やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

殺人現場の食卓/反動形成について

 

 たとえばサスペンス番組で、夫が帰宅したときテーブルにご馳走が並べられていて、夫が上着を脱ぎながら「お、今夜は豪勢だな。なにかあった?」と妻に尋ねたならば、視聴者はかすかに不吉な予感がするだろう。さらに妻が「たまにはこういうのもいいでしょ」と素敵な笑みで返し、夫が風呂に入って一人になったところで何かを決意するような表情をしたとすれば、もう間違いない。夫はその晩のうちに殺されるのだ。

 

 ヘンリー・ボンド『ラカンの殺人現場案内』(原題「LACAN AT THE SCENE」)は、「もしジャック・ラカンが刑事になっていたら、彼は事件解決のために自らの理論をどう活用しただろうか?」という着想に基づき、英国の1955~1970年における殺人事件の資料(とくに現場写真)のラカン的読解を試みたという特異な本である。
 本書ではさまざまな事件が扱われるが、そのなかで、1957年のブラッドフォードで起きた事件には次のような現場写真が残されていた。

 

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 捜査官はひとつの事件にたいし膨大な数の写真をフィルムに収める。したがってこの食卓だけに特別な注意が払われたわけではない。だがラカン刑事(に扮したヘンリー・ボンド)はこの食卓に目を止めた。しばしば、一見なんでもない細部から本質を解き明かすのが彼の流儀である。

 下はその一部分を拡大したものだ。

 

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 この写真にたいしてボンドは次のように述べる。

 

 ギンガムチェックのテーブルクロスを敷いたうえに皿が置かれていて、そこにタンノックのキャラメルウエハースとジェイコブズのマシュマロチョコレートが載っている。このスナックの取り合わせは今ならどうということはないが、事件当時の時代背景を考えると注目に値する。一九五〇年代といえば、まだ豊かな食生活など望むべくもなく、食料雑貨のほとんどがノーブランドで、配給制さえ残っていた時代である。そんな時代のブラッドフォードの労働者の家庭としては、この一皿は驚きである。食事の支度をした妻は夫のために特別の配慮をしたにちがいない。
 (ヘンリー・ボンド『ラカンの殺人現場案内』)

 

 まさに冒頭で述べたような「おっ今夜は豪勢だな。なにかあった?」「たまにはこういうのもいいでしょ」というやりとりが再現されていたとしてもおかしくはない、そういう食卓だという。
 そしてこのテーブルでもてなされた夫は、実際にこの晩、妻によって殺されたのである。

 

 だが、なぜこのようなちぐはぐなことが起きるのか。ボンドは本書のコンセプトに従い、これは精神分析で云うところの「反動形成」であろうと述べる。

 

 食卓の様子はその後の悲劇と相いれないように見えるが、おそらくこれこそが反動形成の痕跡だろう。楽しげな食卓、愛情のこもった妻の手を思わせる食卓、殺意などみじんも感じられない食卓――これを説明するには、実は妻が正反対の感情を抱いていて、それを無意識に隠そう(偽装しよう)としたのだと推測するしかない。
 (同書)

 

 *

 

 反動形成(reaction formation)の概念はよく知られている。

 平均的説明によれば、それは精神分析の中心的概念である防衛機制(defence mechanism)の一つであり、ある受け入れがたい感情(たとえば誰かを激しく憎んでいるなど)を抑圧することによって、その正反対の言動を取ることをいう。
 反動形成は(防衛機制全般に言えることだが)必ずしも精神疾患ではなく、健常者の日常生活にもしばしば見られる。また愛憎だけを扱うわけではなく、他のさまざまな、たとえば「劣等感を持つ人が自信過剰にふるまう」とか「性に強い関心を持つ人が性を蔑視する」、「露出症的傾向を持つ人が羞恥心の強い態度を取る」といったケースにおいても言われる。
 なにしろ抑圧(無意識の領域に押し込める行為)が原因なので本人はなかなか自覚出来ないが、周囲から見ればあきらかに「無理している」「これ見よがし」「~ぶっている」というような、不自然でぎこちない、そして幾らか不快な印象を与えるというので怖いところだ。また周囲が指摘(「本当は〇〇なんじゃないの?」「自分に素直になったほうがいい」等々)しても大抵は反発されるだけで、処置なしといったところである。

 

 この概念の元祖であるフロイトのテクストを少し見てみることにする。『夢判断』には次のような事例が出てくる。

 

 私はかつて種々の心的状態を通過したひとりの若い娘を詳しく調べたことがある。この患者の病気の始まりは躁狂性の錯乱だったが、この状態に陥ると、患者は自分の母親に対する特別の憎悪を現わし、母親がベッドに近づきでもしようものなら、打ったり罵ったりする。
 (フロイト『夢判断』)

 

 大変な暴れようだったという。だが彼女の容態が少し良くなってくると、こんどは母親への過剰な気遣いがあらわれる。

 

 その恐怖症の中でいちばん患者を苦しめたのは、母親の身の上に何事か起きはしないかという恐怖であった。どんなところにいようと、その発作が起こると急いで帰宅し、母の無事をたしかめずにはいられないのである。
 (同書)

 

 これをフロイトは「ヒステリー性の対比物反応および抵抗現象」と呼んでいる。そして「こう見てくると、ヒステリックな少女がなぜしばしば母親のことを異常に気遣うかがよくわかってくると思う」という。

 

 反動形成の概念はとくに性別を限定しないが、どうも女性の事例が多い印象を受ける。フランク・J・ブルノーが採り上げている事例もヴェロニカという女性についてのものであった(内容は上述のフロイトのものとよく似ている)。まあ男であれば社会的あるいは身体的に、さまざまな感情や欲望を抑圧する必要が少ないので当然かも知れない。只、当初はほぼ女性限定に近いニュアンスだったのが、現在に至る過程で徐々に性別的にニュートラルに近づいてきているようには思う。たとえば上司への憎しみを抑圧し慇懃にふるまうといった経験は男性にも身近なものであるし、他にもさまざまな状況が考えられるだろう。

 

 *

 

 反動形成概念には批判もある。それは、ようするに「どっちに転んでも分析者が正しいことになるのではないか?」というものだ。つまり「あなたは母を憎んでいる」と分析者が告げた場合、被分析者が「そうだ」と云えば分析者が正しいことになるし、「そんなことはない」と否定すれば、それもやはり母を憎んでいる証拠となり分析者が正しいことになる、というわけだ。
 これに対し、ブルノーは次のように擁護している。

 

 意識的な観念やそれと結びついた行動に強迫性、硬直性、不安が伴っているときが反動形成なのだと指摘することが出来る。これらの条件は、母親に対するヴェロニカの感情の例に認められた。だから、反動形成という概念は、ヴェロニカの行動をわれわれが理解するうえで役立つというのは正しいように思われる。
 (フランク・J・ブルノー『実例心理学事典』)

 

 なるほど、では強迫性、硬直性、不安の有無はどのように判定しうるのか? それはおそらく「分析者を信頼せよ」という話になるのだろう(我々はそれほどフロイト派精神分析を受ける機会はないわけだが)。反動形成は日常生活にも見られるとか、周囲からはわりとあからさまだと云われているが、だからといって素人が診断を下せるわけではない。さしあたってはそのような心理が存在することと、我々が明確に判定できるどうかはまた別といったところか。

 

 *

 

 最後に、配偶者間や愛人による殺人現場にありがちなことについて、ボンドはこう述べている。

 それは、こうした事件では犯人が死体のそばで泣いていることが少なくないということだ。

 そこにはドラマのような推理は必要ない。ある事例では、殺された妻の死体には枕があてがわれ、傍らには水の入ったコップが置かれていた。妻を殴り殺したあと、我にかえった夫がなんとか生き返ってくれないかと介抱した形跡である。この犯人は事件直後に通りに出て、通りかかった車に「救急車を呼んでもらえませんか。家内が死んでしまったかもしれない」と頼んでいる。そして捜査官の前で、床にうずくまって死体に頭をのせ、泣いた。


 殺したあと、犯人が自分の身体や凶器をきれいに洗うケースがあるという。また死体に布をかぶせたり、血を洗い流したり、着替えさせ、ソファーに座らせたりベッドに寝かせて枕をあてがうこともある。これらはすべて、証拠の隠匿というよりも殺害をなかったことにしたい、なんとか取り消したいという感情の表現なのだという。

 抑圧された憎しみが増大し、防衛機制は決壊する。突然嵐のような憤怒が沸き起こり、我を忘れて対象を殺害する。そして気がつくと、そこには死体と、憎しみが去ったあとの空虚な自分だけがいる。
 殺したあとに「愛していたんだ」とはなんと陳腐な言い草だろう。たとえそれが、どれだけ犯人にとって切実な叫びだったとしても。そうなってしまう前に、何か手を打つべきだったことは言うまでもない。

 

 念のために尋ねますが、あなたの周囲の人は大丈夫ですか?

 失礼、もちろん大丈夫ですね。

  

ラカンの殺人現場案内

ラカンの殺人現場案内

夢判断 上 (新潮文庫 フ 7-1)

夢判断 上 (新潮文庫 フ 7-1)

夢判断 下 (新潮文庫 フ 7-2)

夢判断 下 (新潮文庫 フ 7-2)

実例 心理学事典

実例 心理学事典

  このブログ記事を書くにあたっては複数の辞典類を参考にしたが、さしあたって次の一つだけを挙げる。 

精神医学事典

精神医学事典

ネコ訴訟から「人はなぜ相手を悪魔化するのか」を考える

 

 九十年代初頭、統一まもないドイツにおいてある裁判が行われた。訴えたのは名もない新婚夫婦。告訴内容は「自宅の前庭を隣家のネコがトイレ代わりに使っている」というものだった。
 だが係争の過程で、問題のネコは原告の前庭で排泄したことが全くないことがあきらかになった。

 すると新婚夫婦は、箒と塵取りを持って通りにゆき、そこにあったネコの糞尿をすべて集め、自分の庭に証拠として保管した。

 

 トーマス・ベルクマン『訴えてやる! ドイツ隣人訴訟戦争』(原題「Giftzwerge」)という、なんのために邦訳したのかよくわからない本がある。※1かくいう僕もなぜそんな本を買ったのか憶えていないのだが、何気なく書庫から取り出してぱらぱら眺めていたときに、上のような事例が目に止まった。
 これはいかにも奇妙な話だ。新婚夫婦は「ネコの糞尿なき前庭」を望んで訴訟を起こしたはずである。にもかかわらず、気が付けば自ら前庭にネコの糞尿を搔き集めてたというのだ。一体、どこでどう間違えてそんなことになってしまったのだろう。

 

 *

 

 ドイツが壮絶な訴訟社会であることはよく知られている。ベルクマンによると九十年代前半、原告・被告を含めて年間約250万人のドイツ人が何らかの訴訟の当事者、つまり訴えるか訴えられるかしていたという。当時のドイツの人口は8000万人前後なので、実に3人に1人近くが生活しながら何らかの訴訟を抱えていたことになる。

 

 この時期にドイツに滞在していた知人は、興味深いことを云っていた。それによると「ドイツにおいて訴訟は必ずしも険悪な関係によって引き起こされるわけではない」のだという。
 なんでも、彼の知人の日本人女性は(おっとFriend of a Friend だ……まあご容赦ください)、ドイツ人男性とやむにやまれぬ事情で離婚するにあたって、夫のほうから「離婚は承知するがとりあえず訴訟してくれ」と頼まれたらしい。

 なぜ訴訟する必要があるのか、と問う妻に対し、彼は「慰謝料の支払い額や期間がきちんと決まるからだ」という意味のことを答えたという。実際、離婚の理由は夫の経営する会社の経営状況が悪化し、「年に一度は日本に帰ってよい(そのための旅費を出す)」という約束を夫が果たせなくなったためであり、その件を除けば二人の仲は決して悪くはなかったのである。

 また、そんな律儀な夫は、同時に前妻の子供たちへの養育費を滞納しており、こちらも決して仲が悪くはないのだが子供たちから「養育費を払うよう」訴訟を受けていたという。

 

 そんなわけで、かぎりなく訴訟にたいする敷居が低いのがドイツ社会である。弁護士費用も安いし書類も簡略、しかも「訴訟保険」なるものもあるらしい。※2
 それでもベルクマンの著書では互いに相手を「悪魔」と罵り合うようなきわめて敵対的な訴訟ばかり描かれているし、彼自身も訴訟はいがみ合いによって引き起こされるという前提に立っている。上の知人の話と合わせて考えたいのだが、いずれにせよさすがはイェーリングのお国柄といえる。※3

 

 ところで我が国を見渡すと、ネコの放し飼いはここ数十年ですっかり減少した。とくに都市部においては「ネコは屋内飼いが基本」という合意が形成されつつあるように見える。

 そのような世の中の変化には、交通量の増加だとかネコエイズの流行、あるいは面白半分に虐待する輩だとか、また血統書付きの猫を大事に飼う層が広まったりなど、さまざまな背景があり、その是非は一概には言えない。だが歴史的に見れば人はずっとネコを放し飼いにしてきたことは確かである。
 隣家のネコの狼藉についての別の訴訟では、マンハイム簡易裁判所の判事が、判決(またもやネコは無罪だった)を言い渡すにあたって次のように説き起こしている。※4

 

 「ドイツ及びヨーロッパでは数世紀来(十字軍の時代から)、そして他の温暖地域では五千年来、家猫(フェリス・ドメスティカ)はネズミ退治のために飼われてきた。従って猫は古来から、人間の自然環境の一部である。その行動は今日なお一般的生活の構成要素であり、ゆえに基本的には誰からも許されている」
 (トーマス・ベルクマン『訴えてやる! ドイツ隣人訴訟戦争』)

 

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 (近所のオープンカフェにて。安田撮影)

 

 ちなみに今日の日本においても、犬と違ってネコの放し飼いは法律的には認められている。動物愛護法はペットについて「動物の生態、習性、および生理にしたがって飼育するべきである」と定めており、したがって徘徊する習性のあるネコは放し飼いが自然な飼い方だということになる。

 ただし動物愛護法には「動物が人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない」という条項もあって、もしネコが隣人に実害をもたらした場合には民法上の賠償責任が生じる。※5

 

 それについて思い出すのは、もう何十年も前に母が飼っていた数匹のネコたちのことだ。なおこれはあくまで昔の田舎の話であるので承知されたい。
 あのネコたちは、放し飼いされていたのか、単にエサをもらっているだけの野良猫だったのか微妙な連中だった。母が残飯をバケツに入れて勝手口に置いておくと、決まった時間にネコたちが食べにきた。残飯がない時には軒先でずっと鳴き続けていた。

 ああ、また母が野良猫にエサをやっているな、と思っていたのだが、ある日新顔のネコがやって来たときに母が「お前は違う!」と新顔だけを追っ払っていたので、やはり飼っていたらしい。

 そのネコたちも、隣家に狼藉をしたという嫌疑をかけられた。
 猛然と抗議の電話がかかってきた。というのも隣家は広い庭に砂を敷き詰めていたのだが、これがネコにとっては格好の排泄場所だったのである。これがもとで母と隣家との仲は悪くなった……わけではなく、もともと仲は悪かったので、さらに悪化したというべきだろう。
 そんな人間の争いを尻目に、ネコはその後も巨大トイレを満喫し続けた。なぜこのような素晴らしいトイレを使ってはならないのか。その道理をネコに納得させるのは、お釈迦様でも不可能だっただろう。※6

  

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  (近所のオープンカフェにて。安田撮影その2)

 

 *

 

 話を戻すが、冒頭の「自ら前庭にネコの糞尿を搔き集めた」新婚夫婦である(なお敗訴したことは言うまでもない)。
 もちろん、彼らも当初はネコの糞尿に煩わされない前庭を求めて訴訟したはずである。したがって隣家のネコが無実だった※7ということは、真犯「猫」がいるか、あるいはネコの糞便自体が錯覚、あるいはたまたま紛れ込んだものだったのであり、いずれにせよその訴訟は終わるはずである。
 だが彼らは訴訟に勝つために、わざわざ他所からネコの糞便を集めてきて自分たちの前庭に置いた。もはや当初の目的より争いに勝つことが優先されているのである。しかもその新しい目的のためであれば、前庭を自らネコの糞尿置き場にすることも辞さなかった。一体これは何なのか。

 このことを考えるにあたって、次のような記述も参考になるだろう。

 

 彼らは皆感受性を持ち、穏やかである。争いごとは望まない。誰とも仲良くやっていける。原則として。「ですが、おわかりでしょう、あの女性。彼女は人間じゃありません」
 そしてそのS夫人というのが、世界中を旅行し、高価で立派な品々を収集している、感じの良い親切な中年女性なのである。その彼女も隣人のことを話す時は、身体を硬直させながら「悪魔ですわ! おわかりいただけると思いますが、あの人は悪魔です」
 (同書)※8

 

 このあたりで我々もこの話は他人事だという考えを改めるべきだろう。

 実際、これはあまりにも日常的に目にする光景ではないか。おそらく僕もあなたも、利害が対立する相手、反りが合わない相手の「悪魔化」を多かれ少なかれ行っているはずである。

  こういうことに対し、聞きかじりの心理学用語で説明して事足れりとする気は毛頭ないのだが、しかし簡略な入門書※9などにもよく出てくる「ネガティブ・コミュニケーション」とはまさにこのような状況を指すものだろう。とくに次にようなものは。

 

 ・「悪意のマインド・リーディング」

 (相手の言動を悪意に基づくものだと解釈する傾向)

 

 ・「相互非難コミュニケーション」

 (互いに非難しあい、相手にも正当性があることを認めようとしない傾向)

 

 ・「勝負のコミュニケーション」

 (勝つか負けるかに視野が限定される傾向)

 

 こうした心理学的物言いは、闘争状態に陥っているときの我々の心理を確かにうまく表現している。なるほどネコの糞尿を前庭に集めた夫婦の行動は「勝負のコミュニケーション」の一つのケースだったのかも知れない。それにしても、なぜ我々はそのような心境に陥ってしまうのか。

 

 *

 

 心理カウンセラーの下園壮太によれば、怒りのプログラムには二つのメッセージがあるという。一つは「攻撃されたら反撃せよ」であり、もう一つは「自分のテリトリー、地位を侵すものを撃退せよ」である。そのさい、

 

 まず攻撃のための身体の準備が始まります。これは"驚きのプログラム"とほぼ同じ反応です。さらに気持ちの準備として、「自分は強い」「自分は正しい」という思考が頭を支配します(「自分は最強・(自分は)正義・(自分は)正しい」思考)。
 そう思わせなければ、命を失うことになる戦いに向かえないからです。
 (『人はどうして死にたがるのか』)

 

 現在では、権力を奪われた、資産を奪われた、自由を奪われた、人としての尊厳やプライドを傷つけられた、土地を奪われた、愛する人を傷つけられた、などの条件で発動します。これらは、裁判などで熾烈に争われる内容です。
 (同書)

 

 というのだが、これはその通りであろう。※10

 戦争プロパガンダにしても、ようは自国民に「我々の戦いは聖戦であり、我々には戦う使命がある」と信じさせることを最大の目的とする。※11それを一人でやっている、いわば自分で自分を洗脳しているのが「怒りのプログラム」だ。※12
 闘争するということは、相手を理解しようとしたり、内省しようとする心を強制的に停止することを意味する。闘争の結果が生死に直結する原始時代を生き抜いてきた人間にとって、そのほうが適応的なのはまあ当然であろう。

 なお、こうしたことを充分に理解していたであろう人物としては、レーニンの名が挙げられる。

 

 レーニンを誹謗中傷する者たちは、ベートーヴェン『情熱』を聴いたときの彼の有名なパラノイア的反応――レーニンは、まず泣き始め、次いで、こうした音楽は敵との容赦なき闘争を放棄させ、その代わりに敵の頭を撫でてやるといったように革命家を気弱にさせるので、革命家はこうした感情に身を委ねている余裕はない、と主張した――を、彼の冷酷で自制の効いた残酷さの証拠として持ち出すことを好む。(中略)むしろそれは、政治闘争を継続せねばならない限り抑え込む必要があった彼の音楽への鋭い感受性を証明したことになるだけではないのか?
 (スラヴォイ・ジジェク『迫り来る革命』)※13

 

 *

 

 かくして導き出される結論は、「われわれは相手を悪魔化しないよう気を配るべきだ」とか「他者を尊重し相互理解に務めよう」といったものではない。※14

 ここまで見てきて考えられることはむしろ逆である。いわく人は闘争に我を忘れる生き物であり、そのような「闘争」とは生の一面であるということだ。※15

 誤解のないように述べるならば、もちろん闘争に我を忘れることなどしたくはない。誰だってそうだろう。だが、そんな生物的条件の下で意志によって寛容であろうとか、相手を理解しようとすることは、それ自体は悪いことではないにしても、やはりある種の危険を孕むと言わざるを得ない。根本が克服不可能である以上、そのような意識は簡単に「裏返る」(こんなに寛容で理性的な自分に比べ、不寛容で非理性的なあいつは下等である!)リスクが付きまとうからだ。※16

 私見を述べるならば他者の理解というのはもっと不意打ちのように、突然訪れるものだと思う。それまで嫌いだった、あるいはなんとも思ってなかった他人の人間的な顔、共感できる面がふと見える瞬間。我々に出来ることはそれを待つことだけであり、それが訪れなかった他人とは訣別してゆくしかない。

 

 したがって、時に闘争に我を忘れてしまう、そのような自分のなかの混沌を受け容れ、だがそれを哀しく思う心が時折よぎる――その二つの心は決して統合※17されたりバランスを取ったりせず、常にちぐはぐであり続ける――という状態をすぐになんとかしようとはしないことが、考えられる選択肢のなかで最もましなように思う。

 それでいいのだ、とは言えないが、慌てて何らかの処方箋、「向かうべき指針」なるものを見つけて安堵しようとする発想は、神経症的で、疑わしい。

 

【注】

 ※1 この本はドイツのテレビ番組の書籍化であり、してみるとわが国でも隣人訴訟番組がいくつか思い浮かぶのだが、はるばるドイツのものまで翻訳するというのは、何かこの頃に関心の高まりがあったのかも知れない。なお訳者はのちに『怖い絵』で一世を風靡する中野京子氏である。

 

 ※2 「プロフェッショナルがいる。隣人戦争のベテラン。彼らの武器は、法律に保護してもらえるという保証だ。多くは半ダースもの事件を山積みにしてある。なぜなら年間二件をこなすと、たいてい訴訟保険の効力が切れてしまうからで、罪のあるなしには関心がない。兵站学どおり、次の生垣紛争用に補給品がくればそれでいいのだ」(『訴えてやる! ドイツ隣人訴訟戦争』)

 

 ※3 「権利は、単なる思想ではなく、生き生きとした力なのである。だからこそ、片手に権利を量るための秤を持つ正義の女神は、もう一方の手で権利を貫くための剣を握っているのだ。秤を伴わない剣は裸の実力を、剣を伴わない秤は権利の無力を意味する」(イェーリング『権利のための闘争』)

 

 ※4 只、必ずしも猫は人に愛顧されてきたわけではなく、人類の猫虐待の歴史にもそれなりの蓄積があることについては、先のブログ記事でも触れた。

visco110.hatenablog.com

 

 ※5 動物愛護法および民法の解釈についてはいつかのサイトを参考にした。たとえば次のサイトなど。

 https://noranecolumn.com/keepfreepermit/

 

 ※6 余談だが釈迦と猫の相性はあまり良くなかったらしい。涅槃図に猫が書かれていない理由についてはよく知られたエピソードがある。それ以外でも、釈迦にまつわるエピソードのなかで猫が活躍したという話はあまり聞かない。

blog.goo.ne.jp

 

 ※7 判事が調査して判明したのだろう。ベルクマンの著作にはこうした実地検分のエピソードが多数出てくる。「ニワトリの鳴き声がうるさい」という訴えがあればニワトリ小屋を測量したり測定器を設置したりと、じつにご苦労。

 

 ※8 サルトル『出口なし』における「地獄とは他人のことだ」という主人公の台詞は、人間は他者によって規定される生き物である、そのような宿命を免れ得ないことを訴えている。ある人が別の人を「悪魔」と見做すことは、狭い共同体においては充分に相手の名誉と精神を傷つける。ある意味「悪魔」と呼ばれた人は多少なりとも「悪魔」になってしまうのだ。

 この貶めと共同体内の名誉の問題については以前このブログにおいて、ニコル・ゴンティエ『中世都市と暴力』を援用しつつ触れたことがある。

 http://visco110.hatenablog.com/entry/2018/06/18/144649

 また本文では言及しなかったが、SNSはそのような狭い共同体を超克する機会を万人に与えるとともに、新たな罵り合いの「狭い共同体」を形成している面もある。

 

 ※9 たとえば斎藤勇『図解雑学 人間関係の心理学』など。

 

 ※10 下園壮太『人はどうして死にたがるのか』は、怒りや悲しみ、鬱といった一見不合理な人間の感情を長い原始時代における適応的な心的機能と位置づけ、それが現代社会の状況とは齟齬をきたしているという説明スタイルを取る。あまり具体的なソースを示してはいないものの、原始人が熊に遭遇する例えなどを多用し、何故かおそろしく説得力のある本であった。

 また「人としての尊厳やプライドを傷つけられた」ことで生まれる猛烈な怒りについては、注8にリンクしたブログの過去記事でデヴィッド・M・バスを援用しつつ軽く触れたことがある。

 

 ※11 アンヌ・モレリ『戦争プロパガンダ 10の法則』における「法則」には以下のようなものがある。

 「われわれは戦争をしたくはない」

 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

 「敵の指導者は悪魔のような人間だ」

 「われわれの大義は神聖なものである」

 「この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」

 

 ※12 スタンダール『恋愛論』における「恋の結晶作用」の、いわば裏面であるところの「敵意の結晶作用」とは言えないだろうか?

 

 ※13 ジジェクによる「音楽とやさしさ」についての言及には次のようなものもある。

 「エヴァ・ブラウンの髪を洗うヒトラーの姿は、十分想像がつく。いや、想像などいらない。ホロコーストの考案者ハイドリッヒが、毎晩ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲を友人たちと好んで演奏していたことを、われわれはすでに知っているのだから」(『大義を忘れるな』)

 これはレーニンについての記述とは逆のことを言っている(人はベートーヴェンを愉しみつつ冷酷になることも出来る)ようにも読めるが、本文ではレーニンについて言及している時点でのジジェクの意見を採用した。

 

 ※14 このようなネガティブ・コミュニケーションの悪循環を避けるために、『図解雑学 人間関係の心理学』によればゴレマン(ダニエル・ゴールマンのことか?)は「不満は具体的に云う」「相手の非難を受理する」「相手の話を聞いているということを示す」「自分が怒っていることを確認する」といった処方箋を提示しているらしいのだが、なんというか、間違っちゃいないんだろうけどたいへん優等生的ですね、といった感想である。

 

 ※15 ベルクマンも結局のところは、隣人訴訟が彼ら彼女らを活き活きとさせている面はある、という事実を溜め息混じりに認めているニュアンスがある。それでももちろん、出来れば隣人訴訟はご免こうむりたいが。

 

 ※16 ここで再びアンヌ・モレリの戦争プロパガンダの法則を参照するのもよいだろう。すなわち

 「われわれは戦争をしたくはない」

 「しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」

 というのが戦争プロパガンダの第1項・第2項に来るというのは、日常の争いについても次のような危険性を示唆してはいないだろうか。「相手を尊重し相互理解につとめよう」という意識はたやすく「私は相手を尊重し相互理解につとめている」という意識にスリップする。そして「しかし相手はそうではない」という考えに帰結する。

 

 ※17 ここでは「積分=統合化」integrateと「微分=差異化」differentiateという、かつて浅田彰が『逃走論』においてパラノ型、スキゾ型を説明するために用いた言いまわしを多少意識している。

 

訴えてやる!―ドイツ隣人間訴訟戦争

訴えてやる!―ドイツ隣人間訴訟戦争

人はどうして死にたがるのか 「自殺したい」が「生きよう」に変わる瞬間

人はどうして死にたがるのか 「自殺したい」が「生きよう」に変わる瞬間

モノへの愛惜について

 僕は古書を売ったり買ったりする仕事をしているのだが、本を売りに来るお客さんが、しばしばこんなことを口にする。

 

 「値段はつかなくてもいいので、できれば誰かに使って欲しい」

 

 これを聞くたびに僕は「あー、またか……」と内心思ってしまう。捨てるのは可哀想だ、というのはわからなくもないのだが、何故かそういうことを云う人の持ってくる本は「言われなくても値段はつかない」場合がほとんどなのである。

  モノにたいする個人的愛着ほど、市場的他者にとってどうでもいいものはない。

 はっきり言ってほとんどの本は、この消費社会における量産品なんであって、お客さんからすればどんなに一期一会で大切な本であり、どんなやむにやまれぬ事情で手放さざるを得なくなったのかは知らないが、古本屋からすれば「その本は見飽きてる」場合がひじょうに多いのである。本当にレアな本などなかなかあるものじゃないし、本当にレアな本だったら云われなくてもとてもとても大事に扱うのである。

 毎日毎日どうしようもない本を持ってきては「できれば捨てずに誰かに読んでほしい」と繰り返すお客さんたちを前に、笑顔を保ちつつも、僕の心の中の「またか感」はどんどん募ってゆくのだった。

 

 *

 

 しかし。そんな僕にもお鉢が回ってきた。

 実はこのたび、ダイニングスペースを作る都合でやむなくピアノを処分することになった。僕自身が「値段はつかなくてもいいのでできれば誰かに使って欲しい」とお願いする側になったのである。

 

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 このピアノは、僕が生まれた頃に、母がピアノを習わせようとして近所の先生の紹介で買ったものだ。僕ときょうだいがピアノを習ったが、きょうだいはすぐに辞め、いちばん長く続けたのが僕だった。

 実家を出るときに貰いうけて運んできたのだが、そのせいで狭い2DKのD(ダイニング)になるはずの場所にピアノが鎮座することとなった。

 

 やがて僕も結婚したが、Dの場所にPがずっと居座っている、いわば2PKの生活が今までずっと続いてきたのである。だがとうとう、ピアノを処分してテーブルと椅子を置くことを決断したのがつい先週だ。ダイニングづくりというのはそれなりに心躍る話であり、そうと決まればどんどん話を進めてゆきたい。

 僕は当初、なんでもいいからさっさとピアノを処分しようと思っていた。別になんとも思わなかった。だが手続きを進めてゆくうちに、だんだんこのピアノへの、長く忘れていた愛着が甦ってきたのだった。

 

 なぜ心境の変化があったのかには色々な事情がある。ツイッターに写真を載せたら「綺麗なピアノですね」「処分されるのですか、残念です(´・ω・`)」といったようなコメントがけっこう多くついて、なるほど言われてみればと愛惜の念を掻き立てられたということがある。

 また一応親に報告しようと電話したさいに、父に「子供たちにピアノを習わせようとして母が買った」という思い出話をふと聞かされた。そういえば幼少期、となりに母が座って、毎日ピアノの練習を泣きながらさせられていたのを思い出した。

 いろいろ思い出すうちに僕はすっかり気が変わってしまい、このピアノを処分することが本当に良いことなのかと迷いが生じてきた。

 

 かといってPがあるうちはDがつくれない。

 そこで、最初は実家にあったものなので、もう一度実家で引き取ってもらおうとしたのだがそれは断られた。

 これについては「実家は広いからピアノくらい置いてくれてもいいのに」と喉元まで出かかったが、我慢した。僕もピアノを手離そうとしているのに、そんな僕が実家に置いてくれないからといって実家の家族を批判する資格があるのか? ……ない。

 そんなやるせない気持ちが次のツイートになった。

 

twitter.com

 

 まあ大げさなのだが、ポエムである。子供とはピアノのことであり、貧乏-金持ちとは居住空間が狭いか広いかという話だ。

 かくして「値段はつかなくてもいいから再利用してくれる引き取り先」を捜すこととなったのだが……

 

 *

 

 ここに来て、身につまされてしまったのである。そう、いつも本を売りにくる人たちの、何度も何度も聞かされたあの言葉。

 

 「値段はつかなくてもいいので、できれば誰かに使って欲しい」

 

 冒頭でそういう本に対して「言われなくても値段はつかない」と述べたが、むしろそういう本(客観的に見ればクズ)だとわかっているからこそ、彼らはなんとかしてモノの生命を保とうと、懇願するような言葉を発していたのではないか。それを自分はどれほど無下にしてきたことか。

 ……いや接客の愛想はつねに良いのだが、内心で、そういう彼らの気持を汲むということをまったく自分はしてこなかった。なんということだろう。まったく自分はやさしい顔をした人非人だったのだ。

 

 とはいえ、著名人でもない我々の個人的愛着がモノの市場的価値を上げることは、絶対にない。

 いくら半生をともにしてきた蔵書だろうが、市場的に見てクズの山であればクズの山だし、同様にいくら母との思い出が詰まったピアノだって、市場的に見たらみすぼらしい安物のピアノにすぎない。それはわかっている。だが僕は気持ちを改める。

 

 いままで冷淡な気持ちで「残念ながら値がつきません。誰か知り合いの方に譲られるのがよいのではないですか」と云い放っていたあの場面。これからもきっと何度もあるだろう。

 これからは、そういう場面に出くわしたら、他人の愛惜の気持ちがわかる血の通った人間として、真心を込めてこう言っていこうと思う。

 「残念ながら値がつきません。誰か知り合いの方に譲られるのがよいのではないですか」

 

 

 

 【追記】

 その後、ピアノはあのくどいCMでおなじみの「タケモトピアノ」に買い取ってもらうことになった。タケモトピアノは、買い取ったピアノをメンテナンスして、中国や東南アジア、アメリカ等に輸出しているらしい。

 正直、タケモトピアノは業界の大手ということで、我ながら安直な反資本主義感情からあまりいい先入観を持っていなかったのだが、こうやって身請け先を探す身になってみると、うちのピアノに再活躍の場を与えてくれたタケモトピアノにはなんともいえない感謝の念が沸き起こってきたのである。

 まあ感謝じたいは偶然による個人的な感情にすぎないのだが、少なくとも大手だからといってマイナスの先入観を持つようなこじれた反資本主義マインドみたいなものは自己検討したほうがいい、と思う契機になったのだった。よく見ればあのCMも明朗で良いのではないかしら。

 

 そうしてテーブルを設置し、これを書いている時点でまだ姿見でコンセントを隠すだとか、玄関をお揃いのペンダントライトにするとか幾つかの作業は残っているものの、ひとまずダイニングの原型ができあがった。Before&After的に見比べていただきたい。

 

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 このAfterにあたる写真について、ツイッターのフォロワーさんから次のようなリプライをいただいた。

 

twitter.com

 

 その言い方は泣けてしまうのである(;ω;)

 そもそもピアノじたいが、僕のなかでいくばくか亡き母の記憶と結びついている。そのピアノの代わりにやってきたテーブルが、微かにピアノの面影を留めているとするならば。

 なにかそこに、テーブルを通してピアノの記憶に、ひいては母の記憶につながる微細な経路の存在を指摘されたような気がして、なんとも胸に沁みたのだった。

 

 大事なことは、このダイニングで、これから妻とさまざまな思い出を作ってゆくことだと思う。亡き母に対しては、生前に充分に親孝行できなかったという取り返しのつかない悔いがあるが、結局のところ最高の親孝行とは、僕自身が幸せになることではないだろうか?

 イタリアかどこかの諺に「優雅な暮らしが最高の復讐である」というのがあるが、それを少しもじって、僕はこう言いたい。

 「幸福な生活が最高の恩返しである」

「泥棒のマーキング」について

 これは、あまり書きたい話題ではないし、喧々囂々と騒がれたくもない。じゃあなんで書くのかといえば、誰かが云っておかなければならないという義務感のようなものだ。したがって、なるべく手短に書いてネットの片隅に放置しておくことにする。たまに辿り着いて読んだ人に益するものがあればそれでよいと思う。

 

 ネットで「ポストや表札の下などに注意! マーキングがあったらすぐ消してください!」というような話題がときどき出回る。知っている方も多いのではないかと思う。住人が何時から何時までは留守になるとか、女性の一人暮らしであるといった意味を示す記号が、ポストや表札、インターホン等に書きこまれ、放置しておくと場合によっては泥棒に狙われるという内容のものだ。

 検索すればたくさん出てくるが、幾つか典型的なものを貼っておく。

 

matome.naver.jp

 

minkagi.blog

 

cat-hack.com

 

 これを見たとき、僕はあることを思い出した。それは関東大震災の時にも似たような噂が流れたという事実だ。その件については松山巌『うわさの遠近法』が複数の記録を挙げているので参照されたい(△のなかに十字といった記号がうまく出せないので写真転載しました。なお文面は二枚とも同じものなのでお使いの端末で読みやすいほうで読んでください) 。

 

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 会田有仲『東京大地震日記』および秋山清『わが大正』、また海軍省法務局の資料によれば、現代の「泥棒のマーキング」とほぼ同じ内容の噂が、あの悪名高い「不逞の朝鮮人が井戸に毒を入れ或は放火するに付」という噂とともに流布されていたことになる。

 

 追記:出目金氏(@TR_727)によると、井戸そのものに白墨で印をつけるという流言が黒澤明の著書に記されているという。してみると、井戸投薬の噂とマーキングの噂はかなり強い類縁関係にあったと云えるのではないだろうか。以下がその該当箇所。

 「町内の、ある家の井戸水を、飲んではいけない、と云うのである。何故なら、その井戸の外の堀に、白墨で書いた変な記号があるが、あれは朝鮮人が井戸へ毒を入れたという目印だと云うのである。私は惘れかえった。何をかくそう、その変な記号というのは、私が書いた落書きだったからである」

  (『蝦蟇の油』)

  

 では海外はどうなのだろうか。調べてみると出てくるわ出てくるわ、「泥棒のマーキング」タイプの話はほとんど全世界に見られることがわかった。 以下はその例である。

 

www.noticiasdoidas.com.br

 

www.express.co.uk

 

chuansong.me

 

 そして海外にもやはり古い時代からこの話の類型が見られる。

 サン=ドニの修道士が残した記録によると、一三八二年のある夜、パリの裕福な人たちの家の門に何者かによってさまざまな印が描かれた。住人たちは盗人の符牒だと思い、たいへんな恐慌に陥ったという。

 

 つまり「これは都市伝説ではないのか?」というのが僕の見解である。

 ただ断っておきたいのは、都市伝説というのは事実であるかどうかとはまた別の話である、ということだ。

 上のリンクで云うと、スコットランドの地方の警察署は、この話を事実認定して住民に注意喚起までしたようである。

 また今回ブログを書くためにあらためて調べたところ、日本語サイトでは「訪問販売員がつけるものだが意味を知った泥棒が利用する可能性がある」という説明が多数見られた。そうやって聞くと「なるほど」と思う反面、都市伝説にありがちな合理化、つまりより信じられやすいようにディティールが変化する現象であるようにも見える。

 悩ましいところだが、ただ事実であるかないかが確認されず、憶測のみで広範囲に伝播してゆく語りを都市伝説と呼ぶならば、この話は間違いなく都市伝説である。訪問販売員云々は正直僕も「あるかもな」と思うのだが、少なくとも訪問販売員に聞いただとか、泥棒がそういう供述をしただとか、何らかのソースを示した記事は見た範囲では皆無だった。というか、今回こうした記事を数多くチェックしたわけだが、それらは概して

 

 ・しきりに恐怖感・警戒心を煽っている

 

 ・何もソースを呈示していないし、何も調査した形跡がない

 

 ・「~らしい」「~そうです」といった表現を多用する

 

 ・どのサイトもほとんど同じようなことを云っている

 

 といった共通点が見られた。それからほとんどのページがアフィ……いや、それはまあよしとしよう。そこはお互い様なので。

 都市伝説研究の第一人者、J・H・ブルンヴァンは次ように描いている。

 

 民俗学の目的とは、口述の伝承(オーラル・トラディションズ)の正体を暴露することではない。(中略)わたしたちの関心は、どうしてこのような話がされるのかということにある。

 (『消えるヒッチハイカー』)

 

 繰り返すが、僕は「泥棒のマーキング」の噂が事実であるかどうかを断定しない。しかしこれが都市伝説であることはかなりの確信をもって断言できる。そして、このことはとりたてて矛盾しないのである。

 

 *

 

 周知のように関東大震災のさいの流言は集団妄想へと発展してゆき、自警団の組成、あげく朝鮮人虐殺の惨事へと繋がった。

 松山巌は、当時の日本人がなぜそのような凶行に及んだのかを、震災に至る精神史として通覧し検討を加えている。朝鮮「併合」(明治43年)以後の度重なる独立運動とりわけ「万歳事件」とも呼ばれる三・一運動(大正8年)、信濃川逃亡労働者殺害事件(大正11年)、そして震災の三ヵ月前に刊行された北一輝『日本改造法案大綱』(大正12年)と追ってゆき、次のように結論づける。

 

 征服されるか、征服するかどちらかしかない。この二者択一しかできぬ判断が日本人を追いつめていたものであり、この論理に無理があると知っていたからこそ朝鮮人の動きに、社会主義者の動きに恐怖をいだいた。この恐怖心こそ「この際! やっつけろ」という言葉を吐かせ、関東大震災の流言と残酷さへ走らせた震源であろう。

 (松山巌『うわさの遠近法』)

 

 この種の都市伝説を最大級に慎重に取り扱わなければならない理由は、ふと歯車が狂えばこうしたものに接続してしまいかねない危うさにある。いわば、我々は歴史上の反省からこのような話を鵜呑みにしない責務を負っていると言えるのではなかろうか。

 

 *

 

 ともあれ、実際に泥棒たちはしばしばマーキングを頼りに空き巣や強盗を計画する、という信頼できるソースが出てくれば、それはそれで新たな知見が得られたことになるわけで歓迎である。

 ただ、今のところ僕はそうした情報を知らない、というよりさんざん言及されているにもかかわらず実際のところはどうなっているのか、ちらっとでも気にした形跡のある文章を見たことがないのである。

 憂慮する次第である。

 

 追記:このブログ記事の発表に前後して、職場の同僚や知り合いに「表札やインターホンなどへのマーキングを見たことがあるか」と聞いてまわったところ、意外にも数人「見たことがある」という人があらわれたのだった。

 彼(彼女)らの話をとりまとめると、「泥棒のマーキング」の噂をかなり以前から、早い人では数十年前から知っていたが、どうやらかつては「訪問販売員が云々」といった説明ではなくストレートに「泥棒が」マーキングをする、という話がほとんどだったらしい。ともあれ、そのような噂を聞いて軒先をチェックしたところ、案の定見つかったので消した、ということだった。

 只、それが何者による、いかなる意図のマーキングであるかは定かではない。そしてマーキングの内容についても委細に憶えている人はいなかった。電気やガス、水道関係の人であるとか、新聞勧誘員であるとか、上述のような黒澤明的「子供のイタズラ」なのか、あるいはベタに噂どおりの「訪問販売員」(しかし訪問販売じたいが平成に入って激減しているのではないか?)なのか、あるいは自然についた傷がたまたまそのように見えたのか、今のところそのあたりの情報は、こうした話を提供してくれた誰からも、確たるものは何も出ていない。  

 

うわさの遠近法 (講談社学術文庫)

うわさの遠近法 (講談社学術文庫)

消えるヒッチハイカー―都市の想像力のアメリカ (ブルンヴァンの「都市伝説」コレクション)

消えるヒッチハイカー―都市の想像力のアメリカ (ブルンヴァンの「都市伝説」コレクション)

蝦蟇の油―自伝のようなもの (岩波現代文庫―文芸)

蝦蟇の油―自伝のようなもの (岩波現代文庫―文芸)

ちんこ盗み猫 意味と背景

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 ちんこ盗み猫。見た瞬間に反射的にそう呼んでしまった、このちんこを咥えた猫の絵は、1555年ドイツで制作された作者不詳の版画(※1)である。 もちろんこんなものを前々から知っていたわけではなく、別件で西欧中世の泥棒について調べていた時(したがってmedieval thief とかそれに類する単語で色々検索していたさいに)偶然目についたものである。これが風刺画であることはあきらかだが(※2)、その意味するところは一見しただけではわからなかった。そこで本来の調べ物をしばらく脇に置いて、この版画の意味を調べてみることにした。

 

 さて、とりあえず全体を見てみよう。

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  (オランダ国立美術館、作者不詳、1555)

 

 まず、右側にちんこを咥えた巨大な猫がいる。この猫はいまにも門から走り去ろうとしながらも、ふと後ろを振り返っている。猫の後ろには修道女がいて、猫に魚を差し出して気を引こうとしている。彼女はなぜ猫を呼び止めるのか。おそらく魚と猫が口に咥えているちんこを交換したいのだろう。他、道化師らしき人物が、下着らしき布を手からぶら下げている(※3)。

 

 猫の下には”Flaisch macht Flaisch”と描かれているが、Flaischは肉をあらわすドイツ古語だ(現在のFleisch)。したがってこの言葉は

 

 「肉は肉を与える」

 

 となるのだが、これだけでは何のことだかわからない。そこでこの言葉について調べたところ、これはドイツの諺

 

 ”Fleisch macht Fleisch, fisch macht nisch”

 (肉は肉を与える、魚は何も与えない)

 

 の前半部分であるらしい(※4)。

 この諺は、口にしたときの響きとリズムの遊びに向いたもの(例えば「驚き桃の木山椒の木」や"eeny meeny miney mo"といったような)であり半分はナンセンスなのだが、ともあれ直接的には「肉のほうが魚より栄養があってイイゾ」という意味である。だが同時に肉は肉欲を、魚は禁欲を暗示している。

 Fleischは言葉あそび的にはFleischeslust(肉欲)を連想させるという説もあるが(※5)、とりたてて象徴的コンテクストを詮索しなくとも現代英語のfleshにしてもある程度肉欲の含意はある(※6)のだし、肉=肉欲という隠喩については多くを語る必要はないだろう。

 一方、なぜ魚が禁欲なのかというと、それはカトリックの「魚の日」の習慣からくる。

 

 欧米のキリスト教国、とりわけカトリック圏において、金曜日を〈魚の日 Fish day 〉と呼び、獣肉を断って、もっぱら魚肉を料理に用いる習慣があるが、これは金曜日がキリストの磔刑の忌日であり、断食日 fast day であったことと関連している。

 (『平凡社世界大百科事典』第2版)

 

 ……といったように、魚=禁欲という暗示もまた、当時の市民にとってごく自然なものであった(※7)。しかも、そもそも魚はキリストの象徴だということもある。

 したがってこの諺は、「肉のほうが魚より栄養があってイイゾ」というのと同時に「肉欲のほうが禁欲よりも楽しくてイイゾ」ということをも含意している。

 となれば、この諷刺画の含意も大体見えてきた。修道女は禁欲、あるいは信仰そのものを差し出して、代わりに肉欲を得ようとしているのである(※8)。あるサイトではこの絵の寓意を「尼は、猫が魚を求めているほどに陰茎を求める」と言い表していたが、簡潔で的を射ている(※9)。

 

 また猫は異端の象徴でもあることにも留意しておきたい。

 1233年グレゴリウス九世の勅書によって猫は魔女と結びつけて考えられるようになり、猫だけではなく猫を飼う女性も殺戮の対象となっている。また1484年、教皇インノケンティウス八世は勅書「このうえない熱意でもって願いつつ」(Summis desiderantes)を発し、そのなかで魔女や魔術師とともに猫もまた激しく弾劾しているが、これは西欧における猫の虐殺史の始まりでもあった(※10)。余談だが『魔女の鉄槌』が刊行され、またスペイン異端審問所長官に悪名高いトマス・デ・トルケマダが任命されたのはこの数年後の1487年である(※11)。 

 

 この諷刺画の作者は「修道女らにとっては禁欲よりも肉欲のほうがよい」と揶揄すると同時に、カトリック教会を異端に近しいものとして表現するという意図をもこの版画に秘めている可能性が高い、といえる。

 

 *

 

 ではなぜこのような風刺画が書かれたのだろうか。

 結論からいうと、これはプロテスタントによるカトリック批判のために製作されたプロパガンダ版画である。

 十六世紀ドイツでは、プロテスタントによってこのようなプロパガンダ版画が多数つくられた。知識人向けの書籍と違って内容はきわめて大衆向けであり、動物あるいは「首から上だけが動物である人物」などを用いたわかりやすい寓意画で、教会の矛盾や聖職者の堕落をあげつらうものが多かった。カトリックも反撃はしたが、彼らは公式の説教壇を確保していたため印刷物に力を入れることはあまりせず、もっぱらルターやツィングリに神学論争を挑む、といった動向のほうが目立つ。いっぽう説教壇を持っていないプロテスタント側のほうが、居酒屋などの「ゲリラ説教」や印刷物に力をそそぐ結果となった。

 

 高度な内容をふくんだ書籍ではなく、ビラやパンフレットが宗教改革の理念を民衆に伝えるのには大きな役割をはたした。文字に書かれた簡単な内容は宗教改革の高い理念をふくんでいないとしても、対話や朗読の形式で声の文化に変換され、木版画という視覚手段をも利用しながら伝えられた。音読と視覚に訴えたコミュニケーション手段は、街角や居酒屋といった場所でおそらく紙芝居のように利用され、宗教改革の普及におおいに役立ったことは容易に想像できる。

 (森田安一『ルターの首引き猫 木版画で読む宗教改革』)

 

 したがって大衆にもわかりやすい「聖職者は性欲まみれ」というモチーフは、当時のプロパガンダ版画としては典型的な部類と思われる。だがそれだけではない。この版画には聖職者たちの退廃を指摘することによってカトリックの独身制を批判するという目的もあった。そのことを少し見てゆこう。

 

 *

 

  「神に仕える聖職者は独身であることがふさわしい」という独身制の教義は、元来のキリスト教の教義にはなく十二世紀になってから導入されたものであり、プロテスタントはこの教義に強く反対していた。

 ルターは宗教改革を開始するとほぼ同時に、この独身制を破って妻帯している。彼に云わせれば独身制は聖書的な裏付けに乏しく(※12)人間として自然なことでもない。にもかかわらず教会が独身制を敷くのは、ようは「聖職者は俗人とは異なる聖なる存在である」と誇示するためである。だが、はたして聖職者だけが神に仕える者なのだろうか。職人であれ農民であれ、人は誰でも神に仕える存在であり、神の下に平等であるべきではないのか。

 したがって聖職者が独身を貫くことには何の意味もない。ルターの論点はおおむねそのようなものであった。

 

 版画に戻って云うならば、このような独身制の矛盾が「性欲を我慢しきれない修道女」として表現されている。人間だものね、性欲はあるよね、というありのままの人間を描くことと、そんな彼女を揶揄しつつも結局のところ独身制がいけないのだというカトリックの教義に対する批判を、いわば同時にやってのけているのである。

 

 カトリックの独身制は、近年問題となっている教会内部における聖職者による性的虐待の間接的誘因の一つとして、今でも賛否両論の的となっている。2010年ドイツでは、平信徒団体の代表や司教会議の議長が「独身性はキリスト教の教義上必要なものではない」と発言するといった動きが見られる(※13)。また2014年には、オーストラリアの教会によって「独身制が児童性的虐待の一因となっている可能性がある」という報告書が提出されている(※14)。

 ……のであるが、まあ、この問題については僕は確信を持って意見を言うことは出来ないし、あまりに本筋と外れるためこの記事での言及は控える。

 

 *

 

 なにやら珍妙な(ちんこだけに)版画についての調べ物から、ずいぶんシリアスな方向に話が向かってしまった。しかしシリアスと滑稽は紙一重、「ちんこを咥えた猫」というおどけた表象があったからこそ、かの猫を追ううちに我々はここまでやって来てしまったのだ。

 猫は黄昏に見失ってしまった。ふとどこからともなく、修道女の忍び笑いと猫の鳴き声が響いてくる。さあ、あなたも家に帰って自分の「いいこと」をしなさい、世の中は、哲学の教室でもなし、あなただって、失礼ながら聖人賢者におなりになるおつもりでもございますまい(※15)……いったところでこの話は幕引きである。

 

【注】

 ※1 ツイッターでは「木版画」とツイートしたが、それは当時、プロテスタントによるプロパガンダ木版画の作品群がよく知られていたためと、それらの同時代の木版画と比べて絵柄や線のタッチにさほどの相違を感じなかったためであった。その後読者の方から「これはエングレービング(銅版画)かエッチングにドライポイントを併用したものではないか」という指摘をいただいた。たとえば縁(ふち)のプリントマーク(エッジの凹み)はインタグリオ(凹版)の特徴であって、木版画ではほとんど見られないものであるという。また木版画は基本的に線に滲みが出ることはなく、余白部分に細い傷のようなタッチがあること、猫が咥えている睾丸にも線の滲みがあることからも本作品は銅版画と思われるという。最終的な判断は出来ず、したがってブログではたんに「版画」とした。

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 ※2 道化師がここにいるのは、この絵が風刺画であることを表すためである。だがどちらにせよこの作品が風刺画であることは言うまでもない。

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 ※3 道化師が持っているのは下着と見てほぼ間違いないが、なぜ持っているのかは定かではない。なにか間男のようなシチュエーションを暗示しているという説もある。いずれにせよ本作の sexual なテーマに関連する小道具の一つであろう。

 

 ※4 諺の起源については、まずスペインの古諺”Carne, carne cria; y peces, agua fria”(肉は肉を与え、魚は冷たい水しか与えない)があり、のちにまったく同じ意味のドイツの古い諺”Fleisch macht Fleisch und Fische kaltes Wasser”が発生した。それがさらに変化して本文中にあるような”Fleisch macht Fleisch, fisch macht nisch”となったらしい。

 

 ※5 https://vulgarcrowd.wordpress.com/2015/10/19/the-naughty-nun-a-raunchy-woodcut-from-1555/  を参照。

 

 ※6 原田実氏によれば、例えばフィリップ・ホセ・ファーマー『太陽神降臨』は原題を"Flesh”というが、次のような物語である。

 http://pecosmile.blog.shinobi.jp/sf小説/sf読もうぜ-196-%E3%80%80フィリップ・ホセ・ファーマー『太陽神降臨』

 

 ※7 ピーテル・ブリューゲル『謝肉祭と四旬節の喧嘩』(1559)を想起されたい。ここでは〈四区節=カトリック=禁欲=魚〉と〈謝肉祭=プロテスタント=快楽=肉〉が戦いをくりひろげている。

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 http://www.salvastyle.com/menu_renaissance/brueghel_fight.html

 

 ※8 この修道女の腰から下げているロザリオはよく見ると十字架の部分がちんこになっている。この修道女は神を崇めているように見えて、実は本心ではちんこを崇めているのだ、という皮肉。

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 ※9 http://en.posztukiwania.pl/2015/02/15/the-forbidden-fruit-tastes-the-sweetest/ を参照。

 

 ※10 この部分はいくつかの記事を参考にしているが、次の記事はとくに興味深い内容だった。


 ※11  只、僕はこうした、今日ではさまざまに知られている歴史的事実をもってキリスト教の残虐性を言い立てることには積極的には同意しない(まあ飲み会ていどの場所では云うけれど)。西欧中世社会に度々あらわれる異常な集団心理的恐慌状態については、より厳密かつ複雑性を受け容れたアプローチのほうが、単なる揶揄・誹謗よりも今日的に得るものが大きいと思われる。

 

 ※12 カトリックは独身主義の根拠を第一コリント書第七章に求めている。パウロによるこの文書はたしかに独身を勧めているが、妻帯を許してもいる両義的な文書である。 

 http://bible.salterrae.net/kougo/html/1corintians.html

  

 ※13 https://blogs.yahoo.co.jp/shigekisatojp/13389559.html を参照。

 

 ※14

 2014年オーストラリアの教会による報告書についてはこちらを参照。

 http://www.afpbb.com/articles/-/3034188

 又、独身制による矛盾、聖職者の葛藤について書いたものとしては、僕の知るかぎりではゴードン・トーマス『欲望と抑制のあいだで 背徳の修道者たちの記録』(原書房、2002)がかなり早い段階でスポットを充てている。聖職者の小児性愛的犯罪についても、本文で挙げたものの他に、例えばスラヴォイ・ジジェクの著作で言及されているのを読んだ記憶がある。

 このように欧米ではかなり前から問題視されていたことであり、今年に入って大きくクローズアップされているのは何度目かのリフレインでもある。これまでと同じようにしばらく経つと忘れ去られる、ということが繰り返されないことを願う。

  

 ※15 太宰治『新ハムレット』より大臣ポローニアスの台詞。なんだか偏愛しているので使わせてもらった。

 

 

 

  なお今回のブログを書くにあたって、版画の解釈については主にウェブサイトを参考にしたのだが、時代背景、とくに宗教改革期におけるプロパガンダ木版画に関心のある方には森田安一氏の本をお薦めする。

 また、ツイッターのリプでさまざま知見が寄せられたのもこの版画にまつわるツイートの特徴であり、それはブログ記事を書くさいにも大いに参考にさせていただいた。平素、僕はSNSによる集合知だとか市民的熟議といったものにかなり懐疑的であることを経験上余儀なくされているが、バズること=クソリプがたくさんつくことともかぎらず、条件によっては大いに効用があるケースもある、というのは今後も記憶に留めておきたい。この場を借りて感謝申し上げます。

 

ルターの首引き猫―木版画で読む宗教改革 (歴史のフロンティア)

ルターの首引き猫―木版画で読む宗教改革 (歴史のフロンティア)

欲望と抑制のあいだで―背徳の修道者たちの記録

欲望と抑制のあいだで―背徳の修道者たちの記録

真実の夢、共有される夢、眠りなき夢

 J-B・ポンタリス『魅きつける力』は一九九〇年、リヨン近郊のトマス・モア文化センターで行われた同氏の講演を元に加筆修正された比較的薄めの本である。そのなかで、書名にもなっている夢の牽引力 force d attraction (すなわち「魅きつける力」)について論じた冒頭の章では、『ピーター・イベットソン』という、今日ではあまり話題にされないが特異な筋書きを持つ小説が取り上げられている。

 『ピーター・イベットソン』は一八九一年に出版されたのち、一九三五年にはヘンリー・ハサウェイによって映画化された(邦題『永遠(とわ)に愛せよ』)。映画をみたブルトンは歓喜し、これぞシュールレアリスムの勝利だと讃えたといわれる。

 

 あのもう一つの非凡な映画、シュールレアリスムの勝利といえる『ピーター・イベットソン』という作品を知ったからには。
 (アンドレ・ブルトン『狂気の愛』)

 

 ブルトンの歓喜とは違った形であるが、ポンタリスもまた『ピーター・イベットソン』を前にして、冷静な分析家の手つきに徹することは出来なかったように思われる。
 ポンタリスは揺れている。フランス精神分析界における第三世代を代表する分析家であり、かつてはラカンの片腕的な存在であったが、ラカンがパリ・フロイト学派を立ち上げた一九六四年に彼と袂を分かち、理論的指導者を置かない合議制的な分析家組織「フランス精神分析協会」(APF)を立ち上げた硬骨漢である彼が、『ピーター・イベットソン』に対し微かな、しかし確かにそれとわかるような躊躇、戸惑いのようなものを行間から覗かせている。
 その揺れは、物語の主人公であるピーターが晩年を精神病院で過ごしたことから、もし彼が我々の患者だったとしたら(いわば「患者ピーターの症例」)という仮定で語り始めるところからしてすでに窺える。
 またポンタリスは、この素材についてひとしきり語ったのち「ピーターの物語を離れる前に一言付け加えておこう」と宣言するのだが、結局その後も、この章が終わるまで『ピーター・イベットソン』の話題は繰り返し繰り返しあらわれるのである。「ピーターの物語を離れる」とは言ったが「ピーターの話題を離れる」とは言っていない、ということなのかも知れないが、いずれにせよ執拗に『ピーター・イベットソン』の話題がリフレインされる章構成自体にポンタリスの執着(という言い方は失礼かも知れないが)を感じずにはいられない。
 さらにポンタリスは、この本以前にも別の箇所で『ピーター・イベットソン』について言及したことがあると自己申告している(『perdre de vue』1988所収)。もちろん同じ素材について何度書こうが自由だし、その時とは切り口も違うのだが、少なくともポンタリスにとって『ピーター・イベットソン』がちょっとした話のマクラ程度のものでないことは明らかである。

 

 *

 

 では『ピーター・イベットソン』とはどういう物語なのか。そのあらすじは次のようなものだ(この箇所は『魅きつける力』訳者である藤谷興一氏の「あらすじ」に大きく依拠しているが、間違いがあった場合の責は安田にある)。

 

 ピーターとメアリーは幼馴染みで、フランスのパッシー(現在の十六区)で隣同士の邸宅に住み、幸福な幼少期を過ごしていた。しかしピーターが十二歳のときに彼の両親が相次いで亡くなり、ピーターは親戚のイベットソン大佐に身請けされロンドンに連れ去られる。こうして突然孤独に追いやられた彼は鬱々とした学生時代を過ごし、芸術や「夢のない眠り」に慰めを求めるようになる。

 

 ピーターは大人になり、社交界で侯爵夫人となったメアリーと偶然再会する。二人の間の幼少期のおぼろげな愛は再開によってより強く確かなものになってゆく。そんななかで、メアリーは彼に「真実の夢」を観る方法を手ほどきし、また二人はたびたび「共有される夢」を観る。「真実の夢」は現実のようにありありと五感に訴えかけてくる夢であり、「共有される夢」は二人が同じ場所で同じ体験をする夢である。

 

 しかしある日ピーターは、イベットソン大佐が自分の父親であるかも知れないことを耳にし、母の思い出を汚されたことに逆上して衝動的にイベットソン大佐を殺してしまう。
 ピーターは投獄され囚人となる。だが「真実の夢」と「共有される夢」によって彼は外にいた時と同じようにメアリーと会い、世界中を旅したり、幼少期のパッシーの邸宅を訪れる(邸宅はすでに廃墟となっているが、夢のなかでは建物も庭も完全な状態に戻っている)。

 

 歳月が流れ、やがてメアリーは病死する。それを知って自殺しようとしたピーターも精神病院に移送される。だがピーターの夢のなかに再びメアリーが現れ、「真実の夢」には時間も空間も妨げにはならないことを語り、彼は心の平安を得る。そして彼は「眠りのない夢」のなかで幾度も幼少期を繰り返ながら息を引き取る。 

 

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 映画『Peter Ibbetson』(1935)より。

 

 *

 

 このように、空間的な別離はもとより死(時間的な別離)でさえも、強い愛によって「真実の夢」と「共有される夢」を手にした二人を引き離すことは出来ない。そしてさらに「眠りのない夢」、つまり「夢を観る」という最小限の現実さえ必要とせず、昼も夜も常にその状態に入ることが出来るならば。
 ブルトンが歓喜した理由もうなずけるだろう。これはあきらかに幻想の現実にたいする勝利の物語である。もし人が本当にこのような夢を観ることが出来るならば、この世のありとあらゆる悩みや苦しみ、また欲求不満など大した問題ではなくなる。

 

 「幻想が現実に勝利しうる」という幻想。我々は通常、夢や空想あるいは芸術を、いっとき心を慰めたり現実を忘れさせてくれるものとして受け容れるが、だからといって本気で現実を超克しうるものとは思っていない。そのような主張は、ほとんどの人にとって馬鹿げたもの、あるいはジョークの一種だと受け取られる。『ピーター・イベットソン』の物語が人を強く魅きつけるとするならば、まさに「物語」という形式を採ることによって受け手の理性を迂回し、それを朗々と謳い上げることに成功したからではないだろうか。

 ポンタリスの「揺れ」の原因も、そのことの延長線上にあると思われる。つまり『ピーター・イベットソン』の「幻想による現実の超克」というモチーフにひとりの人間として強く魅かれながらも、分析家として、そのような耽溺からは速やかに自分を引き離さなければならなかったためではないか。
 ポンタリスも認めているように、フロイト的夢分析とはこのような夢のもつ魔力を失わせるものである。それに対し、ポンタリスは(流派を越えて?)ドイツ・ロマン派の人びとによる夢へのアプローチを対置する。彼らはフロイトとは異なった関心を夢に向けた。それは言語化や分析の対象としての夢ではなく、まさに「体験されるもの」としての夢であった。

 

 夢幻状態、死後の世界でもあるようなもう一つの世界による幻惑、われわれの生活の夜の面によって、覚醒時の通常の知覚が規定しているこの現実を越えた向こう側の世界によって、いわば磁化されること、幻影や啓示、あるいは認識の道具としての、そして意図せぬままになされる思索としての夢、こうしたことがらに対する強い愛着はドイツ・ロマン派の人々の作品、あるいはネルヴァルがさらに流麗な筆致で描き出した作品のなかで、詩人や物語作者、思想家といった人たちの称揚するところである。
 (J-B・ポンタリス『魅きつける力』)

 

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 モーリッツ・フォン・シュヴィント『囚人の夢』(1836)。ドイツ・ロマン派を代表する画家の一人。「囚人が、窓から逃げ出そうとするのは、うまい思いつきだ。というのは、その窓から光線の刺激が差し込んで、囚人の睡眠を破ろうとするからである。(中略)格子を鋸で切っているいちばん上の一寸法師は、囚人自身がやりたいと思っていることをしていて、この一寸法師こそ、囚人自身の姿であろう」(フロイト『精神分析学入門』)

 

 *

 

 ところで、現実には存在しない空間をまさに現実のように感じたいという「真実の夢」の欲望は、今日でいうVRを連想させはしないだろうか。また離れた場所にいる二人が同時におなじ空間に居るという「共有される夢」とはサイバースペースのことを指しているのではないか。また「眠りのない夢」とは常時接続のことではないか……といった一連の指摘は可能であろう。
 それともう一つ、幻想の価値や耽溺の度合いは、通常は現実が苦しければ苦しいほどそれに比例して高まることは多くの人が知るところである。
 こうした見立てによって、『ピーター・イベットソン』の物語を、今日のわれわれの現実逃避に近づけて解釈することはとりたてて不自然ではない。つまりサイバーグノーシス主義とか電子的天使主義と呼ばれる、サイバースペースによる解放思想の文脈として、より具体的には、単調かつ孤独な日々に倦んでいる人間のネットによる救済として。

 

 だがネット以前の時代であれ、静まりかえった夜に小説を読んだりノートに想いを書き留めたり、あるいはただただ夢想するということを我々はずっとやってきたのだし、電話や手紙で相手を求めることもあっただろう。あまり過剰に今日的な状況と酷似している、と言い募るつもりはない。というより集団で浮かれ騒ぐことと「共有される夢」は少し異なるように思う。
 ここに幻想のジレンマがある、と言えるかも知れない。VRの夢、サイバースペースの夢、常時接続の夢……等々は、叶えられた端から夢ではなくなってゆく。ロマン派とは不可能を希求する思想だと言われるが、不可能なことが不可能ではなくなった時にはロマンもなくなってしまうのである。
 むしろ現実には何とも接続していないことによって何かと接続されることがあるのではないか、そちらのほうがより幻想の本義に近いのではないか、と言いたくなってくる。

 

 *

 

 さて結論めいたことを書くのがどうも自分は苦手なのだが、ポンタリスの卓抜なテクストから、次のような示唆を受けとることは出来るのではないかと思う。
 『ピーター・イベットソン』のように幻想によって現実を超克することは実際には不可能である(たとえ病理学的妄想であっても……やはりそれは主観的に現実を超克したつもりになっているにすぎない、と言わざるを得ない。そして恐ろしいことに、精神病院のピーターの実際の状況はそれであった可能性が高い)。そのような「諦め」をもたらしたという意味で、たとえフロイトは間違っていたとしても、精神分析は人類に不可逆な認識的楔を打ち込んだ。
 しかし、それでも幻想を手放すべきではない……というよりそもそも生来の心的機能の一つである幻想を手放すことなど出来ないと言うべきだろう。そして何故だか、勝てるわけでもないのに幻想は絶えず現実を超克しようとする性質を持っている。その性質こそが、ポンタリスのいう「フロイトの語る夢が置き忘れてきたもの」である。
 それにしても、なぜ人の心とはそのようなものであるのか? そのことを上手く説明する言葉を我々は……少なくとも僕は、まだ獲得していない。

 

Peter Ibbetson (English Edition)

Peter Ibbetson (English Edition)

魅きつける力―夢・転移・言葉

魅きつける力―夢・転移・言葉

精神分析学入門 (中公文庫)

精神分析学入門 (中公文庫)

ブロガーを憐れむ歌

 「わたしはブロガーです」はどうだ? 申し訳ない。とてもじゃないけど無理だ。懺悔しているようにしか聞こえない。

 (ニコラス・G・カー『ウェブに夢みるバカ』)

 

 ブログを書くとなると「そもそもブログって何だっけ」とか「平成も終わりの年になってブログを開始する意味とは」などと考えてしまう性格なので、ブログ論なども少し嗜むべきかなと思い、書庫から『ユリイカ 特集:ブログ作法』(2005)や『ユリイカ 総特集:ソーシャルネットワークの現在』(2011)を引っ張り出してきて、おー、かつて菊池誠(以下敬称略)のホームページの掲示板は梁山泊状態で凄かったらしいとか、後者の本は東浩紀とか濱野智史とか夏野剛とか、あと聞き手で伊藤剛とかさやわかとか、今でも頻繁に名前を目にする方々ばかりだったりして、なるほどなるほどと思いつつ読み進めていた。ブログ論を読むのに真っ先に紙媒体を参照するあたりに己の限界を感じつつも。

 

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 その中で印象的だったのは、前者に収められていたスズキトモユという方の「ブロガーがネットを発見する」という文章だった。それによると、スズキトモユ氏は2000年の3月から2004年の9月までかなり精力的な、いやそれを越えて強迫観念的といっていいウェブページ運営活動をされていたらしい。

 

 ひたすらウケるネタを考え、生活を犠牲にしてページの更新を繰り返した。一日休めば客が半分に減ってしまうのではないかと怯える芸人のようだった。ゴールの見えないマラソンのような日々は三六五日休みなく続いて、続いて、やがて力尽きた。

 

 そんな「ちょっぴり頭がおかしかった」(本人談)スズキ氏が、もしブログバブルである2005年の状況下でブロガーになっていたらどうなっていたのか、というシミュレーションがこの文章のメインなのだが、これがなんとも迫真、かつ凄絶であった。

 2005年のブロガー・スズキ氏は、日夜カウンタの回転数とアクセス解析に一喜一憂し、大手ニュースサイトからリンクされれば感激し、子ニュースサイト、孫ニュースサイトとリンクが繋がれば万単位でカウンタが回ってもおかしくないと興奮し、せっせと日々ネタ集めに奔走し、職場でもたまに昼休みに更新したり(控えめな日はmixiとログアナライザのチェックに留めるとのこと)、他人の無内容なブログが上位ランクインされるのを見ては憤慨し、やがて心身ともに蝕まれ追い詰められてゆく。

 

 なかでも「ネタ集め」にたいする描写は、文章の性質上誇張はあるにしても、当時このような神経症的ブロガーが多数いたのだろうなという手触りを与えてくれる。

 

 まず毎朝、自分の趣味にあったサイトが約二〇〇登録された、はてなアンテナを立ち上げると、寝ている間に更新されたサイトをチェックする。片っ端からタブで開き、リンク先も残らず巡回する。(中略)はてなアンテナのチェックだけでは面白いネタは拾えない。2ちゃんねるも、各所の画像掲示板もマメに巡回する必要がある。
 (中略)
 ページのメインは、漫画、小説、アニメなどの感想であり、そちらの更新は帰宅後に行うことにしている。朝に更新したニュース部分は客寄せのための捲き餌に近い。今日の予定は、小説を一冊、漫画を二冊、アニメを二作だ。(中略)アニメ感想にはそれほど力を入れていないので、流し見しながら、直接エディタで感想を書いてしまう。こうすれば、三〇分番組ふたつの感想を書いても一時間強しかかからない。ページの更新は時間との戦いである。

 

 申し遅れたが、僕も2003年から2009年頃までブログを運営しており、けっこうな頻度で文章をアップしていた。「生活を犠牲にして」とまでは言わないが、何かに憑依されているような感じはあった。今はめでたく緩解して代わりにツイッターに取り憑かれている。そんな体験もあって、次のようなスズキ氏の文章はささる。

 

 いいネタを拾っても、自分自身、楽しむ余裕がなくなった。時間的にも精神的にもだ。長めのFLASHは最後まで観られない。ゲームもきちんと遊べない。

 

 引用はこのくらいにしておこう。

 「なんやねん」とこの種の神経症に関係ない人は苦言を呈したくなるかも知れないが、僕としてはわかる。自分もこれを少し薄めたような状態だったことがあるからだ。
 このような情報ハイウェイに乗り続けていることはつらいし、やはり躁的な見かけによらず空虚なものである。しかしいったん「降りて」しまうとそれはそれで別種の空虚が襲ってくる。ベタな空虚かメタな空虚か。近代人とはことほどかように「ほどよく」生きることができない、神経症的な存在である。

 

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 *

 

 まあしかし、だ。
 このような神経症的ブロガーの悲惨な生活もそれなりに魅力的に見える部分がある。それが今日の僕にとってはとりわけ「ネタ集め」の部分なのだが、このような四方八方にアンテナを張り巡らせる生活、情報ハイウェイに「乗った」生活は「いま、ここ」にある世界に接続したいという神経症者の夢そのものだろう。

 

 思えば僕の生活は「いま、ここ」にアクセスするということにたいへん乏しい。本は読むのも買うのも好きだがほとんどすべて古本である。ネットもまあするほうだが最新のサービスを試してみるといった熱意はない。ツイッターは2013年から始め、スマホは去年だか一昨年だかにようやく持ったのであって、いまだにLINEすらやっていない。テレビや漫画や映画やゲームともあまり関わりがないし、じゃあ好きな人文学系の話題はどうかというと、これまた新進気鋭の学者や批評家の新刊あるいは人文系雑誌の今月の特集といった鮮度の高いネタは、なんとなくストレスを感じて忌避する傾向がある。

 

  しかしブログを始めたということは、少しは「いま、ここ」にアクセスしたほうがいいよ、というお告げのようなものではないかとも思うのだ。たまには新刊を買ってみたらどうだろう? 街中でやってるイベントに参加してみたらどうだろう? 何につけ、いま旬のものにアクセスしてみたらどうだろう? 考えるだけでもおっくうだ。では料理のレパートリーを増やしたり、ツイッターで繋がりのある人に実際に会ってみるというのは? ファッション雑誌でも買ってみる? 云々。

 

 スズキトモユ氏の文章が「ささった」というのは、ちょっと、そのあたりの感情を刺激されたということなのでした。さて少しは身を起こしてみるか、どうしたものか。

 

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 【補遺】出目金さんから次のような指摘がありました。

twitter.com 

twitter.com

  これは重要な指摘だと思ったので少し補足します。

 本文ではブログは「いま・ここ」性の強いものとして扱っていますが、これは2005年当時において、ブログの比較対象はウェブ1.0サイトだったからなんですね。ウェブ1.0サイトの多くはデータベース的な構造をしており、それに比べるとブログは、ある程度のアーカイブ性はあるものの、書いたはなから消えてゆくものと認識されていた。

 しかし現状の、SNS全盛の世の中から眺めると、ブログはコンテンツの蓄積性、アーカイブ性を持つ存在に見えるわけです。比較対象が変わったからなのですね。

 では通時的に云えることは何かといえば、次のようなことなのかも知れないなと思いました。

twitter.com

  たいへん欲深いことではありますが、結局人は、「いま・ここ」を生きつつ、その生きた証(あかし)が永遠に刻まれることを望む生き物なのでしょう。アキレスがトロイア戦争に命を賭けたように。

 

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記

ユリイカ2005年4月号 特集=ブログ作法 あるいはweblog戦記