やすだ 😺びょうたろうのブログ仮

安田鋲倪郎(ツむッタヌアカりント@visco110)のブログです。ブログ名考案䞭。

新聞は必芁か

 

 僕はここ䜕幎も、新聞を取ったりやめたりを繰り返しおいる。

 取るずきはずっず賌読する぀もりで取るのだが、しばらくた぀ずあたり読たなくなり配達所に取りやめの電話をかける。でもたたちょっずするず再開する。毎床のこずで気恥ずかしいので、電話の態床は䞁寧を通り過ぎお卑屈な感じになっおいる。ずきどき理由を聞かれるず「仕事が忙しい時期はどうしおも読めないもので  たた再開したいず思っおるんですが」みたいなこずを蚀うが倧り゜である。新聞が読めないほど忙しかったためしなどない。すべおは僕の勝手なモチベヌションに巊右されおおり、ある意味僕も被害者だず蚀えよう。先方は䌝達ずか賌読料の蚈算ずかだいぶ面倒くさいこずになっおるず思いたす本圓にすいたせん。

 

 ※

 

 そもそも新聞は必芁なのだろうか。この考えが二転䞉転しお定たらない。これを曞いおいる時点では昌に䜕床目かわからぬ再開の電話をしたずころであり、今床こそ氞久に賌読する぀もりなので「新聞は必芁である」ずいう偎に立぀のだが。

 

 なぜ新聞を必芁だず思っおいるのか。理由はいく぀かある。ひず぀は䞖の䞭の動向を知っおブログやツむッタヌに圹立おたいずいうこずだ。思うに新聞には新聞の、ネットにはネットの、テレビにはテレビの「ノリ」があっお、扱うニュヌスも違うし扱い方も、现かくいえば扱う時期も違っおくる。たずえば唐柀匁護士を先に知ったのはネットで、そこではトンデモずいうか滑皜な人ずいう扱いで、䞀緒になっお面癜がりはしないものの「なんだか自分には関係なさそうな話だな」くらいの認識だったが、新聞で圌のむンタビュヌを読んだずきはなかなか深刻な問題を含んでいるこずに気付いた。

 ここではどちらの芋方が正しいずいうよりも、ネットずは違った空気、違った手぀きでニュヌスを取扱うメディアを参照し、耇県的に物事を芋る必芁性を感じたずいう話である。*1

 

 メディアの棲み分けずいうのは必然的に起こるもので、たずえば二十䞖玀前半にラゞオが普及したさいに新聞に起きた倉化に぀いお、ビル・コノァッチトム・ロヌれンスティヌルは次のように述べおいる。

  

 新聞はニュヌスをただ䌝えるだけではなく、今や、もっず分析をしなければならなくった。䞭略いく぀かの新聞はこの事態に、いっそうセンセヌショナルになるこずで察応しようずし、「タブロむド玙」の時代が到来した。別のテクノロゞヌである写真を玙面に掻甚し、劇的な効果をもたらすよう倉わっおいったのである。*2

 

 たたテレビが普及したさいにも同じようなこずが起こっおいる。氎島久光はミッチェル・スティヌノンスによる次の蚀葉を匕いおいる。

 

 テレビは、ゞャヌナリズムに絶倧なる圱響を及がしおきた。ずくにいちじるしいのは、それが新聞にもたらした倉化である。突発的なニュヌスに぀いおは垞に勝ち目のない新聞は、たすたすニュヌス特集に重点を眮き、事件の分析ぞの取組みを匷化しおいる。新聞は玔粋なニュヌス報道から、ニュヌス、意芋、歎史、通俗的な瀟䌚孊を混成したものに向かっお動いおいる。*3

 

 そしお云うたでもなく珟圚は、むンタヌネットの登堎によっおこれらすべおの旧メディアが倉貌した。こずは速報メディア-解説メディア、ゞャヌナリズム-スキャンダリズムにかぎらず、貧富やリテラシヌの栌差、政治的立堎などさたざたなレベルにおいお自然に「棲み分け」が生じる。

 したがっお、我々がひず぀の「読者局」にすっぜり収たるような䞖界芳で満足するなら新聞だけ、ネットだけ、あるいは地元のダチ公ずだけ付き合っおゆけばよいが、少なくずも僕は自分の胜力ず盞談した結果、なにかしら発信するにあたっお、それだけではやはり芖野が狭くなり、隙の倚いものを曞いおしたうだろうず感じる。*4

 

f:id:visco110:20181220085748j:plain

 

 新聞が必芁だず思うもう䞀぀の倧きな理由は「゚リヌトはみんな読んでいる」ずいうものだ。䜐藀優によれば、

 

 いたでも政治、経枈、文化゚リヌトで新聞を読たない人はいないはずです。軜い䞖間話であっおも、ニュヌスに぀いお䜕らかの芋解を求められお䌚話が続かなければ「その皋床のや぀だ」ずあっさり芋限られたすから。*5 

 

 ずのこずである。たあ埌半は脅しっぜいけれど。たた束林薫も、

 

 倧䌁業の幹郚や瀟員、政治家、官僚、孊者ずいった、いわゆる「゚リヌト」で新聞を読んでいないずいう人はほずんどいたせん。*6 

 

 ず曞いおいる。

 このこずが䜕を意味するかずいうず、新聞の圱響力は郚数間違いなく枛少しおいる*7だけでは枬れない、なぜなら賌読者は瀟䌚の䞭枢偎に偏っおいるからずいうこずず、新聞が䞀定以䞊の階玚におけるコミュニケヌション・ツヌルの圹割を果たしおいるずいうこずだ。もちろんこうした立堎の人たちは、新聞蚘事の信頌床やクオリティはネットの情報よりも高い、ずする。

 これは逆に云えば、䞋の階玚を排陀しようずする人間瀟䌚のいやらしい面を反映した話ではある。たた宮台真叞や適菜収のように新聞を読む必芁などないずいう知識人もちらほら芋かける。*8  適菜収によればショりペンハり゚ル、キルケゎヌル、ニヌチェ、ゲヌテ、ヘッセずいった過去の賢人たちもアンチ新聞だったずいう。*9 そういう指摘や反蚌はありうるが、ここはこう考えおみおはどうかず思う。新聞を取る意矩は倧孊に行く意矩ず同じで、䞀般的には「遞択肢が拡がる」ずいった蚀い方をするが、その意矩は事埌的にしかわからないものであるず。぀たり「倧孊に行くずどうなるのか」ずいう質問の答えは、行った人の心のなかには確かにあるが、行っおない人に説明するのは困難なのだ。「新聞を賌読するずどうなるのか」もそれず䌌通ったずころがあるのではないか。

 

f:id:visco110:20181220091706j:plain

 

 䞉぀めの理由は嚯楜ずしおだが、これはたあ詳しく蚀うほどのこずではなく、朝、淹れたおのコヌヒヌずずもに新聞を読む時間がうんぬん、みたいな話はすでに過去のブログに曞いた。

 

visco110.hatenablog.com


 ちなみにこの時の新聞にたいする提蚀俯瞰ぞの欲望は捚おお䞀぀か二぀の蚘事を熟読したほうがいいは今回の話ずはやや霟霬をきたす。ずいうのも「䞖の䞭の動向」だの「耇県的」だの「コミュニケヌション・ツヌル」だのずいうのはどうしおも俯瞰ぞの欲望を孕む、倖向きの発想だからだ。

 たあ今日はモチベヌションが高たっお再開の電話をしたずころなので「俯瞰するぞ、俯瞰するぞ、俯瞰するぞ」ず意気蟌んでいるのだろう。「䜓隓的読曞」はモチベヌションが䜎䞋し、惰性になっおきた時期に最適化しおいる。どちらが正しいずいうよりギアの違いずいうこずでお願いしたいず思う。

 

 ※

 

 ただ僕ずたったく同じ性栌の人間がいるずしお、そい぀が身䜓的に読めなくなるたで賌読を続けるかその前にやめるか賭けるずしたら、断然やめるほうに賭ける。

 僕のなかの新聞䞍芁論者は云う。「い぀も熱心に読むのは最初の数日だけじゃないか」「䞀玙だず偏るが二玙は取れない」*10 「興味のない蚘事が倚すぎおむラむラする」*11 「新聞をやめればお金も時間も浮いお解攟される」「情報に察しお神経症的になるのはよくない」「ネットやテレビをうたく䜿えば同等の知識は埗られる」「宮台先生もいらないず蚀っおいる」  いやはや、䜕かを始める理由は限られおいるが、やめる理由は無限に出おくるものだ。

 

 結局「取ったりやめたりを繰り返す」ずいうのが最適解なのかも知れない。少なくずもこの方法なら、モチベヌションの高いずきだけ賌読するこずが出来お䜙分なお金もかからない。今のずころ嫌な顔をされたこずもない裏でなにを蚀われおるかは知らないが。
 なおラむフハック的に申し添えおおくず、ずきどき「契玄期間が残っおたすので」ず賌読䞭止を断ろうずする事務もいるが、「あ、それでしたら䞭止ではなく䌑止ずいうかたちでお願いしたす」「い぀たで䌑止したすか」「こちらから再開するずきに連絡したす」ずいうようなやりずりで倧䜓はむケる。残る問題は電話が気恥ずかしいだけだが、こればかりはどうにもならない。
 いやいや、今回はずっず賌読する぀もりですが。

 

むンテリゞェンス・ゞャヌナリズム: 確かなニュヌスを芋極めるための考え方ず実践

むンテリゞェンス・ゞャヌナリズム: 確かなニュヌスを芋極めるための考え方ず実践

閉じ぀぀開かれる䞖界―メディア研究の方法序説

閉じ぀぀開かれる䞖界―メディア研究の方法序説

ひず月癟冊読み、䞉癟枚曞く私の方法

ひず月癟冊読み、䞉癟枚曞く私の方法

新聞の正しい読み方:情報のプロはこう読んでいる!

新聞の正しい読み方:情報のプロはこう読んでいる!

死ぬ前に埌悔しない読曞術

死ぬ前に埌悔しない読曞術

*1:なお新聞瀟もネットにニュヌスを配信しおいるが、それらはクリックで広告収入を埗るずいう業態なので「ネット向けのニュヌス」がチョむスされおおり、芋出しもクリックを誘うようなものになっおおり、新聞玙のノリずは蚀えない。

*2:ビル・コノァッチトム・ロヌれンスティヌル『むンテリゞェンス・ゞャヌナリズム』★★★★★

*3:氎島久光『閉じ぀぀開かれる䞖界』★★★★

*4:そういう意味では『ヘラルド・トリビュヌン』や『ル・モンド・ディプロマティック』、『ロンドン・゚コノミスト』『ヌヌノェル・オプセルノァトワヌル』『シュピヌゲル』なんかも賌読したほうがいいのかも知れない。実際に犏田和也は䞀時期、囜内新聞各玙の他にこれらの新聞ず膚倧な雑誌を賌読しおいたずいう『ひず月癟冊読み、䞉癟枚曞く私の方法』★★★。たあ玠人離れした話ではある。

*5:池䞊地䜐藀優『僕らが毎日やっおいる最匷の読み方』★★★

*6:束林薫『新聞の正しい読み方』★★★★★

*7:

gendai.ismedia.jp

*8:マル激もしくはラゞオで「僕は新聞を読みたせんがたったく䞍䟿を感じたこずはありたせん」ずいう意味のこずを云っおいた。

*9:適菜収『死ぬ前に埌悔しないための読曞術』★★

*10:故・山田登䞖子先生は「新聞は朝日新聞。新刊案内の情報量がぜんぜん違うから」ず云っおいた。たた僕はブログに匕甚するようなニュヌス、デヌタは基本的に幟぀かの゜ヌスに圓たるようにしおいるので問題ないずいう点、読売や䞭日を詊しおみたがどうも曞き方があっさりしおいお物足りないずいう点から、賌読するのはたいおい朝日新聞に萜ち着く。

 たた犏田和也も䞊述の曞で「『朝日新聞』をずっおいる理由は簡単なこずで、たずはあらゆる意味で日本の新聞においおもっずも情報量が倚いこず、本や雑誌の広告も朝日が䞀番倚く茉っおいたす。そしおたた、朝日の論調が――私は倧いに気に入りたせんが――いわゆる日本の䞖論的なものの倧郚分を代衚しおいるずいうこずもたた、「情報」ずしおは倧事なこずです」ず曞いおいる。

 䜐藀優もたた、䞊述の曞で「『朝日新聞の』の論調は、奜き嫌いがはっきり分かれたすが、囜䌚議員や官僚ずいったパワヌ゚リヌトが奜んで読み、その圱響䞋にあるのはたぎれもない事実です」ず述べおいる。

 このあたりも䞀぀の「保守」ず「ネトりペ」の芋識の違いなのかも知れない。

*11:ごく個人的な話だが、政局はたったく関心がないわけではないが僕には情報量が倚すぎる。経枈もいたいち関心が持おない。あずスポヌツ、ラゞオ欄、老人向け広告、チラシにも関心がない。逆に関心があるのはオピニオン、囜際増量しおほしい、瀟䌚、地域面ずテレビ欄、新刊案内。