏み込んでしまったりもしているが、間違いなく言えることは、これはいまアラフォーの人に、またかつてアラフォーだった人、将来ア…
リチャード・ゴードン『世界病気博物誌』*1によると、ロバート・リストンは史上唯一、一度の手術で三人を死亡させた医師だという。その記述は次のようなものだ。 リストンのもっとも有名な症例 腿を二分半以内で切断した(患者は化膿壊疽のため、後日病棟に…
僕の曽祖父には伝説がある。それによれば、曽祖父は一度死んで生き返った母によって出産されたのだという。そして生き返った母から生まれたため、兄たちがいるにもかかわらず一から数えなおして「一郎」という名前になったというのだ。 なるほど明治の話なの…
時には誰もが寝静まった夜に、ひとり起きていたい。 そういう時間を、ツイッターを始める前は多く持っていた。独身の頃はさらに多く。 それは確かに、孤独と隣り合わせではあった。人の集まりに顔を出す、しばらく会ってない友人には連絡を取るといった社交…
たとえばサスペンス番組で、夫が帰宅したときテーブルにご馳走が並べられていて、夫が上着を脱ぎながら「お、今夜は豪勢だな。なにかあった?」と妻に尋ねたならば、視聴者はかすかに不吉な予感がするだろう。さらに妻が「たまにはこういうのもいいでしょ」…
九十年代初頭、統一まもないドイツにおいてある裁判が行われた。訴えたのは名もない新婚夫婦。告訴内容は「自宅の前庭を隣家のネコがトイレ代わりに使っている」というものだった。 だが係争の過程で、問題のネコは原告の前庭で排泄したことが全くないことが…
僕は古書を売ったり買ったりする仕事をしているのだが、本を売りに来るお客さんが、しばしばこんなことを口にする。 「値段はつかなくてもいいので、できれば誰かに使って欲しい」 これを聞くたびに僕は「あー、またか……」と内心思ってしまう。捨てるのは可…
これは、あまり書きたい話題ではないし、喧々囂々と騒がれたくもない。じゃあなんで書くのかといえば、誰かが云っておかなければならないという義務感のようなものだ。したがって、なるべく手短に書いてネットの片隅に放置しておくことにする。たまに辿り着…
ちんこ盗み猫。見た瞬間に反射的にそう呼んでしまった、このちんこを咥えた猫の絵は、1555年ドイツで制作された作者不詳の版画(※1)である。 もちろんこんなものを前々から知っていたわけではなく、別件で西欧中世の泥棒について調べていた時(したがってm…
J-B・ポンタリス『魅きつける力』は一九九〇年、リヨン近郊のトマス・モア文化センターで行われた同氏の講演を元に加筆修正された比較的薄めの本である。そのなかで、書名にもなっている夢の牽引力 force d attraction (すなわち「魅きつける力」)について…
「わたしはブロガーです」はどうだ? 申し訳ない。とてもじゃないけど無理だ。懺悔しているようにしか聞こえない。 (ニコラス・G・カー『ウェブに夢みるバカ』) ブログを書くとなると「そもそもブログって何だっけ」とか「平成も終わりの年になってブログ…
先日、NHK教育の福祉情報番組『ハートネットTV』で「ひきこもり新時代」と称し、長期化にともない高齢化するひきこもりについて特集していたが、そこで一番印象深かったのは、ひきこもり当事者ではなくその母親の言葉であった。六十八歳になるという母…
真の勇気とは、代替案を想像することではなく、明確に述べられるような代替案は存在しないという事実から帰結することを受け容れることである。代替案という夢をいだくことは理論的思考が臆病であることの証拠であり、そうした夢は、われわれが袋小路に陥っ…
春ごろブログを開設しようと思い立ち、二ヵ月で記事を十個ほど書き溜めた。最初にテーマを決め、必要な本を読んでノートにまとめそして書く。その間は昼夜没頭していた。その後満を持してブログを開設。開設後も常に十個程度のストックを保つつもりだった。…
ホイジンガの描く、晩期中世の貴族たち。現実に打ち破れ、いそいそと夢やまぼろしのような宮廷に引きこもって、絵空事に明け暮れる、その逃避のさまを愛惜するのは当然の感情のように思える。 しかしこのシンパシーは信用に足るものなのだろうか。そうはいっ…
酒について書かれた本には二種類あるという。 一つはしらふで読むための本。もう一つは、まさに一杯飲みながら、傍らに置いて気ままに開くための本だ。 このブログ記事は、飲みながら読むために書かれている。これを書いている僕も、今まさにベルギービール…
ささやかな疑問から始めよう。 ゲーテ『ファウスト』におけるマルガレーテは、通常は敬虔な女性と見做されている。罪を犯しつつも、深い悔悛によって天上界へと救済されるばかりでなく、その聖なる祈りによってファウストの魂をも救う。だが彼女をめぐる罪と…
侮辱、中傷、罵詈雑言は怖ろしい。それはもちろん、言われた側も恐ろしいのだが、言った側にとっても充分に恐ろしい行為である。相手の報復感情を刺激すること、また第三者の目を引くことによって、攻撃した側が攻撃される側にまわる可能性は常にある。だが…
うたて此世はをぐらきを 何しにわれはさめつらむ いざ今いち度かへらばや うつくしかりし夢の夜に (松岡國男「夕ぐれに眠のさめし時」) 初夏の頃、妻の田舎の小さな神社でひとり座っていた。 辺りには人影もなく車の音もなかった。風で林が揺れていて、そ…
僕はリヒャルト・シュトラウスという音楽家が好きではない。 それは例えば、1933年にブルーノ・ワルターがベルリン・フィルを率いて開催する予定だった演奏会で、ナチスから脅迫の電話がありワルターが身を引かざるを得なくなるという事件のさいに、あっ…
本を読むということは、知識を得るだけではなく、著者の知性と対峙することである、というのは当たり前のように聞こえるが、では著者の知性と対峙するとは実際にどのような読み方をすればよいのか。その理想的な例は、中野孝次『ブリューゲルへの旅』(昭和…
やはり一冊の本から話を始めるのがよいだろう。 それはなんの本でもよいのだが、今、たまたま手許にあるのは亀山巌の『裸体について』(昭和四十三年、作家社)である。限定五百部とうたっているが、市価は昔も今もせいぜい仕事帰りに一杯飲むていどだ。亀山…