秘かな時間を持つこと
時には誰もが寝静まった夜に、ひとり起きていたい。
そういう時間を、ツイッターを始める前は多く持っていた。独身の頃はさらに多く。
それは確かに、孤独と隣り合わせではあった。人の集まりに顔を出す、しばらく会ってない友人には連絡を取るといった社交的身振りをまったくしないタイプなので、当然の報いとして友達は少なく、孤独が堪える夜は携帯電話で高校時代からの友人に、どこでもいいから遊びに行こうと誘ってみたりした。
「遊びに行こう」とは言うものの実質は懇願だった。とにかくどこでもいい、この耐え難い孤独から俺を連れ出してくれ、というような。
友人は付き合いのいい性格なので、他に用事がなければ僕をそういった場所に連れ出してくれた。空が白むまで乱痴気騒ぎに打ち興じた夜もあった。それでも他の友人や女性との約束があれば「今日は無理」と云われた。なにしろ顔が広いうえにモテる奴だった。仕方ない、と僕は一人孤独な夜に耐えた。
フランシスコ・デ・スルバラン『聖フランチェスコの瞑想』(1632)
だがそんな夜ばかりではない。
というより、一週間のうち大半は僕は一人の夜を満喫していた。毎晩ツイッターやLINEで誰かと話すような今からは、とても考えられないような夜。マーラーやブルックナー、バルトーク、シェーンベルク、スクリャビンといった音楽を聴きながら、『黄金の驢馬』『サン・ヌーヴェル・ヌーヴェル』『出世の道』といった現実離れした小説にのめり込んでいた。
今にして思えば、まるで『さかしま』の主人公デ・ゼッサント気取りであった。だが育ちと若さゆえの哀しさ、机は事務机、ノートやペンはコンビニや駅前の書店で買ったもの、飲む酒はドラフトワンだったのだから傍から見れば滑稽ではあっただろう。それでもああした夜は間違いなく素晴らしかった。静寂のなかにいると、なにやら得体のしれぬ陶酔感があった。
田舎なので自分以外に物音を立てる存在はない。夏は雨蛙、秋は鈴虫。あとは時折雨が降ったり風が吹くのみ。電話もメールもほぼ来ず、読書の気を散らすものは何もない。あれほど本や音楽にのめり込んだ時期はないだろう。たとえ客観的には、現実生活がいまいちぱっとしない孤独な青年の、埋め合わせとしての精神文化への偏執であったとしても。
*
ああいう夜を長いあいだ過ごしていない。
ツイッターを始めてから、ネット友達がたくさん出来た。直接会って飲んだりした人もけっこういる。例の付き合いの良い友人からたまに遊びに誘われても、気分によっては断ったりするようになった。なんという隔世の感! そして薄情者。
あの頃と今とを比べると、あきらかに今のほうが恵まれているし、もし人生をやり直せたとしてもやはりツイッターをするだろう。というか、もしやり直せるならツイッターやLINEはもっと早くから始めるだろう。
けれど、あの孤独な夜の、暗闇のなかの鈍い輝きのような充足感、静寂のなかで研ぎ澄まされてゆく感覚、ああした時間はいまは遠ざかっている。
夜中に目が覚めて、そんな夜たちがあった、そうしたい夜も、そうしたくない夜も……とふと思い出す。今でも、たまにはそういう夜を過ごしたいよね、と思ったりする。別にそれは不可能ではないはずだ。そう、たとえば今夜これからでも。
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本文で書いたような独身時代と酒・音楽の好みはだいぶ変化していて、いま現在、孤独な夜に私的にしっくり来るのは、たとえばこんな酒と音楽だ。
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