さて。
ここ数か月というものブログをまったく書けない状態が続いていた。そこで先日、仕事中に「ブログ 書けない」で検索してみたところ、ヒットしたページにこう書いてあった。
「ブログを書く方法、それはとにかく書くことです」
僕は深い衝撃を受けた。まさにコロンブスの卵。現代の吉四六さん。賢者とはかような者を言うのであろう。
これほどの知的衝撃を受けたのは、学生時代にサミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』を新刊で買い、彼女との旅行に持ち込んで読みふけった(なぜか旅行後すぐにフラれた)時以来、否、小学生時代に友達の家に遊びに行った時、友達の姉が「さてクイズです。わたしのパンツは何色でしょう?」と僕たちに当てさせ、「し……白?」と震えながら答えたら「ブッブー、ブルマでした!!!」と後ろを向いてスカートをまくり上げ、ブルマの尻を見せつけてきたあの時以来であった。
「ブログを書く方法、それはとにかく書くことです」。僕はその言葉の深い含蓄を幾度も噛み締めた。
……いやその、わりと本気で言ってるんですが。
これは試験勉強に例えるとわかりやすい。
「試験勉強がはかどる方法、それは試験勉強をすることです」
つまり机の上を片付けたり、参考書を並べ替えたり、椅子の高さを調節することでもなければ、作業用音楽をネットで探したり、勉強法のコツをググったりすることでもなく、はたまたどの科目にどれだけ時間を割くかとか、どこを重点的にやるかといった作戦を立てることでもない。いいからはよやれや、ということである。
そもそもコツや要領は実践によってのみ身についてゆくものなのである。またやる気とはやることによって喚起されるものなのだ。布団から起きなければいつまでたっても眠いままだが起きれば10分で目が醒める。子供に家事をやって欲しければ実際に家事やらせること(やることによって、やらなければ家が回らないことが体感的に理解される)。そういうことだ。
試験勉強まで話を戻すと、「試験勉強の環境を整えたり作戦を立てることによって《試験勉強そのもの》を回避する」という転倒が起きているのである。昔、ソ連のジョークにこんなものがあった。
共産党の幹部が、あるプロジェクトがうまく行かなかったので会議を開いた。
「同志イワーノフ、なぜ我々のプロジェクトはいつもアメリカに遅れを取るんだろう?」
すると別の者が答えた
「同志ユーリャ、思うにアメリカは上手く行かない時にすぐ別の方法を試してみるが、我々はそのつど会議を開くからではないか」
言うまでもなくこのジョークのキモは、「障害の原因を見つけるための会議そのものが障害となっている」ということである。
さて、また1000字を越えたのでこれで更新することにする。今日はこれで二つブログを更新した。大した成果ではないか。