やすだ 😺びょうたろうのブログ(仮)

安田鋲太郎(ツイッターアカウント@visco110)のブログです。ブログ名考案中。

そもそもなんでツイッターを始めたのかという話

まだこの世に安田鋲太郎が存在しなかった頃の話だ。 そう、2014年秋。僕は30代後半で、職場と家を往復するだけの単調な日々を送っていた。働いては読書、あと酒。ひたすらこの繰り返し。友達はといえば、地元の無教養な連れがかろうじて数人いる程度だった。…

さよなら救世主(;ω;)ノシ

メサイア・コンプレックスはユング心理学の用語だ。そして多くの概念がそうであるように狭義と広義があり、ここではジム・ジョーンズ、あるいは麻原彰晃がそうであったかも知れないような狭義の、誇大妄想的なメサコンは扱わない。 広義のメサイア・コンプレ…

ポジティブ・シンキングってどうなの?

「今回はポジティブ・シンキングについて肯定側と否定側に分かれて仮想討論するってことで、あたしは否定側ってことになってるんだけど、ハッキリ言って妥協してお茶を濁す気はないからね。っていうかバーバラ・エーレンライクのポジシン批判で尽きてるんじ…

「病は気から」って本当ですか?

【免責事項】本稿は個人的見解を述べたものであり、医学的な記述について責任を負うものではありません。本人様、ご家族・知人様の疾病につきましては、専門的な医療機関や信頼できる情報ソースに基づいてご判断ください。 1957年、心理学者ブルーノ・クロフ…

夜の鮮烈さを以て……

恐れる必要などない。他人のブログを読んだところで何も変わりはしないのだから。 休み明けの通勤、駅に向かう途中にふと超能力が使えたら、たとえば時間を巻き戻せる能力があったならば、すべてのミス、それも仕事だけではなく人間関係上のトラブルや失敗し…

ゲームが文化の中心になるのかも知れない

ゲームを侮ってはならない。ゲームは年々加速度的に複雑・高度化しており、ゲームをするときに脳が行っている認知的作業は、ある面においてハイカルチャーをも凌ぐからだ――という議論は、2005年の段階ですでにスティーヴン・ジョンソンが『Everything Bad Is…

トイレットペーパーとジジェク

新型コロナウィルスの影響でマスクがどこも品切れ・品薄状態になっていることは周知だが、それに続いてトイレットペーパーやティッシュペーパーがなくなるという噂が流れた。こちらについては、実際にスーパーや薬局でトイレットペーパーが消えたり「紙製品…

本質的な生活って?

本質的で、充実した生活を送りたいというのは万人の願うところであろう。だが、実際にそれが出来ている人は決して多くはない。「神から見れば誰もが病窓の少女」というように、人は環境、経済、健康その他さまざまな制約でがんじがらめにされた存在である。…

ブログをばんばん書く方法

さて。 ここ数か月というものブログをまったく書けない状態が続いていた。そこで先日、仕事中に「ブログ 書けない」で検索してみたところ、ヒットしたページにこう書いてあった。 「ブログを書く方法、それはとにかく書くことです」 僕は深い衝撃を受けた。…

ブログが書きたいです

先日、実家の父が確定申告をやっていたのだが、父は白内障だか緑内障だかで(父に電話で確認するとたぶん話が長くなるので割愛)極端に視力が悪いので、計算部分や清書は僕が手伝った。数日後にお礼の電話がかかってきて「いつもは三月までかかるけれど今年…

気楽に行こうぜ、のすすめ

むかしむかし、あるところに和泉元彌というたいそう人気の狂言師がおったそうじゃ。ある冬のことじゃった。元彌は大和国の公演に一刻(2時間)以上も遅れてやってきた。聞けば同じ日にテレビに出演しておったからだそうで、村人たちはそうなることがわかって…

薀蓄はつらいよ

ツイッターでもブログでも薀蓄を売りにしているので、いちおう頑張って他人の知らなさそうなことを云うのだが、なんでも言えばいいというものでもない。ただ単に、 「ツチノコみたいに見えるネコの写真を投稿する“ツチネコ”というネットミームがあるんだよ」…

一杯のしなそば

物書きが行きつけの大衆食堂の話を書いていると残念な気分になる。 なんというか、誰でも行く場所だし、ネタ元としてその人の専門性や個性がなにも発揮されていないというか、またそこで拾える話というのも「庶民の一風景」みたいな、ちょっと笑えたりほっこ…

あの頃、書くことが「居場所」だった

その昔、書くことが居場所だったことがある。 大学一年生の頃だ。パソコンの講義に使うとやらで半ば強制的に買わされたノートパソコンを持ち歩き、講義と講義の合間に、あと家に持ち帰っても延々と、取り憑かれたように「何か」を書きつづけた。 その「何か…

ウヨクに勝ちたいサヨクとサヨクに勝ちたいウヨクのために

選挙時のツイッターほど憂鬱なものはない。質の低い与党支持者と質の低い野党支持者がポリシーもなにもないきわめて下品かつ煽情的なプロパガンダツイートを濫発するからだ。最もお手軽で脳味噌からっぽのネット運動家にも出来るのは、プロパガンダ用の画像…

友達のつくりかた

友達が欲しい、出会いはあるけれど友達にまで発展しない、友達になったとしても続かない、孤独だ、というのは普遍的な悩みだと思います。そこで、どうすれば少しでも友達が出来やすくなるのか、より強固で持続的な友情を育めるのか、ということを今回は書き…

職業・教養・いかに生きるか

自分って物事を知らないよなあ、とこの頃ひしひしと感じる。というのも、ふつう人は仕事を通じて世間を知り、読書を通じて直接体験できないことを知り、それらが両眼のようになって物事を立体的に把握できる……とするならば、僕は仕事でも本、家でも本なので…

”X”世代のスラングたち

ダグラス・クープランド『ジェネレーションX』といえば、90年代アメリカを代表するカルトノベルの雄だ。 これは同国における”X”世代(日本でいう「しらけ世代」「新人類」に該当する)の青春小説であると同時に、リキテンシュタイン風のイラストやアフォリ…

オナニーもできやしない

※注意! このブログは中年男性のオナニーについて触れています。苦手な方はブラウザの「戻る」ボタンを押してください。 ところで、これまでの諸研究は、一番重要なことを不当に無視してしまっているのではないだろうか。それらが言及する人間の性、そして、…

「出会いそこない」だけが人生だ

繰り返し観る夢は、その人の人生における過去の「出会いそこない」であるというラカン派の考えを読んで、「ああ、やはりな」と思った。 だがそれだけではない。そうやって繰り返し観る夢こそが、起きているときの「現実」以上に真の現実の感触を与える、いわ…

「あいまい力」について(『出世の道』を題材に)

ベロアルド・ド・ヴェルヴィル『出世の道』(1610。執筆は1590頃)はとても奇妙な本だ。どのくらい奇妙かというと、そのとぼけぶりは手前の蔵書中ではヨハネ・パウリ『冗談とまじめ』を凌いで堂々首位の栄冠を勝ち取るほどで、けれど面白いかどうかというと微…

「逃げてもいい」「弱音を吐いてもいい」って本当ですか?

逃げてもいいんだよ、弱音を吐いてもいいんだよ(でもその責任はとらないよ) カッコ内は幻聴ですが、「逃げてもいいんだよ」「弱音を吐いてもいいんだよ」みたいなことは毎日のように耳にする。けれども、ちょっと紋切型っぽくもある。そこで検討を加えてみ…

哲学者の新しい服(或いはサンタグムの闘争)

『現代思想 特集=<消費社会>の解読』 (1982)に掲載されている上野千鶴子の論考「商品 差別化の悪夢」を読んだ時は、「衝撃」というのは云い過ぎだがかなり興味深いことを書いているなと思った。上野はそこで、言語学における「サンタグム」と「パラディグム…

羞恥心文明の衝突

僕の好きなフランスの小噺に、次のようなものがある。 年よりの司祭が、警察官をたずねて、もっときびしく風紀をとりしまってくれとたのむ。わけを聞いてみると、 「牛飼いの娘たちが、所もあろうに司祭館の前の川で、すっぱだかになって水あびをしているの…

上野千鶴子さんにジジェクのことを質問してみたこと、あるいは性被害を語るときの問題(読書日録より)

某月某日 呉智英『知の収穫』に収録されている「読書日録」のなかに、石光真清『城下の人』について述べた次のようなくだりがあった。 「この本には、著者の年齢を始めいくつかの不自然な点が散見する。だが、このことは証言につきものの錯誤や主観性の表れ…

「詳しさのようなもの」について

なにかニュースを見て「こんな不正は許せない」とか「こんな良い活動をしている人がいるんだ」などと思っても、念のためネットで検索すると――ある種のホットな話題ではとくに顕著だが――さまざまなディティールや背景、「同業者のみが知る事情」、真偽の不確…

夢の意味について

夢分析には学生の頃から興味を抱いてきたが、じつに数多くの流派が存在する世界であり、また本質的に非アカデミックなところがあるように思う。手元のいくつかの本から著者の経歴を抜き出しても、学位を持ち、何らかの大学との繋がりを持っているものの、基…

六道、獣人、相模原 あるいは人間の「無」条件について

以前、どこかのお坊さんの説法集を眺めていたら、次のようなことが書いてあった。記憶を頼りに書く。 「悪いことをしたら報いを受けるなんて嘘じゃないか。先日そこのお地蔵さんに立小便したけれど、それから何も悪いことは起きていない」 こう云う者がいる…

ある錯誤のパターン 必要条件と十分条件

たとえば「ロシア人は背が高い」ことを証明するためにはどうすればいいだろうか。背の高いロシア人を連れてきても無駄である。背の高いロシア人を100人連れてきても同じことだ。 「ロシア人は背が高い」という命題にたいし「背の高いロシア人」は必要条件…

うるさがり屋のクラシック

偏見だ。当然のことながら。 モーツァルトはうるさい。 もちろん、西洋音楽史のなかでモーツァルトが比類なき天才とされていることを知らないわけではないし、西洋音楽史の基準に疑問をさしはさむものでもない。だがそれはそれとして、僕にはモーツァルトの…