やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

「人生は40から」って本当ですか?

 

 たまには筆の赴くままに、どこに辿り着くのかわからない文章を書いてみたい。はっきり言って、話の流れ上よく知らない領域に踏み込んでしまったりもしているが、間違いなく言えることは、これはいまアラフォーの人に、またかつてアラフォーだった人、将来アラフォーになる人たちにぜひ読んで欲しい気持を込めて書いているということだ。たまにはそんなことがあってもいいのではないか。なぜなら人生もまた、あらかじめ目的地を定めたりはするが、結局どこに辿り着くのかわからない旅なのだから。

 

 「Life Begins At 40」(人生は40から)という英語の諺がある。よく知られ、また使われている言葉らしく、検索すると記事やブログはもちろん、小説のタイトルや曲名など、この言葉を冠したものがたくさん出てくる。*1 なかにはボードゲームもある。日本語版は発売されていないが、その箱がこれだ。

 

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 この箱のイラストはとても示唆的だ。

 子供が独立し、不要になった広い家を売り払って二人乗りの車で旅立つアラフォー夫妻。夫の頭髪には白いものが増えてきてはいるが、いかにも意気軒昂でゴキゲンだ。妻はドアに腕をもたれかけ、すっかり「良き母」の役割を卒業して自由な風を浴びている。

 車は『サンダーバード』のペネロープ号。これから世界中を旅し、スリルと興趣に満ちた体験をしようという二人の高揚感をあらわしている。陽は雲間を抜け、いままさに中天めがけて昇り詰めんとするところだ。

 

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 ペネロープ号。

 

 この、子供が独立したあとに家を売る行為は、どうやらアメリカあたりではよくあることらしく、ダグラス・クープランドも『ジェネレーションX』のなかで「巣削り」と称して次のように解説している。

 

 【巣削り】

 親が、子供たちが独立したあと、より小さくて客間のない家に移る傾向。これによって、ニ十歳や三十歳になって家にブーメランしてくる子供を避ける。

 

 噂には聞いているが、日本のように易々とパラサイトさせないというのが、アメリカ流だかアングロサクソン流だか白人流だか、ちょっと範囲はわからないが、とにかく海の向こうの人々の流儀だというのは本当らしい。

 しかしそれは何のためかというのを、我々は「独立自尊」の価値観、ようは自由だとか個人主義といった文脈で理解しようとしがちだが、どうもそうではないのではないか、それよりも「親であることを卒業して自分たちの人生を楽しむため」に子供を追い出しているのではないか、と思えるのである。

 そうやって思い返すと、日本では子供が犯罪をすると親が出てきて謝罪したり、姉の婚約が解消されたり、脅迫電話が殺到したり、ひどい場合は一家離散したり父親が自殺したりするが、「アチラ側」では親などは比較的ケロっとしている、まあ申し訳ないっちゃ申し訳ないけど子供はもう独立したし関係ないよね、という空気が醸成されているというのも、俗説ではあるが、もっともなことのように思える。

 

 *

 

 青春時代がいちばん楽しくて充実している、というのはすでに青春時代を通り過ぎた人が漠然と思いがちだが、よく思い出して欲しい。青春時代って本当にそんなに楽しかったか? 実際は相当に苦しかったのではないか? 本当にそれを繰り返したいと思うだろうか。

 ジョン・レノンは1980年、ちょうど40歳になった時、同じく40歳になったポール・マッカートニーに贈るために、そのものずばり「Life Begins At 40」という曲を作曲した(そしてその年の12月に殺された)。そのなかで彼は「I don't wanna to be born again」(僕はもう一度生まれたくはない)と歌っている。*2

 

youtu.be

 

They say life begins at forty

(人生は40からだと人は言う)

Age is just a state of mind

(年齢はただの心の状態だと)

If all that's true

(もしそれが真実なら)

You know, that I've been dead for thirty-nine

(僕は39年間死んでたってことになる)

 

And if life begins at forty

(もしも人生が40からならば)

Well, I hope it ain't the same

(これまでとは違った人生が欲しい)

It's been tough enough without that stuff

(これまでだいぶ厳しい思いをしてきた)

I don't wanna to be born again 

 (僕はもう一度生まれたくない)*3

 

 もちろん40だろうが何歳だろうが苦しみは存在する。だがちょっと失恋したとか上手くいかないことがあったからといって、すぐ絶望したり致命的な諍いを起こしたりしない程度の経験と知恵、視野の広さをアラフォーのわたしたちは身に着けてきた。またそれ以上の、「思い通りに行かないことってあるよね」というレベルではない苦しみにも、周囲に助けを求めたり、あるいは恥も外聞も捨てて逃げ出したり、分散依存したり*4 、さまざまな手段でなんとかやり過ごすしぶとさ、ねばり強さも同時に身に着けてきた。

 心の外側に、叩いたら割れるような「硬質なのにやわな」殻ではなく、弾力や柔軟性もある壁があって、それに守られているような感覚。それはハイティーンや20代ではなかなか身に着けられないものだ。*5

 では、ちょっとは苦しみに強くなったのはいいとして、楽しみのほうはどうなんだろう。これについてはバーバラ・シェール『フォーティーズ・クライシスなんか怖くない!』が示唆に富んでいたので、しばし彼女の言説に耳を傾けてみたい。

 

 *

 

 【40's Crisis】①40代に入ったとき、誰もが陥る可能性のある感情的危機。②人生の後半期に入り、さまざまな「価値あるもの」を失うのではないか、という危機感。例:ロマンス・若さ・美しさ・無限の可能性・永遠の時間etc……。

 

 これがバーバラ・シェールよる「フォーティーズ・クライシス」の定義である。

 多くを説明する必要はないだろう。こういった状況に陥る人も、気質によっては無縁な人もいるが、一般的に誰でも年老いたくはないのだから、他人事だとしても「そういうことがある」というのを理解するのは難しくはないはずだ。*6

 ……でも、やはり少しおかしくはないか? ついさっきまで「人生は40から」という諺を見て来たわけだが、同じ40前後でこのような精神的危機を迎える人が後を絶たないというのはどういうわけなのか。「人生は40から」という諺は痩せ我慢の強がりの類いだったのか?

 彼女はフォーティーズ・クライシスの原因を、わたしたち一人一人に埋め込まれた種の保存のプログラムから説きおこしている。ミドルティーンから40前までのあいだ、

 

 自分では気づいていませんが、わたしたちが情熱を傾けてきたことは、わたしたちの本能がさせることだけでした。否応なしに、強く、美しく、賢くあることを迫られるのは、最高の異性を獲得するため、子どもたちにいちばん大きな肉を与えるためだったのです。

 

 しかし四十歳を迎えるころになると、ホルモンは減少しはじめ、それにつれ「遺伝子残すぞ競争」(安田)は生物的プログラムとしては少しずつ後退してゆく。

 

 なぜ危機に陥るのでしょう? それは自然の摂理が、まだわたしたちが快適になることを許さないから。種としての闘いを終わらせず、ふたたび兵士として立ち上がらせようとする力が働いているからです。

 

 そうして我々は、いてもたってもいられなくなり、ある意味パニック状態になってさまざまな危険を冒してしまう。たとえば自分よりうんと若い相手に恋をするといったような。

 ではこのようなフォーティーズ・クライシスに対し、バーバラ・シェールはどのような処方箋を示しているのだろうか。それはある意味「童心に帰る」ことである。8歳から11歳くらいの時期、わたしたちは以前ほど親を必要としなくなり、まだ「遺伝子残すぞ競争」も始まってはいない。

 

 この間、わたしたちは冴えていて、クリエイティヴで、友だちをいちばん大切に思い、好奇心いっぱいに学ぶという驚くべき生き物になります。女子は、男子より頭がいいことを恐れないし、男子もまた、自分が男であることを女子に見せつけなくてすみます。もっとも目覚めている時期なのです。

 

 もうおわかりだろう。彼女の提言は身体的に終わりつつある「遺伝子残すぞ競争」から精神的にも脱却し、あの輝かしい子供時代に還りなさいというものなのである。

 一方で「人生は40から」と云い一方で「フォーティーズ・クライシス」と云う。それはどちらも本当のことだったのだ。彼女を信じるならば、この時期にわれわれが体験するのは精神的な「生まれ変わり」なのだと言える。

 

   バーバラ・シェールの提言は、少なくとも僕にとっては妥当なものだった。彼女は40からの人生の輝かしい面を明確に示しているし、それは確かに、僕自身の少年時代にも身に憶えのある「輝き」であった。*7

 「ロマンチックな恋のことはもう忘れろ」とは言わないにしても、中年の恋はそれ相応にリスクや自己像のズレが伴う。*8 またロマンチックな恋愛にたいする執着が多くの苦しみを生み出すというのも、それを得ることが年々不利になってゆくというのも動かし難い事実だ。*9 彼女は「ロマンチックな愛」と「ほんものの愛」を対比し、次のように提言する。

 

 そんなあなたがまだわかっていないことは何でしょう。ほんものの愛を見つけるのに遅すぎるということは決してないということです。そしてもしあなたがロマンティックな愛を欲しがっているのなら、それは決して手に入らないし、またそれを求めている限り、ほんものの愛も決して手に入りません。

 いつか、メロドラマを演じるのはまっぴら、と思える日がやってきます。そしてやっと幻想が消え、今まで見えたことのなかったものが見えるようになります。

 

 「メロドラマを演じるのはまっぴら」という言い方をされると、なるほど確かに目が醒めるような思いがしないだろうか。さきほどの「実際に若い頃は楽しくて充実していたか?」という問いと同じように、現実よりもはるかに素晴らしいものとしてロマンチックな恋愛にたいする幻想が肥大化してはいないだろうか。

 

 *

 

 あれこれ見てきたが、僕は割り切ってこう言ってしまいたい。

 どのみち私は打ちひしがれるために生まれてきたのではない。

 バーバラ・シェールの云うことが真実だろうが、気休めだろうが、どちらでもいい(でもいい本なのでお勧めです)。①スピリチュアルに自己と人生を肯定するのも、②リベラル風に「丁寧に内なる自己と対話してゆく」のも、あるいは③事態改善のため具体的に努力してみるのも、④あまり考えないようにしてまったり過ごすのでも、どれでもいい。または⑤苦しみ、悩み、もがき続け、同時にそれらすべての感情にうんざりしながらも精神的に格闘し続けていてもいい。ただ⑥死ぬまで精神的なシャッターを下ろしてしまうこと、残りの人生を消化試合として過ごすという選択肢を選んではならないこと、それだけわかっていれば。

 

  このテーマについては、まだまだ書きたいことがある。たとえばジョン・レノンの他にも注目すべき曲がある。*10 『ロッキー・ホラーショウ』の「Time Warp」の歌詞も素晴らしいのでぜひ紹介したい。田中俊之『〈40男〉はなぜ嫌われるか』も、テーマを男性に絞っているが得るところの多い本だった。雑誌『SPA!』もしばしばアラフォーをテーマとした特集を組んでいて、幾つか読んで感想もあるといえばある。

 だが年齢にともなう心境の変化といったことは、今後も何度でも書くと思うし、なんなら40歳問題でももう一度くらい書いてもいいかな、と思うのでひとまず今回は措いておく。

 

 まだまだ人生は長い。まあ、焦らずに、楽しいことをしつつ、ぼちぼち考えてゆきましょう。

 

 【追記】

 敬愛する偽アザラシパイセンから長文の感想をいただきました。

 

  とりあえず笑うな : 「人生は40から」って本当ですか?~やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)への返信を兼ねた雑駁な私論~

 

  というわけで拝読したのだが、これはなかなか熱いブログで、全体的には上でも引用した、バーバラ・シェールの次の部分への当惑、そして反発が主なテーマとなっている。もう一度引用する。

 

 そんなあなたがまだわかっていないことは何でしょう。ほんものの愛を見つけるのに遅すぎるということは決してないということです。そしてもしあなたがロマンティックな愛を欲しがっているのなら、それは決して手に入らないし、またそれを求めている限り、ほんものの愛も決して手に入りません。

 いつか、メロドラマを演じるのはまっぴら、と思える日がやってきます。そしてやっと幻想が消え、今まで見えたことのなかったものが見えるようになります。

 

 この箇所に対し、偽アザラシパイセンは「いやいいだろ別にメロドラマ演じたって」と言い、そこから、確かにいい歳になってドン・キホーテ的中年、メロドラマ野郎がいたら現実には鬱陶しいかも知れないことを認めつつも、逆にメロドラマを嘲笑する人たちとは何者だ、それは「結局のところバランスのよろしい人生を選んだ裏返しの嫉妬だろう」と指摘する。あれだ。例えるならフーテンの寅さんに熱心なファンが大勢いる一方でわりとアンチも多いってやつだ。

 そういう人たちは逸脱した人を嘲笑することで溜飲を下げていていいのか、もうちょっと、そういう自分の屈折の原因を自己分析したほうがいいのではないか、しかし自己分析にも都合よく解決可能な原因が見つかったりはしないもので、悪くすると「屈折せざるを得ない上手くいかない己の人生を延々に恨むそのルサンチマンの感情自体が、存在証明になりかねない、それどころか下手すりゃそれが快楽になってしまう」と偽アザラシパイセンは云う。せやね(ᵔᴥᵔ)

 

 「大人なんだから冷静になれよ」というのと「大人だって蛮勇をふるっていいじゃないか」というのはどちらが正しいとなかなか言えるものではなく、たぶんアフラ=マズダとアーリマンの決着がつく頃にはどちらが正しいかの結論が出ているのかも知れず、その頃には車のアクセルとブレーキもどちらかが淘汰されているのだろう。我々の短い人生のなかではわからない、というか一人の心のなかで常に揺れているものだとも思う。偽アザラシパイセンも読んだかぎりではけっこう揺れてるっぽい。

 実は上のバーバラ・シェールの引用箇所は、書いている時分にもけっこう気を遣った場所で、何故かというとそりゃ実際に40前後、あるいはもっと上の世代にしても、ロマンチックな恋愛にまだまだ参入したい人たちがごまんといることを知っているからだ。そんな人たちにやめとけだの逆にゴーサインだの迂闊なことは言えない。そこで「それ相応にリスクや自己像のズレが伴う」とか「ロマンチックな恋愛にたいする幻想が肥大化してはいないだろうか」といった「まあそれでもやるっていうなら僕は反対しないけどね」というような煮え切らない文章になっているわけである。汲んでほしい。

 

 *

 

 パイセン曰く「童心って具体的にどうすんだ」。ほんとそうですねえ。僕としては、8~11歳頃とバーバラ・シェールも云っているので、男だったら昆虫採集、天体観測、百科事典、児童小説(乱歩とかも?)、自転車、ファミコン、下校時の道草、子供ならではの淡い初恋といったイメージがばっと目の前に拡がりますね。それらに共通して云えることはなんでしょうか、世界に対する探究心とか、自分の可能性への確信、みたいなことでしょうか。それと「他人と競ってどうのこうのではない」ということも。ちょっと月並みですが……。

 

 *

 

 あと、ラストのほうで「ところで⑥(安田:死ぬまで精神的なシャッターを下ろしてしまうこと、残りの人生を消化試合として過ごすこと)とはどのような状態だ?」という疑問を投げかけられておられますが、なんというか、ただただ死ぬまで時間潰しをしてるような方を時々見かけることがありまして、天人五酔ではないけれど、体力、気力その他の事情で誰にでも誘因がある、一部は無理もないことは重々承知ではあるんですが、油断するとそういう兆候が40前後あたりから少しずつ少しずつ表れて来るように思うんですよね。具体的には

 外見や清潔であることに気を遣わなくなる

 物事にたいして関心・こだわり・趣味がなくなる

 無愛想でコミュニケーションが雑になる

 健康に無頓着になる

 寝転がって焼酎飲んで地上波民放を観るだけになる

 といった感じでしょうか。あ、もちろん焼酎や地上波民放といった要素はそれ自体が単独で、文脈抜きで悪いという意味ではないということについてはあしからず。

 そして「自分はもういいんだ、ただ死ぬのを待ってるだけだから」といったような投げやりなセリフを耳にしたこともあります。かなり高齢の方でしたが、これ、若者の死にたいツイートなどとは真逆の、本当に投げやりに何の葛藤もなくそう思っているということです。自分もやがてそうなるんだろうか、少なくとも加齢とともにそうなってしまいたい、そのほうが楽であり、ある意味パラダイスだ、という誘因が加速度的に増してゆくことは容易に想像がつき、恐ろしい。逆に凛としたたたずまいを保ったまま晩年を過ごした人、ターシャ・チューダーとか白洲正子とか池波正太郎とか?(よく知らないけど)、そういう人たちに絶大なカリスマが宿るのもさもありなんですね。

 

 ともあれ、偽アザラシパイセン、たいへん熱の籠もった感想をいただき、有難うございました。またキャスで話しましょう!

 

ジェネレーションX―加速された文化のための物語たち

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アンソロジー

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フォーティーズ・クライシスなんか怖くない!

フォーティーズ・クライシスなんか怖くない!

*1:じつは「Life Begins At 50」とか「Life Begins At 60」「Life Begins At 70」「Life Begins At 80」等で検索してもそれなりにヒットする。多いのは圧倒的に「Life Begins At 40」だけれど。

*2:ただし本邦には、井上陽水による「人生が二度あれば」という名曲もあるといえばある。

*3:安田による訳はあまり信用ならないので、気になる方は下記訳などを適宜参考にしていただきたい。ただしI don't Wanna to be born again の部分については、山本安見氏の訳「あれをまた繰りかえすのはごめんだね」はやはり、「もう一度生まれたくない」を端折らないほうがいいと思うんですがどうでしょうか。

blog.livedoor.jp

*4:さまざまなものに少しずつ依存することによって致命的な事態を避ける精神的な生存戦略。例えば家族、友人、SNS、スポーツ、宗教、アルコール、ギャンブル、ゲーム、行きつけの飲み屋、ポルノ等。

*5:村上春樹も初期のエッセイで似たようなことを書いていた。年を取ると、いいことか悪いことかは分からないが、鮮烈な苦しみというのはなくなる。それはとても有難い事ではある(大意)と。

*6:上述のダグラス・クープランドは「二十代中期挫折」を提唱しているが、これも「特定の年齢において起こりがちな精神的危機」の一例であり興味深い。以下に引用しておく。

 【二十代中期挫折】

 ニ十歳代にありがちな、精神的にくじける時期。原因はたいてい、学校あるいは組織化された環境の外では機能できないことに加えて、世間で自分が一人ぼっちだということに気づくこと。しばしば薬物使用という儀式に加わるきっかけとなる。

*7:個人的な体験と見聞だが、イジメが本格化するのはこうした時期が過ぎ、中学生くらいになってからという気がする。またイジメの動機として、それが全てではないにせよ同性間の競争・格付けといったバーバラ・シェールのいう「種の保存プログラム」がかなり影響しているのではないか。

*8:これについては田中俊之『〈40男〉はなぜ嫌われるか』に的確な指摘がズバズバあって読むと軽く落ち込むほどだが、とにかく「自分で思う自分」と「若い子から見た自分」のズレがひどくなりがちなのがアラフォーなのである。

*9:「ロマンチックラブイデオロギー」批判などと口にすることは簡単だけれど、心の底からそれを脱却することは、なかなか簡単ではない。これについては、簡単に「こうすればいい」というようなことは言えない。

*10:たとえばこの曲は俊逸だ。

youtu.be