やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

中世の居酒屋について

 酒について書かれた本には二種類あるという。

 一つはしらふで読むための本。もう一つは、まさに一杯飲みながら、傍らに置いて気ままに開くための本だ。

 

 このブログ記事は、飲みながら読むために書かれている。これを書いている僕も、今まさにベルギービールで仕事帰りの渇いた喉を潤しながら書いて……いるかどうかは、まあご想像にお任せしよう。

 

 *

 

  オットー・ボルストは『中世ヨーロッパ生活誌』のなかでこう書いている。

 

 人々は騒音も大好きなのであり、民衆はヴァイオリンをひいたり、ひざをたたいたりもした。一びんのワインでも近くにあれば、大にぎわいになる。一五〇九年にマインツで出された『敬虔な生活のための聖なる警告』に書かれた次のようなことも、けっしてオーバーとは言えないであろう。「二、三人集まったら歌を歌うべし。仕事のときは家でも外でも、祈りのときも、喜びのときも、悲しみのときも、葬式のときも、宴会のときも、みな歌を歌うべし」。

 

 なぜそんなに歌い、飲み騒ぐのか。

 それは簡単なことで、中世ヨーロッパの人たちは娯楽がそもそも少なかったからだ。とくに個人的な娯楽のほとんどは、近代になってはじめて民衆の知るところとなるものばかりであった。

 未だ中世にあってみれば、娯楽とはまず祭りであり、次に結婚式、そして居酒屋が定番であった。これらはいずれも集団的な娯楽であり、過酷な労働のさなか、そのような場においてのみ人々は「生の歓喜を表現し、連帯の感情を確かめ合った」ホイジンガ)のであった。


 ところで、当時の田舎の結婚式では、披露宴を地元の居酒屋で行うのが通常であった。有難いことに、ブリューゲルがその様子を活き活きと、かつ克明に描いており、今日のわれわれに伝えてくれている。まるで人々のざわめきや食器のぶつかる音、空気や匂いまで伝わってくるような作品である。

 

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 ピーテル・ブリューゲル『農民の婚宴』(1568)

 

 このような慣習は、こんにちにおいてもある程度残されているらしい。数年前、フランスの田舎で開かれた親戚の結婚式に参加したとき、かの国の人たちは、信じられないほどワインを飲み(華奢な女性ですら僕の酒量を軽く越えるほどだった)、歌い踊っていた。一見地味そうに見える婦人が、驚くほど見事なダンスを披露してみせたりもした。

 この人たちはなぜこれほどまでに盛り上がるのだろう、と不思議がったものだが、その時居合わせた人に「結婚式で騒ぐのが、わたしたちの数少ない娯楽なのよ」と教えられ、なるほどと思ったものだった。

 

 *

 

 ホイジンガの云う「連帯の感情を確かめ合う」というのは、ようするに田舎にありがちな、他人に付き合わされるということであって、そこにはプラス面とマイナス面があることは現代人もよく知るところであろう。

 新入社員が飲みに誘ってもついて来ない、逆に新入社員にとってみれば、なぜ退勤後も上司に付き合わなければならないのかわからない、みたいな話はここ二十年ほど、毎年春になると聞く話で、おそらく二十年後にも人々は同じようなことを云っているような気がしてならない。

 

 フィリップ・ド・ヴィニュール『小説集』(1515頃)の第52話には、近所付き合いの悪い男が登場する。メッスが舞台となっているこの小話では、引っ越して来た男が「この街でおこなわれているいやな習慣には従わないぞ」と言い放ったことで事件が起こる。
 「この街でおこなわれているいやな習慣」とは、この街では動物を屠殺した場合、かならず近所の人びとに肉を分けあうべしというものであった。イヴォンヌ・ヴェルディエによれば、現代でもフランスにはこの習慣を持っている村があるらしい。

 さてこの習慣を無視した男はどうなったか。ほどなく、その豚が何者かに盗まれてしまったのである。

 盗んだのが何者かはわからない。だがその豚の肉は、なぜか街の居酒屋に供され、近所の人々よってすっかり食べられてしまったという次第。これはなにもメッスに限ったことではなく、ロベール・ミュッシャンブレッドによれば、当時のフランスであればどの地方にもこのような習慣があったという。

 

 かくのごとく、居酒屋と娯楽と共同体、という三つの要素は当時分かちがたく結びつけられていた。このことについて、もう少し詳しく見てゆこう。

 

 *

 

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 ドイツの旅館。チュービンゲンのカレンダー(1518)より。

 

 阿部謹也は『中世を旅する人びと』のなかで、居酒屋の共同体役割について次のように述べている。

 

 それぞれの村の中心にある教会がローマ教会支配の拠点であったとすれば、居酒屋は村民が生活の喜びと苦しみを語り、慰めあう、本来キリスト教布教以前からあった共同生活の中心なのである。しかも居酒屋の多くは旅籠をも兼ねていたから、そこで村人は異国の旅人と言葉を交し、見知らぬ国の生活にふれることができた。いわば自分の村しか知らない農民たちを外の世界とつなぐ心地よい窓、これが居酒屋なのであった。

 

 えらいことになった。さきほど「居酒屋と娯楽と共同体」というトリアーデを呈示したばかりだが、ここに「コミュニケーション、宿泊、情報」というさらに別箇の要素が加わることになるのである。いわば、日々の単調な生活で得られないものはすべてそこにある、非日常すべてを請け負った総合施設、というのが当時の居酒屋であった。


 それだけに権力者は居酒屋を厳重な監視下に置いていた。居酒屋の主人というのは、権力者にとっての、騒乱や犯罪計画、スパイ活動等を未然に防ぐ重要な情報源であった。それゆえ、たいていは居酒屋の主人には各種の特権が与えられ、その代わりに不穏な動きを察した場合にはすかさず報告する、という役割が期待されていたようである。


 ここでもう一度、いちばん上のブリューゲルの絵を観てもらいたい。右端の席に周囲とはあきらかに雰囲気の違う二人がいて、何やらひそひそ話をしているであろう。この二人は権力者と密告者、つまり結婚式の披露宴であるこの場に目を光らせている監視人たちなのである。

 

 じつはこの構図は、もともと中世細密画のなかに見られるものである。例えば中世の風呂を描いたこれらの絵のなかにも、監視者たる二人の人間の姿があるのがおわかりであろう。ブリューゲルは、このような中世絵画の「お約束」をなぞったわけである。

 

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 こんなことでは落ち着いて酒も飲めたもんじゃない! という鬱憤はもっともな話だ。しかし居酒屋の主人にもいろいろなのがいる。権力べったりの者もあれば、なかには反骨心旺盛な居酒屋のあるじもいたであろう。

 このような共同体の内部と外部を繋ぐもの、また混沌と秩序の接点としての居酒屋というのは、ちょっと想像をふくらませば、RPGに出てくるような、村人からの依頼を受け、共同体外部の存在である冒険者たちが危険な仕事を果たす(いわば混沌を別の混沌でもって制す)、そして「関係を持たないための報酬」の受け渡しを担う、あの居酒屋まであと一歩である。各種文献を読んでいるうちに、おぼろげながらその姿が思い浮かんでくる。

 

 *

 

 そういえば、近頃出た本で下田淳『居酒屋の世界史』を手に取ってみたが、これは興味深い記述を多く含む意欲作だった。

 ちょうど上の阿部謹也の記述と照らし合わせて読むと、当時の居酒屋事情が立体的に掴めるところがある。いわく、

 

 もともと中世ヨーロッパでは、教会が祭りや冠婚葬祭後の宴会の場であった。また巡礼者は、教会、修道院あるいは施療院(クセノドキーエン、ホスピス、シュピタール、巡礼宿)で、無償で飲み喰い、寝泊りしていた。このように教会は聖と俗が混淆する場であった。しかし中世末期、とりわけ一六世紀の宗教改革頃からこうした教会のありようは非難の対象となる。教会は徐々に聖なる(礼拝)空間になっていった。もちろん、教会の俗性が完全になくなったわけでなく、近世を通じて残存したが、多くの教会の俗なる機能は居酒屋へ移っていった。一六世紀から居酒屋が激増しはじめた一つの要因であった。だから居酒屋は教会のそばにつくられた。たとえば結婚式の後、すぐに宴会に行けるためであった。巡礼の前後に飲食、あるいは宿泊するためでもあった。

 

 阿部が「支配の拠点」としての教会に注目するのにたいし、下田は猥雑なエネルギー、多様性の場としての教会にスポットを当てている。実際に教会というのは今日のイメージとはかなり違ったものであった。教会前の物乞いや楽士の芸は当時の風物として知られている(これについては、中世の祝日のミサの様子をまるごと再現したルネ・クレマンシック監修の『ノートルダム・ミサ』を聴くべし)。

 また説教師についても、人気の説教師が街にやって来たときの人だかりは相当なものであったという。ある者は泣かせ、ある者は笑わせ、それとなくキリストの教えを浸透させる。ヨハネス・パウリ『冗談とまじめ』のような笑話と訓話の入り混じった書物が生み出されるのは、このような土壌ゆえであった。

 

 しかし両者とも、教会との対置において居酒屋を捉えるころは共通している。まるで太陽と月のようである。共同体はこの二つの場所で、普段の生活の蔭に隠された鮮やかな相貌を、それぞれ異なる光に照らされた異なる相貌を見せるのだろう。

 

 さて、僕もしだいに酔いがまわって来た。気分も良いし、今夜はこのくらいで終わりにしよう。それではみなさん、よい夜を。

  

中世ヨーロッパ生活誌 (1)

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中世ヨーロッパ生活誌 (2)

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近代人の誕生―フランス民衆社会と習俗の文明化

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中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 (ちくま学芸文庫)

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居酒屋の世界史 (講談社現代新書)

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マショー:ノートル・ダム・ミサ曲

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