『賭博黙示録カイジ』の第一話、ヤクザの遠藤が路上に停めた車のタイヤを、カイジがバリバリに傷つける。カイジはそうやって時折、高級車を傷つけることによって不遇な身上のうさ晴らしをしているのだ。
ところが遠藤が「車がパンクしていた」と言ったとき、思わずカイジはこう口走ってしまう。
「しかし世の中には、タチの悪いイタズラする奴がいますね……ったく」
すると遠藤は云う。
「お前か?」
何故カイジは、パンクがイタズラによるものだと確信していたのか。この時カイジは犯人しか知りえないことを口走ってしまったのである。
さらにカイジは二重に墓穴を掘る。「たしかに自分は高級車にイタズラをするが、ベンツ専門であって、ベンツ以外には決して手を出さない」と。
すかさず遠藤は云う
「なぜ俺の車がベンツじゃないとわかった?」
「問うに落ちず語るに落ちる」というのは面白い現象だ。
子供の頃に人気だった『警部補 古畑任三郎』にはこうした、犯人が犯人でなければ知りえないことを思わず口走ってしまって観念するシーンが頻出した。正直、子供心に「またこのパターンか!」と思いもしたのだが、それだけこうした型にカタルシスがある、観た人がスッキリする、ということなのだろう。
「残念なことに、お中元が盗まれました」
「俺じゃない! 俺はメロンは嫌いなんだ!」
「あなたはどうして中味がメロンだとわかったんですか?」
「」
*
さてそうした「語るに落ちる」エピソードのうち、僕が気に入っているものを幾つか紹介したい。
一つは数年前に実際に起こった事件で、yahoo!ニュースか何かで見たものだ。
交番の巡査が、遺失物として届けれられた財布からお金の一部分をネコババした。記事によると、巡査は落とし主に返すさい
「財布はあったがお金は一部抜かれていた」
と言ったそうである。
この愚かさ、うかつさが伝わるだろうか。
早い話が全部抜けばバレなかったのである(預かり証は偽造するとして)。あるいは一部分抜くにしても何も云わなければバレなかったはずである。
だがこの巡査、小心からか、あるいは全部取るのは可哀そうだと思ったのか、あるいは借金返済やら母の医療費やらの必要最小限の額だけに留めたのか、とにかく一部分だけを抜き、そしてご丁寧に「一部分が抜かれていた」と説明したのだった。
当然ながら、落とし主はおかしいと気づく。なぜ財布に入っているお金が「一部分抜かれた後」だとわかるのか? 本当は幾ら入っていたのか知っているのはネコババした犯人だけではないのか?
かくして落とし主は別の交番に通報し、ネコババした巡査は逮捕されたのだった。
僕がこの話に愛着を覚えるのは、犯人たる巡査が完全犯罪をするにはあまりにも人間くさく、その人間くささゆえにバレてしまったというところに、なんともいえぬ哀愁を感じるからである。
もし躊躇なく全額ネコババし、落とし主にも一切説明しない、より犯罪者として適正のある人間ならば成功していたのかも知れないが、そちらのほうが結果として良かったとは言えない。ところが、われらがポンコツネコババ巡査は、わざわざ一部しか取らず、しかもそのことをご丁寧に落とし主に説明したために、かえって事を露見させてしまったのである。悪いことをするのに向いている人と向いていない人、どっちが幸せなんでしょうね。まあ反省して人生やりなおして欲しいですね。
*
ロシアのジョークに次のようなものがある。
女房が浮気をしているところへ、亭主が帰ってきた。驚いた間男は、あわててベッドの下にかくれた。何もご存じない亭主が、ベッドの端に腰をおろしていると、何やら下でガサガサ物音がするので、てっきり女房が可愛がっているペットの犬が、もぐりこんでいると思い、
「コシカかい」
と手を差しだすと、その間男、亭主の手をペロリとなめ、
「はい、コシカです」
(鈴木充『ロシア版「千夜一夜」 こばなしにみるソ連史』)
しかし、これはそれほど面白い話ではない。
強いて興趣のある部分を言えば「犬だと思って手を舐めさせるとじつは人間だった」というモチーブが、ジャン・ハロルド・ブルンヴァンが紹介するアメリカの都市伝説によく出てくることくらいだろう(それは間男ではなく怖ろしい殺人鬼で、一夜明けると犬や同居人が殺されており、「お嬢ちゃん、人だって舐められるんだぜ!」というメモが見つかる、というものだ)。
だがブルンヴァンはそれとは別に、「語るに落ちる」という今回のブログテーマにふさわしい都市伝説を紹介してくれている。それは次のようなものだ。
ニューヨーク市のある青年が最近パーティで知り合った女性とデートをする。彼女は地上四十何階かの豪華な高層アパートに住んでいる彼が早く着きすぎたので、彼女は全く出かける準備が出来ていない。そこで彼は彼女がベッドルームから出てくるのを待ちながら、じゃれついてくる彼女のひとなつっこい犬にボールを投げてやる。ボールは投げる度に少しずつ遠くへ行くが、そのたびに犬は猛然とそれを追いかけ、もう一度投げてもらおうと持ってくる。それから偶然、若者はボールを強く投げすぎる。するとボールははねて開いた窓から(あるいはバルコニーや手すり越しに)下の通りに落ちる。そして犬もボールを追いかけて跳び出すのだ。
(中略)
女性は数分経ってから姿を現わし、ペットに「バイバイ」と言い(「あのこはどこかそのへんに隠れているんだわ」)、カップルは出かける。
(ジャン・ハロルド・ブルンヴァン『チョーキング・ドーベルマン』)
この話にはオチがついている。素晴らしいデート(当然素晴らしくなければならない)のあと、ディナーあるいは帰り道のさいに、青年はふと犬のことを思い出し、こう口走ってしまうのだ。
「君の犬なんだけど、少々気が滅入っていたようだよ」
はい語るに落ちましたね。
犬が自殺をするかどうかは厳密にはわからない――まあしないとは思う――が、この話のミソは、青年が例によって黙っておけばいいものを、勝手に「いいわけ」を始めるところにある。
じきに彼女は帰宅し、愛犬がいないことに気づくだろう。当日か翌日か、墜落死した愛犬を見つけるのも時間の問題だ。
そのとき彼女は青年の言葉を思い出す。「君の犬なんだけど、少々気が滅入っていたようだよ」。なるほど犬は鬱病で飛び降り自殺したというわけだ……って、そんなわけあるか!
どうやらこのカップルの前途は明るくはないようである。
*
さて皆さんも、何か犯罪的なことをする時には余計なことを口走らないようにお気をつけください。もちろんルールを守って平穏に暮らすのが一番ですよ、とは強くお薦めいたします。
では今日はこれくらいで。気に入ったら高評価とチャンネル登録、あとツイッター(以下略
- 作者:鈴木 充
- メディア: 単行本
- 作者:ジャン・ハロルド ブルンヴァン
- 発売日: 1990/03/01
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